静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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ルス滞在中3

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「ラビ……」

 アーバンでの行為がよほど精神的にキているのだろう。珍しく背中を震わせて涙を堪えるラビを見てアーデルは思わず背中をさすった。

「ごめ……なさ……」
「いいんです。謝らなくていいです」

 彼は優しいが故に弱い。弱いからこそ優しいとも言える。強いフリをして陰湿に人を傷つけようとする人間よりずっとデキた人間だ。
 よく人は生まれた時代が悪かったと言う。今よりもっと良い時代に生まれていたら自分の人生はもっと良いものだったはずだと。
 王女として生まれたアーデルにはそれを肯定する事はできなかった。今もそれは変わらない。家は燃えたし、祝福された結婚ではなかったし、夫は死神と呼ばれて恐れられ憎まれてもいる。だけど、アーデルは幸せだと言える。彼が夫で良かったと心からそう言える。
 彼に殺された人がいる。彼に潰された国がある。恐れられて、恨まれて当然の愚行だ。それは否定できない事実であり、そこにどんな理由があろうとも彼は覚悟を決めて向かったのだからアーバンについては庇いようもない。
 それでも、この涙から伝わってくる気持ちにたまらなくなり、抱きしめずにはいられなかった。

「僕は彼と戦ってでもアーバン壊滅を拒否すべきだった……」

 虚栄心か、自己顕示欲か。ルーカスを満たすためだけにアーバンを滅ぼした事は今後一生、ラビの心に残り続けるだろう。
 ギリッと歯を食いしばり、拳を握るラビにアーデルは頷く。

「こんな事……もう嫌だなんて、言ってはいけないとわかってるけど……僕はもう──」

 その言葉にラビを抱きしめる腕に力が入る。

「当たり前です! 誰だってやりたくありません! やるべきではないんです! そう思うあなたは正常です!」

 声を張るアーデルにラビの喉がキュッと絞まる。

「ッ……でも、僕は逃げたんです。自分から言い出した事だから、そこから逃げる事なんて許されないんです……」
「そこしか逃げ場所がなかったからそう言うしかなかっただけでしょう! やめたいと言ってもいいんです! あなたはもう充分、国に尽くしてきたじゃないですか! ヒュドールには死神がいる。逆らうと怖いぞって世界中に思わせるほど戦った! 誰よりも優しいあなたが心を鬼にして戦い続けた結果です!」
「僕は優しくなんてないんです。僕はアーバンでとても惨たらしい事をしました。人間のする事とは思えないようなひどい──」
「わかってます」
「え……」

 貧しくてもいいから優しい人間のもとで暮らしていたら彼はきっとこんなにも苦しむ事はなかっただろう。素敵な名前を付けてもらって、貧しいけど仲の良い家庭で育っていたら。彼にはきっとそういう場所が向いていただろう。
 でも、それでは自分は彼と出会えていない。彼が今の地位にいるから結婚できた。今が現実だからこそアーデルは告げる。

「まだ一度しかあなたを戦場に見送っていないけど、戦場から戻ってきたあなたは今ほどひどい精神状態ではなかった。だから今回のアーバン崩壊がどれほどひどいものだったか、想像するぐらいはできます。あなたがそれを業として背負うつもりなら私も一緒に背負います」
「あなたに背負わせるぐらいなら僕は──」
「一人で抱え込むのはやめてください」

 アーデルの声に少し悲しみが込められ、ラビがそれを確認しようとするもアーデルの腕は離れない。

「僕は……本当に死神なんです。僕が人前に立つとそこにはなんらかの形で必ず死が訪れる。僕が皇子としてちゃんと公務をこなしていれば死ななくていい人もいたはずなのに……!」

 ラビの言葉にアーデルがそれを否定するようにかぶりを振る。

「あなたがいたから守れた命もあります。ヒュドールの兵士の中にはきっとそう思っている人がいるはずです。あなたが味方でよかったと心強く思った人も必ずいます」

 敵であれば恐ろしく、味方であれば心強い。そんな台詞を口にしたキャラクターが登場した小説があった。創作と現実は違うが、それでもアーデルは確信していた。

「あなたを全肯定するわけではないし、否定しないわけでもありません。だけど、私はあなたがどんな道を歩もうと味方でいます。離れたりしません。あなたを汚れているとも思わないし、明日には立ち直ってほしいとも思わない。ただ一つ、あなたに願う事があるとするなら、なんでも話してほしいという事だけ」
「だけど……」
「苦しい、悲しい、怖い、嫌だ、辛い──好きなだけ口にすればいいんです。褒めてほしい時はそう言えばいいんです。子供じゃないとか大人だからとかそんな事はどうだっていいんです。私達は夫婦で、いついかなる時も共にあると誓ったじゃないですか。家で大声で叫んだっていい。一人で抱え込まないでください。私は話してほしいんです」

