『闇を闇から』

segakiyui

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第2章

2.リフル・シャッフル(2)

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 会社に戻って、それでも自分が落ち着いている自信はあった。
 けれど、伝言メモに伊吹の文字で大石の電話があったと読み取ったとたん、ひやりとした予感が京介の背中を走った。
 大石から電話? 
 一体何を伊吹と話したのだろう。
 しかも納期がなお遅れると? 
 あの報告書でそれはありえない、なぜだ。
 警告音が頭の中で鳴り響き、何もかもを失いそうな恐怖が胸に広がった。
 石塚にニットのデータを指示してすぐに自分でも確認し、『Brechen』を見つけだして顔を歪める。
 その瞬間、一気に半端な情報が繋がっていった。
 やられた。
 岩倉産業の『Brechen』シリーズ開発室には、大石圭吾の顔とずらりと並んだ若手のデザイナーにパタンナー、京介でさえ覚えのある顔もある。
『「Brechen」はドイツ語で破る、という意味です。私達は、このシリーズで、お客さま一人一人がこれまでの自分の殻を破るような、この商品を身につけることで新しい自分に変わっていけるような、そんなエネルギーを得たと感じて頂きたいと思っています』
 大石圭吾のコメントは気迫と気概に満ちている。大胆不敵、自由闊歩、衝撃的、そう言った文字が並ぶ中で、一番若そうなスタッフのコメントが目を引く。
『僕らは新参です。守るものがない。けれど、だからこそ得られる未来がある。僕らのデザインとコンセプトで、古い友人からでも新しい土地を奪い取っていきたい』
 御丁寧に『Brechen』には(友好関係の)決裂、(契約の)違反の意味もある、と添えられている。
 口の中で唸った。
 大石がこれを知らないはずがない。『Brechen』シリーズの売り出し時期も動きも熟知していたはずだ。そして、これだけの仕事を動かせる会社が、桜木通販の納期に間に合わないとは思えない。
 データを呼び出しまとめて比較する。
 やっぱりそうだ。
 桜木通販で動かしていたニット帽は新しい商品に入れ替えている最中で品薄傾向にあった。そこへ細田が半端な仕事をしたせいで、ただでさえピークがずれ込んできてまずくなっているところへ、なおも負荷がかかった。ないとなると欲しくなるのは人の世の常だ。微妙に買いが伸びてなお品薄になり、一気に市場の要望が高まったせいで、流通でしのごうとしていたのがきつくなった、その矢先に『Brechen』シリーズが出た。
 わざと、だよね。
 京介は目を細めた。
 大石は一ヶ月納期を遅らせて市場を飢えさせ、そこへ新商品をぶち込むために舞台を作ったのだ。
 他社が動かなかったのは、『Brechen』シリーズの売り出しを事前に打診されていたか、協力体制にあったか。どちらにせよ、桜木通販だけがこの波をまともに被ったことになる。この後売れるはずの市場を失ったうえに、大量の売れない商品を抱え込むはめになる。
 だからこそ、あの日、わざわざ大石圭吾本人がやってきて、話をまとめていった、そういうことだ。
 伊吹のことで大石への警戒が弛んでいた、そう言われても仕方がない。
 京介は大石に渡された資料をもう一度取り出して確認した。
 わかりやすくて誠実そうでちゃんとした資料だ。
 おそらくは架空のものではなくて、事実、この部署はこの通りに仕事を進めている可能性がある。一ヶ月納期が遅れたけれど、それでも着実によい仕事をしようとして頑張っている職人や工場が居るのが透けて見える。
 だが、問題はその彼らの気持ちとは全く別のところに、会社と大石の意志が動いていたということだ。
「あの」
「何」
「申し訳ありませんでした。それで」
 側に立っていた伊吹が静かに尋ねてくるのが苛立たしかった。
「……データ揃いました」
「送って……よし」
「今後、大石、いえ、今回のようなお電話の内容はどこまでお聞きしておけばよろしいでしょうか」
 思わず振り向いた。
 大石と、ほんとは何を話したの。
 あやうくそう問い正しそうになって、かろうじて制する。
「詳しいことは課長と直接お話したい、そうおっしゃられたのですが」
 まさか、伊吹までこれに噛んでるとか、そんなことは。
