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第1章
1.闇を見る眼(2)
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いつから見ていたんだろう。どこまで聞いていたんだろう。
不安になってちらりと隣を見る。
自販機横の休憩スペースにのんびりと腰を降ろした真崎は、いやあっついねえ、シュレッダー前はもっと暑いでしょう、とにこにこしながらアイスコーヒーを口にしている。
「課長」
「ん?」
「何か御用でしょうか?」
思い切って尋ねてみると、眼鏡の向こうから細めた目が見返してきた。
「うん」
「やっぱり」
「察しがいい人は好きだよ」
さらりと流した口調はひんやりと熱を消している。
「牟田さん、どう思う?」
「どう思うって」
いきなりそう来るか。
思わず美並は胸の中で呟いた。
だから安心できないって言うんだ。
「どういう意味ですか」
「意味なんかわかってるくせに」
「わかりません」
わかりたくもないけどね、と紙コップに唇をつける。いつ知ったのか、砂糖が甘めに入ったブラック、氷なし、というところまで整えられてる卒のなさも不審を募らせるだけだ。
牟田、のことは、実は入った時から気になっていた。
一番最初に話しかけてくれて、私物を置く棚から細かな物品の在りかまで教えてくれたのが彼女だったから。同じ事務職の石塚が仕事を頼む時にしか詳しいことを指示してくれないのと対照的で、行き届いた優しい人なんだなと思った。
けれどもしばらくすると微かな違和感に気づいた。
牟田は一度教えたことを美並が確かに覚えているかを執拗なまでに見守っている。度忘れしたり、聞き損ねていたりするともう一度確認するのだが、その一瞬ひどく傷ついた顔をする。すぐにごまかしはするものの、暗いいじけたような笑みを浮かべて「きちんと教えられなかったかな」と言われた時もある。
自分のしたことへの評価を強く求める人なんだ。しかも、その評価は常に好意的なものか、もしくは良いものではなくては落ち着かない人なんだ、と気づいたのは、二週間ほどたった後のことで、その牟田の視線がもう一つ、いつも追いかけ確認しているのが、真崎の姿だと気づいたのはさらに一週間ほどたった時だったか。
同時に、彼女の回りにうすぼんやりと漂っている灰色の靄の意味もわかった。
自分の内面は明らかにしたくない、けれど、自分のことは高く好意的に評価してほしい、そういう気持ちの具現化、みたいなもの。
つまり、牟田の中には何か「高い評価」を得られないものがあって、それが真崎に関わるものらしい、と気づいてからは、関わりあいにならないでおこうと決めていた。
なのに、それを逆なでするように真崎は美並に話しかけてくる。
あげくに、さっきの問いだ。
「彼女は僕にこだわってるんだけど」
「……」
「どうにも気になってるんだよね」
「……」
一体何様のつもりなんだと隣を見ると、真崎は平然とした顔で美並を見返す。
「課長こそ牟田さんのことはどう思われてるんですか」
「人殺しだと」
は?
しらっと言われて思わず瞬きした。
「あの、なんて」
「人殺し」
真崎は残業、と言ったような顔で繰り返した。
「……すみませんが」
「はい」
「私、わけもなく他人を人殺し扱いする課長の方がよくわかりません」
「だってさ、辻褄が合うんだよ」
真崎はちょっと困ったような顔で微笑んだ。
「辻褄?」
「彼女のパスケースに入ってる写真はお兄さんのものだと言うし、その『お兄さん』の顔が新聞で殺人事件の被害者として報道されたのを僕は知ってるし」
「でも、あの」
混乱しながら美並は口を挟んだ。
「家族ならば写真を持っててもおかしくないし、すごく大切な人だったからかもしれない」
「彼は難波孝、一人っ子で家族は他界して一人暮らしだった。金曜日の夜にその頃付き合っていた子とデートに出掛けてそれっきり帰らなくて、翌朝ホテルで死体になってた」
淡々と続けた真崎はさらりと続けた。
「僕の親友だったんだよ。犯人はまだ捕まってない」
ことばを失って真崎を見ると、相手はやっぱり微かに笑んでいる。
「殺された友人の写真を兄だなんて偽って大事に持ってる女って、やっぱり何か知ってると思わない?」
「それは」
そうかもしれないですけど、と口ごもると、真崎はじっと正面を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「伊吹さん、何か見えるんじゃないの?」
「え?」
なぜそれを、とは聞き返さなかったけれど、美並の反応で真崎は確信したようだ。
「やっぱりなあ」
だから、ひょっとしたら、牟田さんのことが何かわかるかと思って聞いてみたかったんだよ、と付け加えられた。
「で、牟田さんには孝の霊とか憑いてたりする?」
「あの、勘違いしてますよ」
ああ、そっちか、と美並は苦笑した。
「私、霊能者じゃないですから」
「でも、何かは見えるんだ」
真崎は薄笑いしてくしゃりとカップを握り潰し、振り返った。
「さっき否定しなかった」
「あ」
