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第4章
11.六人と七人(6)
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脳裏に掠めたトイレでの声、確かにそうだ、もう美並は『羽鳥』の姿を捉え始めている。飯島が何を考えて自分に不利になるかもしれない画像をパソコンに残していたのかわからないが、その中に万が一、ほんの一瞬でも『羽鳥』の姿があれば、美並には確実にわかるだろう。
けれどそこからは?
『羽鳥』は桜木通販に居る。だが、今の有沢には踏み込み捜査することはできない。警察に寄せられたのは、大輔の『ニット・キャンパス』の横領、恵子や京介へのDV、学生時代から繰り返している暴行傷害の容疑であって、桜木通販を調べられる内容ではない。
確かに美並は『羽鳥』を確認できるだろう。それを有沢は信じるだろう、だが、何の容疑で、何を根拠に『羽鳥』を追い詰めるのか。
公的な機関である警察で、正当な権利を持つ警察官の有沢には、この先の闇に踏み込めない。
「伊吹さん!」
悲痛な声の有沢にもわかっている、太田の時でさえ非常識な動きだったのだ、それより上回るオカルト捜査を望む警察組織は、日本には、ない。
「あなたには義務がある!」
有沢は叫んだ。
「あなたには、その力を使わなくてはならない責務があるんだ、見殺しにされようとしている正義のために!」
「っく」
体が凍った。
そんなことはできないと言えない、苦しむ京介を知っている限り。そんなことはしたくないと言えない、残り少ない有沢の時間を思う限り。
けれど、望んで手にした力ではないのだ、なのに力持つために全てを投げ打てと要求されるなら、美並の生きている意味は一体どこにある…?
「失礼!」
「!!」
突然、誰かが割り込んできた。有沢の腕を下から跳ね上げ、一瞬開いた空間に水のように入り込んでくる姿を振り仰いで思わず呟く。
「…京介…っ」
「なんだ君は」
苛立った有沢の声に冷えた口調が応じる。
「婚約者です」
足りないと思ったのだろう、なお温度を下げて言い放つ。
「彼女の婚約者ですよ」
拘束を剥がされた腕が震えていた。腕だけではない、全身が細かく震えて、声が出なかった。庇うように有沢の前に立ち塞がるほっそりとした背中に手をついて、崩れかけた足を必死にこらえた。
「…美並?」
耳鳴りがして吐き気がしている。緊張のあまり周囲の音が何も聞こえない。ただ、真崎の声しか聞こえない。
「…伊吹さん…?」
真崎が振り向いた気配がした。青ざめて恐怖に震えた顔を見られたくなかった。いつものように、大丈夫です、京介、と安心させるように笑えない自分が辛かった。スーツを掴んで背中に張り付くと、どうしたの、とそっと手が回された。
夕闇に現れたお化けに怯える子どもを、おぶうように抱える優しい声。
「…何があったの?」
何があったと話せばいい。孝を殺した犯人が桜木通販で一緒に働いていますというのか。大輔が数々の犯罪に名を挙げられて捕まりますと伝えるのか。元子社長が退任して、あなたが来年度は沈みそうな桜木通販を背負うんですと話すのか。
それとも、今私は自分可愛さに全てのことから逃げたいと思っているんですと。
そんな私でも好きでいてくれるのかと尋ねるのか。
「……僕に……話せないような…こと…?」
視界が潤んだ。
「………映画行こうよ」
低い声が甘い。
「映画行って……ご飯食べて…」
いつもの出来事、いつもの日常、どれほどそういうものが欲しかったのか、今はっきりとわかる。
「…………伊吹さん」
能力なんていらなかった。人の気持ちなんて知りたくなかった。何もわからないままで、ぶつかったり泣いたり笑ったり、騙されたり怒ったり悲しんだり、そうやって生身の感覚のままで世界に触れていたかった。
「……………僕のところでコーヒー飲もう?」
「…はい」
返事をすると、京介が少し震えた。その背中にまだ体を寄せながら、胸の中で繰り返した。
はい、京介。
はい。
最後のコーヒーになるんだろう。
歩道に零れ落ちていく涙を美並はじっと見守った。
けれどそこからは?
