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第2章
2.リフル・シャッフル(3)
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なぜ、それを。
今度は、そんなことを正面から聞くほど、京介は無防備にはなっていなかった。
「向田駅の近くのホテルですね」
『部屋をとっています』
「え?」
『今夜、美並と逢いますから』
「っ」
思わず部屋のドアを見た。そこから出て行ってしまった、もう消えてしまった伊吹の後ろ姿を追った。
『彼女は承諾しましたよ』
「………それで?」
『あなたは彼女と婚約したと言う噂をたてて喜んでおられるようだが、それはあなただけの思い込みじゃないんですか』
大石の声は淡々と続いた。
「仕事には関係がないようですが」
『そうじゃない。わかっているでしょう?』
相手は微かに笑った。
『あなたが僕なら、どうしますか?』
「……なるほど」
大石は伊吹も真崎を攻略する手段の一つとして使っている、そう言っているわけだ。
「……彼女は、知っている」
京介のことばにちらりと石塚が鋭い視線を投げ、すぐにまたデータのまとめに集中する。
『知って?』
意外そうな声を真崎は目を細めて聞いた。
『でもそれなら、なぜ』
「………教えましょうか」
自分の唇がひんやりと歪むのを意識しながら眼鏡を中指で押し上げる。
「交換条件は前提ですよね?」
『………反撃ですか』
今夜、美並は僕に抱かれに来るんですよ?
大石が挑発しながらためらい、ふいに思いついたように呟いた。
『放って、おけなかったのか』
ビンゴ。
どこかで白々しい鐘の音が鳴り響いた気がして、京介は薄く笑った。
大石はしたたかでタフで、しかも伊吹のことをよく理解している男なのだ。
自分がどれほどの勝ち目もないのだ、そう改めて思い知らされた気がしたが、慣れたシステムを動かして揺れた気持ちを胸の奥へ押し込める。
ざくり、と尖ったものが突き刺さったようだった。
ああ、そこにあるんだ、砕けたガラスっていうのは?
見つけたよ、伊吹さん。
宝物を探し当てた子どものように、胸の中で呟いてみる。
褒めて?
『美並はあなたに同情したんでしょう? 男として魅かれたのではなく』
「誰からそれを?」
京介は静かに確認した。
さっきの言動から、大石は確実な情報源を持っていると感じる。
大輔か、恵子か。
もしそうだとしたら、彼らと大石の接点は何か、今後もっとまずい情報を流される可能性があるなら、どこまで制御するべきなのか見極めておかないと命取りになる。
『認めるんですか』
京介は軽く目を伏せる。
胸の中に押し込んだものにどんどん力を加えていく。引き裂かれていく部分がだらだらと濡れた朱色を吐き出す。ちょうど、初めての夜に布団を際限なく染めた出血のように。
もっと、ずたずたになってしまえばいい。
京介は受話器を持ち直した。耳に強く当てて、目を閉じる。
伊吹の居ない世界で、京介がどれほども正気で居られるわけがない。ましてや、他の男に抱かれていると思いながら夜を過ごすことに耐え切れなくなって、自分が何をするのか、孝が教えてくれている。
「知りたくはないですか、彼女がなぜ知っていて、僕と付き合っているのか」
大石は京介のことばに沈黙した。
『………何を知りたいんです』
「情報源を」
『御存じだと思っていました』
牟田相子という女性は、今こちらに勤めているんです。
「……そう、ですか」
一瞬詰めた息を、京介はゆっくり吐き出した。競り上がってくる哄笑を押さえ切れずに、くく、と小さく笑う。
「どこまでいっても馬鹿な女だな」
『あなたに弄ばれて捨てられた、そう言っていました』
誘ってきたのはあなただった、優しく甘い仮面で自分を誘惑して、抜き差しならないところまで踏み込ませたのに、美並が来るとすぐに乗り換えた、女をモノのように扱う男だ、と。
「信じるんですか」
『……相子は私の幼馴染みなんです』
「…は?」
ぱすん、と後ろから柔らかなもので頭を叩かれたようだった。
『幼いころに事情があって養子に出されて、私の祖母が面倒をみていたこともある。血の繋がった兄が一人いたけれど、不幸な事故でなくなったし、両親ともにもう死んでしまっているから、天涯孤独で頑張ってきたんです』
「……パスケースに、写真を?」
『知ってるんですか?』
そうです、あれが相子の兄です。
そう続いた大石のことばを、京介はどこかぼんやりとした感覚で聞いた。
孝の、妹?
じゃあ、僕のしたことは?
