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11.桜の下(3)
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校庭の隅の桜の樹は、もう葉桜になっていた。どんどん濃さを増す緑。どんどん光り出す蒸せ返るほど熱い葉。
その下に立っているリカは、見事なベリーショートに髪を切っていた。風が吹いてもなびかない、真っ黒に染め直した短い髪の制服姿。僕が見たことのないリカの姿。
「似合わない?」
僕がおかしな顔をしていたせいだろう。リカはちょい、と細い指先で髪をつまんで見せた。それから、その慣れ慣れしさが僕達の間にはもう通じなくなっていると急に気づいたみたいに、目を逸らせた。
「何の用」
僕は硬い声で応じた。
弁解なんて、ただの一つも聞かないぞ。そういう気持ちがありありとわかる声。
リカは怯んで、唇を噛んだ。目元にぽっちりと赤みがさす。青い葉陰の下で薄紅の唇がちかっと光った。
くやしい。
なんてきれいなリカ。
どうしても、僕の手には入らない、幻。
「あの、ね、あたし、転校するのね、あした」
「え」
意外なことばにあっけに取られた。
「転校、するんだ」
リカは顔を上げた。泣きそうな顔だった。それから、
「ばれた」
そう、言った。
「ママがね、見つけたの、あたしと土居さんの写真」
僕は何て言ったらいいのかわからなかった。
「ゴミ箱の奥に捨てといた、はずだったの。ひっくり返ったんだって。何かモノが当たって。その日がゴミ収集の日で、その日さえしのげば、わかんなかったと思う」
リカはまたうつむいた。
「何で、そんなもん」
僕は混乱してつぶやいた。
「何で、そんなとこに」
「わかんない」
リカも混乱したように首を振って目を伏せた。
けれどリカは知っている、そんな気がした。
逆襲。
白雪姫の逆襲なんだ。
ほうら、ご覧。あなたの愛した男は、あなたの娘ともできてたんだよ。
写真が囁きかけた声。
リカの心の奥底の箱がとうとう開いてしまったんだ。
「この写真は違うってわかったよって言うの」
リカは顔を上げた。
大きくてきれいな目が一杯の涙で潤んでいた。初めて見る、弱々しくてかわいそうで、それでもとっても必死なリカの目。
「ママがね、あたしにそう言うの」
風が吹いて、葉桜を鳴らした。
校庭でにぎやかな声が弾けてすぐ消えた。
ぱあん、ぱあん、ぱあん。
いつかの夢の花火を思い出して、僕は気分が悪くなった。
リカから目を逸らせて校庭を見る。
ひどいよね。リカはそう僕に訴えている。
けど、リカだって、ずいぶんひどいことをしてるんだ。
僕にも。
そしてきっと、リカの母親にも。
リカは罰を受けるのを待ってたんだろうか。
ふいに思った。
ひどいことをしてるなんて、わかってる。悪いことをしてるなんて、わかってる。
けれど、こうするしかなかったから。
誰かが止めろと言ってくれるまで。誰かが罰して止めさせてくれるまで。
誰かが、崖っぷちへ走って行く自分を抱きとめてくれるまで。
「ママ、土居さんと別れたの。違う町へ行くの。あんたはどうするのって聞かれたの。だから…」
リカはこくん、と涙を飲み下した。
「あたしも行くの」
風が強い。
校庭に砂埃が舞い上がる。
「あの、信じてくれないと思ってるけど」
リカはそっと言った。
「あたし、和樹が好きだった」
うまくいけばよかった。何もかも素知らぬふりをして、気づかぬふりをして、側にいられればよかった。
遠い声が囁いた。
「最後には言っといた方がいいって、春日が」
「春日?」
僕は校庭からリカに目を戻した。
「会ったの?」
「うん」
「いつ?」
「…さっき」
リカは寂しそうに笑った。
「春日にね、ずっと前夢の話をしたことがあったの、忘れてたの。あの夢。それ聞いた春日が『ひどいことするね』って。わけわかんない奴だと思って忘れてた。和樹が言うまで」
図書室の場面を思い出した。電流に触れたような衝撃。心の中の一番触れられたくない部分に、泥だらけの手を差し込んでかき回すこと。あのとき僕がしたのはそういうことだったのだ。
「白雪姫の逆襲ってタイトル、すごいよね」
リカはあはは、とどこか朗を思わせる干からびた声で笑った。
「春日、知ってたよね、そんな気がする。春日、和樹に、あたしのこと話してないよね、そう思う、今は。あのゴミ箱……あんなことが、あるんだ」
そして、リカは髪の毛を切って、転校して、消えていってしまう。
僕の大事なリカはもうどこにもいない。春日の腕に抱かれた瞬間から、いや、それよりも前から、僕のリカなんて、ほんとはどこにもいなかったんだ。
