静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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変えてくれた人

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「すみません、突然の事で」
「大変ですね」
「事が片付き次第すぐに戻りますので」
「こちらの事は気にせず、ゆっくりしてきてください」

 申し訳ないと表情のまま出発したアーデルが乗った馬車を見送ったラビは盛大な溜息を吐いた。
 昨日の朝、アーデルの父親であるヒースから一通の手紙が届いた。内容は彼女の妹フォスの婚約者についての話。父親は一応として相手は考えていたが、フォスは大反対。自分で婚約者を見つけてきたと言い出し、その相手が他国の王子である事から頭を悩ませているという。反抗期真っ只中の娘は父親の言うことは聞かないと親としての苦労が綴られており、申し訳ないが一度話を聞いてやってほしいと嫁に出た娘に国に来てほしいと頼む手紙だった。
 ラビが王子として公務に顔を出さない以上はアーデルにもその必要はなく、毎日のんびりと過ごしているだけなためいつでも出かけられる。必要なのはラビの許可だけ。
 一緒に読んでいたラビも大変そうだと苦笑し、すぐに行ってやってくれと背中を押してくれたためアーデルは申し訳ないと謝りながらもルスへと出発した。
 結婚して半年が過ぎた二人の生活は半年前となんら変わりなく穏やかで喧嘩のないもの。あまりの心地良さにラビはアーデルと結婚できてよかったと毎日噛み締めるようになった。

「静かだ」

 ルスまで片道三日。往復で六日。フォスとの話し合い次第では帰宅は二週間や三週間になる可能性もある。
 戦争で三ヶ月近く留守にしたのだから三週間なんて愚痴をこぼすまでもない短期間だと自分に言い聞かせるが、ラビは結婚してから家で一人になるのは初めてだった。もう暖炉は必要ない季節。パチパチと木が爆ぜる音も聞こえず、聞こえてくるのは家の側に生えている木で休んでいる鳥の歌声と風に揺れる木々の音。これも穏やかな一瞬だが、普段どこにいても感じるもう一人の存在がいないというだけでこんなにも静かに感じる事が不思議で、そして寂しかった。 
 三ヶ月もこんな感情を持たせていたのだとしたらと途端にアーデルに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。アーデルのあの出迎え。あれは自分と同じ感情であったと信じたいラビにとって今、こうして自分が抱えている感情をアーデルも抱えていたのだと思うと愛おしくなった。

「忘れ物かな? アーデ……」

 開けた窓から入ってくる馬車の音に忘れ物だろうかと立ち上がったラビが早歩きで玄関へと向かい、ドアを開けた。馬車はアーデルが乗って行った物ではなくウェルザー家の物。乗っているのはシャンディだとわかると表情が無に近くなる。なぜだろう。今までシャンディが訪ねてくると嬉しささえ感じていたのに今はあまり好ましく思わない。
 
「こんにちは、ラビ」
「やあ、シャンディ。今日は良い天気だね」

 機嫌が直ったのだろうか。シャンディの挨拶は軽やかだった。
 出迎えたくはないが、そうもいかない。今はアーデルがいないためシャンディもそう攻撃的にはならないだろうと安堵しているのもあって、ラビはシャンディを家の中に通した。

「随分と物が増えたのね」
「そうかな? そんなに増えてないと思うけど」

 増えたには増えた。月に一度、市場ではイベントが行われる。陶器市だったり古書市だったり様々。最近はそれを楽しみに行ったりするため物が増えたのは確かだ。

「世界地図?」

 暖炉の上には相変わらず二人の似顔絵。見ているだけでこんなにも不快になる絵はこれだけだろうとシャンディは思う。だが、これを見るのは二度目。あまり視界に入れないようにと顔を別の方向へと向けると前にここに入った時にはなかった世界地図が額に入れて飾られている。
 世界地図は既にラビが持っていたはず。でもこれではない。何故わざわざ世界地図を飾っているのかと不思議ではなく怪訝な顔で問うシャンディの顔を見ていないため彼女が抱える感情に気付いていないラビが微笑みながら地図の前に立った。

