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2.襲ってくる白雪姫(2)
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「パステルまじりのポップカラーの平面的な奴がさー」
リカは無理にはしゃいだような声で続けて、くつくつ笑った。
「何か、うん、すごいカンジ、だよね、それ」
しかたなしに、僕も調子を合わせてみる。
口に出して見ると、確かにそういう気がしてきた。
「どうして、白雪姫が襲ってくるんだろ。白雪姫って、襲われて殺される方だよね? それが七人の小人連れてなんて、えーと、なんだか映画にあったな、そうそう、スター・ウォーズの『帝国の逆襲』にひっかけて、『白雪姫の逆襲』、とか、タイトルつけられそう」
ぺらぺらしゃべって、次の瞬間、凍りつく。
ぴたり。
そんな感じで、リカが突然黙り込んでしまったから。
きらきらブラウンの長い髪を払いのけながら笑っていた、リカの指が空中で浮いている。指に、光をはねている髪の毛が、まるでこれから投げつけようとするクモの糸みたいにひっかかっている。そして、その向こうから、闇の世界に続くような、真っ暗な目が僕を見つめている。
表情がなくなって、半開きの唇がみるみるひび割れて、髪も白く乱れてしわが増え、それこそ魔法使いの老婆のようになっていきそうな、リカの目。
この目を僕は知っている。
見てはいけない部屋の扉を、とっても不作法に無造作に思いっきり開け放ってしまった、その向こうにいた誰かが振り返ったときの目。
見ぃたぁねぇ。
目はそうつぶやく。怨念を秘めて、呪いをこめて。
白雪姫の継母が、鏡に向かって憎しみをぶつけていたときに声をかければ、こんな目をして振り返ったはず。
僕は、何か、取り返しのつかないことをしてしまった。
ざわざわとした不安が沸き起こる。
なのに、同時にこうも思った。
一体、それは何なんだろう。
いつも沸き起こる禁断の好奇心。踏み入れてはならないとわかっているのに、花から立ちのぼる香りに幻惑される虫のように近寄ってしまう。
花はたいていは食虫植物、だったりするのに。
リカがカタリ、と椅子を鳴らして立ち上がった。僕を見ずに、うつむいたまま教科書を片付けにかかる。
「リカ?」
「問三、わかったんなら、後は解けるよ」
うつむいたままのリカの顔は長い髪が隠していて、どんな表情をしているのかはわからない。声は静かに淡々としていて、怒っているようには聞こえないけど、あっという間に宇宙の果てにでも飛び去ったような、手の届きそうにない距離を感じる。
「リカ」
僕は声をかけた。
リカは答えない。
「リカ」
教科書を鞄にいれている白い指。神経質そうに中身の配置を整え直す、せかせかした動き。まるで、僕の一言が彼女の中の秩序をうんと乱した、ように。
「ごめん」
何も見ていないよ。
僕は心の中で付け加えた。
そうだ、僕は何も見ていない。
リカ、君の中に何があってもいい。
リカ、だから、側にいて。
僕の側に。
「和樹クン」
リカの声に僕は我に返った。
「ごめん、ごめんね」
急いで繰り返し、今にも立ち去ってしまいそうなリカの手をとっさに握って引き留める。
「何か、バカなこと、いったんだよね? ごめん、悪かったよ」
びく、と体をすくめたリカはゆっくりと顔を上げた。
真っ白になった顔に、ぽっちりと赤い唇が、真っ暗な穴になった目と一緒に不安定に浮かんでいる。
「…わかってないのに、謝らないでよ」
「あ…」
ひんやりとした拒否の声が響いて、僕は手の力を緩めた。リカがするりと手を抜いて、鞄を持って体を引く。それをぼんやりと見ながら、まただ、と胸の中でつぶやいた。
僕はときどきこういうことをしてしまう。
それまで笑って相手をしていてくれた人が、いきなり体中を強ばらせて警戒心を漲らせ、僕から急いで身を引くようなことを。まるで僕がすべての災難の源であったのかと突然気づいたみたいに。
たぶん、開けてはいけない扉を開いてしまったのだろう。けれど、僕には、それがどこにあったのか、いや、扉があったことさえわからなかったりする。
だけど、相手はそうは思わない。
まるで僕が、とてつもない悪意をもって嫌がる相手の心の中に無理やり踏み込んでいったように、僕を拒む。今のリカのみたいに。
そして、僕は困惑と不安に取り残される。
それまで遊んでいた相手が目の前で霧になって消えたような気分。
いったい、僕が何をしたって言うんだろう。
何がいったいいけなかったって?