 昼間の『オリジン』での大石の会話がまた蘇る。
『……君は、美並は他の男と結婚したって言ったじゃないか』
『失敗した僕を、見限った、と』
 話を聞く限り、誠実で真面目な大石がこれほど派手な動きをするようになったのは、伊吹に見限られたと思っている過去があるせいじゃないのか。
 それはつまり、大石にとって伊吹はそれほど失いたくない相手だったということじゃないのか。
『桜木通販との折衝も、君は反対していた……美並が勤めていることを知っていたんだろう?』
 では、大石はいつからここに伊吹が居ると知っていたのか。
 ひょっとして、ここをターゲットにしたのは、伊吹が居たから、か。
 自分を見限った女にもう一度圧倒的な力を見せつけるためだったのか。
 あるいはまた、できることなら再び手に入れようとしていたのか。
 それとも、もう、伊吹との関係が戻っていて。
『考えたい、ことが、でてきた』
 物問いたげな伊吹から目を逸らせた。
 自分にそんな資格はないのに、大石とどこまで何があったのか、そう問い詰めたくなる。
 無言の京介に伊吹が諦めたように引き下がろうとする、その姿に、コール音を聞きながら思わず呟いてしまった。
「考えてよ」
「…え?」
 振り返る伊吹が相変わらず穏やかで切ない。
 その穏やかさはもう納まる場所を他に見つけてしまったからじゃないの?
 でも、まだ考えてほしい、大石のことじゃなく、京介のことを。
「自分で、考えて」
 京介が望んだから、死ぬと言ったからではなく、伊吹自身から京介のことを想ってほしい。
「責任ってものがあるでしょう」
 好きだと言った。婚約者だと言った。ことばだけでも形だけでも、それでも京介にキスしてくれたし、一緒にベッドで眠ったし、側に居てくれると言った、ずっと側に居てくれると。
 でもそれはみんな、京介を宥めるためだけのものだったのか?
 京介を自殺させない方便だったのか? 
 本当は京介にはうんざりしていて、けれどただ上司だから言い出さなかっただけなのか、職場を失わないために?
 責任があるよ。
 詰まった胸のことばを吐き出せなくて苦しい。
『はい、大石です』
 受話器の向こうから響いた落ち着いた声音に、一瞬怒鳴りそうになった。
 あんたには他に一杯あるじゃないか。他に何でもあるじゃないか。けれど僕には伊吹しかいない。伊吹しかない。伊吹だけが僕を暴いて、認めて、受け入れてくれる。
 なら、僕に伊吹ぐらいくれたっていいじゃないか。
「真崎京介です」
『……ああ』
 大石は静かに笑った。
『そろそろお電話してこられると思っていました』
 部屋を出ていく伊吹に背中を向けた。自分の一番冷たい顔を見せたくなかった。
「納期が遅れるそうですね」
『申し訳ありません』
「もう結構です、というわけにもいかないんでしょうね」
『……あなたにはおわかりのはずだ、真崎さん』
 大石が苦笑した気配がした。
『彼らを悲しませないでやって頂きたい』
 頑張っているんですから、間に合わせようと。
『少ない予算で、きつい労働時間で、削られていくスタッフで』
「………人員を減らしたんですか」
 自分の声がより温度を下げたのに気付いた。
「納期が遅れてしまうのに」
『仕方なかったんですよ』
 大石が穏やかに応じる。
『「Brechen」シリーズを先行させることに方針が変わって』
「予定通りだったんじゃないですか?」
『まさか。想定外でした』
「………後どれぐらいで仕上がります?」
『後半月、頂ければ』
 大石の声は滑らかだ。半月伸びれば、シーズン売り上げはほぼ止まってくる。その後に大量の在庫を抱え込ませられるということだ。そして、来期にはもう流行から外れてしまう。
「…計算ずく、ですか」
『あなたのことでしょう』
「私が?」
『………彼女を返して下さい』
「っ」
 ぽつんと吐かれて、京介は一瞬ことばを失った。
『もう十分でしょう、遊びには』
「遊び?」
『あなたが誰をおもちゃにしようと構わない、けれど彼女は駄目だ、返して下さい』
「……失礼ながら、何か勘違いされているようですね」
 どなたのことをおっしゃってるのか、わかりかねます。
 冷やかに応じた京介は、次の大石のことばに目を見開いた。
『「ハイウィンド・リール」で何をしていたのか、美並は知っているんですか?』
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