『ラズーン』第三部

segakiyui

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8.ミダスの姫君(3)

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(どうしたんだろう…)
 吐息がふいに近づいたかと思ったらすぐに離れた。キスされるのかと構えた自分が情けなくて気恥ずかしい。
 結局つけてくれなかった髪飾りを手に、慌てて部屋を出て行くアシャを見やり、のろのろと鏡の方へ視線を向ける。隣室の香気を伴った湯気にも曇っていない鏡が、ユーノの全身を映し出している。
(まさか…気づいたのかな)
 ひやりとして顔が強張った。アシャが入ってきたのに、とっさについ、傷を隠したのがまずかった。
(肩ぐらい隠しても……そこら中に傷があるのに)
 こういうところだけはしっかり『女の子』なんだからな、とうんざりする。
(アシャに余計な心配をさせてしまう)
 少女の体に少年の魂を抱いて生まれてきたと思っていた。多くの命が生まれているのだから、時には神様だって入れ間違えることぐらいあるだろうと。なのに、その少年の魂の片隅に、少女の心が潜んでいて、唐突に顔を出してはユーノを脆くさせる。
(しっかりしろ、情けないぞ)
 鏡の中の自分に呼びかけた。
(ラズーン存亡の危機に何を言ってる。それに、お前は自分でこの道を選んだ。この傷はその証、言わばお前の紋章じゃないか。月獣(ハーン)の呼びかけに、他の誰でもない、自分がこの運命を選び取ったと宣言したのは嘘なのか)
 きり、と唇を噛んだとたん、背後の扉が開いた。
「ユーノ」
 振り返ると、片手に白いドレスらしきものを抱えたアシャが姿を見せる。
「それを脱いで、これに着替えろ」
「どうして? 似合わないか?」
「いいから!」
 アシャは奇妙に苛立った様子でドレスをユーノに押し付け、くるりと背中を向ける。
「う、ん」
(そんなに…みっともなかったのかな…)
 理由はわからないまま、とりあえず水色のドレスを脱ぐ。白いドレスを手に取ったが、ただでさえドレスを着慣れていないのに、これはまた特別なものらしく、どういう造りになっているのか、全くわからない。
「あれ……えーと……うーん……」
 困り果てて、おどおどとアシャを呼ぶ。
「アシャ…」
「できた…、こら、ユーノ!」
「だって!」
 振り返りかけて気まずそうに慌てて顔を背ける相手に、かっとする。
「こんなの初めてでわかんないだろ! 着方を教えろよ!」
(レアナ姉さまならわかった)
 自分がやはり出来損ないなのだと感じて哀しくなる。
「あー、えーと、だからな」
 アシャが背中を向けたままぼそぼそ唸った。
「まず、後ろの帯を外すだろ、それから」
「外すって…どうやってさ」
 後ろの帯、がまずよくわからない。見た感じでは数本、似たような布が組み合わされている。
「そのまま外せ」
「だって、なんか妙な形に組んであるよ?」
「あ…そうか」
 アシャはあやふやな声で応じて天井を見上げた。
「えーと…だからな、右上の筋を浮かして、左側のを半分ほど引くだろ」
「うん…?」
 言われた通り、ユーノはおそるおそる白い組み帯を引いてみる。と、緩むどころか、逆にきゅっと締まる形になってぎょっとして手を止めた。
「締まったよ!」
「締まるはずはない」
「だって……締まったもん!」
「だからなあ…」
 うっとうしそうに唸るアシャに涙が出そうになる。
「んなこと言うなら、アシャがやれよ!」
 ぶち切れて喚いてしまった。
「ボクには出来ないってば!」
(どうせ、ドレスの着方なんか、想像もできないんだ)
 半泣きになったユーノの気持ちなぞ知らぬ顔で、一瞬体を強張らせたアシャが、そろそろと肩越しに視線を投げてくる。
「待てよ、そいつは…」
 溜め息まじりの声に切れた。
「ボクの裸なんて知ってるだろっっ!」
 顔が熱くなる。みっともない。情けない。なのに、頼む相手がアシャしかいない。