一所懸命に考えてはみるが、答えはいつも見つからない。
そのまま背中を向けかけたリカは、ぼうっとしてしまった僕がさすがに気になったのだろう、途中で動きを止めた。
「今度の土曜…」
「え?」
「だめ、だと思う」
「土曜の…映画?」
「うん」
ふいに、一大決心をしたみたいにリカは振り向いた。さっきまで光を吸い込んで真っ黒に見えていた目が、何だろう、ふいにきらきらと、内側から光を放ち出したみたいに見える。
その輝く瞳でまっすぐに僕を見た後、リカはにっこり、笑った。
潤んで光る大きな目、触れると散る花びらのような唇、光るうぶげ。写真よりも誇らしげで、自信ありげで、まばゆいほどはっきりした笑み。
デートを断られたっていうのに、思わず口を開いて見惚れてしまった。
なんて、きれいなんだろう。
リカって、なんて、きれいなんだろう。
「でもね」
あんまり僕が情けない顔をしていたせいか、リカは少し眉をあげて、
「日曜はオッケー。うんとオシャレしてくから、楽しみにしてて」
「日曜?」
「だめ?」
「だめなんてことない、絶対ないよ」
僕は急いでうなずいた。
「あ、それから」
思い出したみたいに鞄を開けて、リカは青い表紙の本を取り出した。
「これ、よかったよ。写真集だけど。海のなの。よかったら。続いて借りない?」
「ここの?」
「うん。実はもう、期限切れてて」
リカはちろっといたずらっぽくピンクの舌を出した。
「返してくれるとうれしいな」
「わかった、うん、返すよ」
リカは無理にはしゃいだような声で続けて、くつくつ笑った。
「何か、うん、すごいカンジ、だよね、それ」
しかたなしに、僕も調子を合わせてみる。
口に出して見ると、確かにそういう気がしてきた。
「どうして、白雪姫が襲ってくるんだろ。白雪姫って、襲われて殺される方だよね? それが七人の小人連れてなんて、えーと、なんだか映画にあったな、そうそう、スター・ウォーズの『帝国の逆襲』にひっかけて、『白雪姫の逆襲』、とか、タイトルつけられそう」
ぺらぺらしゃべって、次の瞬間、凍りつく。
ぴたり。
そんな感じで、リカが突然黙り込んでしまったから。
きらきらブラウンの長い髪を払いのけながら笑っていた、リカの指が空中で浮いている。指に、光をはねている髪の毛が、まるでこれから投げつけようとするクモの糸みたいにひっかかっている。そして、その向こうから、闇の世界に続くような、真っ暗な目が僕を見つめている。
表情がなくなって、半開きの唇がみるみるひび割れて、髪も白く乱れてしわが増え、それこそ魔法使いの老婆のようになっていきそうな、リカの目。
この目を僕は知っている。
見てはいけない部屋の扉を、とっても不作法に無造作に思いっきり開け放ってしまった、その向こうにいた誰かが振り返ったときの目。
見ぃたぁねぇ。
目はそうつぶやく。怨念を秘めて、呪いをこめて。
白雪姫の継母が、鏡に向かって憎しみをぶつけていたときに声をかければ、こんな目をして振り返ったはず。
僕は、何か、取り返しのつかないことをしてしまった。
ざわざわとした不安が沸き起こる。
なのに、同時にこうも思った。
一体、それは何なんだろう。
いつも沸き起こる禁断の好奇心。踏み入れてはならないとわかっているのに、花から立ちのぼる香りに幻惑される虫のように近寄ってしまう。
花はたいていは食虫植物、だったりするのに。
リカがカタリ、と椅子を鳴らして立ち上がった。僕を見ずに、うつむいたまま教科書を片付けにかかる。
「リカ?」
「問三、わかったんなら、後は解けるよ」
うつむいたままのリカの顔は長い髪が隠していて、どんな表情をしているのかはわからない。声は静かに淡々としていて、怒っているようには聞こえないけど、あっという間に宇宙の果てにでも飛び去ったような、手の届きそうにない距離を感じる。
