名もなき弱い者たちの英雄

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おまけ(3)

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 ノラでもディアでもない、どこかの弱い者のお話です。
 本編とは関係ないので読まなくても全然大丈夫です。

 それでも良ければ、どうぞ!



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『どこかの弱い者たちの勇者』




 ある日、俺たちの集落に強い悪魔がやって来た。

 ただ暇を持て余していたのだろう。明確な理由や目的などある訳もなく、通りすがりにたまたま目についてしまった……ただそれだけの理由で俺たちの集落は今まさに呆気なく終わりを迎えようとしている。

 突風のごとく空から舞い降りてきた悪魔は、その強い風に煽られて遠くまで吹き飛び地面に這いつくばる弱い俺たちの姿を眺め、心底楽しそうに嗤った。そうして、そこら中にある周辺の木々を仰々しく見渡した後「樹木より弱い悪魔なんてこの魔界に存在する訳がない」なんて宣うと、反論する間もなく自分勝手で一方的な粛清を始めてしまったのだ。

 個として魔界で生きるには脆弱過ぎた俺たちは、集う事で強者の目を潜って何とか必死に生きてきた。けれどどんなに集った所で強者相手に抗える術など持たない。力の差は歴然だった。強い悪魔が戯れに繰り出す無数の棘に仲間はどんどん数を減らしていくばかり。助け合うどころか仲間を押し退け、踏み付けてでも自分だけ助かろうと躊躇なく動けるあたり、どんなに弱くとも俺たちも悪魔の端くれなんだろう。既に初回の攻撃で足を深く傷つけられ、去っていく仲間達を呆然と見守りながら死を待つばかりの俺はそんな風に思った。

「……ここが人間界なら勇者が助けに来てくれたのかなぁ」

 口伝てに人の世の噂は冗談交じりに語られる。何の見返りもなく弱者を助けようとする存在なんて馬鹿な人間にしか生まれない。そうやって悪魔は人間を見下し、愚か者の常套句のように扱ってきた架空の存在が勇者だ。当然俺だって馬鹿にしていた。それを今更思い出してどうするのか。いつ死んでもおかしくない状況で自分の馬鹿さ加減に笑いが漏れた――その瞬間だ。

 半歩先が黒い炎に包まれた。いや、それでは正しくない。俺の半歩先に広がるのは大きな大きな半球が黒い炎を内包して、その中心に立っていただろうあの強い悪魔を易々と呑み込んでしまっただろう光景だった。感じた事のない禍々しく濃い魔力に脳が激しく揺さぶられ、気を抜けばその場に倒れ込みそうになるのを必死に耐える。何だ、何が起こっているんだ。耳障りな嗤い声も仲間の悲鳴も一瞬にして途絶えてしまった静寂の中、美しい暗闇が俺たちの下に音もなく舞い降りてきた。

 姿かたちが本当に綺麗な個体だった。

 悪魔にとって美しさは強さの象徴でもある。ゾッとするほど整った顔が未だ燃え続ける半球を無感動に見つめ、次にはこちらにぐるりと向けられた。艷やかな黒髪の隙間から覗く金色の瞳は装飾品よりも輝いているのに温度はない。血を塗ったような紅い唇が僅かに開く様に、その場に居る誰もが呼吸も忘れて魅入っていた。

「やっぱこんな奴らでも服は着てるよな」

 耳に届いたのは至極つまらなそうな呟きだった。その言葉の意味は分からなくとも、弱い俺たちの事を獣か虫ケラと同等だと思っている事くらいは伝わる。相手が少し変わっただけで、こいつも先程までそこに立っていた悪魔と同じ。助かっただなんて安心は出来なかった。

「それより――この辺りに甘い樹液を出す木があるって聞いたんだが、誰か知っている奴は居るか?」

 ただ一つ違うのは、この黒い悪魔には目的があったらしいという事。よく響く大きな声で誰にともなく掛けられた問いに、俺たちは黙って顔を見合わせたけれど、そのうち無言の圧に堪えきれなかった仲間の一人が恐る恐る答えた。

「それは多分……コチュの樹の事じゃないかと。ノーランなら生えてる場所を知ってる……と思います」
「あ? ノーラン?」
「あいつ、あいつです!」

 名前を出された時点で竦み上がっていた俺は、指を差されても全てを諦めて項垂れるしかなかった。己の保身のため、仲間に生け贄として差し出されてしまったのだ。どうせ傷を負ったこの足ではここから逃げ出す事も出来なかったが。

「お前か? ノーランって名前だよな?」

 問われ、黙って頷く。黒い悪魔は俺のすぐ目の前まで来ていた。痛いほどの視線を俯いた頭に感じる。

「コチュ? その樹液が欲しい。案内できるか?」
「場所なら分かる……けど、この足じゃ……」
「あーなんだ、お前立てないのか」

 そう言うと黒い悪魔は引きずって行こうとでも思ったのか、こちらに手を伸ばす気配がした。なのにそれが途中でピタリと止まったのを不思議に思い、半ば無意識に顔を上げると何故か美しい顔を盛大に歪ませている。俺みたいな下等な生き物には触れたくもないのかと思えば、そうではないらしい。

「もしかして動かすと死ぬか?」

 面倒臭さを隠す気もなさそうな響きではあったけれど、一応はこっちの命を心配されているようだった。妙な事もあるものだ。コチュの樹が目当てのようだから、この場で俺に死なれると多少は困るのか?

