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6.レクスファの王子(1)
しおりを挟むユーノの容態が気になって、アシャはなかなか眠れなかった。夜中に何度か目を覚まし、額に汗を浮かべて喘いでいるようなことはないか、痛みを堪えて唇を噛みしめてないかと、様子を窺った。
そのたびに眠る前よりは静かな呼吸に安堵し、ふわりと頼りなく開いた唇に妙に落ち着かない気持ちになり、ごろりと床に寝転んではじっと闇に目を開いていた。
いつが最後だっただろう、こうして隣に眠る人間を案じて過ごしたのは。
いつからだろう、少し離れたところに居ても、人肌が空気を温め伝わってくるということを忘れてしまっていたのは。
それほど長く一人で旅をしてきたか。なのに今、こいつの側に居るのがひどく落ち着く、不思議なことだ。
ぼんやり思ったのが明け方で、次に目を覚ましたのは野太い声が呼ばわった時だった。
「奥に休まれているお客人に申し上げたい!」
がつんと後頭部を殴りつけてくるような、遠慮のない大声だった。
宿中が驚いて静まり返ったような緊迫感、するりとユーノがベッドから滑り降り、部屋の扉に張りつくように控える。その手には既に剣があり、細い体には削いだような殺気が漲っている。
「まずは我が国、レクスファへようこそ! 傷の具合は如何かな?!」
どっと男達の笑い声が響き渡った。呼ばわった男もひとしきり笑った後、再び声を張り上げる。
「何も取って食おうというのではない! ちょっと尋ねたいことがあるのだ!!」
「ユーノ」
覚えのある声にアシャは乱れた髪の毛を掻きあげながら、溜め息をついた。
(いきなり遭遇しなくてもいいだろうに)
確かに国の端で大立ち回りをやったのだから、出張ってくるのは思いついてもよかった。
その溜め息と声音を、ユーノは違う意味に取ったらしい。一瞬眉を潜めてつらそうな顔になり、ちらっとアシャを見遣ると剣を握り直して扉を開ける。
「揉めるようなら、何とか逃げて」
言い捨てて肩を聳やかせ、すたすたと出ていってしまう。
やれやれ。
(昨日の今日だっていうのに)
「度胸が良すぎるのも考えものだな」
ぼやきながら、仕方なしに髪をまとめて起き上がり、ユーノの後を追う。
「お前が、だと?」
再び大声が、今度は呆れたように響き渡った。
アシャ達の部屋は宿の奥隅にある。聞こえはいいが、要するに物置きの端、宿屋の入口から数段上がっただけの板の間に続く部屋だ。
その階段を前にユーノが仁王立ちになっている。
ユーノの向こうには銀と黒の近衛兵の鎧、下に暗い赤のシャツを着ている大柄な男。腰に下げた両刃の幅広の剣は彼にしか振り回せないと噂の重くて無骨なもの、柄には『やはり』汚れた真紅のリボンが巻きついている。
(まだ付けてるのか)
予想はしたが、実際にそれを見ると、また思わず溜め息が出た。
「私が倒しちゃ、おかしいっていうのか」
ユーノが冷ややかな口調で応じている。
「あそこには、十数人のカザド兵が倒れていたんだぞ!」
「それで?」
あしらうようにユーノが軽く尋ねる。
「お前のような若造に倒せるはずがない! 我らとて、カザド相手には手こずるのだぞ!」
(ふむ)
そうすると、カザドはレクスファとも小競り合いを始めているということか。
アシャは素早く頭を整理する。
小国の企みにしては動きが速くて大きい。いや、大きすぎる。
まるでラズーンに知られてもいいと思っているようだ。よほどラズーンの影響力を過小評価しているのか、それとも頼りになる者が背後にいるのか……。
(『運命(リマイン)』?)
思いついてひやりとした。
こんなところまで勢力が及んでいるのか。報告も徴候もなかったが、平和に慣れてしまった視察官(オペ)が重要なことではないと見逃していたのか。
「よっぽど腕が悪いんだな」
ユーノがよく響く意地悪い声でやり返した。
「そのでっかい体も剣も、道端に立たせて子どもを脅かすためのものか」
「な、なにおっ…」
男は真っ赤になった。今にも剣を引き抜きそうだったが、側の仲間に諌められてかろうじて堪え、唸るようにことばを継ぐ。
「で、では、怪我をしたのは誰だ」
「それも私だ」
「じょ、冗談も休み休み言えっ!」
ついに我慢しかねた顔で、男が胸を膨らませてぐいぐいと歩み寄る。
「大の男でもかなりの出血だぞ! お前が、お前みたいな細っこい小僧が、あれだけの血を流すような傷に平然としていられるわけがない!」
「あれが『かなりの出血』なのか。軟弱なやつだな」
「この、この、この…っ」
相手は今にも頭の上から火を吹き上げそうだ。
(おかしい)
身じろぎもしないユーノの背中にアシャは眉を寄せる。
ユーノがこんな舌戦に没頭するのを良しとするだろうか。どう考えても必要以上に煽り過ぎている。相手が単純だからいいものの、ちょっと冷静な者なら数を頼みに囲い込むかもしれない。ましてや、背後にも同様の連中が控えている。多勢に無勢、一人をいきり立たせたところで活路が見出せるわけもない。
もう一度改めて、視線をユーノに向け直した。
手は剣の柄にかかっている。緩やかに握りしめられ、またゆっくりと広げられる細い指。白く色を失って、まるで象牙の細工物のようだ。
ふいに、それは何かを耐えている仕草だと気がついた。自分ならそれで何をしているのかを確認する。薄らぐ意識を何とか保たせておこうとする、無意識な手の動き、だ。