だから安心できないって言ったじゃない。
真崎のフェイクに手際よく引っ掛けられた悔しさに美並は唇を噛んだ。
不安になってちらりと隣を見る。
自販機横の休憩スペースにのんびりと腰を降ろした真崎は、いやあっついねえ、シュレッダー前はもっと暑いでしょう、とにこにこしながらアイスコーヒーを口にしている。
「課長」
「ん?」
「何か御用でしょうか?」
思い切って尋ねてみると、眼鏡の向こうから細めた目が見返してきた。
「うん」
「やっぱり」
「察しがいい人は好きだよ」
さらりと流した口調はひんやりと熱を消している。
「牟田さん、どう思う?」
「どう思うって」
いきなりそう来るか。
思わず美並は胸の中で呟いた。
だから安心できないって言うんだ。
「どういう意味ですか」
「意味なんかわかってるくせに」
「わかりません」
わかりたくもないけどね、と紙コップに唇をつける。いつ知ったのか、砂糖が甘めに入ったブラック、氷なし、というところまで整えられてる卒のなさも不審を募らせるだけだ。
牟田、のことは、実は入った時から気になっていた。
一番最初に話しかけてくれて、私物を置く棚から細かな物品の在りかまで教えてくれたのが彼女だったから。同じ事務職の石塚が仕事を頼む時にしか詳しいことを指示してくれないのと対照的で、行き届いた優しい人なんだなと思った。
けれどもしばらくすると微かな違和感に気づいた。
牟田は一度教えたことを美並が確かに覚えているかを執拗なまでに見守っている。度忘れしたり、聞き損ねていたりするともう一度確認するのだが、その一瞬ひどく傷ついた顔をする。すぐにごまかしはするものの、暗いいじけたような笑みを浮かべて「きちんと教えられなかったかな」と言われた時もある。
自分のしたことへの評価を強く求める人なんだ。しかも、その評価は常に好意的なものか、もしくは良いものではなくては落ち着かない人なんだ、と気づいたのは、二週間ほどたった後のことで、その牟田の視線がもう一つ、いつも追いかけ確認しているのが、真崎の姿だと気づいたのはさらに一週間ほどたった時だったか。
同時に、彼女の回りにうすぼんやりと漂っている灰色の靄の意味もわかった。
自分の内面は明らかにしたくない、けれど、自分のことは高く好意的に評価してほしい、そういう気持ちの具現化、みたいなもの。
つまり、牟田の中には何か「高い評価」を得られないものがあって、それが真崎に関わるものらしい、と気づいてからは、関わりあいにならないでおこうと決めていた。
なのに、それを逆なでするように真崎は美並に話しかけてくる。
あげくに、さっきの問いだ。
「彼女は僕にこだわってるんだけど」
「……」
「どうにも気になってるんだよね」
「……」
一体何様のつもりなんだと隣を見ると、真崎は平然とした顔で美並を見返す。
「課長こそ牟田さんのことはどう思われてるんですか」
「人殺しだと」
は?
しらっと言われて思わず瞬きした。
「あの、なんて」
「人殺し」
真崎は残業、と言ったような顔で繰り返した。
「……すみませんが」
「はい」
「私、わけもなく他人を人殺し扱いする課長の方がよくわかりません」
「だってさ、辻褄が合うんだよ」
真崎はちょっと困ったような顔で微笑んだ。
「辻褄?」
「彼女のパスケースに入ってる写真はお兄さんのものだと言うし、その『お兄さん』の顔が新聞で殺人事件の被害者として報道されたのを僕は知ってるし」
「でも、あの」
混乱しながら美並は口を挟んだ。
「家族ならば写真を持っててもおかしくないし、すごく大切な人だったからかもしれない」
「彼は難波孝、一人っ子で家族は他界して一人暮らしだった。金曜日の夜にその頃付き合っていた子とデートに出掛けてそれっきり帰らなくて、翌朝ホテルで死体になってた」
淡々と続けた真崎はさらりと続けた。
「僕の親友だったんだよ。犯人はまだ捕まってない」
ことばを失って真崎を見ると、相手はやっぱり微かに笑んでいる。
「殺された友人の写真を兄だなんて偽って大事に持ってる女って、やっぱり何か知ってると思わない?」
「それは」
そうかもしれないですけど、と口ごもると、真崎はじっと正面を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「伊吹さん、何か見えるんじゃないの?」
「え?」
なぜそれを、とは聞き返さなかったけれど、美並の反応で真崎は確信したようだ。
「やっぱりなあ」
だから、ひょっとしたら、牟田さんのことが何かわかるかと思って聞いてみたかったんだよ、と付け加えられた。
「で、牟田さんには孝の霊とか憑いてたりする?」
「あの、勘違いしてますよ」
ああ、そっちか、と美並は苦笑した。
「私、霊能者じゃないですから」
「でも、何かは見えるんだ」
真崎は薄笑いしてくしゃりとカップを握り潰し、振り返った。
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「あ」
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