 これは自分のエゴかもしれないとアーデルもわかっている。それでも願いとして口にするのは彼が限界であると悟ったから。今回の事で味を占めたルーカスが他国に難癖を付け始めるかもしれない。ないとは言い切れない可能性をアーデルは危惧していた。もし次があれば、これ以上は彼は耐えられないだろう。
 それは話してどうにかなる問題ではない。行きたくないと駄々をこねたところでルーカスは許さない。妻を人質にだろう。それが手っ取り早いのは召集時でわかっているから。そうなるとラビは行かざるを得ない。
 ラビがこれ以上苦しむためにはルーカスから逃げるしかない。彼の脅威が届かない場所まで。

「あなたが笑顔で生きられるなら私は世界の果てまで行ってもいいんです。笑ったあなたが大好きだから、あなたが笑うために私は私のできる事をしたいんです」
「アーデル……!」

 自分が何を言っても心を守ろうとしてくれるアーデルの優しさに触れる暖かさに涙するラビは堪え切れずに声を漏らし、子供のように泣き始めた。抱きしめてくれるアーデルにしがみつくように腕を回して泣きじゃくる。アーデルはそれがとても嬉しかった。なんでも我慢してしまう相手が感情のままに声を上げる姿が。
 

「みっともなくて……ごめんなさい」

 一時間は泣き続けて、ようやく泣き止んだラビを連れてアーデルは手を繋ぎながら部屋へと戻る。

「爪、また噛んでましたね」
「あ……」

 爪がガタガタになっているのを指摘すると空いている手を後ろに隠した。

「帰ったら罰金箱に入れてくださいね」
「はい」

 いつもどおりの日常が待っているような言葉に希望が宿る。

「今日は一緒に寝ませんか?」

 ラビの部屋の前でアーデルが誘うも苦笑が返ってくる。

「夜中に起きても構いません。吐いてもいいです。私も一緒に起きますし、背中をさすりたいんです」
「吐いてるところは見られたくないです……」
「寝ぼけてますから」

 目を伏せて小さく笑うラビが軽く手を引いた。ドアを開けて中に入り、手を離す。

「なかなか眠れないし、眠っても夢で目が覚める。絶命した彼らの表情や叫び声を思い出して何度も吐きに行くんです」
「一生続くかもしれませんね」
「はい……」

 だから、と言ってアーデルはその場に上着を落としてから先にベッドに腰掛けた。

「一緒に寝るんです。吐いてるあなたの背中を撫でて、苦しむあなたを抱きしめて、眠れない坊やが眠れるように子守唄を歌います」
「子守唄……?」
「大雨の日、だんだんと近付いてくる雷の音が怖くて泣いて眠れなかった時、母はいつも歌ってくれたんです」
「眠れましたか?」
「最初は全然。でも、母は泣きじゃくる私にこう言ったんです。『お母様の歌声は雷に負けちゃう?』って。負けないと言ったら母は笑って歌い続けてくれました。どんなに雷が大きくても私が泣き続けても私のお腹を一定のリズムで叩いて眠るまで歌ってくれた。泣き疲れて眠っただけかもしれませんけど」
「そんな事ないと思いますよ」
「じゃあ私もあなたが眠るまで歌い続けます」

 いつからこんなに涙脆くなってしまったんだろうと不思議に思うほどラビはまた溢れる涙を拭った。
 きっと本当にそうするのだろうアーデルの笑顔に目を細めながら抱きしめるとしっかりとした力で抱擁が返ってくる。

「心からあなたを愛しています、アーデル」
「え? なんですか?」
「愛しています」
「え?」

 聞こえていないわけがないのに聞こえないふりをするアーデルにラビが笑う。
 一人では絶対に出てこない感情だ。

「愛してるんです、あなたを」
「本当に?」
「本当に」
「じゃあ隣に寝転んで証明してください」

 寝転ぶだけでどうやって証明するのだろうと頭上に疑問符を浮かべながらも土がついた上着を脱いでからベッドに入った。

「先に言っておきます。私、音痴ですから」
「上手ですよ。何度も聞いてます」
「笑ってたくせに」
「上手だったから」
「どこでお世辞を?」
「本心です」
「だといいんですが」

 笑うアーデルにラビも同じ笑顔を返すが、腹の上に手を置かれると目を閉じた。ここ数日は目を閉じる事も怖かったが、腹の上にある小さな重みがアーデルによるものだと思うと不思議と怖くない。
 小さく息を吸い込む音の後、ゆっくりと流れてくる優しい歌声に耳を澄ませた。
 暗闇の中、下から這い上がってくる赤。恨む声。悲鳴。泣き声。断末魔。そして最期の顔。布団の中で手を握るもそれを恐る恐る外に出すとアーデルが握ってくれる。それだけでラビの手から少し力が抜ける。アーデルに痛みを与えないようにと配慮するからだ。
 変わらない一定のリズム。目を開けると細められた目と視線が絡み、額に唇が押し当てられる。
 これが幸せだと実感する。人を殺して褒められる事は幸せではないのだと確信する。
 許されていい事ではない。開き直っていい事ではない。一生背負っていかなければならない罪である事は間違いない。
 それでも、今だけはと許しを請いながらラビはアーデルの歌声に耳を傾けながらいつの間にか眠りに落ちていた。
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