『ドリーム・ウォーカー』

segakiyui

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9.解ける絆(3)

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 春日はじっと僕を見つめている。
 知っているはずだ、と声がした。
 そう、僕は知っている。
 春日は、リカの行き場のない苦痛を見事に受け止め切ったのだ。
 僕は首を激しく振った。
「できるわけない!」
 できるわけがない。
 誰かの苦痛を、その傷まるごと受け止めることなど、並の人間に、ましてや十代の男にできるわけがない。
 親でさえ、子どもの苦痛を受け止め切れない、こんな時代に。
 僕はぎりぎりと歯噛みをしながら、もう一歩前へ進んだ。
「できるわけ、なんかない!」
 神が人を救えるわけがない。
 天使は中空に羽ばたいているもの、神仏は天にチンザしているものだ。
 苦しんだりうめいたり悲しんだりする人の心の傷みなど、気にも止めていないはずだ。
 気に止めていたら耐えられるはずがない。人への愛があったのなら、黙っていられるはずがない。
 いままでどれだけ人が天の救いを求めたことだろう。
 実が。リカが。明が。そして、僕が。
 でも、ただの一度も助けは来なかったのだ、だから一人で、誰かや自分を傷つけて、何とか生き延びてきたのだ。
 ましてや、人が人を救えるわけなどない。
 また一歩、僕は足を踏み出した。両方のこぶしを握りしめる。右手の甲の傷が強く痛んで、僕はますます逆上した。
 殴ってやる。
 何も助けてくれないで、偉そうにことばを並べるその春日の顔を、ぼこぼこに殴って泣かせてやる。這いつくばらせて平謝りさせてやる。僕の分も、実の分も。
「救いなど、しないよ」
 僕の怒りは十分届いているだろうに、春日は静かに返事した。
「ぼくは、誰も救う必要なんてないんだ」
「なにいっ」
「善は無力であるか?」
 がしゃあん。
 天が鳴った。
 天を覆う広大無辺な網、この世の何でも切れない網が、大きく揺れて鳴ったようだった。
 耳が裂けた気さえして、僕は思わず両耳を押さえた。右手から生ぬるいものが手首に伝い始める。
 音は雷だった。
 一転して曇った空に、二度三度と光が走る。
「雨だ」
 春日はつぶやき、間合いを外されて竦んだ僕を置き去りに、家の中へ消えていく。
 ぽつ、と当たった雨粒が、見る見る数をまして僕の体を打ち始めた。雷鳴がとどろく。雨が激しさを増していく。
 無数の手で叩かれているようだった。
 僕の頭の中に、春日のことばが繰り返し稲妻のように走り抜け破裂している。
 善は無力であるか。
 学校帰りに蹴り飛ばされていた実。
 母親に説教されていた朗の白い顔。
 子どものくせにとなじる父さん、余計なことは考えなくていいと言う母さん。
 人の気持ちがわからないんだねえ。
 都おばあちゃんの声と深いため息。
 まずくて空っぽで何もない僕。
 耳をかばっていた両手を僕はのろのろと降ろした。
 一体、僕は、何をしてるんだ?
 春日の家のドアが開いて、青い傘をさした春日が出てきた。ゆっくりと近寄ってきて、僕に傘をさしかける。
「入れよ、血が出てる」
 春日の声に右手を見ると、包帯は真っ赤に濡れて、指先から滴った血が道路を薄赤く染め始めていた。
「春日…」
「うん?」
「僕は、だめだ…」
 僕は目を閉じた。
 体の中が真っ暗で冷たい。
 タフで強い実。
 リカを抱き上げた春日。
 僕はいつまでたってもどこへも行けない。
 これからもきっとそうだろう。永遠に間違い続け、永遠に後悔し続ける。
 転がった箱からすべてが出た後、残っていたのは希望だったと聞いたのに、僕の箱の中にはやっぱり何もなかった。
 その昏く冷たい箱の中へ、今度は僕自身が吸い込まれ閉じ込められていくんだろう。
 それでもいいか。いや、それこそいいことかもしれない。きっとこんなふうだから、助けも救いもこないんだろう。
 そう思いながら、どこかで春日なら何とかしてくれるんじゃないかとも考えていた。
 リカを助けたみたいに。僕にも同じ手をさしのべてほしい、今度こそ。
 今度こそ。
 けれど、春日はぽつんと言った。
「そうか」
 僕は目を開けた。
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