『パセリがつぶやく』

segakiyui

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 それまでの応対からスムーズに話が進むと思っていた望美の期待は、すぐにあっけなく破られた。
 詰め所内のやや奥まった場所、机が並べられ、医師達がカルテを書き込んでいる隅で向かい合った田賀の第一声は、望美の思ってもみなかったものだった。
「谷さん、なぜ、病棟のことに口出しをするんですか?」
「なぜ…って」
 面食らって口ごもる望美に、あくまで静かな声で田賀は続けた。
「これまで、確かに新しい先生方の出された栄養箋に問題があったこともありましたけど、たいていは電話連絡で済んでいたし、谷さんのように、直接病棟に来られる栄養士の方はなかったと思うんですけど。電話でのやり取りではだめなんですか?」
 しっかりした口調は、単に、岩崎から望美の口出しを拒否してほしいと頼まれただけとは思えなかった。病棟で働く看護師として、望美の介入を気にしているようだ。
「うん…そうよね」
 覚悟を決めて、望美は心の中をさらけ出してみることにした。
 それは、望美の、看護記録から見えた田賀への賭でもあった。
「本当は、なあなあで済ませればいいのかも知れない。でも、あたし、一応、この病院に『栄養士』をやりに来たの。ここは、食事療法で患者さんを助けようとしてるわね。薬を否定するわけじゃないけど、自然治癒力って大切だと思う。その自然治癒力を支えるのが食事で、それを考えるのが病院栄養士だと思ってるわけ」
 田賀はまっすぐ望美を見つめている。
「それでなくても、入院生活って楽しみが少ないでしょ。四角四面に暮らしていたら、それだけで治るものも治らないと思う。いろんな制限があって、そのうえ食事までおいしくないとか、楽しくないとかって、きっと、病気を悪くはしないまでも良くしてくれない。だから、どんな制限があっても、できるだけおいしく楽しく食べてほしい。いろいろ工夫をしてみてはいるんだけど、あんまりにも無茶な指示が多いでしょ。根が単純なんで、一言ぐらいは言ってやらなくちゃ気が済まないのよね。病棟の看護師さん達をばかにしてるわけじゃないのよ、でも食事治療をうたうぐらいなら、もう少し何とかできないのか、と思うわけ」
 じっと聞いていた田賀が、一気にしゃべった望美の後で、軽く首をかしげて言った。
「お月見のころの汁もののお団子、紅葉型の人参とイチョウ型のパイナップル、小さな子ども達への誕生月のケーキ。あれ、ひょっとして、谷さんの発案ですか?」
 望美はどきりとした。田賀は的確に望美の提案したメニューを指摘したからだ。
 何となく頬に血が上ってくるのを感じながら、望美はうなずいた。
「うん……評判はどうだったのか、あんまりわからなかったけど…」
「いいえ、あれ、患者さんがひどく喜んでましたよ。小児科の看護師も、子ども達がはしゃいで、それは楽しみにしてるって。そう……あれ、谷さんだったんですか」
 ふわりと初めて田賀は笑った。が、すぐに、顔を引き締めて、
「…で、かほ子ちゃんに、何をしたいんですか?」
「何をって……ただ、もう少し、あの子のことを知りたいのよ。できれば、直接話したいけど……看護師さんの方でも今一つ情報が集まってないみたいだし…井田先生、は、彼女と話す気はないようね」
「本当は、かほ子ちゃんみたいな子は、じっくり腰を落ち着けてカウンセリングに入った方がいいと思うんです。でも、ここには、そういう問題に詳しいカウンセラーはいないし…」
「看護師さんの方では無理なの?」
 望美のあっさりした問いに、田賀はいよいよ厳しい顔になった。
「無理です」
 言下に言い放つ。
「わかってもらえるかどうかわかりませんが、呼吸器をつけている患者さんが、今三人います。チェックリストで三十分おきにケアしている患者も二人います。今、病棟は満床です。少なくとも四十人は食事や生活についてのアドバイスと訓練を続けなくてはいけないし、そのうち十人は、家族に治療のための食事の続け方や日常生活の助け方を教えなくてはならないんです。昼間の勤務は三人、夜は二人、一人が二人の重症者を抱え、三十人近くの患者の状態を把握し続けなくてはなりません。正直なところ、かほ子ちゃんがここの病棟に入ったことも負担なんです」
 丁寧な口調だったが、岩崎より一層はっきりとした拒否に望美はショックを受けた。田賀のように熱心に患者を見ている看護師が、かほ子を見放すという事が信じられなかった。
「でも…かほ子ちゃんには誰かの手が要るわ。それはわかるでしょう?」
 ついつい責める口調になるのに、田賀は敏感に反応した。かたい表情に、より構えた声で応じる。
「わかりますが、物理的には不可能です。看護師だって人間だし、下手に勤務外に努力して働き続けると、疲れ切って、結局いざというときの仕事ができなくなるし、とっさの判断も鈍ります。体調を崩して休みでもしようものなら、ぎりぎりで回している病棟はパニックになります。自分の体調を崩さずにどこまで仕事をこなせるか、そのバランスを保つのに、緊張の連続なんです」
「でも…」
 望美は諦めきれずに口を挟んだ。
「それじゃあ、かほ子ちゃんはどうなるの? 確かにここに入院したのは間違いだったかもしれない。精神科の方がカウンセリングをうまく受けられたかもしれない。でも、今、彼女はここにいるのよ?」
「でも、かほ子ちゃん一人に時間を取るわけにもいかないんです」
 望美の哀願にも、田賀は揺らがなかった。淡々とした静かな口調で望美の目をじっと見据えながら続ける。
「今、わたし達が彼女にできることは、できる限りの情報を集めて医師に伝えること、毎日の食事内容とその時の彼女の対応から食べられそうなきっかけを探すこと、食事を取れないことからくる心身のバランスの崩れを見つけて対処を考えること、の三点ぐらいです」
 望美は軽く口を開いたまま、田賀のことばを聞いた。
 確かに、現在の状況で考えられるもっとも有効な方法に違いない。また、田賀が有能な看護師であることも間違いない。
 けれども、その田賀の突き放した見方は、予想以上に冷ややかで、望美は心底がっかりした。
「……すごいわ、田賀さん。何か、コンピューターと話したみたい」
 疲れ切って立ち上がる。
「谷さん」
 田賀は感情の読めない目で見上げた。その視線を、望美はゆっくり首を振って振り切った。
「ごめんなさいね。あたし、あなたのこと、勝手にいいように思ってたんだわ……時間を取ったわね、仕事に戻ってください」
「いいえ」
 望美の皮肉の混じった対応にも、田賀は気分を害した様子を見せなかった。望美と対照的な滑らかさで立ち上がる、その田賀に、望美は儀礼的に声を掛けた。
「明日の勤務は何ですか?」
「深夜です」
「そう、頑張ってください」
 答えた田賀が微かにほほ笑むのにも上の空で応じ、望美は詰め所を出た。
 かほ子に注目しているのは、自分しかいない。
 そう思いながら、望美はエレベーターに向かった。
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