『ラズーン』第一部

segakiyui

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7.アシャ(1)

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「『太陽の池』以来じゃな、アシャ」
「はっ」
「セレドに居たと聞いたが、レクスファは通らなかったではないか」
 レダト王が鬚をねじりながらからかう。
 アシャは薄笑いを浮かべて静かに頭を下げた。
「方向が逆でしたので」
「方向が逆……それは大儀であったろう、大陸をほとんど巡る旅じゃ」
 生真面目な顔で頷いたレダト王は次の瞬間破顔一笑、アシャも顔を綻ばせる。
「他人行儀はよそう! イルファも来るがよい! 久しぶりの『三人衆』じゃ!」
 上機嫌のレダト王に連れられ、アシャは王の私室へ招き入れられた。イルファものしのしと付き従う。
 数々の諸候に違わず、レダト王もまたアシャに好感を抱いている。だが、それはいつものようにアシャの巧みなやり取りや優雅な物腰のせいだけではなく、このレクスファにはアシャもまた深い関わりがあったからだ。
「『太陽の池』作戦……懐かしいな」
 見事な銀狼の毛皮を敷き詰めた王の部屋で、アシャはレダト王、イルファ同様ゆったりとクッションにもたれ腰を降ろした。手には銀の器に香り高い酒、含んで蘇った記憶に微笑む。
「こうしていると、あの頃のようじゃな」
 レダト王が目を細めて見返してくる。
「俺が散々な目にあった、唯一の戦いだ」
 ぼそりとイルファが呟いて、アシャは笑い声を噛み殺した。

 レクスファは確かに今でこそ落ち着いているが、少し前には辺境に『盗賊王』と名乗る男がいて、レダト王を困らせていた。
 頭が切れるなかなかの武人ではあったが、ひねくれねじけた心の持ち主で、ある一定の期間ごとに街や村を襲い、金品ではなく人の命をひたすら奪うことを楽しんだ。
 困り果てたレダト王は数回に渡って討伐隊を送ったが、いずれもあっさり返り討ちとなり、ついに子飼いの部下であるイルファともども出陣して『盗賊王』を討とうと一度は兵を挙げたが、事の前に相手に発覚、備えを強められてしまった。

「あの時はもはやこれまで、そう思うておった」
 しみじみとした声音でレダト王は振り返る。
「そういうお気持ちでなければ、私などのことばは聞いて頂けなかったでしょうな」
「うむ」
 レダト王は『盗賊王』と戦って果てようと思っていた。イルファも同じ気持ちだと言う。
 悲壮な覚悟で白亜城を後にしようとした2人を引き止めたのは、稀に見る『美姫』……。
「だと思ったんだ、俺は!」
 吹き出しそうになったアシャに、イルファが赤くなって喚く。

 レダト王の計画に力を貸したい、と『娘』は言った。
 不可思議な魅力のある、金褐色の髪、心惑わす紫の瞳、白い布と赤いスカーフ、金の鎖で装った『娘』は、力試しをお見せしましょう、と、王の前で近衛兵10人を瞬く間に倒してみせた。
 『娘』は新しい計画を王に授けた。それが『太陽の池』作戦だ。
 『太陽の池』とはレクスファにある深い湖で、この湖には岸から一本の道のみが通じている中島があり、そこに『盗賊王』は城を構えていた。国境のわずかに内側、シェーランとレクスファがこの『太陽の池』で接しており、もともと要の砦として築かれたもの、守りに固く攻めるに難しい。

「度胸のいい娘だと思って、俺は本気で惚れたんだぞ」
 イルファは剣の柄を示して見せた。
 そのリボンは決戦前夜、イルファが誇りも何も投げ捨て『娘』に頼み込み、髪をまとめていたものをやっと一筋分け与えてもらったものだ。
「しかし、わしも長く生きておるが、あの時ほど驚いたことはない」
 レダト王が口を挟む。

 『太陽の池』作戦の最後の詰め、イルファとレダト王の援護のもとに、見張りの目を掠め、『娘』は単身中島へ忍び入った。
 遅れてなるまいと必死に追いついたレダト王とイルファが見たのは、湖の岸での死闘ゆえか、水に濡れそぼち、凄まじいほど妖しい美しさを放つ『娘』が『盗賊王』の胴を薙ぎ払うところ、深く輝く紫の瞳は猛々しく煌めき、真一文字に結んだ唇は紅、身を翻すと黄金の髪から水滴が幾つもの星のように飛び散る。
 が、なによりも、レダト王達を、ことさらイルファを打ちのめしたのは、血濡れた剣を下げたまま、倒れた『盗賊王』を冷然と見下ろした『娘』の姿だった。
 さすがに攻撃をかわしきれなかったのか、切り裂かれてずり落ちた白布の下の『娘』の体は女体ではなく、若々しく張り詰めた青年そのものの健やかな肉体だった、ということだ。
 『盗賊王』が事切れると、『娘』は茫然と竦む2人に気づき、乱れた髪をかきあげながらにっこり笑い…………その『娘』がアシャだったのだ。