『羽鳥』は桜木通販に居る。だが、今の有沢には踏み込み捜査することはできない。警察に寄せられたのは、大輔の『ニット・キャンパス』の横領、恵子や京介へのDV、学生時代から繰り返している暴行傷害の容疑であって、桜木通販を調べられる内容ではない。
確かに美並は『羽鳥』を確認できるだろう。それを有沢は信じるだろう、だが、何の容疑で、何を根拠に『羽鳥』を追い詰めるのか。
公的な機関である警察で、正当な権利を持つ警察官の有沢には、この先の闇に踏み込めない。
「伊吹さん!」
悲痛な声の有沢にもわかっている、太田の時でさえ非常識な動きだったのだ、それより上回るオカルト捜査を望む警察組織は、日本には、ない。
「あなたには義務がある!」
有沢は叫んだ。
「あなたには、その力を使わなくてはならない責務があるんだ、見殺しにされようとしている正義のために!」
「っく」
体が凍った。
そんなことはできないと言えない、苦しむ京介を知っている限り。そんなことはしたくないと言えない、残り少ない有沢の時間を思う限り。
けれど、望んで手にした力ではないのだ、なのに力持つために全てを投げ打てと要求されるなら、美並の生きている意味は一体どこにある…?
「失礼!」
「!!」
突然、誰かが割り込んできた。有沢の腕を下から跳ね上げ、一瞬開いた空間に水のように入り込んでくる姿を振り仰いで思わず呟く。
「…京介…っ」
「なんだ君は」
苛立った有沢の声に冷えた口調が応じる。
「婚約者です」
足りないと思ったのだろう、なお温度を下げて言い放つ。
「彼女の婚約者ですよ」
拘束を剥がされた腕が震えていた。腕だけではない、全身が細かく震えて、声が出なかった。庇うように有沢の前に立ち塞がるほっそりとした背中に手をついて、崩れかけた足を必死にこらえた。
「…美並?」
耳鳴りがして吐き気がしている。緊張のあまり周囲の音が何も聞こえない。ただ、真崎の声しか聞こえない。
「…伊吹さん…?」
真崎が振り向いた気配がした。青ざめて恐怖に震えた顔を見られたくなかった。いつものように、大丈夫です、京介、と安心させるように笑えない自分が辛かった。スーツを掴んで背中に張り付くと、どうしたの、とそっと手が回された。
夕闇に現れたお化けに怯える子どもを、おぶうように抱える優しい声。
「…何があったの?」
何があったと話せばいい。孝を殺した犯人が桜木通販で一緒に働いていますというのか。大輔が数々の犯罪に名を挙げられて捕まりますと伝えるのか。元子社長が退任して、あなたが来年度は沈みそうな桜木通販を背負うんですと話すのか。
それとも、今私は自分可愛さに全てのことから逃げたいと思っているんですと。
そんな私でも好きでいてくれるのかと尋ねるのか。
「……僕に……話せないような…こと…?」
視界が潤んだ。
「………映画行こうよ」
低い声が甘い。
「映画行って……ご飯食べて…」
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「…………伊吹さん」
能力なんていらなかった。人の気持ちなんて知りたくなかった。何もわからないままで、ぶつかったり泣いたり笑ったり、騙されたり怒ったり悲しんだり、そうやって生身の感覚のままで世界に触れていたかった。
「……………僕のところでコーヒー飲もう?」
「…はい」
返事をすると、京介が少し震えた。その背中にまだ体を寄せながら、胸の中で繰り返した。
はい、京介。
はい。
最後のコーヒーになるんだろう。
歩道に零れ落ちていく涙を美並はじっと見守った。
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