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「やあ、雨やんだみたいやなあ、お日いさん、照ってきたわ」
姿子さんは、六畳間のちゃぶ台の向こうで、のんびりと窓を振り仰いだ。目を細めて、入ってくる日の光を受け止める顔は、穏やかで満足そうだ。
「おばちゃん」
「この分やと、明日もちゃあんと晴れるえ、きっと」
こちらの話を全く忘れてしまったような顔で窓からの空を見上げる相手に、私はとうとうきりきりといら立った声を上げてしまった。
「姿子おばちゃん!」
「えらい怖いなあ、どないしたん、友美ちゃん」
姿子さんはきょとんとした顔で私を振り返った。パーマ気のない長い髪を後ろで一つのお団子に結ってハンカチーフでくるみ、ポロシャツにジーンズという格好の姿子さんは、こぢんまりとした必要最低限の家具しかないマンションの一室に、妙にはまっている。
確かもう五十近くだと思うのにすべらかな頬にしみの一つもない。ぽっちりと赤い唇はルージュを薄く塗っただけ、後はほとんど化粧をしていない。
化粧品はなあ、どうも合わへんみたいやし。
そう笑う黒目がちの目は、だいたいいつも笑っているように細められていて、何だか京都でお土産なんかに売られている人形のつるりとした面を思わせる。
血筋から言うと、私の祖父の一番下の娘だったそうで、叔母さんということになるんだろうけど、そんなこんなを越えて、姿子さんなら血がつながってなくても友達になってもいいか、と思わせる気安さがある。
「どないした、もないでしょ。話、聞いてくれてたの?」
「聞いてたえ」
姿子さんはにっこりと唇を上げてほほ笑んだ。
そうすると一層京人形みたいに見えるのを、姿子さんは十分心得ているやっているのだと思う。口元に軽く手を添えて、その表情に似合いの、ほほ、と柔らかな声で笑って見せる。芝居がかった仕草なのに、違和感がないのはやっぱりその雰囲気のせいか。
「明日、悟くんとデートするんやろ? ええなあ、高校生は梅雨の空でも楽しゅうて」
「あのね」
高校生ということばに『若い人』のルビを振った姿子さんに、私は精一杯眉を寄せてしかめっ面をした。
おっとりとした外見にだまされてはいけない。
この姿子おばちゃんは自分のことも他人のことも妙にいろいろと『わかっている』女性なのだ。他の人が気づかないささやかな出来事から、人が何を考えているか、何をしようとしているかを推察するのがとてつもなくうまい。
ずっと前に、「それって超能力とかいう奴? 占い? 何でもすぐにわかっちゃうの? 便利だよね?」と聞いたら「あほ言わんといて」とさりげなくかわされた。
しかも、なお性格の悪いことに、姿子さんは、その能力を『上手に生かすこと』をこのうえなく愛しているところがある。絡まった人間関係をいつの間にか解きほぐしてみたり、新聞に載った妙な事件を見てきたみたいに説明して、一人で楽しんでいたりもする。
「そのデートだって、さっき話した『ひすいの帯留め』が見つからない限り、できないかもしれないんだからね」
「ああ、そやったなあ」
姿子おばちゃんはしゃあしゃあと初めて気がついたような顔で頷いた。
「そやけど、まあ、逢いたいときに逢えへんのも、なかなかしっとりしてええもんやと思うけど」
「冗談じゃない」
私はまるっきり他人事口調の姿子さんのことばにむっとした。
「前にも話したでしょ、大木悟はいい男なの。放っといたら、他の女に取られちゃうよ」
実際、あんたにはあいつは荷が重いよと、何度言われたことか。自分だってわかってる、どこかで変だと思ってる、大木悟みたいないい男が、どうして私なんかを、どこを気に入ったんだろうかって。
思い余って悟本人に聞いてみたこともあるけど、悟は「人が人を好きになるってさ、難しいよな、気持ちが続くとも約束できないし」と、まあ頼りないことを言ってくれるだけで、それこそ私は中途半端に放り出されただけなのだ。
「それでなくても、向こうのお母さん達には何だか気に入られてないみたいだし」
後の方はついぶつぶつと愚痴になってしまった。
それを聞いていた姿子さんはくすくすと本当に嬉しそうに笑った。
「はいはい、何やら、ええとこのぼんぼんなんやて?」
