静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

文字の大きさ
71 / 103

彼の真実6

しおりを挟む
「この愚か者がッ!」

 壁に打ち付けられた衝撃と痛みにかを歪ませるジュベールに飛んできたのは怒声。
 今までバカをやって叱られた事はあった。罰を受けた事もあった。しかしそれはあくまでも正当性のあるものであって自分でも納得できる結果であったため文句はなかった。でも今日は違う。自分は何も間違った事はしていない。こんな風に殴られるような事はしていないのにと、湧き上がる怒りから怒声を上げる。

「俺を殴る理由がどこにあるんだよ! 俺はコイツを教育してるだけだ! 俺は長男だ! 次期国王なんだよ! だから俺が教えてやったんだよ! 俺に逆らうとこうなるってな!」

 国民の前で恥をかかされたことが許せなかった。くだらないプライド。吠えることしか知らない哀れな人間。勝てなかったのは負けてもらえなかったからだと言っているようなものだ。
 一瞬で決まった勝敗。剣を知る者が見れば一目で分かった実力の差。八百長試合への嘲笑。それら全てはジュベール・ワーナーの哀れさを表している。
 今頃ヒュドールの酒場では大会に出場した剣士達がこぞってそんな話をしているはず。それを想像するだけで更に怒りが湧いてくる。

「お前が抱えるその感情は全てお前の責任だ。お前が長男という立場にしか縋れん弱者だから笑い者になっただけの事だろう」
「俺が弱者だと!?」
「そうではないと?」
「俺は弱者じゃない! 俺は勝者だ! ワーナー家の長男に生まれた瞬間からそう決まってんだよ!」
「ならば、それを証明してみせろ」

 流れていた鼻血と唇が切れて流れた血を袖で拭って立ち上がる。
 医師達によって処置が行われているラビに近付くと医師達が警戒する。何も言えはしないが、極力、ラビを見せないようにしていた。

「ここでコイツを殺せば認めてくれるか?」
「お前が根っからの弱者であるという事をな」

 それはさすがに冗談だろうとジュベールの発言にイルヴェ達が苦笑する。
 
「ラビッシュ、お前が回復したら二度と俺に逆らえねぇようにボコボコにしてやるからな」
「そういう発言が弱者だと言ってるんだ。お前が鍛えるのは負け犬のように吠え続ける口ではなく剣の腕だ。ラビには才がある。それを努力だけで追い越せるほどの努力がお前にできるかどうか」
「俺は長男だぞ」
「口ではなく結果で証明しろ」

 ルーカスが部屋を出るとジュベールもそれについていく。その光景を見ながらイルヴェ達は思った。ジュベールはきっと話し合いをすると思い、何も警戒せずに後をついて行ったのだろうと。ここで処置が行われているため使えないから別室に移動するだけ。ジュベールはそれをわかっていない。
 今日はきっと誰も眠れない。ラビの悲鳴は一晩中続くだろう。それに加えてジュベールの悲鳴。そして次の日は自分達の悲鳴が加わる。
 ゾッとするなんてものではない。小刻みに震える身体が止まらない。
 ジュベールはあまり賢いほうではない。自分は長男だと威張る事しかできない無能だと弟達は思っている。だから後ろをついて回って持ち上げていれば被害は被らないと利益を考えてしていた行動が裏目に出た。何をするにしても自分一人での行動ではないと残虐行為にすらそう思えず麻痺していた感覚。それでも二人は罰は自分だけが受けるんじゃないと隣に立つ片割れがいる事にまだ安堵していた。
 
「なあ、ラビッシュは死なないよな?」

 イルヴェの問いかけに医師は振り向かないまま「わかりません」と答えた。ジュベールの拷問によって既に虫の息にも近い状態だったところに劇薬をかけられたラビは意識を失う事も許されず苦しんでいる。見ているだけで痛みが移ってくるようで二人は無意識に拳を握った。
 死んでしまったほうが楽だろう状態だが、死ぬ事も許されない。ルーカスが呼んだからにはそれは生かせということ。彼らにとっても重圧だ。

「イルヴェ様、エヴェル様、陛下が部屋で待機するようご指示を出されました」

 伝言を受けた使用人が向かいに立って頭を下げる。父親は二人に罰を与える事も忘れていなかった。これは自分が呼ぶまで部屋から一歩も出るなということ。

「やめてくれッ! 親父頼む!! それは嫌だ!! それだけは!!」

 移動しようと一歩踏み出した瞬間、上から聞こえてきた懇願の悲鳴。ガチャガチャと金属が鳴る音から察するにジュベールは拘束されているのだろう。窓を開け放ったのか、よく聞こえてくる。
 ここでは、わざわざ専用の部屋を作らずともルーカスが使用人に言えば拘束道具ぐらい当たり前に出てくるのだ。それは疑問にすらならない。
 言い聞かせる行為よりも恐怖で教えたほうが早いと考えるルーカスは平気で拳を握る。これに年齢は関係なく、五歳になれば全員が平等に手を上げられる。ルールを破れば平手打ち。父親の言いつけを守らなければ拳。性別も関係ない。だから全員が怯える。

