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数カ月後、かほ子は退院することになった。
すぐに拒食傾向がなくなったわけではないが、それでも少しずつ食べられるようになって、体重もかなり増えた。
「結局、あたしはかほ子ちゃんに、何にもしてあげられなかったなあ」
かほ子の退院ということで、内科病棟まで足を運んだ望美は、車椅子のゆかりと、かほ子とその両親が笑いながら話をしているのを、詰め所から見ながらつぶやいた。
側に居た田賀がカルテを整理しながら、
「それが間違いかも、とよく思いますよ」
「何が?」
「患者さんに『何かしてあげる』っていう発想。本当は、何もできないんです。ただ、逃げないで、側にいるより他は…」
「そうかなあ…」
望美は田賀に向けていた目を、かほ子達に戻した。
「もう少ししたら、あたしも退院するかもしれない。退院したら電話するから、おいしいケーキ、食べに行きましょ」
ゆかりが明るく誘っている。
「うん、わかった」
かほ子もにっこり笑って応じ、それから詰め所にいた望美と田賀に気づいて、両親ともども頭を下げた。
慌て気味にお辞儀を返し、病棟の入り口を出て行く三人を見送ったままの姿勢で、望美は田賀に尋ねた。
「ゆかりちゃん、退院できるの?」
「患者のプライバシーに関してはお答えできかねます」
田賀がさらりと受け流す。その表情に、望美は暗いものを読み取った。
「そっか…」
車椅子をゆっくり動かして、病室へ戻って行くゆかりが、田賀と望美に気づき、胸のあたりで小さくを振って見せた。手を振り返してゆかりを見つめた後、望美は立ち上がった。
「さて……『本業』に戻ってきますか」
「そうですね。もうすぐ主任さんも会議から戻ってくるし」
からかうような田賀のことばに、望美は肩をすくめた。
「悪い人じゃないけど、頑固なんだもん」
「誰がです?」
「うわ」
岩崎がふいに姿を現し、望美はことさらおどけた声を上げて飛びのいた。相手がむっとするのに、くすくす笑って手を振る。
「はいはい。今消えるところです」
「そうして頂きたいわね、それほど暇じゃないでしょう?」
「そう、暇じゃない」
望美は少し真面目な顔になった。
「やることはいっぱいある……まず、きれいで楽しい食事。それから、『命を十分に生かした』食事を考えなくちゃ、ね」
「かほ子ちゃんの例がうまくいったからって、浮かれないでね」
岩崎が釘をさす。
「他の拒食の患者が同じ方法で何とかなるってわけにはいかないんですからね。患者は一人一人違うのよ……」
いかめしく言った岩崎が、少し口調を和らげた。
「でも……頑張って」
「はいよ!」
詰め所を出て行きながら、望美は大きな声で答えた。
りんごは、あまかった。
ざくって切られて、
痛いって、悲鳴をあげたけど、
それでも、やっぱり、あまかった。
これは、命の味なんだ。
あたしは、命を食べている。
今日も、命を食べている。
終わり
すぐに拒食傾向がなくなったわけではないが、それでも少しずつ食べられるようになって、体重もかなり増えた。
「結局、あたしはかほ子ちゃんに、何にもしてあげられなかったなあ」
かほ子の退院ということで、内科病棟まで足を運んだ望美は、車椅子のゆかりと、かほ子とその両親が笑いながら話をしているのを、詰め所から見ながらつぶやいた。
側に居た田賀がカルテを整理しながら、
「それが間違いかも、とよく思いますよ」
「何が?」
「患者さんに『何かしてあげる』っていう発想。本当は、何もできないんです。ただ、逃げないで、側にいるより他は…」
「そうかなあ…」
望美は田賀に向けていた目を、かほ子達に戻した。
「もう少ししたら、あたしも退院するかもしれない。退院したら電話するから、おいしいケーキ、食べに行きましょ」
ゆかりが明るく誘っている。
「うん、わかった」
かほ子もにっこり笑って応じ、それから詰め所にいた望美と田賀に気づいて、両親ともども頭を下げた。
慌て気味にお辞儀を返し、病棟の入り口を出て行く三人を見送ったままの姿勢で、望美は田賀に尋ねた。
「ゆかりちゃん、退院できるの?」
「患者のプライバシーに関してはお答えできかねます」
田賀がさらりと受け流す。その表情に、望美は暗いものを読み取った。
「そっか…」
車椅子をゆっくり動かして、病室へ戻って行くゆかりが、田賀と望美に気づき、胸のあたりで小さくを振って見せた。手を振り返してゆかりを見つめた後、望美は立ち上がった。
「さて……『本業』に戻ってきますか」
「そうですね。もうすぐ主任さんも会議から戻ってくるし」
からかうような田賀のことばに、望美は肩をすくめた。
「悪い人じゃないけど、頑固なんだもん」
「誰がです?」
「うわ」
岩崎がふいに姿を現し、望美はことさらおどけた声を上げて飛びのいた。相手がむっとするのに、くすくす笑って手を振る。
「はいはい。今消えるところです」
「そうして頂きたいわね、それほど暇じゃないでしょう?」
「そう、暇じゃない」
望美は少し真面目な顔になった。
「やることはいっぱいある……まず、きれいで楽しい食事。それから、『命を十分に生かした』食事を考えなくちゃ、ね」
「かほ子ちゃんの例がうまくいったからって、浮かれないでね」
岩崎が釘をさす。
「他の拒食の患者が同じ方法で何とかなるってわけにはいかないんですからね。患者は一人一人違うのよ……」
いかめしく言った岩崎が、少し口調を和らげた。
「でも……頑張って」
「はいよ!」
詰め所を出て行きながら、望美は大きな声で答えた。
りんごは、あまかった。
ざくって切られて、
痛いって、悲鳴をあげたけど、
それでも、やっぱり、あまかった。
これは、命の味なんだ。
あたしは、命を食べている。
今日も、命を食べている。
終わり
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