アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ

夜霞

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決意・5

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「母上からは愛を与えられず、父上を亡くした以上、二度と誰からも愛を与えられないだろうと思っていた。俺自身も一度死にかけたことで、愛を忘れたと思っていた。でもそうじゃなかった。与えられた愛は、何年経っても、何があっても、色あせること無く自分の中に残り続けるんだ。それをお前が思い出させてくれた」

今でも時折あの雪深い北部で凍死しそうになった日を思い出す。
どこを向いても灰色の空と雪山しか見えない大地、視界を奪う雪を纏った寒風、身を切る様な風で徐々に熱が奪われていく身体。
手足が動かなくなり、やがて口から洩れる白い息さえも途絶える様になる。
雪の上に倒れて、重くなっていく瞼と黒く染まっていく視界の中、ただ音もなく雪が降り続ける暗澹たる空を眺めていた時、オルキデアは身も心も氷に覆われていくのを感じた。
もう何も感じたくなかった。父が死んだこと、母に捨てられたこと、そんな自分がこれから死ぬこと。

あの時、オルキデアの感情は全て凍り付いて、二度と溶けることは無いと思っていた。
軍人として、ただ黙々と仕事をする中で、太陽の様に温かな光を放つ女性と出会った。
少女の可憐さと女性の華麗さを併せ持つ、敵国から来た佳人ーーアリーシャに。

彼女と触れ合い、共に笑い、同じ時間を共有する中で、凍った心が音を立てて氷解していくのを感じた。全ての氷が解けた時、彼女を欲する自分の気持ちに気付いた。
独占欲にも似た、自分の内側から湧き続ける彼女への愛。
一度気づいてからは歯止めがきかなかった。自分の身体を満たし続けて、心身を熱く燃え上がらせた。そんな激情に彼女も答えてくれた。
彼女への想いを口にして、差し出した花束を受け取って貰えた時、興奮で身体が大きく震えた。唇を重ねた時、自分の感情が昂っていることをアリーシャに気付かれてしまうのではないかと不安になった。
その後もアリーシャと交じり合う度に心は浮き立った。
共に父の墓を参り、祭りで愛を確かめ合い、海で泥だらけになって砂の城を作り、半年と言う短い間ではあったが、至福に満ちた時間を過ごした。
この時間が一生続けばいいと思う程にーー。

「オルキデア様……」
「たとえどんなに遠く離れたとしても、俺たちの仲が国や戦争で何度引き裂かれたとしても、俺はいつまでもお前を想っているよ」
「なんで、そんなことを言うんですか……。そんなことを言わないでください……」

アリーシャから飲みかけのコップを預かって、サイドテーブルに置く。
すると掛布を捲った音が聞こえてきたかと思うと、身体にしがみつかれたのだった。

「戦場に行くんですか? それとも、どこか辺境の地に行かされるんですか?」
「それは……」
「行かないでください……いいえ、私も一緒に行きます!
貴方がいなければ、私は生きていけそうにないです。ずっとずっと、一緒にいます。だって約束したじゃないですか……」

アリーシャと小指を絡ませて指切りを交わしたあの夜を思い出す。
これからは何があっても一緒にいると約束した。どこに行くにしても、必ずアリーシャを連れて行くと。
けれども、これから向かう先にアリーシャを連れて行く訳にはいかなかった。
良くても牢か軍事法廷、悪ければ処刑台か。

「アリーシャ……」
「今日のオルキデア様はおかしいです! まるで今生の別れみたいなことを言って……」

そう言って、アリーシャはますますオルキデアの服を強く掴んで来る。やはりいつもより熱っぽいアリーシャの華奢な身体を優しく抱きしめ返すと、その身体を自分から離したのだった。

「今生の別れか……。そうかもしれないな」
「えっ……?」

そうしてサイドテーブルに置かれていた飲みかけのコップを掴むと、それを一気に呷る。
呆気に取られたアリーシャをベッドに押し倒すと、柔らかな唇に口づけたのだった。

「……ッ!?」

時計の秒針の音だけが響く部屋の中、口の端から溢れた水がアリーシャの頬を流れて、シーツに吸い込まれていった。
最後にアリーシャの桜唇をひと舐めすると、そっと身体から離れたのだった。

「お前は出会った頃に比べて、ずっと強く美しくなった。俺にはもったいないくらいに」
「オルキ、デア、さま……」

ようやく衝撃から立ち直ったアリーシャだったが、身体が重いようで、身動きが取れないようだった。

「おやすみ。アリーシャ。どんなに遠く離れていても、俺はいつまでもお前を想っているよ」
「い、や……! まっ……! からだ、うごかなっ……!」
「こんな俺を愛してくれてありがとう……幸せにな」

微かに持ち上っていたアリーシャの腕がベッドに落ちたかと思うと、やがて寝息を立て始める。
乱れたシーツを整えていると、白く細い左手薬指に嵌まった結婚指輪が目に入る。 
二人で結婚指輪を買いに行った時を思い出しそうになったが、頭を振ると追い払ってしまう。

アリーシャの左手首を掴んで薬指の結婚指輪を引っ張ると、二人の夫婦の証は呆気なく外れてしまう。
それをサイドテーブルのコップの隣に音も無く置くと、これ以上体調を崩さないように、アリーシャの肩まで掛布を掛けたのだった。

(これでいいんだ。これで……)

アリーシャから離れて、部屋のクローゼットを開けると、カバンを取り出す。
その中に目的のモノが入っていたことに驚きつつも、その上に適当に洋服や下着、靴を詰めたのだった。

カバンをベッド脇に置くと、スープ皿と空になったコップを載せた盆を持って、最後にベッドで眠るアリーシャを一目見てから部屋を離れる。
電気を消すと、脇目も降らずに部屋を後にしたのだった。
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