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10.アシャの封印(1)
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アシャがリヒャルティ達の加勢に赴き、見事、グードス達を救出した頃、セシ公はようやくジーフォ公との話し合いを終えていた。
「では、そういうことで。アリオ姫のことは任せて欲しい」
「ふん」
ジーフォ公は灯火の明かりに片頬を照らし出している相手を見つめ、軽く鼻を鳴らした。
「お前のやり方は気に食わんが、請け負ったことに失敗したことがないのは知っている。人の物を横取りする『癖』はあるがな」
「信用してもらえて光栄だよ。情報屋は信用が命だからね」
「ただし」
皮肉にも動じないセシ公に、ジーフォ公はちかりと目を光らせた。
「『信用』はするが『信頼』はせんぞ。今までも、これからも」
「それで結構」
セシ公は唇を綻ばせる。
「必要なのは、あなたの『力』だ」
「ふん…」
ジーフォ公はにこやかに応じたセシ公に、なぜかより機嫌を害した顔になって背を向けた。そのままおやすみとも言わず、部屋を出て回廊を歩み去る。微笑みを浮かべて見送っていたセシ公は扉近くに潜んでいた影がかすかに動くのに、振り向きもせずに声をかけた。
「御苦労だな、テッツェ」
「いえ」
陰から姿を現したテッツェに、セシ公は改めて目を向けた。相手は僅かに目を伏せて会釈し、思いついたように動きを止めた。ゆっくりと重たげな瞼が持ち上がり、色鮮やかな緑の瞳がセシ公を見つめ返す。
「何だね?」
「一つ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「…構わない」
テッツェの問いの察して、セシ公は笑みを深めた。
「『いつ』毒杯を飲まれたのでしょうか? ……あなたの『望まれた時に』効く、と言うような毒を?」
「さあ…それほど都合のいい毒は知らないな。手に入ったら知らせてくれないか」
くすりと笑ったセシ公にテッツェも苦笑いを返してくる。
「かしこまりました」
軽く頭を下げ、ジーフォ公の後を追って、明け始めた薄明るい空気に消えるテッツェを見守り、セシ公は部屋に戻った。
扉を閉め、座っていた席に再び腰を下ろす。盃に残っていた酒を含み、ついで一気に飲み干す。落ち着かなく盃を置き、机の上に広げられた地図の一箇所、『パディスの偶像』のあたりを見つめる。
セシ公の頭には今、ジーフォ公のこともラズーンの存亡のこともなかった。思い出話なぞをしたせいか、脳裏に鮮やかに浮かび上がってきた情景に気を取られている。
金の少年。
それは、彼がカートより一歩先んじて『パディス』にたどり着こうとしていた時のことだった。
薄暗く風が吹きすさぶ草原、成長しきらぬディグリスが揺れてざわめき、馬はともすれば怯えて尻込みしがちになる。馬に蹴立てて走らせていたラルは、視界の右端、ジーフォ公分領地の辺境、『パディス』と遠く闇に聳える白き『狩人の山』(オムニド)の間の草原に、何か光り輝くものが、凄まじい速さで駆け回っているのに気づいた。急がせる手を休ませないまま、そちらへ顔を振り向けて息を呑む。
輝くものは『人』だった。
それも大人の姿ではなく、同い年か、多く見てもカートぐらいの幼い少年。
翻る金の髪、身につけているのは白亜とも金色とも見えるとてつもなく眩く光るチュニック一枚、吸い付いたように馬に跨り、巧みに操っている。時に優しく、時に厳しく、馬を従えるすらりと伸びた手足、ラルが難渋しているディグリスの草原を、飛ぶような速さで自由自在に走り回っている。
笑みほころんで得意げな少年の瞳は深い紫、ふっくらとした唇は紅く、白い肌に絶妙の対比を持って置かれた二色の宝玉のよう、髪は金冠、風に舞い、あたりに光を撒き散らして行く。明るい笑い声が響く、楽しげな、真昼の日差しを思わせる高く跳ねる声…。
「っっ」
一瞬、冷たい北西からの風が吹き渡り、ラルは我に返った。見惚れていた主人の意志に忠実に、馬はほとんど並足になっている。気づくと同時に、ラルの背中を訳の分からぬぞっとしたものが滑り落ちた。
今は真夜中だ。