「一瞬、ラズーンの神が我らを助けて下さったのかと思うた。あの神は性を持たぬというから」
 レダト王のことばに、アシャは微かに笑みながら酒を含む。
(間違っているかというと……)
 微妙なところだな、と胸の中で呟いたことばは、もちろん外には漏れていない。
「騙すなら、ずっと騙してほしかった」
 酒をぐい、と煽ったイルファが深々と溜め息をついてぼやいた。
「あの戦いが済めば、お前を娶れるはずだった」
 ちら、とレダト王とイルファが視線を交わしたのに、ほう、とアシャは唇の端をあげる。
「王もそのつもりだったんですね? 本人の承諾なしに? 私が男だとわからなければ、こいつに『手篭め』にされてたわけですか」
 ほら、やっぱりまずいことになりかけていたんじゃないか、と皮肉ると、むっとしたようにイルファが唇を曲げた。
「だ、大体なあっ」
 大声を張り上げて、ぐい、とアシャを指差す。
「お前が『女の格好』をしとるからいかんのだ! おまけに、どこの世界の男が、お前のように色っぽい!」
「あれは『女の格好』じゃない、ここへ来る前に居た『国の格好』だ」
 アシャは冷ややかに突き放す。
「誤解したそっちが悪い」
 レダト王が笑い出した。
「イルファ、よせ、お前の負けじゃ。軍師に勝てるわけがない」
「……違いない」
 むすっとしていたイルファが苦笑する。
「俺のようにまっすぐな男はいつも哀しい目に合うのだな」
「好きに言ってろ、世界ではそれを単純と言うんだぞ」
 アシャのことばにレダト王が吹き出し、またひとしきり笑い声が響き渡った。

