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第2章
2.リフル・シャッフル(1)
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夕方近くになって、真崎がようやく戻ってきた。
「あ~、今日は一日会社に居なかったな~」
机の上に積み上がっている書類の束を見、貼りつけられた伝言メモを一つ一つ確認しながら、すぐ連絡が必要なものとそうでないものに手早く分けていく。
「丸岡? 仕入れ値って交渉済んでなかったっけ」
「……うーん、まだうまくいかないか」
「よし、こっちはOK」
一瞥しただけで、どこの誰が何を連絡してきたのかすぐにわかるらしい。
その滑らかな動きがふいにぴたりと止まった。
「……伊吹さん?」
「はい」
「これとったの、伊吹さん? 岩倉産業の」
「あ、はい」
内心どきりとしながら、美並はデータの最後を打ち込んで顔を上げる。
人さし指と中指ニ本の指先に伝言メモを挟んでこちらを見ている真崎の表情は、背後から差し込む夕焼けの光を眼鏡に反射させていてよくわからない。
「納期が遅れるかも知れないって、どういうこと?」
「え?」
「どれぐらい遅れるって聞いた?」
「あ、いえ」
「掛けてきたのは?」
「大石、さんです」
答える声が一瞬喉に引っ掛かったのは、久し振りに聞いた相手の声があまりにも変わっていなくて、自然に夕飯を約束してしまったからだ。
真崎は美並が大石を探していたこともその事情も知っている。逢いたがっていたのもわかっているから、反対はしないだろうと思い込んでいた。
だが真崎の声が妙に固い。
「彼が、直接?」
「はい」
「じゃあ、どれぐらい遅れるのかも聞けたでしょう」
さらっと流した口調は丁寧だが冷たい。
「申し訳ありません」
美並は席を立って真崎の机に近寄った。
そう言えば、先日大石がこちらに来たとき、細田課長が真崎を引っ張っていった、あれがそうだったのではないか。真崎が細田に引っ張り出されたときは、ほとんどがトラブルと相場が決まっているから、ひょっとすると既に岩倉産業と何か問題が起きていたのかもしれない。
「確認しておいてほしかったな」
真崎は近付いてきた美並に言い捨てて忙しくマウスを動かした。僅かに眉をしかめる、その眼が画面上を素早く見渡す。
「……まだ動いてるのか」
呟きながら別の画面を引っ張り出す真崎に、どうしたものかと戸惑ったが、美並の仕事は元々事務処理の補佐で、社内の事情に通じているわけではないし、そこまでを求められているわけでもない。
「……数が足りない、な……石塚さん」
「はい?」
「関東方面のニットのデータ呼び出してまとめておいて」
「返品メインですか」
「いや、フローが今どれぐらいあるのか知りたい」
「わかりました」
石塚が慌ただしくキーボードを叩き出して、どうやらかなり大きなトラブルだと推測する。
それでも、美並には何をすることもできない。
「あの」
もう一度謝って、今後どこまで情報を確認するのか知っておかないと、またミスをするから、と美並は真崎を伺った。
「何」
「申し訳ありませんでした。それで」
「……データ揃いました」
「送って……よし」
「今後、大石、いえ、今回のようなお電話の内容はどこまでお聞きしておけばよろしいでしょうか」
「……」
真崎が動かない顔で振り向いた。ようやく見えた眼鏡の奥の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「詳しいことは課長と直接お話したい、そうおっしゃられたのですが」
「……」
真崎は無言で電話を取り上げる。指が辿った番号は岩倉産業のものだ。
今これ以上話す気はない、そういうことか。
美並ははからずもまた大きなへまをしてしまった、のだろう。
込み上げかけた痛みを奥歯で軽く噛み締めて殺し、ぺこり、と頭を下げて席に引き下がろうとすると、
「考えてよ」
「…え?」
背後から声が追ってきて振り返る。
「自分で、考えて」
真崎がひんやりとした声で続けた。
「責任ってものがあるでしょう………あ、もしもし、岩倉産業でしょうか、私、桜木通販の真崎京介と申しますが、大石圭吾さんは……はい、お願いいたします」
言いかけたことばが途中で繋がった電話に途切れる。
けれど、そのことばは美並の胸を抉るには十分だった。
美並の、責任。
自分で意識していないで、大事な相手を、窮地に陥らせてしまう、責任?
