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「本当にすみません」
駅で待ち合わせて、家の方へ歩きだしながら、悟は上品に姿子さんに向かってぺこりと頭を下げた。
濃いめブラウンのサラサラヘアも、大きな目も、にっこり笑うと見える八重歯も何もかもキュートな悟。今日はミッドナイトグレーの薄いシャツにフリースのベスト、いい具合に色が抜けたデニムジーンズで、私服だと数倍カッコよくて、体が無意識に抱きつきたくて弾んでいきそうになる。
「何だか、変なことになって」
「かましませんけど」
姿子さんは今日は白いカッターシャツに紺色のフレアスカート、あいかわらずの化粧っけのない顔はつやつやと輝いていて、年齢を知らなければ三十代で通るかも知れない。
やっぱりお団子に結い上げた頭をくるりと回して悟を見上げ、唐突に、
「ところで、おかあさんとおばあさん、あまり仲はようないんでしょ」
「姿子おばちゃん」
いきなり何を言うんだ。
焦った私を知らぬ顔で、姿子さんは悟を見つめる。
「はあ、まあ、その」
悟は口ごもりながら、続くことばのかわりのように髪の毛をかきあげた。
「オレが知ってる限りは、ずっと喧嘩してますね。もうずいぶん」
いったん口に出してしまうと、楽になったらしく、悟はするするとしゃべった。
「小さいころからだから、こっちはかなり慣れっこなんだけど、今度のはどうもこじれてて。何でも、ばあちゃんがじいちゃんからもらった唯一の品物だっていうんです。この前のお茶会のときにつけて、確かにいつもの場所にしまったのにない、きっと苑子さんがどこかへやったんだ、なんて言いだしちゃって。かあさんの方も絶対知らないって言うし、親父は元から家にいないヒトだから、もう入りようがなくて。オレだって、正直、どっちが正しいかわかんないし、へたに何か言うとややこしくなりそうで、もうどっちの肩も持つわけにはいかないって感じで」
姿子さんはうんうんと頷いた。
「そうなってしもたらねえ、もう『帯留め』が見つかろうが見つかろまいが、もうどうでもええって感じでしょ」
「ああ、そう、そうなんです」
悟がうまくことばにできなかったことが何なのか、急に気がついたみたいに嬉しそうに頷いた。
「あのときはどうだっただの、このときはどうだったのとか、やり合いなんです。オレがついてけないから、いいかげんに流して出掛けようとしたら、親父そっくりだとかののしられて。育ててもらった恩はどうするんだ、なんて言われちゃったりして。オレ、小さいときは体が弱くてよく寝込んでたから、そういう意味ではばあちゃんには弱いんですよ、そういうとき、オレの面倒見てくれてたの、だいたいばあちゃんの方だったから」
「ちょっと、ちょっと」
私は思わず割り込んだ。
「そんな話聞いてないよ」
悟をちょっと睨んで見せる。
「別に話すようなことじゃないよ」
悟は我に返ったように身を引いた。
「今、姿子さんには話したじゃない」
なんかくやしくて、絡んでしまう。
「それはその……何だか、話しやすかったからだよ」
悟が不機嫌そうに口の中で呟くのが聞こえた。
そうなのだ。
姿子さんには妙に人の話をうまく聞き出す癖があって、誰もかれもが姿子さんにはべらべら自分のことを話してしまう。
でも、私には話してくれなくて、姿子さんにはぺらぺら話すというのは、何となく許せない、不愉快。
でも、姿子さんに話しやすいのは確かで、私もそうだから、唇をとがらせてしかたなしに黙った。
「そのとき、おかあさんはお仕事でもしたはったの?」
姿子さんは横目でいらついている私を見たけど、知らん顔で尋ねた。
「いや、そうじゃなくて。産後で体を壊してたんだそうです」
「ああ、そうなん。なるほどなあ、それやったら、意地にもなるか」
姿子さんは何か一人でわかったように頷いている。
「みとうのうて、みいひんかったわけやない、というわけやねえ」