『美並は本当にあなたがあそこで何をしていたのか知っていて、あなたを愛してるんですか』
突然足下に開いた暗い穴を覗き込む京介の耳に、大石の声が遠く響く。
「……同情、ですよ」
低い声で呟いた。
「彼女は僕の手管に引っ掛かったに過ぎない。けれど」
くす、と京介は笑った。瞬きし、死刑宣告を自分で下す。
「安心してくれていい。彼女は僕を受け入れたりしていませんよ」
『……わかりました』
大石は深く溜め息をついた。
『あなたももういいでしょう。仕事も忙しくなる。このあたりで手を引いて下さい。いいですね』
「……仕事は仕事です」
京介は眼鏡を外して、焼けついた目元を擦った。
「このままでは終わらせるつもりはありませんから」
『美並を巻き込まないで頂きたい』
「ならば、さっさと連れ去って下さい」
言い放って、京介は応えを待たずに受話器を置いた。
今度は、そんなことを正面から聞くほど、京介は無防備にはなっていなかった。
「向田駅の近くのホテルですね」
『部屋をとっています』
「え?」
『今夜、美並と逢いますから』
「っ」
思わず部屋のドアを見た。そこから出て行ってしまった、もう消えてしまった伊吹の後ろ姿を追った。
『彼女は承諾しましたよ』
「………それで?」
『あなたは彼女と婚約したと言う噂をたてて喜んでおられるようだが、それはあなただけの思い込みじゃないんですか』
大石の声は淡々と続いた。
「仕事には関係がないようですが」
『そうじゃない。わかっているでしょう?』
相手は微かに笑った。
『あなたが僕なら、どうしますか?』
「……なるほど」
大石は伊吹も真崎を攻略する手段の一つとして使っている、そう言っているわけだ。
「……彼女は、知っている」
京介のことばにちらりと石塚が鋭い視線を投げ、すぐにまたデータのまとめに集中する。
『知って?』
意外そうな声を真崎は目を細めて聞いた。
『でもそれなら、なぜ』
「………教えましょうか」
自分の唇がひんやりと歪むのを意識しながら眼鏡を中指で押し上げる。
「交換条件は前提ですよね?」
『………反撃ですか』
今夜、美並は僕に抱かれに来るんですよ?
大石が挑発しながらためらい、ふいに思いついたように呟いた。
『放って、おけなかったのか』
ビンゴ。
どこかで白々しい鐘の音が鳴り響いた気がして、京介は薄く笑った。
大石はしたたかでタフで、しかも伊吹のことをよく理解している男なのだ。
自分がどれほどの勝ち目もないのだ、そう改めて思い知らされた気がしたが、慣れたシステムを動かして揺れた気持ちを胸の奥へ押し込める。
ざくり、と尖ったものが突き刺さったようだった。
ああ、そこにあるんだ、砕けたガラスっていうのは?
見つけたよ、伊吹さん。
宝物を探し当てた子どものように、胸の中で呟いてみる。
褒めて?
『美並はあなたに同情したんでしょう? 男として魅かれたのではなく』
「誰からそれを?」
京介は静かに確認した。
さっきの言動から、大石は確実な情報源を持っていると感じる。
大輔か、恵子か。
もしそうだとしたら、彼らと大石の接点は何か、今後もっとまずい情報を流される可能性があるなら、どこまで制御するべきなのか見極めておかないと命取りになる。
『認めるんですか』
京介は軽く目を伏せる。
胸の中に押し込んだものにどんどん力を加えていく。引き裂かれていく部分がだらだらと濡れた朱色を吐き出す。ちょうど、初めての夜に布団を際限なく染めた出血のように。
もっと、ずたずたになってしまえばいい。
京介は受話器を持ち直した。耳に強く当てて、目を閉じる。
伊吹の居ない世界で、京介がどれほども正気で居られるわけがない。ましてや、他の男に抱かれていると思いながら夜を過ごすことに耐え切れなくなって、自分が何をするのか、孝が教えてくれている。
「知りたくはないですか、彼女がなぜ知っていて、僕と付き合っているのか」
大石は京介のことばに沈黙した。
『………何を知りたいんです』
「情報源を」
『御存じだと思っていました』
牟田相子という女性は、今こちらに勤めているんです。
「……そう、ですか」
一瞬詰めた息を、京介はゆっくり吐き出した。競り上がってくる哄笑を押さえ切れずに、くく、と小さく笑う。
「どこまでいっても馬鹿な女だな」
『あなたに弄ばれて捨てられた、そう言っていました』
誘ってきたのはあなただった、優しく甘い仮面で自分を誘惑して、抜き差しならないところまで踏み込ませたのに、美並が来るとすぐに乗り換えた、女をモノのように扱う男だ、と。
「信じるんですか」
『……相子は私の幼馴染みなんです』
「…は?」
ぱすん、と後ろから柔らかなもので頭を叩かれたようだった。
『幼いころに事情があって養子に出されて、私の祖母が面倒をみていたこともある。血の繋がった兄が一人いたけれど、不幸な事故でなくなったし、両親ともにもう死んでしまっているから、天涯孤独で頑張ってきたんです』
「……パスケースに、写真を?」
『知ってるんですか?』
そうです、あれが相子の兄です。
そう続いた大石のことばを、京介はどこかぼんやりとした感覚で聞いた。
孝の、妹?
じゃあ、僕のしたことは?
『美並は本当にあなたがあそこで何をしていたのか知っていて、あなたを愛してるんですか』
突然足下に開いた暗い穴を覗き込む京介の耳に、大石の声が遠く響く。
「……同情、ですよ」
低い声で呟いた。
「彼女は僕の手管に引っ掛かったに過ぎない。けれど」
くす、と京介は笑った。瞬きし、死刑宣告を自分で下す。
「安心してくれていい。彼女は僕を受け入れたりしていませんよ」
『……わかりました』
大石は深く溜め息をついた。
『あなたももういいでしょう。仕事も忙しくなる。このあたりで手を引いて下さい。いいですね』
「……仕事は仕事です」
京介は眼鏡を外して、焼けついた目元を擦った。
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