 アシャはユーノが怒鳴ったのに、奇妙な顔になった。困惑と苦笑、その笑みがやがてしたたかで悪戯っぽいものに変わるのを恨みがましく見上げる。
「いい加減にしろよ、こんなとこまで来て、まだボクを…」
(からかいたいのかよ)
 さすがに呑んだ一言が聞こえたように、アシャがひょいと肩を竦める。
「まあ…いいか」
「何がっ」
「いや……ユーノ、お前、ラズーンの風俗について多少知っているか?」
「は?」
 ラズーンは性別を持たぬ神が住まうと言う伝説の場所なのだ、そこにこんな生身の世界があったなどとは思ってもいなかった。
「知るわけないだろ」
「…だろうな」
 アシャの形のいい唇が奇妙な笑みに歪んだ。その笑みを浮かべたまま、振り向いてドレスを受け取り、組み帯を解きにかかる。
「??」
(何だってんだよ、一体)
 訳がわからないまま、それでもアシャが慣れた様子で組み帯と、その下に隠されていた組み紐を外していくのを呆れて眺める。
「ややこしいな……こんなの、一回見たぐらいでわからないや」
 何を考えて、こんな複雑なドレスを持ってきたんだ、と首を捻るユーノに、アシャがくすり、と耐えかねたような笑いを響かせる。
「そうでなきゃ『困る』代物なんだよ、これは」
 くすくすと笑いながら付け加える。
「誰彼構わずに解かれたんじゃ、『相手』の面目がなくなる」
「相手?」
 ますますわけがわからない。
「でも、アシャは解けるじゃないか」
「俺は、な」
 少し片目をつぶってみせた。
「状況によって、いろいろな格好をするからな」
「あ、女装趣味か!」
「っ」
 がくりと前へ首を落としかけ、アシャはじろりと冷たい目でユーノを見た。
「そんなこと言ってると、脱がしてやらないぞ」
「はんっ」
 歯を剥いて笑い返しながら、ユーノは言い返した。
「脱ぐぐらい、一人でやれるよっ」
 そうだ、着るのは難しくとも、脱ぎ捨ててしまうならば、何とでもやりようがあるだろう。だが。
「どうかなあ」
 アシャは楽しげに解いたドレスを開いた。下着姿のユーノの肩からすっぽりとかけて、両脇、肩、両腕の組み紐を再び元通りに組み始める。
「これは『一人』で脱ぐようにはできてないんだ。着るのは一人でできても、な」
「どうしてさ」
「始めはどこの組み紐でも自分で解けるから、着てから侍女達に仕上げてもらう…こうやってな」
「べ!」
 ぐっと腰を締められ、思わず妙な声を上げてしまった。きゅっと締め付けられた腰の後ろで、アシャが帯を組み直している気配がする。
「、いたっ」
「どこが?」
「胴」
「じゃ大丈夫、よいしょっと」
「やだっ、何これっ、身動きしづらいっ」
 じたばたするユーノの体に、付属していたらしいあれこれの装飾品を紐で留め始める。
「それから、これ、と」
「え…」
「に、これ」
「ちょっと」
「で、こいつ」
「えええっ」
 次々増える飾りにひきつった。肩から垂らした金糸織りの薄布は、腰の紅の帯で留められる。首もとにはキャサラン製らしい細かな透かし彫りの金細工、大粒の宝石をぎっちりとあしらった額飾りが嵌められる頃には、体中がじゃらじゃらしている感じで、とにかく重い。
「アシャぁ」
「泣くな泣くな、最後はこれを羽織って完成、そら」
 それら所狭しと着飾った姿をまるで隠すように、純白のマントが肩に留められた。背中から体の前まで回して、合わせ目には美しい金の細工物で留める。
「…まるで…」
「ん?」
「…ううん」
(婚礼衣装みたいだ)
 鏡に映った自分の姿にそう思った。
 焦茶の短い髪には、宝石を組んだ銀鎖が光っている。その頭を少し覆って、しみ一つない白いマントが体を包んでいる。
「…あ」
 ふいに、それが体の傷全てを隠す形のドレスだと気づいで、視界が一気に潤んだ。
「…りがと…」
(アシャ)
 わかっていてくれた。ユーノの怯みも竦みも、ちゃんと理解していてくれた。
 小さく呟いた感謝が届いて欲しいような欲しくないような、それでも胸を浸す温かな気持ちは信じられないほど心地よく。でも。
(ちゃんと言わなきゃ)
 もうアシャとは離れるかも知れないのだから、お礼を伝えなくては、そう思った瞬間、
「さてと、仕上げだ」