ラルやカート、悪戯っぽい子ども達は別として、あれほどの美貌を備え、どう見てもかなり高貴な生まれと見える少年が、事もあろうに、こんな物寂しい、魔物(パルーク)さえ出かねない場所で、馬を駆け回らせているのは解せない。それも少年にとっては、この場所はまるで辺境ではないかのような、今は真夜中ではないような、大胆不敵な笑い声を立てて、ここが唯一の遊び場所であるような傍若無人な振る舞い方、全てが常軌を逸している。
そして、金の光。
最初ラルは、少年の黄金の髪が目に残す幻影かと思っていた。だが、こうして我に返ってみると、少年の体自体が淡い金色の光を放っているのだとわかる。
光…いや、あるいは光と言うことばが当てはまらないのかもしれない。ぴったりと少年の移動にくっついているのではなくて、ふいに向きを変えたときなど、まるで急な動きにはついていけないのだと言いたげに、わずかに移動に伴った尾を引いていく。
ちょうど、少年の躰に、手には触れない、けれども確かにそこにある、霧のように細かい光の粒の膜がまとわりついている感じだ。時々少年が馬を止める。すると光は上へと伸び上がり、少年の躰を燃料とした松明のように、燃え上がる金色の炎の塊となる。
それは、少年の目を奪う艶やかな美貌と相俟って、この世ならぬ、どこかの神の使いか、闇に潜む何者かのようにも思わせた。
(『魔』だ)
閃光のように、その想いはラルの心に砕けた。
馬の腹を蹴る。驚いた馬が嘶いて、突風のように駆け出す。
初めて少年はラルの存在に気づいたように馬を止め、こちらに向き直った。
心を覗き込んでくるような深紫青の瞳、乱れた髪が幾房か額に垂れ下がる。真紅の唇がにこりと笑んだように見えた、がそれももう、ラルは急いで意識の外へ追い出した。
馬の背に身を伏せ、ただひたすらに急がせる。頭の中で慌ただしく、この辺りに眠っている『魔』が居ただろうかと昔語りをひっくり返したが、あれほど美しく、あれほど背筋の冷たくなる存在について、触れたものはなかった。
きっと、まだ伝えられていない昔語りの中にいる魔物(パルーク)を、それと知らずラルが起こしてしまったに違いない。おそらく、この時刻、この大地は、あの少年の領分なのだろう。
そうしてラルは、金の少年の追撃を受けないことだけを願いながら、『パディス』のカートの元へと駆け続けたのだ。
「では、そういうことで。アリオ姫のことは任せて欲しい」
「ふん」
ジーフォ公は灯火の明かりに片頬を照らし出している相手を見つめ、軽く鼻を鳴らした。
「お前のやり方は気に食わんが、請け負ったことに失敗したことがないのは知っている。人の物を横取りする『癖』はあるがな」
「信用してもらえて光栄だよ。情報屋は信用が命だからね」
「ただし」
皮肉にも動じないセシ公に、ジーフォ公はちかりと目を光らせた。
「『信用』はするが『信頼』はせんぞ。今までも、これからも」
「それで結構」
セシ公は唇を綻ばせる。
「必要なのは、あなたの『力』だ」
「ふん…」
ジーフォ公はにこやかに応じたセシ公に、なぜかより機嫌を害した顔になって背を向けた。そのままおやすみとも言わず、部屋を出て回廊を歩み去る。微笑みを浮かべて見送っていたセシ公は扉近くに潜んでいた影がかすかに動くのに、振り向きもせずに声をかけた。
「御苦労だな、テッツェ」
「いえ」
陰から姿を現したテッツェに、セシ公は改めて目を向けた。相手は僅かに目を伏せて会釈し、思いついたように動きを止めた。ゆっくりと重たげな瞼が持ち上がり、色鮮やかな緑の瞳がセシ公を見つめ返す。
「何だね?」
「一つ、お訊ねしてもよろしいでしょうか」
「…構わない」
テッツェの問いの察して、セシ公は笑みを深めた。
「『いつ』毒杯を飲まれたのでしょうか? ……あなたの『望まれた時に』効く、と言うような毒を?」
「さあ…それほど都合のいい毒は知らないな。手に入ったら知らせてくれないか」
くすりと笑ったセシ公にテッツェも苦笑いを返してくる。
「かしこまりました」
軽く頭を下げ、ジーフォ公の後を追って、明け始めた薄明るい空気に消えるテッツェを見守り、セシ公は部屋に戻った。
扉を閉め、座っていた席に再び腰を下ろす。盃に残っていた酒を含み、ついで一気に飲み干す。落ち着かなく盃を置き、机の上に広げられた地図の一箇所、『パディスの偶像』のあたりを見つめる。
