亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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決断

「イベリス様」

 耳が聞こえないとわかっていながらもサーシャはあえて声をかけてからトントンと机をノックする。
 珍しくメモ帳ではなくノートにペンを走らせていたイベリスが顔を上げ、ノートを閉じた。

〈何を書かれていたのですか?〉
〈小説の感想を書いていたの。タイトルだけ出て、内容が上手く思い出せなかったときに便利なのよ。実家には感想ノートがたくさんあってね、私の両親は小説よりもそっちを読むほうが好きだって言ってたわ〉

 微笑みながら立ち上がり、ロイドに借りたペンを返しに行く。

〈随分と熟読されていましたね。面白かったですか?〉
〈ええ、とっても。すごく興味深かったわ。またオススメの本を教えてね〉
〈かしこまりました。ご用意しておきます〉

 明るかったはずの外はいつの間にか夜になっていた。黄昏に気付くこともしないほど深く物語に入り込んでいたことに気付き、廊下に出ると待っていたウォルフと目が合う。

「何を読まれていたんですか?」
〈魔女と聖女の比較話よ〉
「随分と真逆の存在ですね」
〈ウォルフはどっちが好き?〉
「魔女ですね」
〈サーシャは?〉
「どちらも好きではありません」
「出たよ。どっちが、って聞かれたらどっちか選ぶんだよ。会話終わっちまうだろ」

 呆れたように言うウォルフを無視し、手に持っていたショールをイベリスの肩からかけて隣を歩く。
 ウォルフが声をかけるとほぼ無視状態のサーシャ。この八ヶ月ですっかり見慣れた光景にイベリスが笑う。

「イベリス様はどちらがお好きですか?」
〈魔女、かなぁ〉
「聖女はお嫌いですか?」
〈あの物語を読んで思ったのは聖女は嘘くさいってこと〉

 嘘くさいとハッキリ書くイベリスにウォルフが小さく笑う。

「たとえばどこら辺が?」
〈私は魔法も使えないし、聖なる力もないからわからないだけかもしれないけど……目に見えない力ってどう信じればいいのかわからない。聖女が祈りを込めると闇を払ったり加護が与えられたりした。でも、加護って目に見えないでしょ? イマイチこう……信用し難いっていうか……〉
「なるほど。でも、人々はその加護を実感できているから崇拝しているのであって、神と違って実態もあれば実際に力もある。国に貢献しているわけですし、王室や皇室が認めたのであれば民が疑心に駆られることってないですよね」
〈そうね。私もそれは思った〉
「でも聖女ではなく魔女が好きなんですよね?」

 頷くイベリスが立ち止まって窓の外を見る。廊下の窓にはカーテンがないためいつでも外が見れるようになっている。窓の外は暗く、玄関から門へと続く道に灯りがあるだけ。それもあまり強くはない心許ないもの。
 そこから空へと顔を上げると両開きの窓を開けた。吹き込んでくる風が冷たい。その風に髪を揺らしながら大きく息を吐き出す。

(ファーディナンドは聖女の加護がもらえるとしたら欲しいと言うかしら?)

 メモ帳に書かれた言葉を読んだウォルフがすぐにかぶりを振った。

「陛下はイベリス様と同じで、目に見えない力というものをあまり信じていません。信じているのは魔法士の魔法とご自身の力だけ。聖女が現れて「テロスに加護を授けます」と言ったところで追い払うでしょうね」
〈魔女が来たら?〉
「追い払うと思います」
〈願いが叶えてもらえるとしても?〉
「イベリス様がお元気になられるように、とお願いするかもしれませんね」

 ウォルフの言葉に苦笑しながら息を吐き出す。溜息にも似たそれを心配するサーシャがゆっくりと窓を閉める。

「お身体が冷えてしまいます」
〈これからお風呂だから大丈夫よ〉

 歩みを再開させたイベリスに二人が続く。それから部屋に着くまで三人は黙っていた。
 
「それで、どうして魔女がお好きなんですか?」
〈一人で生きる強さを持っているからよ。実際の魔女がどうかは知らないけど、あの物語の中に出てきた魔女は一人ぼっちだった。それでも魔女は一人で悠々自適に暮らしてるの。人々に嫌われてるのを自覚してて、それに怒るでもなく人里に出て意地悪するでもない。人が滅多にやってこない森の奥で静かに暮らしてる。良くない噂は聞くけど、実際は無害よね。魔女はきっととっても優しいんじゃないかって思うの〉

