『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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3.周一郎(2)

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「うわあっ!!」
 ごん!
 跳ね起きて、突き出したままにしておいたスタンドライトに見事にぶつかり、あえなく撃沈した。
「たたたた……」
 枕に埋もれて頭を押さえて居ると、朝の光が踊っているのが見える。
(夢…か…)
 夢にしては生々しかった。
(昨日、あんなことがあったからかな…)
 膨れてきたんこぶを摩りながら、昨夜のことを思い出していた。

「ったく、どうして俺が叩かれなきゃならないんだ?」
「ほんと。ぴったりのタイミングだったわね」
「うん、ぴったりの……違うっ!」
 お由宇はくすくす笑っていたが、ふと考え深そうな口調になった。
「でも、あの子、どこかで見たような気がするんだけど…」
「知ってるのか?」
「……ええ…気のせいかも知れないわね」
「気のせいにしておいてくれ。また、会ったらもう1度叩かれそうな気がする」
「ふふっ」
 夜の23時過ぎ、ぼつぼつしかいない通りがかった人間は、例外なく俺達を振り返って行く。ただでさえ、俺の格好が目立つのに、側についているお由宇がサーモンピンクのワンピースを綺麗にきこなした美人ときている。人目を引かないほうがおかしいのだろう。
 朝倉家の長いレンガ塀の横を通り、例の門の所へ来ると、お由宇はゆっくりインターホンを押した。
『どちら様でしょうか』
 静かな誰何、玄関払いをされても当然だったが、
「佐野由宇子です。夜分すみません。滝君の荷物を取りに来たんですが」
『……すぐに参ります。お待ち下さい』
 それから20分近く待たされ、俺とお由宇は一段と老けた様子の高野に導かれて朝倉家に入って行った。
「そちらの方は?」
「友人です」
「そうですか」
 高野は胡散臭そうに俺を見やったが、それ以上は追求してこなかった。さすがに、これだけ外見が変わっていると、想像がつかないのだろう。
「周一郎君はどうしていますか?」
「坊っちゃまは…」
 高野は重い溜息をついた。
「ほとんどお食事を召し上がろうとなさいません。食べたくない、とおっしゃって…」
「あ…!!」
 あのバカ、と言いかけた俺は、嫌という程お由宇の肘鉄を食らって目を白黒させた。恨めしく相手を見たが、もちろんお由宇に答えるわけがない。
「どうなさいました?」
「いえ…彼はちょっと持病があって」
「……」
「それで、体調は?」
 お由宇は俺の尋ねたいことを聞いてくれた。高野は静まり返った屋敷の中を黙々と連れて行ってくれながら、重々しく首を振った。
「いいはずがないのですが……スケジュールは前よりこなしておいでです」
 『坊っちゃま思い』の高野が、周一郎のことをどれだけ心配しているのかは、こんな非常識な時間だというのに眉をひそめずにお由宇を屋敷に入れ、眠そうな様子も見せないことでよくわかった。
「まだ起きているんですか?」
「はい…連日です。徹夜される時もあるようですが…どれだけお勧めしても、眠くならない、の一点張りで…」
 そう言う高野も付き合って起きていることがあるのだろう、目の下に隈を作っている。
「こちらです」
 高野が声と同時にドアを開けると、部屋の中にいた人影がびくんと体をこわばらせて立ち上がった。ルームランプの仄暗い灯りの中、その人影が慌て気味にサングラスをかけるのが見える。
「坊っちゃま…」
 高野は呆気にとられた様子で、ソファの方を見遣ってことばを継いだ。
「ここで…お休みだったんですか?」
「いや…ちょっと来ただけだ」
 点いた明かりにサングラスの奥の瞳を眩そうに細め、周一郎は少し赤くなって乱れた髪を軽く払った。
「いらっしゃい、お由宇さん。遅かったですね」
「色々とあって…ごめんなさい、こんな夜遅くに」
「いいえ」
 周一郎は物慣れた様子で笑った。その目が一瞬鋭く光ってお由宇を見つめ、お由宇も同じぐらいの非情さを含んだ目で応えたように見えた。が、それは束の間のことで、周一郎はすぐ、側に居る俺に目を向けた。
「その方は?」
「ご友人の方だそうです」
「滝さんの?」
 はっとしたように問いかける周一郎の声が、驚くほど無防備で邪気のないもので、それが作り上げた表情とあまりにもアンバランスで、どきりとした。
「いいえ」
 高野の存在を意識したのか、お由宇が素早く否定した。
「私の。志郎の荷物を受け取るのに、手伝いに来てもらったの」
「そうですか」
 周一郎は気づかないまま頷き、打って変わって硬い口調になった。
「では、あとは高野に言って下さい。僕は失礼します、仕事があるもので」
(涙?)
 突っ立っていた俺をしなやかな動作で避けた周一郎の横顔、目元に何か滲むような光があった気がして、部屋を出て行く姿を目で追った。
(どうなってるんだ?)
 高野はいいとして、周一郎が俺を見破れないなんて。
「…っかしいな、いつものあいつじゃ…うぁちっ!!」
 向う脛の痛みに飛び上がる。
「ど、どうなさったんですか?」
「気にしないで下さい。この人の持病ですから」
「は…あ……。それでは、御用がありましたらお呼び下さい」
 首を傾げながらも一礼し、ドアを閉めて高野が姿を消すと、俺はじんじんする向う脛を摩りながら喚いた。
「お由宇っ! 一体何の恨みがあるんだっ!!」
「あなたは狙われているのよ」
 冷たい口調で言い放たれた。
「一回殺されてみる?」
「……結構です」
 こうなると、潜った修羅場の数が物を言う。俺もそれなりに派手な経験はして居るが、お由宇はヒロイン、俺はその他大勢の部類だから、この差は大きい。
「本当に、周一郎もあなたが相手じゃ、気苦労が絶えないわね」
「どうせ俺はドジだよ」
 俺はふてて、タンスからボストンバッグを取り出し、部屋の中の物を詰め始めた。ここに住むようになってから増えた文庫本も紙袋に入れる。
「あれ…?」
「どうしたの?」
「1冊ないんだ。気に入ってたやつなんだが……あ、そうか…あいつに貸したんだ」
「周一郎に?」
「ああ」
「ちょうどいい機会だわ、化けて出て来たら?」
「そうする」
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