セシ公の頭には今、ジーフォ公のこともラズーンの存亡のこともなかった。思い出話なぞをしたせいか、脳裏に鮮やかに浮かび上がってきた情景に気を取られている。
金の少年。
それは、彼がカートより一歩先んじて『パディス』にたどり着こうとしていた時のことだった。
薄暗く風が吹きすさぶ草原、成長しきらぬディグリスが揺れてざわめき、馬はともすれば怯えて尻込みしがちになる。馬に蹴立てて走らせていたラルは、視界の右端、ジーフォ公分領地の辺境、『パディス』と遠く闇に聳える白き『狩人の山』(オムニド)の間の草原に、何か光り輝くものが、凄まじい速さで駆け回っているのに気づいた。急がせる手を休ませないまま、そちらへ顔を振り向けて息を呑む。
輝くものは『人』だった。
それも大人の姿ではなく、同い年か、多く見てもカートぐらいの幼い少年。
翻る金の髪、身につけているのは白亜とも金色とも見えるとてつもなく眩く光るチュニック一枚、吸い付いたように馬に跨り、巧みに操っている。時に優しく、時に厳しく、馬を従えるすらりと伸びた手足、ラルが難渋しているディグリスの草原を、飛ぶような速さで自由自在に走り回っている。
笑みほころんで得意げな少年の瞳は深い紫、ふっくらとした唇は紅く、白い肌に絶妙の対比を持って置かれた二色の宝玉のよう、髪は金冠、風に舞い、あたりに光を撒き散らして行く。明るい笑い声が響く、楽しげな、真昼の日差しを思わせる高く跳ねる声…。
「っっ」
一瞬、冷たい北西からの風が吹き渡り、ラルは我に返った。見惚れていた主人の意志に忠実に、馬はほとんど並足になっている。気づくと同時に、ラルの背中を訳の分からぬぞっとしたものが滑り落ちた。
今は真夜中だ。
ラルやカート、悪戯っぽい子ども達は別として、あれほどの美貌を備え、どう見てもかなり高貴な生まれと見える少年が、事もあろうに、こんな物寂しい、魔物(パルーク)さえ出かねない場所で、馬を駆け回らせているのは解せない。それも少年にとっては、この場所はまるで辺境ではないかのような、今は真夜中ではないような、大胆不敵な笑い声を立てて、ここが唯一の遊び場所であるような傍若無人な振る舞い方、全てが常軌を逸している。
そして、金の光。
最初ラルは、少年の黄金の髪が目に残す幻影かと思っていた。だが、こうして我に返ってみると、少年の体自体が淡い金色の光を放っているのだとわかる。
光…いや、あるいは光と言うことばが当てはまらないのかもしれない。ぴったりと少年の移動にくっついているのではなくて、ふいに向きを変えたときなど、まるで急な動きにはついていけないのだと言いたげに、わずかに移動に伴った尾を引いていく。
ちょうど、少年の躰に、手には触れない、けれども確かにそこにある、霧のように細かい光の粒の膜がまとわりついている感じだ。時々少年が馬を止める。すると光は上へと伸び上がり、少年の躰を燃料とした松明のように、燃え上がる金色の炎の塊となる。
それは、少年の目を奪う艶やかな美貌と相俟って、この世ならぬ、どこかの神の使いか、闇に潜む何者かのようにも思わせた。
(『魔』だ)
閃光のように、その想いはラルの心に砕けた。
馬の腹を蹴る。驚いた馬が嘶いて、突風のように駆け出す。
初めて少年はラルの存在に気づいたように馬を止め、こちらに向き直った。
心を覗き込んでくるような深紫青の瞳、乱れた髪が幾房か額に垂れ下がる。真紅の唇がにこりと笑んだように見えた、がそれももう、ラルは急いで意識の外へ追い出した。
馬の背に身を伏せ、ただひたすらに急がせる。頭の中で慌ただしく、この辺りに眠っている『魔』が居ただろうかと昔語りをひっくり返したが、あれほど美しく、あれほど背筋の冷たくなる存在について、触れたものはなかった。
きっと、まだ伝えられていない昔語りの中にいる魔物(パルーク)を、それと知らずラルが起こしてしまったに違いない。おそらく、この時刻、この大地は、あの少年の領分なのだろう。
そうしてラルは、金の少年の追撃を受けないことだけを願いながら、『パディス』のカートの元へと駆け続けたのだ。
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