「は?」
「ううん、こっちの話。それで、おばあさんは、その『帯留め』をおかあさんが隠さはったに違いない、そう思てはるわけやね」
姿子さんはちょいと小首を傾げた。
「なんでやろ?」
「うーん」
悟も姿子さんにつられたみたいに首を傾げた。
ただいま、中身を検索中。
そんな顔で考え込みながら、
「最近、ばあちゃん、足腰が弱ってきたんですよ。前ほど気力がなくなったというか。前してたけど、もうしなくなったことも結構いろいろあって。それを、かあさん、よせばいいのに、ばあちゃんに向かって『前ほどできなくなったんでしょう』って言うんですよね、勝ったぞ、みたいな感じで。まあ、ずっと、ばあちゃんに押さえられてきたヒトだから、無理もないかなって感じなんだけど。でも、ばあちゃんにとってはきついんですよね、それって」
「ふううん」
姿子さんは何か自分の目の奥の方を見つめているような顔で腕を組んで、地面をじっとにらんでいる。しばらく黙った後、
「さあて、どうしたいんやろうね、おかあさんとおばあさんは」
「さあ?」
悟は眉をしかめた。
思ってもいなかったところに触れられて、そこが痛い場所だと唐突に気づいたみたいな顔だ。
「関係があるの、それ?」
何とか会話に入ろうとした私が尋ねると、姿子さんは夢から覚めたみたいに瞬きをして私を見上げた。
「そやねえ。『失せ物』を捜してもええけど、それこそ、何もかも失せてしまうのはようないんやないかと思うんやわ」
「何もかも失せる?」
これは『帯留め』の話じゃなかったの?
私のきょとんとした顔に、姿子さんは少し目を細めて見せた。そうすると、姿子さんの目の奥の表情はもう読めない。微笑しているような顔からはなおさらだ。
「そやけど、まあ、来るとこまで来てしもた、そんな気もするしなあ、しかたないいうたらしかたないか」
「おばちゃん、何言ってるのか、よくわかんないよ」
「あ、ここです」
悟は大きな木の門と扉の前で立ち止まった。
駅で待ち合わせて、家の方へ歩きだしながら、悟は上品に姿子さんに向かってぺこりと頭を下げた。
濃いめブラウンのサラサラヘアも、大きな目も、にっこり笑うと見える八重歯も何もかもキュートな悟。今日はミッドナイトグレーの薄いシャツにフリースのベスト、いい具合に色が抜けたデニムジーンズで、私服だと数倍カッコよくて、体が無意識に抱きつきたくて弾んでいきそうになる。
「何だか、変なことになって」
「かましませんけど」
姿子さんは今日は白いカッターシャツに紺色のフレアスカート、あいかわらずの化粧っけのない顔はつやつやと輝いていて、年齢を知らなければ三十代で通るかも知れない。
やっぱりお団子に結い上げた頭をくるりと回して悟を見上げ、唐突に、
「ところで、おかあさんとおばあさん、あまり仲はようないんでしょ」
「姿子おばちゃん」
いきなり何を言うんだ。
焦った私を知らぬ顔で、姿子さんは悟を見つめる。
「はあ、まあ、その」
悟は口ごもりながら、続くことばのかわりのように髪の毛をかきあげた。
「オレが知ってる限りは、ずっと喧嘩してますね。もうずいぶん」
いったん口に出してしまうと、楽になったらしく、悟はするするとしゃべった。
「小さいころからだから、こっちはかなり慣れっこなんだけど、今度のはどうもこじれてて。何でも、ばあちゃんがじいちゃんからもらった唯一の品物だっていうんです。この前のお茶会のときにつけて、確かにいつもの場所にしまったのにない、きっと苑子さんがどこかへやったんだ、なんて言いだしちゃって。かあさんの方も絶対知らないって言うし、親父は元から家にいないヒトだから、もう入りようがなくて。オレだって、正直、どっちが正しいかわかんないし、へたに何か言うとややこしくなりそうで、もうどっちの肩も持つわけにはいかないって感じで」
姿子さんはうんうんと頷いた。
「そうなってしもたらねえ、もう『帯留め』が見つかろうが見つかろまいが、もうどうでもええって感じでしょ」
