『ラズーン』第五部

segakiyui

文字の大きさ
上 下
46 / 73

8.暗躍(1)

しおりを挟む
 ばんっ!!
 激しい音と同時に勢い良く開けられた扉にも、怒りの形相凄まじく突っ立っているジーフォ公の姿にも、テッツェは振り向こうとしなかった。
 カイレーン蔓で編まれた長椅子と厚手の布の、窓際に設えられたお気に入りの場所に体を伸ばし、入る陽光を斜めに受けて手にした書物を読み耽っている。年齢不詳の顔立ちは落ち着き払っていて、一筋の毛も残さずに剃り上げた頭も違和感がない。
「テッツェ!!」
「…」
「テッツェ!!!」
「……おや」
 ジーフォ公の二度目の雄叫びで初めて、『鉄羽根』の長である男の目が動いた。
細い女性的な円弧を描く眉の下、冴えた緑の瞳がきらりと陽を弾く。と、唐突ににっこりと、いささか白々しいほどの機嫌の良さをたたえて微笑んだ。
「これはこれはジーフォ公」
 如何にも喜ばしげな響きだが、上将であるジーフォ公の訪室に伸ばした体を改めもしない。
「書物に熱中しており、おいでを少しも気づきませんでした」
「…ふん!」
 焦げ茶色の巻き毛の短髪、気短そうな焦茶の瞳を光らせたジーフォ公は、一瞬呆気に取られたが、次の瞬間、表現しうる限りの荒々しさを込めて、テッツェを睨みつけた。
「気づかなかったが聞いて呆れる!」
 声は未だ威丈高なものの、それでも心得た応対に怒りの矛先を外されたらしい。ずかずかとテッツェの私室を横断し、長椅子と同じカイレーンの編み机に歩み寄り、重々しい木板に載せられた酒瓶を手に取る。飾りのない金の器に注ぎ入れ、一気に呑み干す。相変わらず微笑をたたえて見つめるテッツェを、もう一杯新たに注いだ酒を手に、忌々しげに振り返った。
「屋敷に入り込もうとした刺客の気配一つで目覚め、5人を一気に屠った人間が!」
「あの時は、書物を手にしておりませなんだゆえ」
「…」
 いけしゃあしゃあと応えた相手を、ジーフォ公は得体の知れない動物が人語を話したような顔で見つめた。それをまた平然と見返し、テッツェはなおもにっこりと笑みを重ねる。
「何か御用でも?」
「………馬をどうした」
「はい?」
「馬だ!」
 ジーフォ公は吠えた。新たに湧き上がってきた怒りを、今度こそ消されるまいと掻き立てるように喚き、手にしていた器を鋭い音を立てて木板に叩きつける。勢いに酒瓶が跳ね上がって床に落ち、弾けて砕け散った。
「馬を出せ、テッツェ!」
 酒が汚した床にも、四方に飛び散った瓶の欠片にも、ついでにそれと同じぐらい爆発しているジーフォ公の激昂にもやはり動じず、テッツェは静かに返した。
「ご無理をおっしゃいますな、我が君」
 口調こそ丁寧だが、態度はますます不遜だ。のんびりと手にした書物に目を落とし、ああどこまで読んでいたのかな、と指先で文字を辿りながら、
「申し上げていたかと思いますが? 本日は放牧の日、公の馬どころか、屋敷の下々にいたる者の馬まで、西の草原に出ております。朝方出ましたので、早ければ夕刻にでも戻ることでございましょう」
「……引き戻してこい」
 殺気を宿してジーフォ公が唸る。
「今すぐだ!」
「いかな私でも」
 テッツェはくすりと笑った。
「あれほどの地に散った馬を急には集めて参れません」
「ほう…」
 ジーフォ公が猛々しい笑みを浮かべてテッツェを見やった。こめかみに浮いた血管がぴくぴくと引き攣る。
「放牧の日は、確か数日前ではなかったか?」
「馬が痩せましてねえ」
 やれやれ大変なことだったんですよ、とテッツェは溜息をついた。
「成長期なんでしょうか」
 再びジーフォ公が沈黙した。
 ゆっくりとテッツェは顔を上げる。ジーフォ公の顔は暗くそそけだち、今にも剣を引き抜きそうだ。事実、この状況下において未だジーフォ公が叩き斬ってこないのは、ただひたすらテッツェの胆力が勝っているからに他ならない。
 斬るなら斬ればよい。後悔しないとおっしゃるならば。