 部屋に入ってから話しかけるウォルフにサーシャが今から風呂だと言っても引かなかった。サーシャに怒られるぞと思いながらもイベリスもメモ帳に返事を書いたが、その内容にウォルフが首を傾げる。

「魔女が優しい?」

 聞いたことがない感想。魔女は国際指名手配をかけられている。世界政府が魔女を捕えようと躍起になっている世界で魔女を優しいのではと思う人間がいることにウォルフは驚いていた。

〈魔女は遠い昔、一方的に魔女狩りに遭い、魔女裁判にかけられた。膨大な魔力量を有する魔女を恐れた人間の愚行。生き残りは政府と手を組む魔女協会に属する者と世界に散らばった独立してる五人の魔女だって書いてあったわ。国際指名手配を受けてるのはその五人の魔女でしょ?〉
「そうですね」
〈だけど、私たちは魔女に何もされてない。自分たちの仲間を傷つけ、命をも奪った人間を恨んで復讐してもおかしくないのに、魔女は人間と争わず静かに森の奥で暮らしてる。すごいことだと思うの〉

 聖女の物語はとても眩しいものだった。道中は辛いこともあったが、結果的に聖女としての力を持っているためハッピーエンドを迎える。だけど、魔女は違う。生まれながらに魔女というだけで忌み嫌われ、命を狙われる。何もしていないのに世界政府はまだ魔女狩りをやめようとしない。命を狙わない代わりに散らばった五人の魔女の情報及び接触係として利用していると書いてあった。
 どこまでがフィクションなのかはわからない。全てかもしれないし、一割程度かもしれない。それでも四百年前に書かれた書物の中でそう記されていたのであれば聖女の待遇も魔女の冷遇も四百年間変わっていないことになる。

〈聖女と魔女は光と闇みたいに正反対の人生を歩んでる。たぶん、良い力を持って良い人生を歩む聖女よりも生まれながらに悲惨な人生を歩んでいる魔女に同情してるのかも〉
「イベリス様は天使ですからね。同情心が働くのもムリはないですよ」

 かぶりを振るイベリスはノートを引き出しにしまって鍵をかけた。部屋の鍵より一回り小さいその鍵は机の上にあるクッキー缶の中へとしまわれる。鍵のしまい場所を知っているのはこの部屋にいる三人。
 リンウッドの事件があった翌日、イベリスの部屋は鍵がかけられ誰も入れなくなった。イベリスの部屋は別の部屋を使うことになり、使っていた物は全て運び入れ、間取りも同じだが匂いが違う。それがまだ少し慣れないでいる。
 
〈サーシャはどうして両方嫌いなの?〉

 一度視線を伏せたサーシャが促されるがままに向かいのソファーへと腰掛け、自分のメモ帳にペンを走らせる。八ヶ月毎日勉強しているため、サーシャはもう手話でイベリスと話すことができるが、こうして言葉を書くのは思い出。イベリスの読書感想と同じ。

〈魔女は悪しき生き物です。人の欲望に付け込んで等価交換で願いを叶えようとする。無害というわけではないと思うんです〉
「終焉の森の話か?」
〈終焉の森は本当に存在するの?〉
「最東端に位置する森が終焉の森と呼ばれていて、その森に魔女が住んでいるのは確かですね。グラキエスの皇帝が願いを叶えてもらったらしいとあくまでも噂ですが、火のない所に煙は立たないので事実だと思っています。グラキエスで火を使ったらすぐ消えてしまうんですけどね」

