静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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公爵令嬢来訪

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 ラビが戦争に赴いてから一ヶ月が過ぎた。一週間や二週間で戻ってくるとは思っていなかったが、一ヶ月経っても戻ってこない事から長引くのではないかと不安になる。
 手紙はちらほら届く。でもそれもとても短いもので、手紙というよりはメッセージカードに書く程度の言葉。

『無事です』
『必ず帰ります』

 その言葉の繰り返し。手紙を開ける楽しみはなくとも別の言葉が書かれていない事に安堵する。といっても一ヶ月でその言葉が届いたのは四度だけ。あらかじめ書いておいた物を日時指定で送るよう命じているのではと考えなくてもいい不安を自ら呼び寄せる。
 一人で過ごすのは嫌いではなかった。ルスで暮らしていた時は一人の時間ばかりだった。妹のフォスは友人が多くて、いつも誰かのお茶会に出席していたから家にいなかった。でも寂しいと感じた事はない。あんなに大きな城に住んでいたというのに。
 この家には使用人もいないし、家族もいない。二人で暮らし、一人いなくなっただけなのに静かというよりは静寂を感じる。寂しいという感情を久しぶりに感じている状態にアーデルは一人苦笑する。
 人がいる空間で暮らせていた事がどれほど幸せであったか。
 ラビは物静かな男だ。焦れば声は大きいが、それ以外はとても静かで穏やかに話す人。それが一緒にいてとても心地良かった。暖炉の前のソファーに二人で腰掛けて別の本を読む。会話は一切ないのに、そこにあるのは静寂ではなく暖かく穏やかな時間だった。
 アーデルの前にある暖炉はいつもどおり火がついていて部屋を暖めてくれている。でも少し寒く感じる。

「隣に人がいるって暖かい事だったのね」

 初めて知った。
 あとどれだけ続くのだろう。メヴロはそれほど大きな国ではない。かといってルスほど小さな国でもない。軍事力はどうなのだろうか。戦争を仕掛けるのはヒュドールだと言っていた。対峙する力がなければ一ヶ月も戦争が続くはずがない。昼夜問わず、寝る間もなく続いているわけではないだろう。手紙が送られてくるのだからそれを書く時間ぐらいはあるということ。長引くとか、もうすぐ終わるとも書いていないためアーデルは想像しかできず、一人の時間が長くなるほど不安が大きくなる。
 馬の世話をしようにも馬はラビと共に戦場を駆け回っている。散歩に行こうにも一人で市場まで行くのは少し不安で、たまに外に出て深呼吸をするぐらい。それから、父親やココに手紙を書く程度。本を読もうにも家にある本はほとんど読み終えてしまった。感想を言い合う相手もいない。
 退屈という言葉の本当の意味を身をもって経験しているところだ。

「来客の予定なんてあったかしら?」

 ドンドンとドアを叩く音に気付いて立ち上がる。
 ココや父親なら事前に連絡を入れるはず。もしかするとラビが約束していた相手がいるのだろうかと玄関へと向かった。
 突然やってきた戦争の知らせ。予定が入っていた相手に知らせる事もできなかったのだから知らせなければとドアを開ける前に服の裾を軽く叩いて埃を払ってからドアを開けた

「……シャンディさん」
「ごきげんよう、アーデル王女」

 ゲッと言葉を発さなかった自分を褒めてやりたい程には会いたくない人物だった。

「ラビ皇子なら戦争に──」
「知ってる。ヒュドールで暮らしてるし、ラビから手紙も来たから」

 ラビが戦争に行っていると知りながら来たという事は目的は自分。あまり良い予感がしない状況にアーデルはどうすべきか考えているとシャンディは考え事をしているアーデルを無視して中に入っていく。

「あ、ちょっと!」

 勝手に入っていくシャンディを止めるにもすぐに奥へと進んでしまったため諦めてドアを閉める。溢れてしまいそうな盛大な溜息を飲み込んで後を追って暖炉の前へと向かう。

「何、この絵」

 暖炉の上にかけてある額縁に入った似顔絵を不愉快そうな表情で見るシャンディにビバリーで描いてもらった物だと説明すると更に不愉快さが増したのが伝わってくる。

「写真じゃなくて似顔絵だなんて随分と貧乏なもので済ませたのね」
「ビバリーの歴史を描き続けている画家さんの画集を買ったら似顔絵を描いてくださったんです。ですので、思い出として飾っています」
「思い出、ねぇ。見せつけるようにこんなもの飾るなんて意外と図太い神経してるのね。驚きだわ」
「見せつけるつもりはなく、初めての旅行で得た思い出をいつでも眺められるようにと彼がここに飾ってくれました」