 そういう冷静な瞳で見つめられるだけのテッツェの沈黙に、ジーフォ公は勝てた試しがない。
「…知ってるな?」
 ごほん、と白々しく咳き込んで、ジーフォ公は話題を切り替えた。
「何のことでしょう?」
 尋ねる手の書物は、まだ開かれたままだ。
「アリオだ」
「アリオ様……はて」
 テッツェが訝しげに首を傾げてみせれば、ジーフォ公がきんきん声を響かせて叫んだ。
「アリオ・ラシェットに決まっているだろうが!」
「ああ、はい、思い出しました。あなた様のご婚約者でございましたね」
「知っているだろう!」
「お綺麗な方で、あなた様にもお似合いの」
「違うっっ!」
 遮って叫び始めたジーフォ公に、そろそろ限界と見て取って書物を閉じる。
「…行方知れずになられたと」
「……うむ」
 一転、ジーフォ公は悔しげに頷いて押し黙った。
 ジーフォ公最愛の女性、アリオ・ラシェットは『西の姫君』と呼ばれている美人だ。鮮やかな黒髪の一房ずつを耳元から肩まで垂らし、残りの髪は後ろで編み込みまとめ、キャサランの金鎖で飾った髪型が気に入りで定番、飾り物の豪奢さで後ろ姿からでも彼女がわかる。少年じみたきつい顔立ちに微妙なバランスを保つ妖しい黒い瞳、くっきり紅を引いた唇が教えるように、気の強さも気性の激しさも天下一品、気位もまた十二分に高く、ちょっとやそっとの男に扱える女ではない。
 ところが彼女は、ジーフォ公の元へやってくる前、当時『光の少年』『神々の御子』などと呼ばれていたアシャに血道を上げていた。強引に迫っていたのは周知の事実、それでも当のアシャはと言えば、道端の花ほどにも注意を向けることなく完全無視、なおも距離を縮めようとしたアリオを疎ましがって同じ夜会には一切出ない徹底した態度で振り切った。
 恥をかかされた形のアリオは無論激怒したが、惚れた弱みだろう、アシャには正面切って怒りをぶつけることもなく、似たような形で彼女にいれ込んだジーフォ公の求愛に応じた。ジーフォ公の屋敷に移り住んだのも、口さがない連中は噂する、なおアシャに見せつけ、求愛を迫っているのだろうと。
 それでもジーフォ公は屈していなかった。彼もまた、どのような形でもアリオさえ手に入ればよかったのだ。そういう意味では、2人は本当に似たもの同志だった。
 その、表向きこそ不愉快極まりないアシャの噂も聞きたくないと言う理由でジーフォ公の元にやっていたアリオ・ラシェットが、突然姿を消したのは数日前だ。
 もちろん、ジーフォ公自らも必死に探しているが、未だ行方は杳として知れない。募るばかりの苛立ちに配下を詰り物に当たり、今ではジーフォ公と口をきけるのはテッツェのみという有様だ。
「…御様子から察するに……アリオ様の行方がおわかりになったのですか?」
「……この手紙を見ろ」
 今までの勢いはどこへやら、不穏な気配を満たして重くなった口調で唸り、ジーフォ公は机の上に一枚の紙を投げ出した。
「拝見いたします」
 ようやく書物を閉じて、テッツェは長椅子から体を起こした。黒の長衣の裾を翻して近寄り、黄ばんだ紙を覗き込む。
 そこには滲んだ汚い文字が二行あった。
『アリオ様は「泥土」におられる。
 アシャ・ラズーンの呼び出しにより。    ー追撃者』
「アシャ?」
 テッツェはあからさまに不審を響かせてことばを重ねる。
「そうだ、あのアシャだ! あいつがこんなことをするとは思わなかったぞ!」
 ジーフォ公は苛々と部屋中を歩き回りながら詰る。
「一度振った女を、人のものになってから手を出すとは!」
「アシャ様の仕業と、どうして思われます?」
「アリオの部屋にも書き置きがあったではないか!」
 今更何を言う、とジーフォ公は声を荒げた。
「俺にそれを繰り返させる気か!」
「『アシャ様にお会いしてきます、お許し下さい』と?」
「くそっ」
 テッツェの声に高く舌打ちし、ジーフォ公はテッツェの寝そべっていた長椅子に腰を落とした。常に着込んでいる深緑の鱗を連ねたような鎖帷子ががしゃりと耳障りな音を立てる。すぐに飛び出すつもりだったのだろう、薄茶色のマントの下で鈍く光るのが猛々しい。その気配を映したような険しい顔で眉間に皺を寄せ、ジーフォ公は低く唸った。