「……まぁすぐ死にそうな名前だもんな、お前」

 そう言って何故かほんの僅か笑った黒い悪魔は驚く俺をよそに服の装飾を惜しげもなく引き千切り、手の中で細かく砕いて俺の足へと振り掛けた。キラキラと輝く魔力を帯びた砂粒が吸い込まれるように消えると、惨たらしい傷口がみるみる塞がっていく。魔力を取り込めば傷の治りは早くなるけれど、こんなにも劇的に癒えるなんて話は聞いた事すらない。

「すごい……」

 素直な感嘆が洩れるが、黒い悪魔はそんなのはどうでも良いとばかりに冷酷に「立てるなら立て」と案内を急かす。さっき一瞬笑った気がしたのは見間違いだったのだろうか。欠片も残さず幻のように消えてしまっていた。

 立ち上がってみると痛みさえもすっかり消えていたものの、常にない濃い魔力を取り込んだせいか足元が覚束ない。ヨタヨタと歩き出した俺に、黒い悪魔は黙ってついてきた。

「要るのはどれ位の量? あの樹液は採るのに結構時間かかるけど」
「とりあえず両手……いや、片手あれば良い」
「なら三日分くらいか」

 目をつけたコチュの樹に穴を開けて筒を挿し込んで常に溜めてはいる。しかしコチュの樹自体、森の中でもそう多くはない上に樹液を吐き出さない物もあって一度に採れる量が少ない貴重な代物だ。とはいえ、甘いだけで何の魔力も持たない樹液なんて悪魔にとってはほぼ無価値なのだが。

「あんな物、何に使うんだ?」

 興味本意で尋ねてみる。道中畏まった態度をとらない俺をこの悪魔は意外にも咎めたりはしなかった。目的を果たすまで殺されはしないだろうって打算もあったけれど、殺したいなら好きにすれば良いと思う気持ちの方が大きい。この短時間の出来事で既に心は疲弊していて自暴自棄になるには十分だった。

「は? 何にって……食う以外に何があんの?」
「あんな物を食うのは獣くらいだ。少なくともこの集落の悪魔だって食わない」
「へぇ……案外良いもん食ってんだな、お前ら」

 そこで黒い悪魔がまた微かに笑った。何だか変なやつだ。妙なタイミングで感情を見せる。着ている服ひとつとっても俺たちとは比べられないほど立派な物で、敬われ傅かれる立場に居るのが分かるというのにこんな弱い悪魔相手に普通に会話をしてみたりもする。

 その上、仕掛けを施した樹にたどり着くと、筒から垂れる樹液に触れて手ずから口をつけてしまった。ましてや「悪くないな」なんて満足げに微笑んでいるから、いよいよ正気の沙汰ではない。

「獣しか食わないって教えてやったばっかりなのによく食えるな」
「ただ魔力がないってだけで、不味いかは別だろ?」
「それはそうだけど……」
「お前こそ、食いもしないもんを何で集めてんの?」
「そりゃたまに買ってくれるやつが居るからだよ。上手い事やればもっと良い物と交換してくれるから」

 俺は弱いからそうやって食いつないで何とか生きている。売った先の事にまで興味はないけれど、魔力の関係ない人間界辺りで捌いているんだろうと思っていた。

「――それならどっかに備蓄してんだろ、全部寄越せ」

 相手は悪魔だ。こうなる事は明らかなのに、俺はペラペラと余計な事を喋り過ぎてしまったらしい。さっきまで片手ほどなんて言ってた口で、隙あらば根こそぎ奪っていく。内心こいつは他の悪魔とは違うなんて思いかけていたのか、落胆してしまっている自分が憎かった。

「ああ別にいいよ、命を救って貰ったし」

 この悪魔が現れなければどうせ失っていた命だ。全てがどうでも良い。力こそ全ての魔界では弱者が強者に搾取されるのは常識なんだから。勝手に何かを期待して落胆する方がどうかしている。

 俺は黒い悪魔を家に連れ帰り、長年かけてちまちま溜めていた樹液をバカ正直に残らず全て差し出してやった。待っている間、どろりとした樹液の詰まった瓶を意味もなく光に透かして眺めていた黒い悪魔は机に並ぶ瓶をさらっと数えると掌を俺に向けた。

「ん、じゃあこの魔石で良いか?」
「は? 魔石?」
「足りないとか面倒くせぇこと言うなよ? せっかく助けてやったのに殺したくなるだろ」
「いやそうじゃなくて……俺相手にこんな……見返りがあるだなんて思わなかった」