「ここ出て行く前に春日に会っておきたくて…早退したって聞いたから、家に行ったの」
「家に?」
僕は唾を飲んだ。
「春日、居た?」
その下に立っているリカは、見事なベリーショートに髪を切っていた。風が吹いてもなびかない、真っ黒に染め直した短い髪の制服姿。僕が見たことのないリカの姿。
「似合わない?」
僕がおかしな顔をしていたせいだろう。リカはちょい、と細い指先で髪をつまんで見せた。それから、その慣れ慣れしさが僕達の間にはもう通じなくなっていると急に気づいたみたいに、目を逸らせた。
「何の用」
僕は硬い声で応じた。
弁解なんて、ただの一つも聞かないぞ。そういう気持ちがありありとわかる声。
リカは怯んで、唇を噛んだ。目元にぽっちりと赤みがさす。青い葉陰の下で薄紅の唇がちかっと光った。
くやしい。
なんてきれいなリカ。
どうしても、僕の手には入らない、幻。
「あの、ね、あたし、転校するのね、あした」
「え」
意外なことばにあっけに取られた。
「転校、するんだ」
リカは顔を上げた。泣きそうな顔だった。それから、
「ばれた」
そう、言った。
「ママがね、見つけたの、あたしと土居さんの写真」
僕は何て言ったらいいのかわからなかった。
「ゴミ箱の奥に捨てといた、はずだったの。ひっくり返ったんだって。何かモノが当たって。その日がゴミ収集の日で、その日さえしのげば、わかんなかったと思う」
リカはまたうつむいた。
「何で、そんなもん」
僕は混乱してつぶやいた。
「何で、そんなとこに」
「わかんない」
リカも混乱したように首を振って目を伏せた。
けれどリカは知っている、そんな気がした。
逆襲。
白雪姫の逆襲なんだ。
ほうら、ご覧。あなたの愛した男は、あなたの娘ともできてたんだよ。
写真が囁きかけた声。
リカの心の奥底の箱がとうとう開いてしまったんだ。
「この写真は違うってわかったよって言うの」
リカは顔を上げた。
大きくてきれいな目が一杯の涙で潤んでいた。初めて見る、弱々しくてかわいそうで、それでもとっても必死なリカの目。
「ママがね、あたしにそう言うの」
風が吹いて、葉桜を鳴らした。
校庭でにぎやかな声が弾けてすぐ消えた。
ぱあん、ぱあん、ぱあん。
いつかの夢の花火を思い出して、僕は気分が悪くなった。
リカから目を逸らせて校庭を見る。
ひどいよね。リカはそう僕に訴えている。
けど、リカだって、ずいぶんひどいことをしてるんだ。
僕にも。
そしてきっと、リカの母親にも。
リカは罰を受けるのを待ってたんだろうか。
ふいに思った。
ひどいことをしてるなんて、わかってる。悪いことをしてるなんて、わかってる。
けれど、こうするしかなかったから。
誰かが止めろと言ってくれるまで。誰かが罰して止めさせてくれるまで。
誰かが、崖っぷちへ走って行く自分を抱きとめてくれるまで。
「ママ、土居さんと別れたの。違う町へ行くの。あんたはどうするのって聞かれたの。だから…」
リカはこくん、と涙を飲み下した。
「あたしも行くの」
風が強い。
校庭に砂埃が舞い上がる。
「あの、信じてくれないと思ってるけど」
リカはそっと言った。
「あたし、和樹が好きだった」
うまくいけばよかった。何もかも素知らぬふりをして、気づかぬふりをして、側にいられればよかった。
遠い声が囁いた。
「最後には言っといた方がいいって、春日が」
「春日?」
僕は校庭からリカに目を戻した。
「会ったの?」
「うん」
「いつ?」
「…さっき」
リカは寂しそうに笑った。
「春日にね、ずっと前夢の話をしたことがあったの、忘れてたの。あの夢。それ聞いた春日が『ひどいことするね』って。わけわかんない奴だと思って忘れてた。和樹が言うまで」
図書室の場面を思い出した。電流に触れたような衝撃。心の中の一番触れられたくない部分に、泥だらけの手を差し込んでかき回すこと。あのとき僕がしたのはそういうことだったのだ。
「白雪姫の逆襲ってタイトル、すごいよね」
リカはあはは、とどこか朗を思わせる干からびた声で笑った。
「春日、知ってたよね、そんな気がする。春日、和樹に、あたしのこと話してないよね、そう思う、今は。あのゴミ箱……あんなことが、あるんだ」
そして、リカは髪の毛を切って、転校して、消えていってしまう。
僕の大事なリカはもうどこにもいない。春日の腕に抱かれた瞬間から、いや、それよりも前から、僕のリカなんて、ほんとはどこにもいなかったんだ。
「ここ出て行く前に春日に会っておきたくて…早退したって聞いたから、家に行ったの」
「家に?」
僕は唾を飲んだ。
「春日、居た?」
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