「ジュナも言っていたぞ、アシャがアリオのことを惜しがっていた、気をつけるに越したことはない、自分のためには何でもやるところがある御方だから、と」
「ジュナ・グラティアス……視察官(オペ)ですね」
 テッツェは冷ややかな目で手紙を再度見直した。
「公は本当にアシャ様がそんなことをなさると思われているのですか?」
「……ああ…いや」
 一旦頷いたジーフォ公は唇を噛んだ。
 やがて、不承不承、
「…正直なところ、俺にもわからん」
 寄せた眉を緩める。殺気立っていた瞳を和らげる。力を解いて、背もたれに身を預けた。
「が、アリオが未だにアシャを好いているのは知っている。俺の所へ来たのも、ひょっとしたらアシャが自分を連れ戻しに来てくれるのではないか、と考えていることも」
 微かに煙る瞳でちら、とテッツェを見やる。
 叶わない、とテッツェは思う。この激情と弱気の配分がジーフォ公から離れられなくなる点だ。
「…いくら短気で阿呆な俺でも、惚れた女の狙いぐらいわかる」
 顔立ちはいかつい。美形にはほど遠い。戦士としてしか生きられないだろうし、本人もそれを望んでいる。その顔に不似合いな寂しい笑みが広がる。が、一瞬のことだ、すぐに他の誰をも許さぬようなきつい視線になって、テッツェをねめつけた。
「だが、俺はあいつに惚れている。そしてあいつがここを出て行くとすれば、アシャのこと以外にはないともわかっている。だからこそ、弱みに付け込んだ遣り口に腹が立つ」
 ぎらりと光を帯びた目は、テッツェを通り越して憎むべき恋敵の背中を探している。恋人の裏切りを責めるわけにもいかないためらいが、怒りに火を注いでいる。
「馬を出せ、テッツェ。いくらとぼけようとも『お前』が一頭の馬も屋敷に残さぬはずがない。止めても無駄だ、今回ばかりは斬り捨てても行く」
「…」
 色欲に惑う将は困りものだ。女の媚一つで戦局を見誤り、貴重な兵と時間を浪費する。時に打つべき手を打たず、打たなくてよい手を打って自軍を死地に陥れる。
 だが、ジーフォ公はそう、ではない。
 もしこれが戦乱のただ中であったら、ジーフォ公は容赦なく恋心を捨てるだろう。アリオが敵陣に縛り付けられていても、火をかけろと言うだろう。アリオの憎しみが自分に向くのなら、それもまた本望と高笑いするはずだ、妄執に狂った男を演じて。そして、全て焼け落ちた城の中でアリオの遺骸を探し求めて彷徨うだろう、己の愚かさを噛み締めながら。
 今は『まだ』戦争は始まっていない。
 だからこそ、ジーフォ公は持て余している、武人としての自分の才を。
(さて、困ったことになった)
 テッツェは今にも鯉口を切りそうなジーフォ公を身動ぎもせず見つめる。
 本気だ。紛れもなくジーフォ公は本気で自分とやり合う気なのだ。アリオのことは意識はしていないだろうが『理由』に過ぎない。
(アシャ様の指示通りに引き止めるには……一戦交えるしかないか)
 無論、テッツェがジーフォ公のことをよく知っているほどには、相手もテッツェを熟知している。ならばこそ、すぐ間近に場所を確保したのだ、抜き打ちならばジーフォ公の方に分がある。
(相討ちか)
 しかし、そこまでする必要があるのか。
 『戦争』はまだ始まっていない。だが、早晩動きは出てくるだろう。
 揺らぐラズーン、『運命(リマイン)』との決戦が近づく中、同士討ちで人材を消費するなど馬鹿馬鹿しさの極みだ。かと言って、ここで素直にジーフォ公を通してしまえば、あのアシャと一悶着を覚悟しなくてはならない。
 残念ながら、アシャとジーフォ公では格が違う。ジーフォ公は情に甘い男だが、アシャは情を利用することしか考えていない。
(添えばアシャに屠られる、か)
 知らず知らずのうちに微笑んだ。
 希代の軍師とやり合うのは楽しみな話だ、己の技量を生死を賭けて量ることは愉楽だ。だが、今度のそれはジーフォ公を失うことになるだろう。
