『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
381 / 517
第4章

11.六人と七人(6)

  脳裏に掠めたトイレでの声、確かにそうだ、もう美並は『羽鳥』の姿を捉え始めている。飯島が何を考えて自分に不利になるかもしれない画像をパソコンに残していたのかわからないが、その中に万が一、ほんの一瞬でも『羽鳥』の姿があれば、美並には確実にわかるだろう。
 けれどそこからは?
 『羽鳥』は桜木通販に居る。だが、今の有沢には踏み込み捜査することはできない。警察に寄せられたのは、大輔の『ニット・キャンパス』の横領、恵子や京介へのDV、学生時代から繰り返している暴行傷害の容疑であって、桜木通販を調べられる内容ではない。
 確かに美並は『羽鳥』を確認できるだろう。それを有沢は信じるだろう、だが、何の容疑で、何を根拠に『羽鳥』を追い詰めるのか。
 公的な機関である警察で、正当な権利を持つ警察官の有沢には、この先の闇に踏み込めない。
「伊吹さん!」
 悲痛な声の有沢にもわかっている、太田の時でさえ非常識な動きだったのだ、それより上回るオカルト捜査を望む警察組織は、日本には、ない。
「あなたには義務がある!」
 有沢は叫んだ。
「あなたには、その力を使わなくてはならない責務があるんだ、見殺しにされようとしている正義のために!」
「っく」
 体が凍った。
 そんなことはできないと言えない、苦しむ京介を知っている限り。そんなことはしたくないと言えない、残り少ない有沢の時間を思う限り。
 けれど、望んで手にした力ではないのだ、なのに力持つために全てを投げ打てと要求されるなら、美並の生きている意味は一体どこにある…?
「失礼!」
「!!」
 突然、誰かが割り込んできた。有沢の腕を下から跳ね上げ、一瞬開いた空間に水のように入り込んでくる姿を振り仰いで思わず呟く。
「…京介…っ」
「なんだ君は」
 苛立った有沢の声に冷えた口調が応じる。
「婚約者です」
 足りないと思ったのだろう、なお温度を下げて言い放つ。
「彼女の婚約者ですよ」
 拘束を剥がされた腕が震えていた。腕だけではない、全身が細かく震えて、声が出なかった。庇うように有沢の前に立ち塞がるほっそりとした背中に手をついて、崩れかけた足を必死にこらえた。
「…美並?」
 耳鳴りがして吐き気がしている。緊張のあまり周囲の音が何も聞こえない。ただ、真崎の声しか聞こえない。
「…伊吹さん…?」
 真崎が振り向いた気配がした。青ざめて恐怖に震えた顔を見られたくなかった。いつものように、大丈夫です、京介、と安心させるように笑えない自分が辛かった。スーツを掴んで背中に張り付くと、どうしたの、とそっと手が回された。
 夕闇に現れたお化けに怯える子どもを、おぶうように抱える優しい声。
「…何があったの?」
 何があったと話せばいい。孝を殺した犯人が桜木通販で一緒に働いていますというのか。大輔が数々の犯罪に名を挙げられて捕まりますと伝えるのか。元子社長が退任して、あなたが来年度は沈みそうな桜木通販を背負うんですと話すのか。
 それとも、今私は自分可愛さに全てのことから逃げたいと思っているんですと。
 そんな私でも好きでいてくれるのかと尋ねるのか。
「……僕に……話せないような…こと…?」
 視界が潤んだ。
「………映画行こうよ」
 低い声が甘い。
「映画行って……ご飯食べて…」
 いつもの出来事、いつもの日常、どれほどそういうものが欲しかったのか、今はっきりとわかる。
「…………伊吹さん」
 能力なんていらなかった。人の気持ちなんて知りたくなかった。何もわからないままで、ぶつかったり泣いたり笑ったり、騙されたり怒ったり悲しんだり、そうやって生身の感覚のままで世界に触れていたかった。
「……………僕のところでコーヒー飲もう?」
「…はい」
 返事をすると、京介が少し震えた。その背中にまだ体を寄せながら、胸の中で繰り返した。
 はい、京介。
 はい。
 最後のコーヒーになるんだろう。
 歩道に零れ落ちていく涙を美並はじっと見守った。
感想 0

あなたにおすすめの小説

義姉と押し入れに隠れたら、止まれなくなった

くろがねや
恋愛
父の再婚で、義姉ができた。 血は繋がっていない。でも——家族だ。そう言い聞かせながら、涼介はずっと沙耶から距離を取ってきた。 夏休み。田舎への帰省。甥っ子にせがまれて始まったかくれんぼ。急いで飛び込んだ押し入れの中に、先客がいた。 「……涼介くん」 薄い水色の浴衣。下ろした髪。橙色の光に染まった、沙耶の顔。 逃げ場のない暗闇の中で、二人分の体温が混ざり合う。 夜、来て。 その一言が——涼介の、全部を壊した。 甘くて、苦しくて、止まれない。 これは、ある夏の、秘密の話。

ソロキャンプと男と女と

狭山雪菜
恋愛
篠原匠は、ソロキャンプのTV特集を見てキャンプをしたくなり、初心者歓迎の有名なキャンプ場での平日限定のツアーに応募した。 しかし、当時相部屋となったのは男の人で、よく見たら自分の性別が男としてツアーに応募している事に気がついた。 とりあえず黙っていようと、思っていたのだが…? こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載しています。

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

女の子がほとんど産まれない国に転生しました。

さくらもち
恋愛
何番煎じかのお話です。 100人に3~5人しか産まれない女の子は大切にされ一妻多夫制の国に産まれたのは前世の記憶、日本で亭主関白の旦那に嫁いびりと男尊女卑な家に嫁いで挙句栄養失調と過労死と言う令和になってもまだ昭和な家庭!でありえない最後を迎えてしまった清水 理央、享年44歳 そんな彼女を不憫に思った女神が自身の世界の女性至上主義な国に転生させたお話。 当面は2日に1話更新予定!

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

好きなものは好きなんです!

ざっく
恋愛
うっすらと、前世の記憶があるリオ。そのせいで、この世界では、自分の容姿は好ましいものであることとか、自分が好きな・・・筋肉が、一般的な嗜好とかけ離れていることに気が付いていない。ある日、舞踏会で、理想の方を見つけてしまう。一生懸命淑女らしく振舞おうとするリオと、それに振り回される公爵様のお話です。 アルファポリス様より書籍化しました。本編は引き下げています。 お引っ越ししてきただけです。内容は全く変わっていません。

毎週金曜日、午後9時にホテルで

狭山雪菜
恋愛
柳瀬史恵は、輸入雑貨の通販会社の経理事務をしている28歳の女だ。 同期入社の内藤秋人は営業部のエースで、よく経費について喧嘩をしていた。そんな二人は犬猿の仲として社内でも有名だったけど、毎週金曜日になると二人の間には…? 不定期更新です。 こちらの作品は「小説家になろう」にも掲載しております。