『ドリーム・ウォーカー』

segakiyui

文字の大きさ
43 / 48

11.桜の下(3)

しおりを挟む
 校庭の隅の桜の樹は、もう葉桜になっていた。どんどん濃さを増す緑。どんどん光り出す蒸せ返るほど熱い葉。
 その下に立っているリカは、見事なベリーショートに髪を切っていた。風が吹いてもなびかない、真っ黒に染め直した短い髪の制服姿。僕が見たことのないリカの姿。
「似合わない?」
 僕がおかしな顔をしていたせいだろう。リカはちょい、と細い指先で髪をつまんで見せた。それから、その慣れ慣れしさが僕達の間にはもう通じなくなっていると急に気づいたみたいに、目を逸らせた。
「何の用」
 僕は硬い声で応じた。
 弁解なんて、ただの一つも聞かないぞ。そういう気持ちがありありとわかる声。
 リカは怯んで、唇を噛んだ。目元にぽっちりと赤みがさす。青い葉陰の下で薄紅の唇がちかっと光った。
 くやしい。
 なんてきれいなリカ。
 どうしても、僕の手には入らない、幻。
「あの、ね、あたし、転校するのね、あした」
「え」
 意外なことばにあっけに取られた。
「転校、するんだ」
 リカは顔を上げた。泣きそうな顔だった。それから、
「ばれた」
 そう、言った。
「ママがね、見つけたの、あたしと土居さんの写真」
 僕は何て言ったらいいのかわからなかった。
「ゴミ箱の奥に捨てといた、はずだったの。ひっくり返ったんだって。何かモノが当たって。その日がゴミ収集の日で、その日さえしのげば、わかんなかったと思う」
 リカはまたうつむいた。
「何で、そんなもん」
 僕は混乱してつぶやいた。
「何で、そんなとこに」
「わかんない」
 リカも混乱したように首を振って目を伏せた。
 けれどリカは知っている、そんな気がした。
 逆襲。
 白雪姫の逆襲なんだ。
 ほうら、ご覧。あなたの愛した男は、あなたの娘ともできてたんだよ。
 写真が囁きかけた声。
 リカの心の奥底の箱がとうとう開いてしまったんだ。
「この写真は違うってわかったよって言うの」
 リカは顔を上げた。
 大きくてきれいな目が一杯の涙で潤んでいた。初めて見る、弱々しくてかわいそうで、それでもとっても必死なリカの目。
「ママがね、あたしにそう言うの」
 風が吹いて、葉桜を鳴らした。
 校庭でにぎやかな声が弾けてすぐ消えた。
 ぱあん、ぱあん、ぱあん。
 いつかの夢の花火を思い出して、僕は気分が悪くなった。
 リカから目を逸らせて校庭を見る。
 ひどいよね。リカはそう僕に訴えている。
 けど、リカだって、ずいぶんひどいことをしてるんだ。
 僕にも。
 そしてきっと、リカの母親にも。
 リカは罰を受けるのを待ってたんだろうか。
 ふいに思った。
 ひどいことをしてるなんて、わかってる。悪いことをしてるなんて、わかってる。
 けれど、こうするしかなかったから。
 誰かが止めろと言ってくれるまで。誰かが罰して止めさせてくれるまで。
 誰かが、崖っぷちへ走って行く自分を抱きとめてくれるまで。
「ママ、土居さんと別れたの。違う町へ行くの。あんたはどうするのって聞かれたの。だから…」
 リカはこくん、と涙を飲み下した。
「あたしも行くの」
 風が強い。
 校庭に砂埃が舞い上がる。
「あの、信じてくれないと思ってるけど」
 リカはそっと言った。
「あたし、和樹が好きだった」
 うまくいけばよかった。何もかも素知らぬふりをして、気づかぬふりをして、側にいられればよかった。
 遠い声が囁いた。
「最後には言っといた方がいいって、春日が」
「春日?」
 僕は校庭からリカに目を戻した。
「会ったの?」
「うん」
「いつ?」
「…さっき」
 リカは寂しそうに笑った。
「春日にね、ずっと前夢の話をしたことがあったの、忘れてたの。あの夢。それ聞いた春日が『ひどいことするね』って。わけわかんない奴だと思って忘れてた。和樹が言うまで」
 図書室の場面を思い出した。電流に触れたような衝撃。心の中の一番触れられたくない部分に、泥だらけの手を差し込んでかき回すこと。あのとき僕がしたのはそういうことだったのだ。
「白雪姫の逆襲ってタイトル、すごいよね」
 リカはあはは、とどこか朗を思わせる干からびた声で笑った。
「春日、知ってたよね、そんな気がする。春日、和樹に、あたしのこと話してないよね、そう思う、今は。あのゴミ箱……あんなことが、あるんだ」
 そして、リカは髪の毛を切って、転校して、消えていってしまう。
 僕の大事なリカはもうどこにもいない。春日の腕に抱かれた瞬間から、いや、それよりも前から、僕のリカなんて、ほんとはどこにもいなかったんだ。
「ここ出て行く前に春日に会っておきたくて…早退したって聞いたから、家に行ったの」
「家に?」
 僕は唾を飲んだ。
「春日、居た?」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたの片想いを聞いてしまった夜

柴田はつみ
恋愛
「『好きな人がいる』——その一言で、私の世界は音を失った。」 公爵令嬢リリアーヌの初恋は、隣家の若き公爵アレクシスだった。 政務や領地行事で顔を合わせるたび、言葉少なな彼の沈黙さえ、彼女には優しさに聞こえた。——毎日会える。それだけで十分幸せだと信じていた。 しかしある日、回廊の陰で聞いてしまう。 「好きな人がいる。……片想いなんだ」 名前は出ない。だから、リリアーヌの胸は残酷に結論を作る。自分ではないのだ、と。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

白苑後宮の薬膳女官

絹乃
キャラ文芸
白苑(はくえん)後宮には、先代の薬膳女官が侍女に毒を盛ったという疑惑が今も残っていた。先代は瑞雪(ルイシュエ)の叔母である。叔母の濡れ衣を晴らすため、瑞雪は偽名を使い新たな薬膳女官として働いていた。 ある日、幼帝は瑞雪に勅命を下した。「病弱な皇后候補の少女を薬膳で救え」と。瑞雪の相棒となるのは、幼帝の護衛である寡黙な武官、星宇(シンユィ)。だが、元気を取り戻しはじめた少女が毒に倒れる。再び薬膳女官への疑いが向けられる中、瑞雪は星宇の揺るぎない信頼を支えに、後宮に渦巻く陰謀へ踏み込んでいく。 薬膳と毒が導く真相、叔母にかけられた冤罪の影。 静かに心を近づける薬膳女官と武官が紡ぐ、後宮ミステリー。

鎌倉黒猫カフェ クロスオーバー

櫻井千姫
キャラ文芸
鎌倉の滑川近くにある古民家カフェ「クロスオーバー」。イケメンだけどちょっと不思議な雰囲気のマスター、船瀬守生と、守生と意思を交わすことのできる黒猫ハデス。ふたりが迎えるお客さんたちは、希死念慮を抱えた人ばかり。ブラック企業、失恋、友人関係、生活苦......消えたい、いなくなりたい。そんな思いを抱える彼らに振る舞われる「思い出のおやつ」が、人生のどん詰まりにぶち当たった彼らの未来をやさしく照らす。そして守生とハデス、「クロスオーバー」の秘密とは?※表紙のみAI使用

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

処理中です...