 アーデルの一言一言がシャンディの癪に触る。写真だけでも気に入らないが、その他にも目につく物があった。

「ラビは花は好きじゃないの知ってる?」
「いえ、知りませんでした」

 フッと馬鹿にしたようにシャンディが笑う。

「夫婦なのにそんな事も知らないの? ラビはね、花に興味はないの。花はすぐに散ってしまうからって。それなのにあなたったら、ラビが強く出られないのを良い事に自分の好き放題してるってわけね」
「好き勝手はしていません」
「あらそう。じゃあ、ラビがいない間に彼の家で彼が好きじゃない物を飾って自分の家として侵食していくつもりなのね」
「そうではありません」
「言っとくけど……」
「花を飾ろうと言ってくれたのは彼ですから」

 その言葉にシャンディの思考が停止する。この女は何を言った? 彼が飾ろうと言った? 自分からの花は断ったのに? 花はすぐに散ってしまうからいらないと言ったはず。あり得ない。彼はあとで誰かに責められたりしないよう矛盾した発言はしないと決めている。そんな人間が人によって態度を変えるはずがない。ましてや相手は自分だ。口うるさい幼馴染。他の誰に嘘はついても自分にだけはつかないと思っていたシャンディにとって衝撃の言葉だった。
 強がろうにも吐き出す息が怒りで震える。アーデルの意に介してもいない態度がますますシャンディの怒りを増幅させる。
 まるで自分達が幸せであるかのように変えられていく家の中。ここはシャンディにとって秘密基地のような場所だったのに、そこにアーデルが入り込んで変えていく。それをラビが許している状況が許せなかった。

「いい気にならないでよね!」

 突然の大声にアーデルの肩が大袈裟なまでに跳ね上がり、驚きに目を見開く。

「な、何がでしょうか……」
「ラビの事よ! 夫婦ごっこなんて楽しんでないで、さっさと愛人でも作ってラビを解放してあげて!」
「解放?」
「そうよ! ラビは人と会話するのが苦手なの! それをあなたと結婚させられたせいで毎日毎日したくもない会話しなきゃいけないし、必要最低限の物しか置かないと決めてた家にあれこれ置かなきゃいけないなんてラビにとってはストレスなの!」

 近くにいるのだから小声で話しても聞こえる家の中で響き渡るほどの大声を発し続けるシャンディにアーデルは参っていた。激しくざわつく心臓をどうにか落ち着かせようと深呼吸をする。

「彼は人と話すのが苦手なだけで出来ないわけではありません」
「そんなのわかってるわよ! でもね、知らない相手と結婚させられた事でラビは窮屈な思いをしてるの! それがわからない!?」

 怒鳴られ続けると心臓がおかしくなりそうになる。今は助けてくれる人がいない。シャンディの相手は自分がするしかなく、その対処法はまだ浮かんではいない。呼吸が乱れないよう拳を握ってなんとか耐える。風を浴びようとキッチンに向かい、小窓を開けた。外から吹き込んでくる風に呼吸がちゃんと出来ているのを感じて安堵する。
 彼女の感情の激昂はラビへの愛からであることはわかっている。結婚式で見た彼女の行動は常識的ではなかった。王族の結婚式に幼馴染だからといって新郎にハグをするなど非常識もいいところ。そんな人間がこうした行動に出るのもおかしな話ではない。かといってこのまま相手の怒りが収まるまで待っていると自分の精神がやられてしまいそうだった。

「シャンディさん、私達は政略結婚で夫婦となりましたが、それでもちゃんと互いを尊重し合い、絆を紡いで夫婦になろうと決めました。愛人を作るという考えは微塵もなく、二人の時間と生活を大切にしながら生きていくつもりです」
「私の話、聞いてなかったの?」
「聞いた上で言っているのです」
「じゃあ言葉が違うでしょ!! ラビは戦争に行ってるの! 心を鬼にして人を殺して勝ちを掴んで帰ってくるの! それを癒すのはあなたじゃなくて私なのよ! あなたは邪魔なの!」