「ああ、そう、そうなんです」
悟がうまくことばにできなかったことが何なのか、急に気がついたみたいに嬉しそうに頷いた。
「あのときはどうだっただの、このときはどうだったのとか、やり合いなんです。オレがついてけないから、いいかげんに流して出掛けようとしたら、親父そっくりだとかののしられて。育ててもらった恩はどうするんだ、なんて言われちゃったりして。オレ、小さいときは体が弱くてよく寝込んでたから、そういう意味ではばあちゃんには弱いんですよ、そういうとき、オレの面倒見てくれてたの、だいたいばあちゃんの方だったから」
「ちょっと、ちょっと」
私は思わず割り込んだ。
「そんな話聞いてないよ」
悟をちょっと睨んで見せる。
「別に話すようなことじゃないよ」
悟は我に返ったように身を引いた。
「今、姿子さんには話したじゃない」
なんかくやしくて、絡んでしまう。
「それはその……何だか、話しやすかったからだよ」
悟が不機嫌そうに口の中で呟くのが聞こえた。
そうなのだ。
姿子さんには妙に人の話をうまく聞き出す癖があって、誰もかれもが姿子さんにはべらべら自分のことを話してしまう。
でも、私には話してくれなくて、姿子さんにはぺらぺら話すというのは、何となく許せない、不愉快。
でも、姿子さんに話しやすいのは確かで、私もそうだから、唇をとがらせてしかたなしに黙った。
「そのとき、おかあさんはお仕事でもしたはったの?」
姿子さんは横目でいらついている私を見たけど、知らん顔で尋ねた。
「いや、そうじゃなくて。産後で体を壊してたんだそうです」
「ああ、そうなん。なるほどなあ、それやったら、意地にもなるか」
姿子さんは何か一人でわかったように頷いている。
「みとうのうて、みいひんかったわけやない、というわけやねえ」
「は?」
「ううん、こっちの話。それで、おばあさんは、その『帯留め』をおかあさんが隠さはったに違いない、そう思てはるわけやね」
姿子さんはちょいと小首を傾げた。
「なんでやろ?」
「うーん」
悟も姿子さんにつられたみたいに首を傾げた。
ただいま、中身を検索中。
そんな顔で考え込みながら、
「最近、ばあちゃん、足腰が弱ってきたんですよ。前ほど気力がなくなったというか。前してたけど、もうしなくなったことも結構いろいろあって。それを、かあさん、よせばいいのに、ばあちゃんに向かって『前ほどできなくなったんでしょう』って言うんですよね、勝ったぞ、みたいな感じで。まあ、ずっと、ばあちゃんに押さえられてきたヒトだから、無理もないかなって感じなんだけど。でも、ばあちゃんにとってはきついんですよね、それって」
「ふううん」
姿子さんは何か自分の目の奥の方を見つめているような顔で腕を組んで、地面をじっとにらんでいる。しばらく黙った後、
「さあて、どうしたいんやろうね、おかあさんとおばあさんは」
「さあ?」
悟は眉をしかめた。
思ってもいなかったところに触れられて、そこが痛い場所だと唐突に気づいたみたいな顔だ。
「関係があるの、それ?」
何とか会話に入ろうとした私が尋ねると、姿子さんは夢から覚めたみたいに瞬きをして私を見上げた。
「そやねえ。『失せ物』を捜してもええけど、それこそ、何もかも失せてしまうのはようないんやないかと思うんやわ」
「何もかも失せる?」
これは『帯留め』の話じゃなかったの?
私のきょとんとした顔に、姿子さんは少し目を細めて見せた。そうすると、姿子さんの目の奥の表情はもう読めない。微笑しているような顔からはなおさらだ。
「そやけど、まあ、来るとこまで来てしもた、そんな気もするしなあ、しかたないいうたらしかたないか」
「おばちゃん、何言ってるのか、よくわかんないよ」
「あ、ここです」
悟は大きな木の門と扉の前で立ち止まった。
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