きっと真崎は大石と揉めたり、必要以上に関わったりするのは嫌だったろうに、そこへ追い込んでしまった責任?
「……」
席に戻って机を片付ける。終了時間だったからだが、それが最後の後始末をしているように思えて辛くなる。いつかの夜、大石が自殺したと詰られた日、あるいはまた、『さわやかルーム』を辞めると決めて、集めていた資料を泣きながら全て廃棄していった日を。
そして、今夜には大石と逢う。
運命はあまりにも重なり過ぎる。
「すみません、お先に失礼します」
「おつかれさま」
複雑な顔の石塚に頭を下げ、もう一度真崎を見た。
真崎は頷きながら電話を続けていたが、ふと上げた視線が美並と合うと微かに舌打ちして目を逸らせた。めったに苛立ったことのない真崎にしては珍しい仕草、石塚が意外そうに振り返る、それにも不愉快そうに眉を寄せて顔を背けた。
「……すみません、何かあったら、後お願いします」
「……気にしないでいいわよ」
石塚が画面をチェックしながら苦笑した。
「課長が慌てるのも無理ないかもしれない」
「え?」
「細田さんが安請け合いしたニット帽、岩倉産業が納期を一ヶ月遅らせてほしいって言うのを受け入れて、課長が流通を動かしたみたいだけど」
データに視線を走らせつつ、
「今年は予想外にニット部門がよく動いたのね。『Brechen』って新作デザインのニットが急激に売れて、他にも影響が出たという感じ。フロー分までほとんど出てる」
「『Brechen』?」
美並が覗き込むのに、石塚がネットで最新作を見せてくれた。細かな編を加えて異色な質の糸を一ケ所だけ編み込んだダーク系のニット帽、それに合わせられるセーターにも同質の糸を編み込んであり、同じような編み込み方が二つとないところで受けているらしい。
「さすがにこんな動きまで課長が読み込めるはずないもの、品薄のところへこのデザインだからなおさら動いたのね」
まあ真崎京介の腕の見せ所、じゃないの?
石塚の声に思わず背中を向けてしまった真崎の後ろ姿を見やった。
「あ~、今日は一日会社に居なかったな~」
机の上に積み上がっている書類の束を見、貼りつけられた伝言メモを一つ一つ確認しながら、すぐ連絡が必要なものとそうでないものに手早く分けていく。
「丸岡? 仕入れ値って交渉済んでなかったっけ」
「……うーん、まだうまくいかないか」
「よし、こっちはOK」
一瞥しただけで、どこの誰が何を連絡してきたのかすぐにわかるらしい。
その滑らかな動きがふいにぴたりと止まった。
「……伊吹さん?」
「はい」
「これとったの、伊吹さん? 岩倉産業の」
「あ、はい」
内心どきりとしながら、美並はデータの最後を打ち込んで顔を上げる。
人さし指と中指ニ本の指先に伝言メモを挟んでこちらを見ている真崎の表情は、背後から差し込む夕焼けの光を眼鏡に反射させていてよくわからない。
「納期が遅れるかも知れないって、どういうこと?」
「え?」
「どれぐらい遅れるって聞いた?」
「あ、いえ」
「掛けてきたのは?」
「大石、さんです」
答える声が一瞬喉に引っ掛かったのは、久し振りに聞いた相手の声があまりにも変わっていなくて、自然に夕飯を約束してしまったからだ。
真崎は美並が大石を探していたこともその事情も知っている。逢いたがっていたのもわかっているから、反対はしないだろうと思い込んでいた。
だが真崎の声が妙に固い。
「彼が、直接?」
「はい」
「じゃあ、どれぐらい遅れるのかも聞けたでしょう」
さらっと流した口調は丁寧だが冷たい。
「申し訳ありません」
美並は席を立って真崎の机に近寄った。
そう言えば、先日大石がこちらに来たとき、細田課長が真崎を引っ張っていった、あれがそうだったのではないか。真崎が細田に引っ張り出されたときは、ほとんどがトラブルと相場が決まっているから、ひょっとすると既に岩倉産業と何か問題が起きていたのかもしれない。
「確認しておいてほしかったな」
真崎は近付いてきた美並に言い捨てて忙しくマウスを動かした。僅かに眉をしかめる、その眼が画面上を素早く見渡す。