「っ!」
 突然、顎を押し上げられ、ユーノはうろたえた。
「な、なにっ」
「紅、さしてやるから、少し口を開け」
「あ…うん」
「もう少し…そうだ」
 アシャが小指に華やかな紅をつけて、そっとユーノの唇に触れる。
(…だめ…だ)
 間近に迫る煌めく紫の瞳に、思わず目を伏せる。締め付けられたせいもあるのだろうか、体中が熱くなって小刻みに震えてきてしまった。我慢しようとするのに、ふ、とアシャが低く笑った声に、ますます頬が熱くなる。アシャの指は静かにユーノの唇を撫でていく。下唇から上唇、もう一度、下唇。
 ついっとアシャの指が離れた。
「よし。閉じて」
「……」
 唇を閉じ、目を開ける。すぐ近くに、濡れたようにあやうい光をたたえたアシャの瞳があった。瞬きする金の睫毛、それが瞳を軽く覆い、伏せられたまま、低い囁きが耳に届く。
「……もう一度…少しだけ開け」
 ごくり、と唾を呑んだ。その場から逃げ出したいような気持ちになる。敏感に察したアシャが、静かにユーノの体を包んでくる。背けようとする顔を、優しく固定された。しゃらり、と髪で銀鎖が鳴る。
「ほら。塗り残しがないか、見るんだから」
「う…ん…」
 それはきっと嘘だ。けれど、その嘘に騙されてみたい、そう惑う胸が、妖しく揺れて渦巻いていく。少し目を閉じる。乾き始めた唇がなかなか開かない。待ちかねたように、影が動き、気配が迫る。
(ア…シャ…)
 ことこと。
「っ!」「!」
 響いた音に瞬時にユーノはアシャから身を引いた。相手を見ないように扉を向き、平静な声を装う。
「誰?」
「お支度は済まれましたでしょうか」
 ユーノが遅いのを案じてくれたのだろう、侍女の声が応じた。
「わかった」
 くるりと振り返る。額の飾りが重い。
「行こうか、アシャ」
「…ああ、そうだな」
 振り向くと、アシャはふてくされた子どものような顔で、マントを払って身を翻した。


 ミダス公邸の広間に向かいながら、イルファは未だにぶつくさ言い続けている。
「しっかしなあ………確かにそうしてりゃ、女だが…」
 男とも女ともつかぬ、中性的な格好をしたアシャに比べて、鎧を象った胴着に真紅のマント、銀の鎖を肩から垂らしているイルファを、呆れた顔をしてレスファートが見上げる。
「だから言ったでしょ。ユーノは誰よりもきれいな女の人なんだって」
 そういうレスファートは濃紺の腰布の上から薄く透けた水色の布と輝きのある白い布の上着、額に銀のサークルをつけている。頭を振る度にさらさら音を立てて流れるプラチナブロンドは回廊の灯に眩いほどで、これほど美しい少年も多々あるまい。
「女…ねえ…」
 イルファが複雑な顔で、ユーノを見る。少し肩を竦めて見せると、相手はごしごしと頭を掻いた。
「俺にはどう見ても、アシャの方が女に見える」
「イルファっ!」
「おい」
 レスファートが眉を逆立てて怒り、アシャは苦虫を噛み潰したような顔になった。
(ま、確かにね)
 苦笑を返すユーノに、アシャはますます不愉快そうだ。
 そのアシャは、まるで導師が着るような濃い紺色の衣装を無造作に纏い、ところどころを金の組み帯と紐で留めていた。装飾品と言っても片耳の耳飾り程度、それでも十分にアシャの美しさは人目を惹いた。いつも上げていた前髪を垂らし、その奥から金細工に囲まれた宝石のような紫の目がこちらを見返している。
 そうしていると、アシャの端整な優しい面立ちが、別の翳りを帯びて見えた。賢者のような少年のような、女のような男のような、年齢性別も不明になるあやふやな不安定さの中にちりばめられた美。それがアシャを見る者の目を釘付けにする。その不安定な美しさを越え、正体を見定めようと焦る。だが心を構えたとたん、捉えかけていた因子は微妙に変化していって、相対する者は再び置き去られてしまう。
「っ!」
 アシャが先に立つのについて、広間の入り口を入ったとたん、どよめきが起こって我に返った。
(ここでもアシャは人を圧倒するのか)
 苦笑しかけたユーノだったが、その後一気に広がった、いつもとは違う沈黙にきょとんとする。
(何だ?)