 怒声が続くもアーデルの心は不思議と落ち着き始めた。怒鳴られるのは怖い。だけど、彼女が言っている事があまりにも幼稚だったため怯える必要はないと判断した。
 妻より権力を持つ者がいるとすれば親だけ。幼馴染は当然妻以下。何を主張したところで勝ち目はない。それがわかっているからシャンディはアーデルが邪魔だった。

「彼は必ず帰るから出迎えてほしいと言ってくれました。私は彼の希望どおりにするつもりです」
「……は……?」

 アーデルは嘘つきだ。でなければラビが本当に彼女にそう言った事になってしまう。自分でさえ言われた事がない言葉を結婚して数ヶ月の相手に言うはずがない。ラビはそう簡単に心を開く男ではない。アーデルの父親からなんらかの脅しをかけられているのであれば話は別だが、もしそうであればラビが愚痴をこぼしに来ているはず。
 なら、彼が本当にそう言ったのか?
 信じたくない言葉だが、それが本当だとしたらと込み上げる怒りを抑えきれないシャンディは大きく息を吸い込んで今日一番の怒声を上げた。

「私が貸してあげてるだけなんだから!」

 耳を劈くような声量に驚きはあったが、それよりもシャンディが悔し紛れに発した言葉にアーデルの中で何かがプツンと音を立てて切れた。

「皇子である彼に許されていたせいか、それともご自分の身分を勘違いされているせいかは存じませんが、あなたが品もなく怒鳴りつけている相手は王族です。ここに来てからの振る舞いはそれを理解した上での事でしょうか?」
「な、何よいきなり……! 今更権力を振り翳そうっていうの!?」
「今更ではありません。私はあなたと友人になったつもりはありませんし、彼のようにふざけた態度を許すつもりもありません」
「私はラビの幼馴染なのよ! あなたこそ立場を弁えたらどうなの!?」

 嘲笑さえ込み上げない発言にアーデルが静かにかぶりを振る。

「夫の幼馴染は他人です。立場を弁えるのはあなたのほうです」

 アーデルはシャンディにそれなりに敬意を払ってきたつもりだ。無碍に扱うことはせず、ラビと親しくしていようとも何も言わず見守ってきた。それは彼女が幼い頃からラビの心の支えであった存在だろうから口を挟む事はしなかった。異常な数の手紙も、その内容にも口を出さなかった。出したのはせいぜい彼女が彼の頬を打った日に止めに入った瞬間だけ。それなのに幼馴染というだけで『立場を弁えろ』と凄む相手には呆れてしまう。
 言いたくない言葉ではあるが、言わなければ相手にはきっとわからないだろうと小窓から離れて玄関へと向かった。

「申し訳ございませんが、これ以上のお話は無意味です。お帰りください」
「私にそんな態度を取った事をラビが知れば怒るわよ」
「その時は甘んじて受け止めます。ですので、どうぞお帰りください」

 態度を変えないアーデルを一発殴ってやりたかったが、先日のラビのあの態度を考えるとそれは負けへの一手な気がして拳を握るだけにしておいた。
 ワザと強く足音を響かせるように強く床を打って歩きながら玄関へと向かったシャンディはドアを開けるアーデルを睨みつける。

「あなたの権力が通用するのはルスでだけよ。思い違いも甚だしいと思い知る日が来るわよ」
「そうかもしれませんね」

 どこまでも淡々と答えるアーデルの笑顔が気に食わないシャンディは頭の中でその顔に唾を吐きかける想像をした。相手はルスを出たといえど結婚したのはヒュドールの王族。結局は王族であることに変わりはない。強がりを言ったが、ヒュドールは独特な法律を持つ国。第七皇子の妻の権力などないも同然だと鼻で笑って馬車へと向かう。

「これだけは言っておいてあげるけど──」
「結構です」
「なッ──王族のくせに礼儀を欠くなんて恥ずかしくないの!? あなたの父親に手紙を出すから!!」

 叫び声に近いシャンディの喚きを聞きながらアーデルはドアにもたれかかり、そのまま床へとずり落ちた。四肢から力が抜け、手は震えているのか痺れているのかわからない。堪えていた心臓は途端に速く動き始め、呼吸を浅く乱す。目を開けているのもしんどかった。

「彼に、会いたい……」

 ラビがいるというだけで安心する。そう実感したアーデルは今、無性に彼に会いたくて仕方なかった。
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