「……まだ動いてるのか」
呟きながら別の画面を引っ張り出す真崎に、どうしたものかと戸惑ったが、美並の仕事は元々事務処理の補佐で、社内の事情に通じているわけではないし、そこまでを求められているわけでもない。
「……数が足りない、な……石塚さん」
「はい?」
「関東方面のニットのデータ呼び出してまとめておいて」
「返品メインですか」
「いや、フローが今どれぐらいあるのか知りたい」
「わかりました」
石塚が慌ただしくキーボードを叩き出して、どうやらかなり大きなトラブルだと推測する。
それでも、美並には何をすることもできない。
「あの」
もう一度謝って、今後どこまで情報を確認するのか知っておかないと、またミスをするから、と美並は真崎を伺った。
「何」
「申し訳ありませんでした。それで」
「……データ揃いました」
「送って……よし」
「今後、大石、いえ、今回のようなお電話の内容はどこまでお聞きしておけばよろしいでしょうか」
「……」
真崎が動かない顔で振り向いた。ようやく見えた眼鏡の奥の瞳には何の感情も浮かんでいない。
「詳しいことは課長と直接お話したい、そうおっしゃられたのですが」
「……」
真崎は無言で電話を取り上げる。指が辿った番号は岩倉産業のものだ。
今これ以上話す気はない、そういうことか。
美並ははからずもまた大きなへまをしてしまった、のだろう。
込み上げかけた痛みを奥歯で軽く噛み締めて殺し、ぺこり、と頭を下げて席に引き下がろうとすると、
「考えてよ」
「…え?」
背後から声が追ってきて振り返る。
「自分で、考えて」
真崎がひんやりとした声で続けた。
「責任ってものがあるでしょう………あ、もしもし、岩倉産業でしょうか、私、桜木通販の真崎京介と申しますが、大石圭吾さんは……はい、お願いいたします」
言いかけたことばが途中で繋がった電話に途切れる。
けれど、そのことばは美並の胸を抉るには十分だった。
美並の、責任。
自分で意識していないで、大事な相手を、窮地に陥らせてしまう、責任?
きっと真崎は大石と揉めたり、必要以上に関わったりするのは嫌だったろうに、そこへ追い込んでしまった責任?
「……」
席に戻って机を片付ける。終了時間だったからだが、それが最後の後始末をしているように思えて辛くなる。いつかの夜、大石が自殺したと詰られた日、あるいはまた、『さわやかルーム』を辞めると決めて、集めていた資料を泣きながら全て廃棄していった日を。
そして、今夜には大石と逢う。
運命はあまりにも重なり過ぎる。
「すみません、お先に失礼します」
「おつかれさま」
複雑な顔の石塚に頭を下げ、もう一度真崎を見た。
真崎は頷きながら電話を続けていたが、ふと上げた視線が美並と合うと微かに舌打ちして目を逸らせた。めったに苛立ったことのない真崎にしては珍しい仕草、石塚が意外そうに振り返る、それにも不愉快そうに眉を寄せて顔を背けた。
「……すみません、何かあったら、後お願いします」
「……気にしないでいいわよ」
石塚が画面をチェックしながら苦笑した。
「課長が慌てるのも無理ないかもしれない」
「え?」
「細田さんが安請け合いしたニット帽、岩倉産業が納期を一ヶ月遅らせてほしいって言うのを受け入れて、課長が流通を動かしたみたいだけど」
データに視線を走らせつつ、
「今年は予想外にニット部門がよく動いたのね。『Brechen』って新作デザインのニットが急激に売れて、他にも影響が出たという感じ。フロー分までほとんど出てる」
「『Brechen』?」
美並が覗き込むのに、石塚がネットで最新作を見せてくれた。細かな編を加えて異色な質の糸を一ケ所だけ編み込んだダーク系のニット帽、それに合わせられるセーターにも同質の糸を編み込んであり、同じような編み込み方が二つとないところで受けているらしい。
「さすがにこんな動きまで課長が読み込めるはずないもの、品薄のところへこのデザインだからなおさら動いたのね」
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