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5.舞台裏(1)
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模造品ー似せて造った品。
辞書にはそう書いてあった。
「今度から、お由宇と話す時は広辞苑を準備しよう」
俺は、片手に抱えた紙袋からゴキブリキャッチホイが落ちそうなのを止めながらぼやく。昨日、お由宇から許しが出て、晴れて俺はスーパーへ買い物に出かけることができた。相手に知られているなら隠れている必要もない。とにかく相手の出方を見ようと言うことになったのだ。
お由宇の魂胆はわかっている。俺を餌に、相手が引っかかってくるのを待とうというのだ。おかげで、俺のモスグリーンのジャケットは、発信機付きという少々物騒なものになっている。
「あ、れ…?」
久しぶりの外に鼻歌交じりで歩いていた俺は、いつの間にか左側の壁が赤いレンガ塀になっているのに気づいて立ち止まる。つい、いつもの調子で帰って来てしまっていたらしい。
サングラスを押し上げ、向きを変えようとした俺は、前方で聞き慣れた声がするのに気づいた。
「…か。大悟さんが亡くなった時よりは、ましだと思うが…」
「…あの時は酷かった…」
答える声は高野、話しているのは、あの主治医らしい。
俺は素知らぬ顔でゆっくり速度を落として近づいて行った。サングラス付き、金メッシュの入った俺なんぞ、高野は想像もできないに決まっている。正体がバレるとも思えない。
「2日間、眠らず食べず、ずっとベッドの上に丸くなって座っていた…」
「そうです。いくらお勧めしても、何もお応えにならない。それどころか、お呼びしても何もおっしゃらない………ずっと遠くを見ていらして、外界の全てを拒まれて……あのまま坊っちゃままで逝かれてしまうかのと案じました」
「それだけ深い繋がりを感じていたんだろうな、大悟さんに」
(大悟)
周一郎の才能を初めて認め、引き取った義理の父親。
思わず立ち止まって、居ることに気づかれないようにしながら、珍しいことに門扉の所で話し込んでいる高野と主治医を眺めた。
「坊っちゃまは大変敏感な方です。ご自分にどのような気持ちが向けられているのかを、お相手が口にする前に感じ取られてしまう………口にしないことまで読み取られているのではないかと思う時があるぐらいです」
高野は、黒っぽい背広上下に身を固めた、いつもの格好で瞳を微かに伏せた。
「私が呼ばれた時には、体力ぎりぎりのところだった……3日目だったね?」
「はい。これ以上はとても無理だと思いましたから。いつ、坊っちゃまの部屋に伺っても、じっと暗がりの中でどこかを凝視なさっているのです。妙にぼんやりと虚ろな顔をされて、ご自分がそこに居なければいいのだとお考えにでもなっておられるように、周囲の何にも注意を払われない」
「…まあ、それに比べれば、今回はかなりましなわけだ。過労で倒れたんだし、その前は正常(まとも)だったんだから」
「それが…」
主治医のことばに、高野は柔らかく首を振った。
「そうではないような気がするのです」
「なに?」
「どちらかと言うと、大悟様の時より酷い気が…」
「どうしてだ? スケジュールはこなしているし、意識状態がおかしいと言うことも」
「ではお尋ねしますが、ほとんど眠らず食べずで、あのスケジュールをこなしておいでだということは、おかしくはないのですか」
高野が苛立ったように反論する。
「お眠りになっているのは滝様のお部屋でだけのようですし、それも、誰かが近づくとすぐに目を覚まされて、お仕事に戻られてしまいます。お仕事中は一切、食べ物を口にしようとはなさいませんし、お疲れだろうと休息をお勧めすれば、一瞬ポートレートに目を向けられて無言で首を振られ、再びお仕事に没頭してしまわれます」
苦しげに口を噤み、それでも堪え切れぬように吐き出した。
「仮に……仮に、坊っちゃまが朝倉財閥の当主であり、その為さりようが当然のことだと思われるにしても、あれほど心を許されていたご友人を亡くされて、落ち込まれることも嘆かれることもなく、ただただお仕事を為さっておられると言うのは、人としておかしい状態ではないのですか?」