「リカ」
僕は声をかけた。
リカは答えない。
「リカ」
教科書を鞄にいれている白い指。神経質そうに中身の配置を整え直す、せかせかした動き。まるで、僕の一言が彼女の中の秩序をうんと乱した、ように。
「ごめん」
何も見ていないよ。
僕は心の中で付け加えた。
そうだ、僕は何も見ていない。
リカ、君の中に何があってもいい。
リカ、だから、側にいて。
僕の側に。
「和樹クン」
リカの声に僕は我に返った。
「ごめん、ごめんね」
急いで繰り返し、今にも立ち去ってしまいそうなリカの手をとっさに握って引き留める。
「何か、バカなこと、いったんだよね? ごめん、悪かったよ」
びく、と体をすくめたリカはゆっくりと顔を上げた。
真っ白になった顔に、ぽっちりと赤い唇が、真っ暗な穴になった目と一緒に不安定に浮かんでいる。
「…わかってないのに、謝らないでよ」
「あ…」
ひんやりとした拒否の声が響いて、僕は手の力を緩めた。リカがするりと手を抜いて、鞄を持って体を引く。それをぼんやりと見ながら、まただ、と胸の中でつぶやいた。
僕はときどきこういうことをしてしまう。
それまで笑って相手をしていてくれた人が、いきなり体中を強ばらせて警戒心を漲らせ、僕から急いで身を引くようなことを。まるで僕がすべての災難の源であったのかと突然気づいたみたいに。
たぶん、開けてはいけない扉を開いてしまったのだろう。けれど、僕には、それがどこにあったのか、いや、扉があったことさえわからなかったりする。
だけど、相手はそうは思わない。
まるで僕が、とてつもない悪意をもって嫌がる相手の心の中に無理やり踏み込んでいったように、僕を拒む。今のリカのみたいに。
そして、僕は困惑と不安に取り残される。
それまで遊んでいた相手が目の前で霧になって消えたような気分。
いったい、僕が何をしたって言うんだろう。
何がいったいいけなかったって?
一所懸命に考えてはみるが、答えはいつも見つからない。
そのまま背中を向けかけたリカは、ぼうっとしてしまった僕がさすがに気になったのだろう、途中で動きを止めた。
「今度の土曜…」
「え?」
「だめ、だと思う」
「土曜の…映画?」
「うん」
ふいに、一大決心をしたみたいにリカは振り向いた。さっきまで光を吸い込んで真っ黒に見えていた目が、何だろう、ふいにきらきらと、内側から光を放ち出したみたいに見える。
その輝く瞳でまっすぐに僕を見た後、リカはにっこり、笑った。
潤んで光る大きな目、触れると散る花びらのような唇、光るうぶげ。写真よりも誇らしげで、自信ありげで、まばゆいほどはっきりした笑み。
デートを断られたっていうのに、思わず口を開いて見惚れてしまった。
なんて、きれいなんだろう。
リカって、なんて、きれいなんだろう。
「でもね」
あんまり僕が情けない顔をしていたせいか、リカは少し眉をあげて、
「日曜はオッケー。うんとオシャレしてくから、楽しみにしてて」
「日曜?」
「だめ?」
「だめなんてことない、絶対ないよ」
僕は急いでうなずいた。
「あ、それから」
思い出したみたいに鞄を開けて、リカは青い表紙の本を取り出した。
「これ、よかったよ。写真集だけど。海のなの。よかったら。続いて借りない?」
「ここの?」
「うん。実はもう、期限切れてて」
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「返してくれるとうれしいな」
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