くすぐったそうな目で、私を見る。
「友美ちゃんも若いなあ。そんな男はん、無理して付き合うてたら、こっちの気いが疲れてもたへんえ」
「おばちゃんには関係ないでしょ!」
ほうら、鋭い。
私はぎくりとしたのをわめくことでごまかした。
「とにかく、あたしは悟と付き合いたいの! 一緒にいたいの! 特別な存在になりたいの! だから頑張って頑張って頑張って、ようやくデートにこぎつけたと思ったら、家の方がばたばたしてるから無理かも、なんて冗談じゃないよ」
「そやなあ。せっかく女の方からモーション起こしたのに」
年の割りには、姿子さんのことばは時々ひどく古めかしい。
「悟くんはおばあさんの『帯留め』が見つからへんと愛しい友美ちゃんとは出かけられへんかも、なんて言うのやもんなあ、うっとうしいこと」
「おばちゃん」
からかうのに睨み返したけど、姿子さんが指摘したことにがっくりくる方が大きかった。
「そだよね」
ついついため息がもれる。ちゃぶ台に載せた濃いめのお茶を一口含んで、苦さにべーっと舌を出して見せる。そうでもしなきゃ、ほんと、やってられない。
「大体、どうして、いくら家族仲がよくないからって、おばあさんとおかあさんのもめごとを悟がどうにかしなくちゃならないなんて思っちゃうのかなあ」
ぶつぶつぶつぶつ。
愚痴になってるのはわかってるけど、姿子さんはそういうのも嫌がらないから、どんどんしゃべってしまう。
「ほんと、わかんないよ。そもそも『帯留め』をなくしたのはばあさんでしょ? で、それをおかあさんがうまく見つけられないんだ。何でなくしたばあさんが探さないのかな。何でおかあさんが見つけられないとまずいのかな」
そんな大事なもんなら、ちゃんとしまっとけばいいのに。なくした責任を人に押し付けるばあさんもばあさんだけど、それをご丁寧に自分の責任だと引き受けて捜すおかあさんも妙に思える。けれど、もっと妙なのは、
「何で、それが悟にとって困ってることになってて、家の中がバタバタしてて私とデートできないってことになるのかな」
ほんとにそうだよな。
「ああ、もう、ぐるぐるしちゃってわかんないよ!」
とうとう、きいきいわめいてしまった。
姿子さんは、六畳間のちゃぶ台の向こうで、のんびりと窓を振り仰いだ。目を細めて、入ってくる日の光を受け止める顔は、穏やかで満足そうだ。
「おばちゃん」
「この分やと、明日もちゃあんと晴れるえ、きっと」
こちらの話を全く忘れてしまったような顔で窓からの空を見上げる相手に、私はとうとうきりきりといら立った声を上げてしまった。
「姿子おばちゃん!」
「えらい怖いなあ、どないしたん、友美ちゃん」
姿子さんはきょとんとした顔で私を振り返った。パーマ気のない長い髪を後ろで一つのお団子に結ってハンカチーフでくるみ、ポロシャツにジーンズという格好の姿子さんは、こぢんまりとした必要最低限の家具しかないマンションの一室に、妙にはまっている。
確かもう五十近くだと思うのにすべらかな頬にしみの一つもない。ぽっちりと赤い唇はルージュを薄く塗っただけ、後はほとんど化粧をしていない。
化粧品はなあ、どうも合わへんみたいやし。
そう笑う黒目がちの目は、だいたいいつも笑っているように細められていて、何だか京都でお土産なんかに売られている人形のつるりとした面を思わせる。
血筋から言うと、私の祖父の一番下の娘だったそうで、叔母さんということになるんだろうけど、そんなこんなを越えて、姿子さんなら血がつながってなくても友達になってもいいか、と思わせる気安さがある。
「どないした、もないでしょ。話、聞いてくれてたの?」
「聞いてたえ」
姿子さんはにっこりと唇を上げてほほ笑んだ。
そうすると一層京人形みたいに見えるのを、姿子さんは十分心得ているやっているのだと思う。口元に軽く手を添えて、その表情に似合いの、ほほ、と柔らかな声で笑って見せる。芝居がかった仕草なのに、違和感がないのはやっぱりその雰囲気のせいか。
「明日、悟くんとデートするんやろ? ええなあ、高校生は梅雨の空でも楽しゅうて」
「あのね」
高校生ということばに『若い人』のルビを振った姿子さんに、私は精一杯眉を寄せてしかめっ面をした。