「これは百五十年前の世界地図なんだ。古書市で売られてたんだよ」
「古書市?」
「年始に夫を亡くした女性が気持ちの整理をつけるためにって古書市で売りに出してたんだ。世界を旅するのが趣味だった夫婦がとある街で買った思い出の品らしいんだけど、見ているといつまでも涙が止まらなくて夫に心配かけてしまうからと手放す事にしたって。胸の中にはたくさんの思い出がある。自分もそう長くはない人生だから子や孫に処分させる手間は取らせたくないって言っててね。アーデルと話し合って買う事にしたんだ」

 良い物を買ったと満足げな笑みを浮かべるラビを見てシャンディが嘲笑するように鼻を鳴らす。

「彼女に相談しないとあなたは欲しい物一つ買う事ができなくなったの?」
「違う。二人で話し合って決めた事なんだ。広くない家だから欲しい物を全部買っていたら座る場所さえなくなってしまうから話し合って二人の意見が合ったら購入するって。これは話し合う必要もなかったんだけどね。僕達はよく地図を見ながら空想の旅をするから」

 結局は二人の思い出の品にもなった。壁に飾って二人で百五十年前の地図を見ながら歴史にロマンを感じて語り合う。シャンディはラビと一度だって歴史を語り合った事がない。興味がないのだ。シャンディが読むのは流行が載ったファッション誌であって歴史書ではない。ましてや古書など視界に入れることすらしないのだからラビにそんな話を振ることすらなかった。
 気に入らないが、シャンディが欲しがった物ではないためラビの嬉々とした説明を無視して次の新しい物に目をやる。

「花瓶、買ったのね」
「それも市場で買ったんだ。陶器市でね」

 白く細い花瓶に花の模様が美しい一輪挿しに花が一本だけ入っている。この花はラビの家の周辺に咲いている花だ。

「花はすぐに枯れてしまうから飾らないって言ったわよね? だから私はあなたの誕生日に花を贈るのをやめたのよ? それなのにどうして飾ってるの?」

 シャンディの新たな問いにラビはまだ笑顔。いつもなら焦って答えるのに。

「これは歩いて市場に行った帰りにアーデルが見つけた花なんだ。動物が踏んだんだろうね。茎が既に折れていたから摘んで帰る事にしたんだ。でも長持ちはしないから明日には押し花にするつもりだよ」

 アーデルが来てからラビは変わってしまった。以前も感じた事だが、以前にも増して強く感じる。
 シャンディが怒るとラビはいつもシャンディが許すまで謝り続けた。なんとか機嫌を取ろうと思いつく限りの言葉を並べて、まさに誠心誠意という感じだった。それなのにアーデルが来てからは謝罪も手紙もそこそこで終わるようになった。戦争に行けば安心させるための手紙を何通も送ってきてくれたのに、今回は二通だけだった。戦争に行っているという事と戦争が終わるという事だけ。きっとアーデルにはもっと送ったのだろう。もし当たっていれば腹が立つためシャンディ自らそれを二人に問うことはしなかった。
 花はすぐ枯れてしまうから好きじゃない、の一点張りだったラビが自ら押し花にすると口にするようになった変化は間違いなくアーデルの影響。腹が立つ。

「キッチンにも物が増えてるみたいだし、きっと二階もそうなんでしょうね。なんだか、私が知ってる家じゃないみたいですごく寂しい」

 狭い家の中で二人で過ごす事を幸せとしていたシャンディにとってアーデルは侵入者であり邪魔者でもあった。だが、二人は所詮、政略結婚。人と上手く話せないラビは相手に愛想を尽かされ、すぐにでも愛人を作られてしまうはずだと思っていた。それなのにアーデルは愛人を作るどころかラビと仲良く夫婦ごっこに勤しんでいる。これからもそうするつもりだと言いきったアーデルを思い出して腹の奥が怒りで熱くなってくる。メラメラと湧き上がる怒りがシャンディに舌打ちをさせた。
 ビクッとラビの肩が軽く跳ね上がる。それを見るとシャンディの苛立ちはほんの少し鎮まる。そうだ。ラビはこうでなければならない。人の顔色を察さないラビなど自分が知るラビではないのだから。
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