『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

1.闇を見る眼(1)

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「これ、全部シュレッダーかけるの?」
「あ」
 ついと人影が寄ってきたかと思うと、ボックスに入った文書を取り上げた相手が呆れ声を上げた。
「はい」
「凄い量だね……伊吹さん一人でするの?」
「はい」
 美並はにこりと笑って、細身で背の高い真崎を見上げる。
「石塚さん、データ入力が終わらなくて」
「ああ」
 真崎はくすりと笑って眼鏡を押し上げた。
「急に変更になったのが増えたからなあ」
「文書もそうです、あちこち不要なものを整理し…」
 言いかけてふと、視界の端に過った姿に口を噤んだ。
 真崎の向こう、出入り口近くの自販機の前で、牟田相子がじっとこちらを見つめている。黒々とした瞳の凝視に息苦しくなって、慌てて目を逸らせ、ボックスに手を伸ばした。
 盗らないで。
 瞳はそう呟いている。
 私から真崎さんを奪わないで。
 大丈夫よ、そういう関係じゃないから。
 胸の中で答えて、美並はボックスの中からまた一束、廃棄書類を取り出す。
「すみません……これ、すませてしまわないと」
「ああ、ごめん、邪魔したね」
 それじゃ、と手を上げて立ち去る真崎を、後ろから牟田がコーヒー片手に見送っているのがわかる。否応なく視界に入り込むその光景を、ことさら意識から締め出して、美並は次々とシュレッダーに書類を飲み込ませた。
 真崎が姿を消して数分後、ようやく踏ん切りがついたように牟田が近寄ってくる。
「凄い量ね」
「あ、はい」
 初めて牟田に気付いたように、美並は笑い返した。
「書式変更したので、不要なものを一切合切処分するつもりらしいです」
「たまらないわよね、急に出されちゃ」
「そうですね」
 あたりさわりないところで同意して、ボックスから次の束を掴み出した。クリップを外し、ホッチキスの針を抜く。
「細かいことするのね」
「あ……性分で」
 ホッチキスを爪先で引っ掛けて取りながら苦笑する。
「そんなことしてたら終わらないから……ほどほどにね」
「はい」
 ちら、と肩越しに視線を投げ、背中を向ける相手に軽く微笑んで、美並は作業を続けたが、射るような瞳の声は痛いほどに伝わった。
 自分だけ仕事してるつもりなの?

 美並が桜木通販にアルバイトで入ったのは二ヶ月ほど前になる。新聞の折り込み広告で、簡単な事務作業と電話応対という内容に魅かれて面接を受けた。
 時給が高いものは望んでいなかった。大事なことは、あまり会社内に深入りせずにすむ環境と仕事内容。するべき仕事があって、それを淡々と片付けられるのが一番いい。
 真崎京介は入った部署の直属の上司で、三人いる女性事務員の面倒を見ることになっている。流通管理課、と名前だけは立派だが、その実苦情受付が主体で、他部署にあてはまらないはみだし仕事なども回ってくる課の課長でもある。長身細身で頼りなさそうな外見のわりには、揉め出したトラブルなどをおさめるのが異常にうまい。へらりと間に割って入ってあれこれ話を聞きながら、いつの間にかその場を鎮めてしまうから、あちこちの部署から呼ばれることも多い。
「それでも肝心なところはちゃんと押さえにくるんだから」
 さっきも雑談風に近寄ってきたけれど、手と目はしっかり廃棄書類の内容を正当なものか調べていったのに気付いている。
「ああいうところが得体が知れないっていうか、隙がないっていうか」
 だから、美並は今一つ好きになれない。
 真崎の眼鏡の奥の瞳には、独特の冷ややかさがある。他人をモルモットかロボットのように観察している鋭い視線だ。あたりが柔らかいから他の人間は気付かないのだろうけど、美並にとっては安心できない。
「はあ……」
 これが問題なのよね、と小さくため息をついた。
 美並には『人の気持ち』が見える。
 さっきの牟田ほどはっきりしていれば、ことばでも聞こえるが、大抵はうっすらとした影や光の組み合わせで相手に被さって見える。どす黒い雲がかかっている場合もあれば、美しいピンクの靄が包んでいるときもある。綺麗な光景は見愡れるだけですむが、陰鬱に澱む気配は要注意だ。へたに意識すると、こっちを飲み込もうとする。
 けれど、人間は。
 ふう、とまたため息をついて、最後の束をシュレッダーの口に差し込んだ。
 けれど、人間は、いつも綺麗な気持ちばかりを抱いていられない。
 しんどい時にはへたりもし、腹立ちのあまり殺意を抱くこともある。それはそれで自然だけれど、無意識なだけに制御が効かず、時に強い力がこもっていると、侵されたように体調を崩してしまう。
 複雑な組織の重要な部署に入ると、それだけで人の思惑に巻き込まれて酷い目に合う。大学を出て初めて入った職場が、人間関係どろどろの修羅場で、そこで五年しのいだけれど、なんだか自分が壊れそうになって退職し、その後はずっとアルバイトで食いつないできた。
 郷の両親は美並の能力を知らない。知らないからこそ、三十前にまとまってくれないと弟の明の体裁が悪い、と、ことあるごとに連絡をよこす。
「結婚……かあ」
 こんな力があって、結婚なんてできないよね。
 恋人の隠しておきたい本音も、知らせたくない思惑も、美並には素通しになる。
 恋愛はささやかな苦味をいつも含むもの、けれど美並も枯れても悟っているわけでもないから、騙されているとわかればいい思いはしない、隠されてると気付いてしまえば素振りに出る。
「息苦しいったらありゃしない」
 苦笑しながらシュレッダーのスイッチを切った。
 いつかもっと『大人』になって、そういう複雑なものもしらっとした顔で飲み込んでしまえるようになれば、ささやかな関係でも結べるだろうか。
「夢の、また、夢」
 読み込んでしまったものなんか、こんなふうにざくざく切り刻んで消してしまえれば楽なのになあ。
 シュレッダーをぽんと叩いて顔を上げたとたん、凍りついた。
「おつかれさま。コーヒーどうかな」
 数歩離れただけの場所に、たった今自販機から取り出したばかりのような、水滴一つついていない紙コップを手にして、真崎がにこやかに笑っていた。

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