辞書にはそう書いてあった。
「今度から、お由宇と話す時は広辞苑を準備しよう」
俺は、片手に抱えた紙袋からゴキブリキャッチホイが落ちそうなのを止めながらぼやく。昨日、お由宇から許しが出て、晴れて俺はスーパーへ買い物に出かけることができた。相手に知られているなら隠れている必要もない。とにかく相手の出方を見ようと言うことになったのだ。
お由宇の魂胆はわかっている。俺を餌に、相手が引っかかってくるのを待とうというのだ。おかげで、俺のモスグリーンのジャケットは、発信機付きという少々物騒なものになっている。
「あ、れ…?」
久しぶりの外に鼻歌交じりで歩いていた俺は、いつの間にか左側の壁が赤いレンガ塀になっているのに気づいて立ち止まる。つい、いつもの調子で帰って来てしまっていたらしい。
サングラスを押し上げ、向きを変えようとした俺は、前方で聞き慣れた声がするのに気づいた。
「…か。大悟さんが亡くなった時よりは、ましだと思うが…」
「…あの時は酷かった…」
答える声は高野、話しているのは、あの主治医らしい。
俺は素知らぬ顔でゆっくり速度を落として近づいて行った。サングラス付き、金メッシュの入った俺なんぞ、高野は想像もできないに決まっている。正体がバレるとも思えない。
「2日間、眠らず食べず、ずっとベッドの上に丸くなって座っていた…」
「そうです。いくらお勧めしても、何もお応えにならない。それどころか、お呼びしても何もおっしゃらない………ずっと遠くを見ていらして、外界の全てを拒まれて……あのまま坊っちゃままで逝かれてしまうかのと案じました」
「それだけ深い繋がりを感じていたんだろうな、大悟さんに」
(大悟)
周一郎の才能を初めて認め、引き取った義理の父親。
思わず立ち止まって、居ることに気づかれないようにしながら、珍しいことに門扉の所で話し込んでいる高野と主治医を眺めた。
「坊っちゃまは大変敏感な方です。ご自分にどのような気持ちが向けられているのかを、お相手が口にする前に感じ取られてしまう………口にしないことまで読み取られているのではないかと思う時があるぐらいです」
高野は、黒っぽい背広上下に身を固めた、いつもの格好で瞳を微かに伏せた。
「私が呼ばれた時には、体力ぎりぎりのところだった……3日目だったね?」
「はい。これ以上はとても無理だと思いましたから。いつ、坊っちゃまの部屋に伺っても、じっと暗がりの中でどこかを凝視なさっているのです。妙にぼんやりと虚ろな顔をされて、ご自分がそこに居なければいいのだとお考えにでもなっておられるように、周囲の何にも注意を払われない」
「…まあ、それに比べれば、今回はかなりましなわけだ。過労で倒れたんだし、その前は正常(まとも)だったんだから」
「それが…」
主治医のことばに、高野は柔らかく首を振った。
「そうではないような気がするのです」
「なに?」
「どちらかと言うと、大悟様の時より酷い気が…」
「どうしてだ? スケジュールはこなしているし、意識状態がおかしいと言うことも」
「ではお尋ねしますが、ほとんど眠らず食べずで、あのスケジュールをこなしておいでだということは、おかしくはないのですか」
高野が苛立ったように反論する。
「お眠りになっているのは滝様のお部屋でだけのようですし、それも、誰かが近づくとすぐに目を覚まされて、お仕事に戻られてしまいます。お仕事中は一切、食べ物を口にしようとはなさいませんし、お疲れだろうと休息をお勧めすれば、一瞬ポートレートに目を向けられて無言で首を振られ、再びお仕事に没頭してしまわれます」
苦しげに口を噤み、それでも堪え切れぬように吐き出した。
「仮に……仮に、坊っちゃまが朝倉財閥の当主であり、その為さりようが当然のことだと思われるにしても、あれほど心を許されていたご友人を亡くされて、落ち込まれることも嘆かれることもなく、ただただお仕事を為さっておられると言うのは、人としておかしい状態ではないのですか?」
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