 広間に集まった人々が奇妙な表情で一点を見つめている。その意味を探ろうとして、視線を注がれているのが自分だと気づき、なお戸惑った。隣でふ、とアシャが微かに笑う。
(アシャ?)
 そろそろと相手を見上げる。
「どうしたんだろう…」
 そっと囁いた声さえ響き渡りそうで、声をより潜めた。
「何か…私、おかしい?」
 凝視されているのは『銀の王族』だからだろうか。それとも、知らずに無作法な振舞いをしたからだろうかと不安になる。
「いや…別に」
 アシャは妙な笑みを返してきた。
「似合ってるぞ」
「でも…だって」
 特に娘達、女達の視線が妙に険しい気がする。だが、それを口に出すのは自意識過剰な気もして口ごもる。
「…そりゃ、静まり返りもするだろうな」
 だがアシャには理由が充分わかっていたらしい。しらっとした顔で流す。
「…どういうことだよ」
「気にするな」
「気にするなって…」
(特に無作法というわけじゃないのかな)
 取り合ってくれないので、仕方なしに進み出したアシャに付き従う。そのユーノを明らかに追いかけて来る視線は、かなりちりちりと痛いが、理由が全くわからない。こんな目で見られたことなど覚えがない。
「や…これはこれは…」
 なぜかミダス公まで茫然としていたらしい。ようよう口を開いたかと思うと、正面の玉座から降りてアシャの前に膝を折った。
「どうぞ、あちらへ」
「いや」
 アシャは軽く首を振った。
「今夜はあなたの宴の客だ。ミダス公、そのままに」
「しかし」
「どうぞ」
「…では」
 ミダス公は渋々と玉座に戻ったが、腰掛けずに側に立った。その前で、今度はアシャが片膝を折って頭を下げるのに、いささかうろたえた様子でことばを継ぐ。
「よ、ようこそ、アシャ・ラズーン。『氷の双宮』に戻られるまで、ゆっくりと寛がれますように」
 近くの似たような、ただもう少し華奢で小振りな椅子に座っていた少女を振り返る。少女は頷いて立ち上がり、緊張した顔で深緑のドレスの裾をさばいて段を降り、アシャの前で深く礼をとった。
「よくお帰りになりました、アシャ兄さま」
 それから、ユーノ達三人に向き直って頬を染め、
「よくいらっしゃいました。私がリディノ・ミダス。情け深き『太皇(スーグ)』の下、ミダス大公の娘と呼ばれております」
(やっぱり)
 同じように礼を返しながら、ユーノは頷く。
(この人が、リディノ・ミダス)
「ありがとうございます。私はセレドの第二皇女、ユーナ・セレディスです。ラズーンの神の導きにより、ここまで参りました」
 くすくすと周囲の娘が笑いを漏らした。きっとした表情になったリディノが振り向き、娘達を制する。大公の娘の威厳は健在らしく、娘達が顔をひきつらせて押し黙る。
 改めてユーノに振り向いたリディノは、恥じらうような色に頬を染め、目を潤ませている。
「無作法をお許し下さい。地方を治める者のこと、他国の皇族への接し方を知らないのです。……ただ、ラズーンでは『ユーナ』というのは男名にあたります。見識の浅さをお詫びいたします」
「ああ……そう、ですね」
 ユーノの胸の内に、甘いとも切ないとも言えない優しさが込み上げてきた。
 もう遥か遠い日のことのように思える、セレドにアシャがやってきた日。あの日も、宴の席でこんな風にアシャが名前のことで失笑を買った……。
「アシャから聞いています」
 懐かしさに笑みを浮かべた。
「リディノ姫、私は国ではユーノと呼ばれることが多かったし、それが気に入っています。だから、どうぞこちらでもユーノとお呼び下さい」
「あら、それなら」
 リディノはにっこりとあどけない笑みを見せた。
「私もリディで呼ばれることが好き。どうぞ、そうお呼び下さい……皆様も」
「はい、リディ姫」