おっとりとした外見にだまされてはいけない。
この姿子おばちゃんは自分のことも他人のことも妙にいろいろと『わかっている』女性なのだ。他の人が気づかないささやかな出来事から、人が何を考えているか、何をしようとしているかを推察するのがとてつもなくうまい。
ずっと前に、「それって超能力とかいう奴? 占い? 何でもすぐにわかっちゃうの? 便利だよね?」と聞いたら「あほ言わんといて」とさりげなくかわされた。
しかも、なお性格の悪いことに、姿子さんは、その能力を『上手に生かすこと』をこのうえなく愛しているところがある。絡まった人間関係をいつの間にか解きほぐしてみたり、新聞に載った妙な事件を見てきたみたいに説明して、一人で楽しんでいたりもする。
「そのデートだって、さっき話した『ひすいの帯留め』が見つからない限り、できないかもしれないんだからね」
「ああ、そやったなあ」
姿子おばちゃんはしゃあしゃあと初めて気がついたような顔で頷いた。
「そやけど、まあ、逢いたいときに逢えへんのも、なかなかしっとりしてええもんやと思うけど」
「冗談じゃない」
私はまるっきり他人事口調の姿子さんのことばにむっとした。
「前にも話したでしょ、大木悟はいい男なの。放っといたら、他の女に取られちゃうよ」
実際、あんたにはあいつは荷が重いよと、何度言われたことか。自分だってわかってる、どこかで変だと思ってる、大木悟みたいないい男が、どうして私なんかを、どこを気に入ったんだろうかって。
思い余って悟本人に聞いてみたこともあるけど、悟は「人が人を好きになるってさ、難しいよな、気持ちが続くとも約束できないし」と、まあ頼りないことを言ってくれるだけで、それこそ私は中途半端に放り出されただけなのだ。
「それでなくても、向こうのお母さん達には何だか気に入られてないみたいだし」
後の方はついぶつぶつと愚痴になってしまった。
それを聞いていた姿子さんはくすくすと本当に嬉しそうに笑った。
「はいはい、何やら、ええとこのぼんぼんなんやて?」
くすぐったそうな目で、私を見る。
「友美ちゃんも若いなあ。そんな男はん、無理して付き合うてたら、こっちの気いが疲れてもたへんえ」
「おばちゃんには関係ないでしょ!」
ほうら、鋭い。
私はぎくりとしたのをわめくことでごまかした。
「とにかく、あたしは悟と付き合いたいの! 一緒にいたいの! 特別な存在になりたいの! だから頑張って頑張って頑張って、ようやくデートにこぎつけたと思ったら、家の方がばたばたしてるから無理かも、なんて冗談じゃないよ」
「そやなあ。せっかく女の方からモーション起こしたのに」
年の割りには、姿子さんのことばは時々ひどく古めかしい。
「悟くんはおばあさんの『帯留め』が見つからへんと愛しい友美ちゃんとは出かけられへんかも、なんて言うのやもんなあ、うっとうしいこと」
「おばちゃん」
からかうのに睨み返したけど、姿子さんが指摘したことにがっくりくる方が大きかった。
「そだよね」
ついついため息がもれる。ちゃぶ台に載せた濃いめのお茶を一口含んで、苦さにべーっと舌を出して見せる。そうでもしなきゃ、ほんと、やってられない。
「大体、どうして、いくら家族仲がよくないからって、おばあさんとおかあさんのもめごとを悟がどうにかしなくちゃならないなんて思っちゃうのかなあ」
ぶつぶつぶつぶつ。
愚痴になってるのはわかってるけど、姿子さんはそういうのも嫌がらないから、どんどんしゃべってしまう。
「ほんと、わかんないよ。そもそも『帯留め』をなくしたのはばあさんでしょ? で、それをおかあさんがうまく見つけられないんだ。何でなくしたばあさんが探さないのかな。何でおかあさんが見つけられないとまずいのかな」
そんな大事なもんなら、ちゃんとしまっとけばいいのに。なくした責任を人に押し付けるばあさんもばあさんだけど、それをご丁寧に自分の責任だと引き受けて捜すおかあさんも妙に思える。けれど、もっと妙なのは、
「何で、それが悟にとって困ってることになってて、家の中がバタバタしてて私とデートできないってことになるのかな」
ほんとにそうだよな。
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