「ところで、これからどこへ行く? 見たところ、気のむくままの旅ではなさそうだが」
「御明察です。私はあの」
 娘、と言いかけて、咄嗟にアシャは頭を巡らせた。
「少年の付き人としてラズーンへ向かっているところです」
「ラズーンへ? それはまた難儀なことだ」
 訝しい顔になるレダト王に、アシャはすらすらと嘘を並べる。曰く、セレド近くで強盗にあい、世話になった金持ちの息子が気紛れでラズーンを目指すことになった。旅慣れたアシャが恩を引き換え、経験を買われて付き人として同行することになったのだ、と。
 どうやらレクスファには使者が来ていない様子、無闇に話を広げて注目される必要もあるまいと判断したのだ。
 興味深そうに耳を傾けていた2人は、各々に深くうなずいた。
「なるほど、この世界の成り立つところを見たいというのはあっぱれな心掛けだ」
「それで、あそこまで気迫があるのか、頷ける」
 イルファは珍しく感心した。
「あの度胸はたいしたものだぞ。近衛兵を引き連れていたのに怯む様子もなく、なかなかどうして、子どもながら見事な振舞い、末はきっと名のある剣士となる。お前が少しは剣を見ているんだろう?」
「交えるというほども交えてないが」
 少し肩を竦めてみせる。
「才能は豊かだと思う」
「よいことだ、いずれ守るべき娘と巡り会い、よき主人として世の荒波を相手にしなくてはならん。剣の才に恵まれていることは、その大本になるもの、神に愛されておるのだな」
 レダト王が嬉しそうに笑うのに曖昧に笑み返しながら、アシャは微かに引っ掛かる。
(剣の才に恵まれていることは、神に愛されていること、か)
 確かに少年であったなら、レダト王のことばももっともだろう。また、もっと穏やかな世であれば、女性であってもユーノの剣の才能は別な形で花開いたのかもしれない。
 だが、ユーノはただ生き延びるためだけに、その才能と体を酷使してきている。伸ばされるべき能力としてではなく、すがる唯一の命綱として伸びてきた力は、時にあまりにも鋭く痛々しい。自分の死が、即、大切な身内の死に繋がることをいつも意識の隅におく緊張、いつ襲われるかわからない、殺るか殺られるかの危うい均衡を保つ日々。
 なのに傷ついても誰にも知らせず手当てもできず、悲鳴も噛み殺したままユーノは闇の中に倒れている。
(冗談じゃない)
 ぞくり、と寒いとも熱いとも言えぬ悪寒が背筋を上って、アシャは思わずユーノの休む部屋の方向を振り返った。
 確かめてはきた、傷は悪化していなかった、熱もおさまりかけていた、別に他に憂慮すべき状態はなかった。休ませて眠らせておけば、華奢な割には体力のある体だ、すぐに回復してくるはずだ。
 だが。
「名は何という」
「ユーノ、だ」
「ユーノ」
 無意識に答えてしまい、はっとしてレダト王を見ると、相手は含みのある笑みを広げている。
「セレドのはねっかえりと言われる第ニ皇女が皇子であれば、あのような様子じゃろうな」
 しらっと続けられて思わずどきりとする。
「女ぁ?」
 イルファが小馬鹿にしたように手を振った。
「それはないそれはない。あんな女が居てたまるか。女などはな、べちゃべちゃして、すぐ泣いて、文句は言うし、何もしないくせに人をこき使うし、自分の傷には髪の毛一筋でも騒ぎ立てるのに、男の痛みなどは唾もひっかけないものだぞ? 細くてちっちゃくて………うーむ、確かにあいつはちっさくて細っこいが」
 まるでアシャに説教するように言い募ったが、いささか酒が回ってきていたのか、ふむ、と唸ってどっこらせ、と体を起こした。
「よし、一度確かめてきて……なんだ、この手は?」
「あ、いや」
 思わずイルファの肩に手を置いてしまった自分にアシャは戸惑う。
「あー、つまり、その、別に今確かめなくとも」
「あのな、俺も多少は人を見る目がある」
 イルファがとろんとした目を向け直す。
「あいつが起きているときに、お前は女か、などと言って、大人しく答えるような奴か? へたすると、無礼者、手合わせして汚名を注ぐ、とやりかねんぞ?」
「そこまで男だと確信しているのなら、何も確かめなくてもいいだろう」
「む? それもそうか?」
「だが……気にはなるな?」
 レダト王がにやにや笑いながら口を挟み、思わずアシャはぎょっとする。
「もし、あれが女だとしたら、イルファ、お前は何とする?」
「賭けですか、おお、それなら俺はあいつが女なら、春の祭りにドレスを着て舞台で踊ってやりましょうぞ」
「なるほど、それは面白い」
「レダト王!」
 何を悪ふざけに乗っているんですか、とたしなめながら、アシャは立ち上がりかけたイルファの肩に置いた手に力を込めた。
「お前も妙なことを言い出すなよ、俺が信じられないのか?」
「だがしかし、お前も騙されているとか」
「まさか」
「とすると、お前が嘘をついているのか」
「なぜそうなる」
 眉を寄せて唸ると、イルファがふふん、と顎を上げた。
「たとえば、あいつが女であってだな、お前が愛しいと思っているとか………おう、それはなおさら確かめておかなくてはならん」
「こ、こらっ」
 愛しい。
 一瞬枕元でユーノの額に手を当てていたのを見すかされたような気がして、アシャは固まった。再び体を起こして今にもユーノの部屋に向かおうとするようなイルファの肩を強く握る。
(やっぱりこういう話になるんじゃないか)
 うんざりしながら溜め息まじりにイルファを説得にかかる。
「頼むからやめてくれ。せっかく休んでいる主をそんなことで叩き起こしたら、俺が後で叱られる」
「む? お前が叱られるのか?」
「付き人だと言っただろう?」
「……お前が頼むのか」
「頼む」
「………よかろう。そのうちにわかるだろうしな」
「……」
 そのうちに、ってなんだ、それは。何をする気なんだ。
 一瞬心の底に動いたひやりとした感情を認識してアシャはまた戸惑った。
(俺は何をきりきりしている……?)
 ユーノを男だと偽ったのは、イルファのアシャへのこだわりと、娘1人でラズーンへ赴くなどという無謀な旅から注目を避けるためだった。
 だが、レダト王は薄々勘付いているようだし、こうなってはイルファの方も十分疑っているから、ばれたところで別にアシャが困ることはない。2人とも口は固いし、ユーノがセレドの皇女であることを明かしても、この先の旅に支障はないだろう。
 だが今はイルファをユーノに近付けたくない。元気で反撃ができる状態ならばまだしも、身動きできなくて眠っているようなユーノに他の男を。
「は…?」
「ん? どうした?」
「あ…いや……」
(他の、男?)
 なんだ、それは。
 アシャはのろのろとイルファの肩から手を降ろしてせわしく瞬きしながら口を押さえた。
(何を、考えてる?)
 それじゃあ、まるで。
「大切な相手じゃからな」
「っ」
 ぼそりとレダト王がつぶやいて一瞬心臓が止まったような気がした。慌てて相手を振り向くと、ゆっくり盃を傾けながら、
「主に忠誠を誓うのは付き人として当然、アシャにも仕えるようと思える主ができたということじゃろう」
「……まあ、確かに」
 ばりばりとイルファが頭をかきながらため息をつく。
「あの歳であれだけの天賦の才があれば、さすがのアシャの評価も高くなるか」
「ましてや、長く遠い旅をするのじゃから、案じるのも無理なかろうよ」
 レダト王がゆっくりと目を巡らせてアシャを見つめ、少し微笑む。
「無事に勤めを果たさせたいと……な? 違うか」
「……」
 知っている。
 さすがに聡明なレダト王、そう言えば、レクスファの王族は人の心を読めるのだったなと思い出し、アシャは苦笑した。
 自分にはその力は弱いが、考えて考え抜けばおのずと見えるものもある、そう昔話していた王のことが蘇る。
 レダト王はユーノがセレドの皇女であり、なぜか身分を偽ってラズーンへの旅に出たと気づいているのだ。それゆえアシャがその経験を買われて付き人として雇われた、そう思っている。
 そして、その旅の厳しさも十分理解してくれているのだ。
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