『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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3.周一郎(3)

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 お由宇の笑みに、俺は部屋を出た。
 高野は自室に引いているのだろう、廊下に姿はない。慣れた家のこと、階段を駆け上がり、周一郎の部屋の前に立ってノックした。
「高野か? 先に休んでてくれ。僕はもう少し仕事を片付ける」
 冷ややかな声が間髪入れず応える。
「あの…」
「食事もいらない。食べたくないんだ、1人にしておいてくれ」
「いや、その…」
「高野じゃないのか? …どうぞ」
 許可されてやっと部屋の中に入ると、周一郎は机に座り、訝しげな目を向けていた。目を傷める光など入りようのない夜なのに、サングラスが重く光を吸い、黒々と目立つ。
「あなたは」
「…え、っと、その…滝君が君に貸した本があったと聞いていたんだが」
 せっかく正体をバラすんだからと、少々ふざけて見るつもりで言った。
「滝さんから…借りた本……?」
 周一郎は一瞬ためらい、ぽつりと答えた。
「いいえ、僕は何も借りていません」
「へ?」
 ぽかんとした。
 貸した本を借りていないと言う返答にも呆気に取られたが、何よりも周一郎がまだ俺の正体に気づかないと言うのが納得出来なかった。
「用がそれだけなら、お引き取り下さい」
 周一郎は呆然と立っている俺に冷たく言い捨て、席を立った。近くの書棚へ向かおうとしながら、硬い口調でことばを継ぐ。
「僕と滝さんの間には、もう何の繋がりもないんですから、僕に滝さんのことを確認されても、迷惑…!」
 ふいに周一郎のことばが途切れた。はっとする俺の目に、音もなく周一郎の体が沈むのが映る。
「周一郎!」
 叫んで駆け寄り、横ざまに倒れた周一郎の肩を抱き起こすと、眉をひそめた苦しげな顔からサングラスが外れ落ちた。青ざめた顔に瞳はいつものような深さを失い、感情の失せたガラス玉のような色をたたえている。熱っぽい体が腕に重い。
「滝さん…?」
 夢の中のように淡く紡いだことを自嘲するように、見返した周一郎は笑みを零した。けれどすぐ、虚ろな目になってぼんやりと呟く。
「いや…滝さんは……死んだんだ…」
 朦朧とした口調にぞっととして、俺は周一郎を揺さぶった。
「おい! しっかりしろよ! どうしたんだ?!」
 周一郎の眉が寄り、何も捉えていないような瞳が曇る。
「また…同じ夢だ……滝さんは……いないのに……滝さんの夢ばかり見……」
 唐突にことばが途切れた。目を閉じた体から力が抜ける。
 俺は総毛立ち、自分がどう言う状況に置かれているのかを忘れ去った。
「高野!」
 周一郎を抱えて背後のドアを振り返り、声を限りに叫ぶ。
「周一郎がおかしい! 医者を呼んでくれ!!」
 声に応えて、廊下を走る音が次第に大きくなった。

 それからはてんやわんやの大騒ぎで朝倉家を辞すのが精一杯、とてもじゃないが周一郎に『化けて』出ている暇なぞなかった。
 もっとも、周一郎の方もすぐにベッドに運び込まれ、かかりつけ医が呼ばれ、高野が側に付き添い、と言う騒ぎの最中、とても俺達の相手をしている間はなかったのだが。
(顔色が悪いと思ったんだ)
 俺は下唇を噛んだ。
 同じ夢を見る、と周一郎は言った。俺はいないのに俺の夢ばかり見る、と。微かな呟きが自嘲の響きを帯び、その目に涙はなかったのに小刻みに体を震わせ、心の中で泣き続けている気がした。
「くそおっ!」
 俺はベッドの上に起き直って喚いた。
 早く何とか、あいつに俺が生きていることを知らせてやらなくちゃならない。でなけりゃ、どんでもないことになるような気がする。周一郎の心のどこかが、徐々に崩れていっているような気がする。
「狙われているのがどうしたってんだ!」
 毛布を蹴り飛ばしてベッドを降りた。
 そうとも、大体、狙われていると聞いたのはお由宇からだけなのだ。こんなに姿が変われば、ちょっとやそっとでは見破れないに違いない。
 パジャマを脱いだところでチャイムが鳴った。どうせお由宇だろうと思い、脱ぎ捨てたパジャマを改めて着ることもせず、毛布を被って玄関に向かい、ドアを開ける。
「っ」
 硬直した。
 目の間にいる人間がどうにも理解出来ないでいる俺に構わず、おかっぱ頭の昨日の娘が俯きがちに頬を染め、ケーキの包みらしい物を差し出す。
「あの、木田さん、昨日はどうもすみませんでした。これ…おわ、び、に……」
 応えない俺に不審そうに目を上げた娘の視線が、てんてんてんてんと毛布をかき合わせただけの俺の格好に止まる。
「あ…」
「きゃあっ!」
 バチーン!
 我に返って毛布をよりしっかり巻きつけた時は既に遅く、俺は再び派手に左頬に手形をプリントされていた。
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