『俺の死んだ日』〜『猫たちの時間』8〜

segakiyui

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5.舞台裏(2)

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「高野さん…」
 主治医は高野の迫力に押されたように唖然とした顔になった。相手の沈黙に気づいた高野がはっと我に返り、慌て気味に顔を伏せる。
「申し訳ありません、つい…」
「いいよ。君がそれほど取り乱すなら、何かあるんだろうが…」
「…実は坊っちゃまにお尋ねしたことがあるのです、どうしてそれほどお仕事を為さるのですか、滝様が亡くなられたのですと、と」
 高野は少し顔を上げたが、表情はなお苦しげなものになっている。
「思慮が浅かったのです。私もまた、滝様が気に入り始めておりましたし……つい、ことばにしてしまったのですが、坊っちゃまは窘められることもなく、黙って背を向けられて、ぽつりと『自制できる自信がない』とおっしゃいました」
「…」
「私が黙っておりますと、肩越しに視線を返されて、『大悟の時は悲しかったけれど、するべきことがあった。今度は……滝さんが死んでしまったのに、僕は何をすればいいのかわからない……何かして居ないと、自分をコントロールする自信がないんだ、高野』と微笑まれて……私が知っている中で、あれほど頼りなげな坊っちゃまを見たのは初めてです」
「…『氷の貴公子』が」
 主治医は信じられないと言いたげに首を振った。
「滝君と言うのは、彼にそこまで言わせる人間だったのか?」
「少なくとも、坊っちゃまにとっては、どなたよりも失われたくない方でした。もっとも、一般的にいえば、滝様と言う方は」
 高野は少し息を吸い込んだ。
「厄介な方でした」
 ずん、と真上から『厄介』の2文字が落っこちてきて、俺はアスファルトにめり込んだ。
 おい、高野、ちょっとそれはないんじゃないか。そりゃ、確かに……幾分かはドジだが。
 俺の代わりに主治医の方が崩れかけ、かろうじて持ち直して、淡々としている高野に引きつり笑いを返した。
「それは…また…」
「けれども」
 高野は平然とことばを継いだ。
「大悟様以外で、ただ1人、坊っちゃまを子ども扱いされた方でした。……そして、大悟様がされなかったこと、子どもの義務だけでなく、権利をも、坊っちゃまに与えられた唯一の方でした」
「子どもの義務と権利?」
「子どもは年相応の部分を残しておくべきであり、それは社会を作っている大人に従うところにあると大悟様はお考えでした。けれども滝様は、子どもは甘えてもいいのだ、大人の庇護下にあっても良いのだと坊っちゃまにおっしゃいました」
 俺はキョトンとした。
 前者と後者、何がどう違いがあると言うのだろう。俺にはどちらも同じことのように聞こえる。大人の作った社会の中で、大人は子どもを守ってやらなくてはならないと言うことだろう?
「それで……応えたのか、彼は」
「応えようと為さっておいででした……ほんの少しずつ」
 主治医はしばらく考え込んでいたが、ふいと再び屋敷の方へ足を向けた。
「先生…?」
「今の話を聞いてみるとね、どうしてももう一度、彼を診ておく必要がありそうだな。まずくすると、今が崩れ始めている時かも知れん」
「私も、それを心配しているのです。倒れられた時のうわ言も気にかかりますし」
「『滝さん…僕のせいだ』と言うことばだね?」
「たとえ、そう考えておられても、普段の坊っちゃまならば、口に出されるはずがございません」
 周一郎、お前、まさか。
「あの」
 朝倉家の中へ戻ろうとした2人に、俺はつい、声をかけてしまっていた。
「え?」
 訝しげな顔で振り返る高野に、しまった、と思う。できるだけ他の人間を巻き込まないようにと、お由宇に言われていたのを、今更思い出した。
『周一郎1人なら、私が何とか相手をするけど、他の人間があなたが死んでいないことを知ると、ちょっと色々面倒になるでしょ』
 いたずらっぽいお由宇の笑みが脳裏に浮かぶ。もちろん、俺の性分を知り尽くしている人間だから、こんな風に俺が、お節介にも『生きてますよぉ』なんて化けてでたがるのを察しての忠告だったのかもしれないが。案の定無駄になったのね、と苦笑するのが想像できる。
 けれど、周一郎のうわ言なんて聞かされれば、黙ってなどいられない。お前のせいじゃない。お前が責任を感じることじゃないと言い聞かせてやりたい。
「あなたは…」
「あ、そ、その……佐野さんの代理で、朝倉さんのお見舞いに…」
「……」
 高野は俺を上から下までじろじろと眺めた。どこかで聞いた声だがと悩むように顔をしかめたが、前髪の金メッシュに露骨に嫌な顔をすると、一言応じた。
「ゴキブリキャッチホイをもって、ですか」
「ええ、まあ」
 へらへらと笑う。サングラスを通して見える高野が、ますます不機嫌そうな顔になるのに、
「何なら、佐野さんに確かめて下さい。木田史郎と言います」
「…佐野様のご友人、ですね?」
 あとで確実に身元調査されるだろうが、そこはお由宇がうまくやるだろう。
「はい、ぜひ、朝倉さんのお見舞いをと」
「……では、こちらへ」
「どうも」
 高野はもう一度物言いたげに俺の抱えた袋を見たが、それ以上は失礼に当たると考え直したのか、丁重に俺を門の中に招じ入れた。
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