「一滴だ。長男なら堪えられるだろう」
「無理に決まってる! それは劇薬だぞ!」
「だから一滴で済ませてやると言ってるんだ」
「一滴かければどうなるかわか──」
「顔にかけられたいのか?」

 言葉を遮っての父親の言葉は最初で最後の警告。これに逆らえばそちらを問答無用で実行される。反論の声が聞こえなくなった事で二人は目を閉じた。もうすぐ聞こえてくるだろうジュベールの悲鳴に備えて。

「親父ッ親父ッ親父ッ……や、やめ……やめてくれ……それだけはやめ──!」

 街まで聞こえているのではないかと思うほどの悲鳴が上がる。本当に一滴だけなのかと疑ってしまうほどの悲鳴は劇薬がどれほど危険な物かを知らしめ、そして、感情任せに動いている長男を味方した自分達の浅はかな行動への後悔よりも父親を怒らせる事への恐怖が強まった。
 まるで殺人鬼に誘拐されて必死に脱出しようとしている映画の中の人間のように拘束具がぶつかる音を掻き消すように響く叫び声を聞きながら明日は我が身だと二人の身体は大きく震え始める。

「イルヴェ様、エヴェル様、ご移動をお願いします」

 長く仕える使用人はこれらの事に慣れきってしまっているのだろう。顔色一つ変える事なく二人に部屋へ戻るよう告げて移動を促す。
 踏み出す一歩が重い。皇子の称号など捨ててもいい。逃げ出してしまいたい衝動に駆られていた。
 それは二人とも同じなのか、同時に顔を見合わせるも実行はしない。苦笑するだけ。言葉がなくとも伝えることができる。(それは死を意味する愚行だ)と。
 生まれる家は選べない。ここで生き残るためには愚者の選択はしない事。父親の機嫌さえ損ねなければ自由に生きられるのだから。

「ラビに謝っとくか……?」
「んなことしたらチクられた時どうすんなよ」
「だよな……」

 二人は謝ってくれたとラビがジュベールに言おうものなら何をされるかわからない。やりすぎだという罪悪感はあれど恐怖心が勝る二人は重すぎる足を動かして部屋へと戻っていった。
 自分達は手を取り合って生きる家族ではなく主従関係にあると思い知らされる。
 こんな感情を持つのは何度目か。二人は数えきれないほど抱えてきた。それでも抗いはしない。大切なのは血の繋がった家族ではなく自分自身だから。

「笑ってる……?」

 顔だけに受けた痛みは全身を侵略し、喉が裂けて血を吐くほどの叫びを上げていたラビだが、二人が出ていく際、医師にはラビが笑っているように見えた。笑えるはずがない。この壮絶な痛みの中で笑える精神にはないはずなのに、ラビの唇は間違いなく弧を描いていた。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。 その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。 そこで待っていたのは、最悪の出来事―― けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。 夫は愛人と共に好きに生きればいい。 今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。 でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。 妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。 過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

愛人を選んだ夫を捨てたら、元婚約者の公爵に捕まりました

由香
恋愛
伯爵夫人リュシエンヌは、夫が公然と愛人を囲う結婚生活を送っていた。 尽くしても感謝されず、妻としての役割だけを求められる日々。 けれど彼女は、泣きわめくことも縋ることもなく、静かに離婚を選ぶ。 そうして“捨てられた妻”になったはずの彼女の前に現れたのは、かつて婚約していた元婚約者――冷静沈着で有能な公爵セドリックだった。 再会とともに始まるのは、彼女の価値を正しく理解し、決して手放さない男による溺愛の日々。 一方、彼女を失った元夫は、妻が担っていたすべてを失い、社会的にも転落していく。 “尽くすだけの妻”から、“選ばれ、守られる女性”へ。 静かに離婚しただけなのに、 なぜか元婚約者の公爵に捕まりました。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?

Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。 簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。 一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。 ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。 そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。 オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。 オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。 「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」 「はい?」 ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。 *--*--* 覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾ ★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。 ★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓ このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。 第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」 第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」 第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」 どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ もしよかったら宜しくお願いしますね!

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

処理中です...