 渡された魔石は手の中で輝いていた。小指の先ほどの大きさしかないけれど中に圧縮された魔力は恐らく俺の一生分は余裕である。つまりこの魔石から魔力を取り込めばこの先ずっと俺が食う者に困る事はないってわけで、樹液の対価にしてもあまりに高価過ぎて載せた瞬間から指先はずっと震え続けていた。

 もう本当に意味が分からない。どういうつもりなんだ。善意なんてこの魔界には存在しない。そんな愚かな存在は人間界にしか居ないはずなのに。

「じゃあ……あの悪魔から助けてくれたのは何で?」

 目の前の相手なら力づくで奪っていくのも簡単だろうが、樹液が目当てなら助けた恩を口実に延々と搾取する方が長い目で見れば効率が良い。困惑した俺はそんな自分にとって分かりやすい理由を求めていたのだが。

「は? 何だそれ、どの悪魔だよ」
「あんたが殺した悪魔だよ! 黒い炎で! 俺たちを助けてくれたじゃないか!」

 惚ける姿に思わず大きな声が出た。自分でも、せっかく助けてやったと言っていたのに、心当たりがないとでも言いたげに首を傾げられる。

「……あ、あれか。あれはただ笑い声が耳障りだったから殺ったけど、別にお前らを助けたつもりはない」

 黒い悪魔は白けた顔で言う。

「お前らが勝手に巻き添えで死なないように、この俺がわざわざ手間かけて炎を小さく調整してやった方に感謝しろよ」
「感謝もなにも……そんなの分かる訳ない」

 あまりの言い草に腰から力が抜けてヘナヘナと座り込んでしまう。そもそもこの黒い悪魔が魔法を放った時、運悪く巻き込まれてしまった仲間は少なからず居たのだ。その事を非難する気はないけれど、恩を売るにはあまりに杜撰だと思わずにはいられない。

「弱い者いじめすんなって約束したからなぁ」

 約束。誰かと。黒い悪魔の時折柔らかくなる口ぶりに誰かの存在を薄らと感じていた。きっと樹液が必要なのも、弱いものいじめを嫌うのも黒い悪魔以外の誰かなんだろう。顔も知らないそいつが居なければ俺たちはきっと今日死んでいた。噂ではなく、どうやら確かに勇者は存在していたらしい。そしてたぶん、確信はないけれど――

「まぁとにかく手っ取り早く手に入って助かったよ、ノーラン」

 ああ、やっぱり。どうやらその誰かは俺の名前に近いらしい。

 手加減してなお強い悪魔を一瞬で燃やし尽くしてしまったあの炎。今まで目にした何より綺麗な姿をした黒い悪魔は俺にとって神と等しく強くて無慈悲だ。けれど、知りようがない場所でさえ律儀に約束を果たしてしまう所を好ましいと感じる。誰かを前にした時、あの温度のない金色の瞳はこの魔石より美しく輝くのだろうか。

 黒い悪魔が去った後、しばらくして使いだという虫型の悪魔が俺を訪ねてやって来た。またあの黒い悪魔が樹液を求めてくるかもしれないと新しくコチュの樹を何本か探していた矢先のこと。

 食糧を確保する心配がなくなったおかげで自由に使える時間が増えた。以前より採れるようになった樹液はまた魔石と交換して貰えた上に、その虫型悪魔はいつからか俺の傍で代わる代わる護衛のような事までしてくれるようになってしまった。

 仲間に隠してはいても何かを勘付かれて嫉妬する者も居る。コチュの樹とそれを採取する俺は一応保護されているようだ。それにあの樹液は虫型悪魔には嗜好品として中々人気がある。勝手に亀裂が入ってしまう古いコチュの樹に夜な夜な張り付くようにして洩れた樹液を啜っている姿を初めて目にした時は大層驚いたものだが。

 それに、もっと驚いたのはもう一つ。

 一度だけここに黒い悪魔が何かを連れて来たことがあった。近づく気はなかったので遠目にしか見てはいないけれど、美しいばかりで無機質な黒い悪魔が何かを大切そうにその腕に抱えていた。楽しげな笑い声まで聞こえてきたのには自分の耳を疑った。

「ディアーここであの美味しいやつが採れるの?」
「採れるけど直飲みすんなよ、汚ねーから」
「えっ嘘でしょ、飲み放題じゃないの?」
「バカか。ちょっとずつしか出ないって言っただろ」
「えーディアが全力で吸っても? 無理だった?」
「そもそも吸わねーわ。バカか」

 不思議とその周辺だけ空気が柔らかく感じた。かろうじて見えた忙しなくぴょこぴょこと動く尻尾でその生き物が悪魔だと知る。そうか、悪魔……悪魔だったのか。俺たちを、いや俺を救ってくれたのが同じ悪魔だった事を知り、自然と口角が上がる。悪魔の中にも弱い者を救ってくれる勇者は居た、何故かその事実が妙に嬉しかった。もう愚か者だなんて嗤ったりはしない。

「でもこの樹液、本当に本当に美味しいんだよ」

 俺の採ったもので喜んでくれるのなら、たくさん採ろう。あの小さな勇者が腹いっぱい食べれるように。それが俺に出来る精いっぱいの恩返しなのだから。



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