(それは困る)
 自分の命に価値など認めない。だが、ジーフォ公を消してしまう気も毛頭ない。悪たれて打算も勝算も考えずに突っ込むこの男の後始末に手を焼きながら、今までの人生で何よりそれを楽しんでいるのだから。
(この人を失ってしまえば、私には何も残らぬ)
 ならば、結論は見えている。
「何がおかしい!」
「いえ」
 笑みを見咎めたジーフォ公が噛みついてくるのにくすりと笑った。
「わかりました。もうお止めしません。その代わり、私もお連れ下さい」
「…領はどうする」
「私とあなたが抜けたところで、何が起こるわけもありますまい」
 それほど配下の教育にご不満が?
 穏やかに続けるとジーフォ公はぐ、と首を反らせた。
「よし、来い!」
「はっ」
 部屋を出て行くジーフォ公に急ぎ身支度を済ませて従いながら、テッツェは慌ただしく考える。『泥土』で起こっている出来事のどこまで介入し、どこで撤退するか。アシャとどこまでやり合い、どこからジーフォ公を引き下げるか。気性も能力も性格も全て把握しているジーフォ公はいいが、アシャが読めない。
(仕方がない)
 いざとなったら『泥土』の泥獣(ガルシオン)に塗れても、アシャの隙を突き、ジーフォ公を逃がすしかない。
「む! 何者っ?!」
「ジーフォ公 ?!」
 突然、厩舎のあたりで叫び声があがり、テッツェははっとした。
(まさか、アシャがここにまで手を?)
 あり得ないと言えないあたりが、アシャの怖いところだ。剣を抜き放ち、全速力で先行したジーフォ公の元へ向かう。
「くくっ」「ふふふっ」「くっくっくっ」
「公!」「むうっ」
 視界に鮮やかな光景が飛び込んだ。
 明るい陽射し、緑の樹々を背景に目を射る三人の男、艶やkな緋色の衣、なだれる金髪、顔には衣と同じく緋色の仮面。
 中でも中央に立っている小柄な男は、まだ少年の領域を出ない子どもの身体付き、けれどもその手に光る短剣は、腕を捻り上げられたジーフォ公の喉元にぴたりと突きつけられている。
「…っ」
 テッツェは身動きできないジーフォ公を確認し、息を整えつつ相手を見つめた。顔の上半分を覆った金の装飾を施された仮面の下、ふんわりと結ばれていた朱色の唇が両端を吊り上げる。低い嗤いを漏らす細い喉、白い肌は少女と見まごう姿だが、一分の隙ない構えはテッツェにある人物を思い出させた。
「あなたは…」
「おやおや」
 テッツェの問いを遮るように、少年の左右に居た男が首を振りつつ、おどけた仕草で拘束されているジーフォ公を覗き込む。
「これが音に聞こえたジーフォ公?」
「冗談だろう、俺はこの間産まれた赤ん坊かと思ったぜ」
 もう片方から、同じようにふざけた口調で男が揶揄する。二人とも装いは中央の少年と同じ緋の衣、ゆらゆらと体を動かす物腰に隙はない。
「それはあんまりだ」
 最初の一人が溜め息をつく。
「赤ん坊はないだろう、ぼくはてっきり、どこかの娘が男装してるのかと思ったけどね」
「く、うっ」
 悔しげに唸ったジーフォ公が体を捻って逃れようとしたが、少年はどうやって彼を押えつけているのか、少し腕の向きを変えただけでジーフォ公の顔から血の気が引いた。
「くぉっ」
「暴れない暴れない」
 小さな子どもを宥めるような口調で少年が含み笑いをしつつ続ける。
「武人がオレ達相手とはいえ、剣の一つも抜けないまま捕まってるなら」
 は、そりゃ、お守役がいるわけだ、と少年は嘲りを響かせる。
「ひ、きょうもの…っ!」
 ジーフォ公が苦痛に青ざめつつ叫んだ。
「三人同時に仕掛ければ、どんな武人とて!」
「暴れるな、と言ったんだが」
 くすくす笑った少年は剣をジーフォ公の喉に滑らせる。切れ味はよかった。細く赤い血の筋が流れ落ちて鎖帷子の内側に這い下りていく。
 テッツェは動かず無言のまま剣を構えて出方を見ていた。もしこれが思っている通りの相手ならば。素早く思考を巡らせる。
 この挑発は何の意味がある? 
