『闇を闇から』

segakiyui

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第2章

10.ブラインド・ベット(5)

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 帰りの電車の中で美並は渡された資料を少し読んだ。
 確かに石塚の勤務内容はほとんど変わっていない。
 だが、美並の仕事はこれまでの事務補佐というよりは、真崎の補佐に近く、企画発案を担当とする高崎や営業交渉を主とする真崎の秘書的な動きになってくることがわかる。
 待遇もアルバイト、ではなく、パート勤務に近い状態になっていて、週間労働時間の増加と同時にこれまで適用されていなかった福利厚生、ボーナスや休日申請があり、真崎に同行して出張する場合には出張費も出ることになっている。
「まさか」
 連れ歩きたいがために無理を通したりしてないだろうな。
 思わず眉をしかめてから、自惚れに呆れた。いくら真崎が美並に執着しているからといって、片時も離さないような手配をするわけもないだろう。
「ふう…」
 どうしよう、かな。
 美並は資料を片付け、ホームに降りて歩き出す。
 これを受け入れるということは、桜木通販に職を定めるということでもある。アルバイトを転々として、人と濃厚に関わることを避けてきた自分が、一ケ所に留まることを選ぶということだ。
 そこまで今の仕事が好きだろうか。
 そこまでこれからする仕事は興味があるだろうか。
 確かに真崎がこれからやろうとしていることに興味はある。じりじりと人気が上がっている『Brechen』にどう対抗していくのか、しかもあの半端な在庫をどうするつもりなのか、それは今まで見えなかった真崎京介という男の仕事の顔が見えるかもしれない、そういう期待もある。
 けれど、その一方で、そうやってみるみる充実していく相手に置き去られていくしかなくなる日が来るんじゃないか、大石のようにいつかすれ違っていってしまう時が来るんじゃないか、と不安になるのも確かだ。
 前ならともかく、こうしてどんどん魅かれていっている、今となれば余計に。
 それに。
 真崎が抱えているものは何一つ終わっていない。
 大輔や恵子との関係、相子との絡み、そしてまた、難波孝の死についても。
「あれ……明?」
「ちーっす」
 マンションの扉の前で壁にもたれていた相手がに、と笑って体を起こした。
「思ったよりも早いじゃん」
「急に何」
「待っててもなかなか戻ってこないから、七海が心配してるんだ」
「七海さんが?」
 腹減ったから買ってきちゃった、と見せるスーパーの袋の中には葱と卵が入っている。
「卵ぐらいあるよ?」
「米しか予想してなかった」
 だって前来たときは凄かったじゃん、何もなかったし。
 渋い笑顔は一層大人びたようだ。
 美並の後から部屋に入って、さっさと明はリュックを降ろし、借りるね、と美並のエプロンを首からかけた。大学に入ってごつい感じになった体にいささかちんまりとして不似合いだが、気にした様子もなくさっさと米を研ぎ、冷蔵庫を覗き込む。
「珍しい、カラーピーマンあるならパスタも作ろうか」
「そんなに食べられないって」
「俺が食べるから」
「じゃあお願いします」
「はいはい」
 明が料理をし始めたのはもうすぐ結婚する彼女、七海のためだ。もともと料理するのが嫌いじゃなくて、おいしいものが好きだった。美並が落ち込んだときにクッキーを焼いてくれて驚いたこともある。
「そうそう、この前さ」
 材料を手早く刻みながら明が機嫌よく話しかけてきた。
「タカ先輩に凄くよく似た雰囲気の男見た」
「タカ先輩って大学のOBとかいう」
 そういえば昔そんな話を聞いたことがある。明のクラスメートの男が大学祭で先輩だと紹介してくれたらしいのだが、どことなく寂しげで不思議な雰囲気の人だなあと思っていたら、付き合ってる相手だとか言われて驚いたとか。
「なんか男のくせに妙に華やかで綺麗な顔してるやつで」
 何を思い出したのかくすりと笑う。
「思わずそっち系かと思っちゃった」
「おい」
「違ったんだけど」
 大人だったよ、さらっと流してくれて、その上飯まで奢ってもらっちゃって、そう続けて、あ、と妙な声を出して黙り込む。
「何?」
「あ、いや……えーと」
「えーと、何?」
「いや、その」
 ちらっと明が肩越しに振り返る。
「会社で何か言われたりしてない?」
「は?」
「あ、ないならいいんだ、うん」
 へへへ、とそこだけは小学生の時のままの声で笑って、また包丁を動かし始めた。
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