 一人楽しげに笑うウォルフにサーシャは完全に呆れ顔。黙っていると冷たく見えるが、話すと明るいウォルフがイベリスは大好きだった。

〈じゃあその無害じゃないってことがサーシャは嫌いなの?〉
〈……なんとなく、イメージで嫌っているだけですよ。聖女もそうです。存在が嘘くさいと私も思いますし〉
〈そうよね。でも、テロスが加護で守られるのは悪くないって思うわ。加護があれば人々が安心するでしょ? 大事なことよ〉
「イベリス様の笑顔があれば聖女の力などなくても闇は祓えます」
「それには同意だけれど、お風呂の時間だから帰ってくれる?」
「俺も水浴びしようかな」
「池で泳ぐだけでいいって楽ね」
「風呂入りますー」

 ウォルフと話すとき、サーシャはわざわざ手話をしてくれる。これはイベリスが孤独を感じないようにと配慮してのこと。わざわざ口に出したりはしないが、イベリスはそう受け取っている。
 人生は幸せもあれば悲しみもある。だから後悔しないように一つずつ噛み締めて生きなければならないと父親は常々そう言っていた。自分にとっての幸せはこの二人が側にいてくれることだと実感している。

「二人とも、いつもありがとう」

 イベリスの手話に二人は同時に同じように手を動かして返した。

「サーシャじゃないですけど、私はイベリス様のために召喚されて良かったと思ってるんです。グラキエスはそれはそれは寒いですし、娯楽物はまだ少ないですからね。ここは暑さも寒さも暖かさも涼しさもある。過ごしやすいです。そこで素敵な皇妃様の騎士として生きられるのは光栄の極み」
〈ウォルフはいつもオーバーに言うのよね〉
「疑ってます? 本心ですからね? 悪しき魔女が来ようと聖女が来ようと騎士ウォルフがお守りいたします」
「聖女から守ってもらう必要ないと思うけど」
「わからないですよ? 聖女は人間ですから表も裏もあるでしょうし」

 やはりオーバーだと笑いながら立ち上がり、ウォルフもそれに合わせてドアへと向かう。

「今日は一人にしてくれてありがとう」
「私はあの場所が苦手だっただけです。サーシャはサボりですよ」
「ウォルフが一人になりたいときもあるだろうからと言ったんです」
「おい、俺がカッコつけた意味がなくなるだろ」

 仲良しだと笑うイベリスの笑顔が少し以前に戻ったようで二人は安堵する。
 今日のファーディナンドの行為に戸惑ったのは使用人も同じ。あれだけ固執するように外さなかった肖像画を燃やすまでした主人に一体どういう心変わりがあったのか。
 アナベルとフレドリカの会話が真実だとしたら、焦っているのかもしれないと二人は考えていた。サーシャから聞いたファーディナンドが重傷で帰ってきた日。何があったのか知っているのはアイゼンだけ。今回の様子をアイゼンは焦りもせずにジッと見ているだけだった。
 もし、ファーディナンドがその計画のまま動き出そうとしているのであれば自分も動き出さなければならないとウォルフは考えている。

〈私にも俺って言っていいのよ?〉
「ちゃんと使い分けるよういつも言われるんです。友達じゃないんだからって」
〈でも、私は俺のほうが嬉しいわ〉
「そうですか? じゃあ明日からそうしますね」
〈ええ、お願いね〉

 ドアを開けて廊下に出たウォルフが胸に手を当てながら軽く頭を下げる。顔を上げたウォルフが笑顔で手を振るイベリスを見て笑顔を返す。

「また明日、太陽のような笑顔を見せてくださいね。あなたの笑顔が好きなんです」

 ウォルフの声色が聞こえているのはサーシャだけ。まるで告白のようなトーンに目を瞬かせるも何か言うことはせず、ドアを閉めた。

〈好きだって! 嬉しい!〉

 頬を染めているでもない純粋な喜び。あどけない笑顔。本気だったら失恋だとサーシャが笑う。

〈明日は晴れたらピクニックがしたい〉
「マシロも喜びますね」

 既に床の上でお腹を出して眠っているマシロを見て笑う。
 明日、ファーディナンドは何を言ってくるだろう。それが少し心配ではあったが、残りの四ヶ月、できれば楽しく過ごしたいと思っているため、もう少し歩み寄ろうと考えながらサーシャと共に風呂場へ向かった。
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