 レスファートがきちんと王侯貴族の礼をして応じた。まあ、と軽く驚いて、嬉しそうにリディノがレスファートに向き直る。
「僕はレクスファの第一王子、レスファートです。よろしく」
「はい、よろしくお願いいたします、王子様」
「あ、俺はイルファ、レクスファの剣士です」
 女と見ればたちまち愛想がよくなるイルファが大声を出した。
「レスファート王子の付き人として旅をして来ました」
 どこがだ、という顔になったユーノ達を無視して、イルファは豪快に笑う。
「大変な旅でしたが、無事にお連れ出来て安堵しました」
「お疲れでしたね、どうぞゆっくり滞在なさって下さい」
 微笑みを返してリディノは頷き、自分の座に戻りかけたが、問うような目になって立ち止まった。
「あの」
「はい…何か?」
 向けられた視線はユーノ、訝しく尋ね返すと、相手は困ったような顔になってためらう。
「失礼ながら…」
「はい」
「あなたは……アシャ兄さまの『言い交わされた方』なのでしょうか?」
「は?!」
 いくらユーノが不調法でも、そのことばの意味ぐらいはわかる。ましてや、この衣装を着た瞬間に感じた感覚が、次に続いたことばをはっきり裏付ける。
「だって…」
 リディノは一瞬幼い口調になった。
「それは…ラズーンの婚礼衣装ですので…」
「…っ、ア…シャ…っ!」
 堪えようとしたが歯止めは利かなかった。一気に熱くなる顔をアシャに振り向けるが、当の本人は涼しい顔でユーノを見返し、微笑んで答える。
「まあ、そういうことだ」


「ったく!」
 ユーノは広間の一角で苛立ちながらアシャを睨みつける。
「道理で娘達が殺気立ってたわけだ」
「そう怒るな」
 くつくつとアシャは喉の奥で楽しげに笑う。
「悪気はなかったんだ」
「あってたまるか!」
 顔を背けて眉をひそめる。
(こっちの気持ちも知らないで)
 広間は今、踊る男女で一杯になっている。楽師の奏でる立風琴(リュシ)が幾重にも重なって音律を紡いでいる。
 イルファはその威風堂々とした体格を見込まれたのか、男達に挑まれて酒の呑み比べの真っ最中、レスファートもいつものように女達に囲まれて菓子をもらっている。
「踊ってこないの?」
「一人と踊ると後が怖い」
「…わかるような気がするよ、身をもって」
 ユーノは溜め息まじりに答えた。正直、さっきから周囲の女達の視線が痛くてならない。
(そんなのじゃないのに)
 素っ気ないアシャに焦れたのだろう、ついに一人の美女が誘いをかけてきた。
「旅のお疲れは存じておりますわ。でも、そのお疲れを、いささかでも癒せればと願う私達の気持ちも受け取って頂けませんの?」
「どうする?」
 こそりと尋ねるユーノに、アシャは溜め息を返す。
「行って来る。ミダス公の親族だ」
「ふうん」
 気怠そうに壁から離れたアシャを美女が誇らしげに迎え、一気にその周囲に女達が集まった。
(あの中で、まだ見劣りがしないというのが凄いよな)
 ちらりとユーノを見やって来る美女の視線の意味は重々わかるが、その美女と並んでもアシャの方が華やかに見えるあたり、罪作りな男だとつくづく思う。
 アシャを迎えた女達が、唇の端に浮かべた笑みと一緒にこちらを眺めるのがうっとうしくなって、ユーノもまた体を起こしてテラスへ逃れる。
 テラスが突き出した庭園には濃い樹木の影が落ちている。月が昇って辺りを冷たく照らしているのだ。
 木々の触れ合う音、ジェブだろうか、覚えのある葉鳴り、鼻腔を清めるような樹の香り。
(やっぱり、夜会は苦手だ)
 清冽な夜気を吸い込みながら目を閉じる。
 人の思惑を操れると思っている男女、駆け引きを楽しむやりとり、着飾り宝石を煌めかせる人々の掌で躍る酒や菓子、そして誰が上か誰が下かと比較し続けている視線。
(駆け抜けてしまいたい)