『大の男でもかなりの出血』
いきなり相手の言ったことばが脳裏に戻ってきた。
「それほど言うなら、手合わせ願おう!」
迫ってきた男が剣を握りしめて今にも抜き放とうというのに、ユーノは軽く半歩足を下げただけだ。自信たっぷりに待ち構えている、そう見えなくもない。
だが、その瞬間、ユーノの上体がぐらりと揺れたのをアシャは見逃さなかった。
半歩しか『動かない』のではなく、半歩しか『動けない』のだ。
「ちっ」
あまりユーノが元気そうに振舞うから、うなされて薬を使わなければ眠れないほどの傷だというのを失念してしまっていた。舌打ちしながら素早く前へ回って、ユーノと男の間に割り込む。近くに寄ればすぐにわかる乱れた小さな息遣い。立っているのもやっとなのではないか。
自分の間抜けさに苛立ちながら、アシャは背中でユーノを庇って、くるりと男に向き直った。
「お…っ…?」
飛び込んだアシャに、盛り上がった肩に力を込めて、今にも襲いかかろうとしていた相手が意外な軽さで踏み止まった。ぎょっとして身を引く、いかつい顔に光っていた窪みがちの両目がアシャを認めて大きく見開かれる。
「久しぶりだな、イルファ」
「………ア………アシャか?!」
喜色満面、剣から手を離してがしっと両手をアシャの肩に置いた。まじまじと幻を捕まえたように覗き込みながら瞬き、いきなり顔をくしゃくしゃにする。
「この……生きてやがったのか! え! この、女装趣味の変態が!」
「よせよ、そっちが勝手に女だと勘違いしたんだろうが」
さっそくそれか、と顔をしかめるアシャにイルファは嬉しそうに目を細める。
「俺だけが勘違いしたわけじゃないぞ、だがいやしかし、そうか、無事だったか、急にいなくなったから、俺はもう夜も眠れぬほど心配してだな」
「あのまま居ればとんでもないことになったじゃないか」
思わず引きつって言い返したアシャの背中に、とん、と柔らかな感触が当たる。
はっとしたとたん、ユーノがもたれかかりながら崩れ落ちた。身を翻して振り返ると、蒼白な顔を歪めて目をきつく閉じ自分の体を抱えるように倒れていく。床に付く前に急いで抱き支えた。くたりと無防備に腕に乗った体に寒気が走った。
「ユーノ!」
「な、何だ?」
イルファがアシャの慌て方におろおろした声を出しながら覗き込んでくる。額に手を当て、脈を確認し、急いでイルファを振り返った。
「イルファ、ゆっくり休めるところがほしい。それに薬も」
「………というと、やっぱりこの若造が?」
微妙に情けない顔になったイルファに苦笑する。
「そうだ、それにカザド兵を片付けたのもな」
傷を改めたが再出血はしていない。だが、それは外に零れていないというだけで、皮膚の内側、奥深くに広がっているかもしれない。
早急にきちんと診て手当てをしたかった。
「こいつがか………」
半信半疑で首を振りながら、イルファはそれでも生真面目な顔になった。
「だが、それなら、城へ来てもらわねばならん」
「何?」
「カザドはレクスファにとっても目の上の瘤でな。かねてより、奴らの侵略好みを不愉快がられていた我が王が、国境でカザド兵十数人を倒した剣士のことを聞かれて、是非城でもてなしたい、とおっしゃられたのだ」
「ふむ…」
「お前の置いていった荷物もちゃんと残してあるぞ」
「……戻るとも限らないのにか」
「探し出すつもりだった」
「……」
大きく頷くイルファにまた深い溜め息をつき、ユーノを抱き上げて立ち上がった。
「竜車(くるま)か」
「そうだ」
確かにレクスファの城ならば、安全も確保できるし、設備もいい。傷ついたユーノを回復させるのに問題はない。
「部屋に荷物がある。持ってきてくれ」
「わかった」
抱きかかえて表へ急ぐアシャに、イルファがいそいそとすれ違う。宿代も払っておけばいいな、と確認してくるのを、頼む、と応じて宿を出ると、真っ白な竜を一頭を繋いだ銀色の竜車が止まっていた。
ユーノを胸元に抱えながら乗り込んだアシャの後ろから、荷物を抱えたイルファが大きな体を押し込んでくるが、竜車(くるま)には依然余裕がある。
前に乗った御者の手から伸びた鞭が音をたて、ゆるゆると竜が歩み始める。何ごとかと遠巻きにしていた民衆が見送るなか、次第に速度を上げながら城の方へ向かっていく。
「一体どういう子どもなんだ?」
膝の上に抱いたユーノの頭を、そっと自分の胸にもたせかけるアシャに、イルファがおそるおそる尋ねてきた。
「お前が付いているということはただの小僧ではあるまいが。また何か面倒事に巻き込まれたのか」
「人を災厄の徴のように言うな。理由があって付き人をしている、貴族の子どもだ」
「ふうむ……貴族にしては気配が鋭かったぞ?」
「見かけで判断するのは懲りたと思ってたがな?」
くすりと笑うと、イルファが複雑な顔になって見返してきた。
「あれはそもそもお前が………そう言えば、あの時よりまた色っぽくなってないか」
「よせよ、気色悪い」
「どこぞでいい相手でも見つけたのか」
「………それ、相手を男だと思ってないか?」
「違うのか」
「…………お前は根本的なところで勘違いしてるぞ」
顔を顰めて首を振ったアシャは、近づいてきた白亜の城に懐かしく目を向けた。
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