 今ここで自分達を敵に回すどんな利益があるのだろう?
「お前は戦の最中でもそういうのか、三人掛かりは卑怯だぞ、って?」
「何者だっ、名を名乗れっ!」
 きりきりした声でジーフォ公が怒鳴る、顔色は青から赤へと変色していく。
「名前なあ、どうするよ?」
「どうしましょうねえ」
 のんびりと問う少年に、これまたまったりと側の男が顔を傾げる。隙ができそうでできない、嫌なやり方だ。
「アリオ・ラシェット、ってのはどうだ?」
「、このっ!!」
 応じた答えはジーフォ公の堪忍袋の緒を切ってしまった。ぎらりと瞳を光らせて、だんっ、と脚を踏み鳴らす。と、その革靴の底近くに、一瞬水が滲んだような澄んだ煌めきが現れた。側の男が身を引くより早く、脚を捻り、相手に向かって鋭く蹴り出す。
「ギャテイ!」「はっ!」
 が、一瞬、少年の警告の方が早かった。叫びとともにギャティと呼ばれた方が背後にとんぼを切る。できた隙をジーフォ公が狙った。剣を抜き放ち、自分を拘束していた少年に斬りつける。とっさに飛び退いた相手が勢いのまま地を蹴り、これもまた見事なとんぼを二度三度、あっという間にジーフォ公の剣が届く範囲から逃げおおせる。それでも切っ先が掠めた金の髪が一房、仮面についていた鳥の胸毛を模した飾りが切り落とされて地に落ちる。
「ふ」
 息を切らすこともなく身構えた少年の唇が不敵な笑みを零した。殺気に満ちた睨み合い、きっかけはほんのちょっとしたことでいい、風の一陣、木の葉一枚、髪の毛一筋、何かが動けば、次には二人の剣が火花を散らして絡み合う。
「そのあたりでいいんじゃありませんか?」
「テッツェ?」
 落ち着き払ったテッツェの声に、ジーフォ公が訝しげに振り向く。
「何だと?」
「…くっ、ふっ……はっ」
 少年の方が先に緊張を解いた。今の今まで殺意をぎらつかせていたのが嘘のように剣を片付け、乱れた服の埃を払いながら首を振る。
「なるほどなるほど、兄貴が言うだけあるな、たいした人だよ、あんた」
 とこれはどうやらテッツェに向けられたことばらしい。
「…どういうことだ」
 ジーフォ公は不愉快そうに少年とテッツェを等分に見比べる。
「こういうことさ」
 少年はゆっくりと仮面を外した。大きな瞳、ちいさな鼻、仮面を外してなお一層少女じみて見える顔立ちがにっと笑う。
「あああ!」
 ジーフォ公が声を上げ指差す。
「お前は『金羽根』の!」
「覚えて頂いていたとは光栄です、ジーフォ公」
 続いてののしろうとするジーフォ公に、頷いた少年はしずしずと礼を取る。
「『金羽根』の長、『緋のリヒャルティ』がお迎えにあがりました。是非、我らが長にして我が兄、セシ公の元へおいで頂きますように」
しおりを挟む

処理中です...