 心の中にいつも広がる、この果てのない草原の光景を。どこへ辿り着くあてもなく、途中で倒れるかも知れない命も構わない、ただただ己の速度をひたすら上げて走り去ってしまいたい。
 きっとユーノがセレドで夜会に出ずにレノを駆っていたのは、自分の容姿のことだけではなく、もっと猛々しく鮮やかなこの感覚に自分を任せていたかったということもあるんだろう、と初めて気づく。
 そして、それはラズーンへ旅立とうと思った瞬間にも胸の底にあった、とも。
(どこまでも、どこまでも)
 走り去る金色の影、群れからただ一頭離れた月獣(ハーン)のように、自分の角を振り立てて。
(そうか……逃げていたばかりじゃ、なかったんだ)
 自分の生き様を周囲の基準でばかり考えていたから、自分の容姿を引け目に思って逃げ回っていると感じていた。
 けれど本当は、ユーノは誰かと妍を競うよりも、まだ知らない広大な世界を駆け抜けていくことを願っていたに過ぎないのかも知れない。
(それこそ)
 そのためにどんな傷を負うことになっても、まっすぐに彼方の世界を進みたい、と。
「…なんだ……そうか」
 微かに笑った。
(誰のためでもない、というのは正しかったんだ)
 ユーノはユーノのために、ユーノが本当にしたいことのために戦い続けてきたのかもしれない。
(私の願いを叶える、ために)
 今まで感じたことのない開放感に胸が澄んでいく気がした。
(まっすぐに……いこう)
 この命の果てるまで、最後の息を引き取る瞬間まで、思うままに駆け抜けよう。
「ふ…う」
 深呼吸をして目を見開いた。
 目を閉じる前よりも一層鮮やかに見える夜景に見惚れる。
「ユーノ」
「っ」
 ふいに声がかけられ、はっとして振り返った。ゆっくり近づいてくるリディノに緊張を解く。
「お疲れですか?」
「いえ…こういう場は苦手で」
 柔らかく微笑む相手に笑み返す。
「この衣装だって無理に着せられたんですよ。あの傷を見せたままというのも、あまりに見栄えが悪いと」
「あ」
 リディノは体を固くした。頬を赤らめて、おずおずと、
「さきほどは…申し訳ありません……私」
「ああ」
 ユーノは笑った。
「いいんです。誰だってびっくりしますよ」
 自分でも信じられないほど軽く答えられた。
「でも」
「気にしてませんから」
「よかった…」
 ほ、と溜め息をついたリディノは、ふいに別のことに気づいたようにユーノを見た。
「もう一つ、聞いても構いませんか」
「ええ、どうぞ」
「あの……その衣装……アシャ兄さまが着せたのじゃありませんわね?」
「は?」
「あの…だから…」
 リディノはもじもじしながら俯いた。耳の辺りまで桜色に染めて小さな声を絞り出す。
「その衣装を男の方が着せるということは……その……着せるのを手伝う、ということ、は……夫と妻…だから…できることであって…」
「あ」
(アシャの奴!)
 顔に血が昇る。一人で着れるの着れないの、脱ぐの脱がないのと、妙に拘っていた理由がよくわかって、一層むっとした。
「そんなことはありません」
 ことさら強く否定する。
(あのくそ野郎、私が知らないのをいいことに何を考えて)
 人をおもちゃにしやがって。
「私とアシャには何の関係もありません」
 不安そうなリディノを安心させようと思わず強く言い放つ。
「本当? ああ…」
「っ」
 ふわりといきなり抱きつかれてぎょっとした。
「よかった! アシャ兄さまが旅に出ていらっしゃる間、それだけが心配だったの」
「へ?」
 奇妙な物言いに過熱していた頭が一気に醒める。
(今、なんて)
「私、小さい頃から、アシャ兄さまだけがずっとずっと好きだったの!」
 無邪気にユーノを見上げて笑み綻ぶリディノの安堵に、ことばを失った。
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