ポンコツ天使が王女の代わりに結婚したら溺愛されてしまいました

永江寧々

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困惑と決意

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「私が……妊娠……?」

 望んでいた事だった。ヴィンセントと二人、子供が出来たらどう暮らそうかといつも話していた。名前も決めたとヴィンセントは言っていた。だが、今この報告を喜んでくれる人は傍にいない。

「そんな……」

 顔を両手で覆って涙するフローリアをカイルが抱きしめる。

「ヴィンセント・クロフォードに連絡するか?」

 フローリアは首を振る。
 傷つけたヴィンセントに今更どう報告する事が出来るのか。ヴィンセントならきっと喜んでくれるとわかっていても報告など出来るはずがない。

「この子の父親はアイツだろう。知らなくていいはずがない」
「でも……」

 浮気をしたのであれば父親が誰かを問いかけるが、浮気をするような人間ではないとわかっているためヴィンセントで間違いないと確信しているカイルは報告すべきだと言う。
 自分が父親であったなら……と考えるが、もし浮気をしたという疑惑をかけられた相手をどこまで愛し続けられるか、人を信用しない自分に自信がなかった。だがヴィンセントは違う。信心深いヴィンセントなら全てを許すだろう。いや、神に逆らってでも許しそうだと思った。

「今すぐじゃなくていい。体調が落ち着いたら考えろ」

 本当はカイルが今すぐに決めてほしくなかっただけ。
 愛する者が傍にいない妊娠という不安はカイルには想像も出来ない。自分のような人間がその代わりになれるとも思っていない。
 今すぐ報告して此処に呼ぶべきだと頭ではわかっているのにすぐにそうしないのはフローリアを手放したくないから。

 この結婚はオーランドが勝手に決めたものでフローリアが望んだことではない。フローリアが愛しているのはヴィンセントであり、自分に向けられるのは愛情ではなく優しさだとわかっている。
 そして、このまま無理に話を進めても上手くいかないのは目に見えている。

 報告すべきだ。報告し、迎えに来させるべきだ。

 だがこの生活を、フローリアを手放したくない。

 あの笑顔を、あの優しさを、あの清らかさを手放したくなかった。

「大丈夫ですか?」

 天使と悪魔が葛藤するカイルの頬に触れたフローリアが心配そうに顔を覗き込む。
 一番辛いだろうに人を心配する優しさにカイルはまた強く抱きしめた。

「手放したくないんだ」

 苦しげに呟くカイルの背中をフローリアは黙って撫でていた。

















「カイル・バーナード王子と結婚が決まったそうよ」
「……そう」
「カイル王子も災難ね。でもお似合いかしら。浮気をした女と忌み子なんだから」

 わざわざ仕事をしているヴィンセントの部屋まで訪ねてきたヘレナの言葉にヴィンセントは大きな反応を示さなかった。

「ヴィンセント、仕事なんていいから休んで。もうずっと寝てないじゃない」
「ほうっておいてくれ」
「出来ないわよ。あなたが心配なの」
「心配なんてしてくれなくていい」
「妻の優しさには甘えなさい」

 妻じゃないという反論もするだけむだだとわかっているヴィンセントは何も言わない事にしている。それがかえって二人の企みを助長される事になるとしても、フローリアがいないのではもうどうだっていい事だった。
 新聞で大々的に報道されるフローリアの再婚話。ヘレナからの情報だけを真実のように書き綴られた新聞には目を通す気にもなれなかった。
 何より、フローリアが他の男と映っている写真など見たくもなかったから。

「ヘレナ様!」
「なんなの大声出して」
「た、大変なんです!」
「だからなんなの!」
「レオと名乗る者が玄関に!」
「なんですって!?」

 慌てる使用人の言葉にヴィンセントも筆を止めて顔を上げた。
 謎だった人物が自ら顔を出すという誰も想像もしていなかった出来事にデアの表情が曇る。

「通しなさい」
「そ、それが……」
「どうしたの?」
「もうそこまで来ています!」

 泣き叫びにも似た使用人の言葉の直後に聞こえた悲鳴と怒声にヘレナが動こうとした瞬間、ドアが爆音と共に吹き飛んだ。

「よお、ヴィンセント。久しぶりだな」
「君は……!」

 フードをかぶった男がヴィンセントに見えるように顔を上げて不機嫌そうな顔を見せた。
 見覚えのあるその顔に目を見開くヴィンセントに全員の視線が集まる。

「知り合いなの?」
「どうして君が……?」

 イエスともノーとも答えなかったが、答えずとも皆反応でわかっていた。皆が疑問に思っていた【レオ】はヴィンセントも知り合いだった。
 なら何故あの時にそう言わなかったのか。リガルドはまだ解決していない疑問に眉を寄せながらいつでも剣を抜けるように構える。

「ヴィンセント答えなさい! この男は誰なの!」
「彼は……天使だよ。彼女と……フローリアと同じ天使なんだ」

 レオから目を離さず答えるヴィンセントにヘレナの怒りが爆発する。

「いつまで天使だなんてバカなこと言ってるの! あの子は悪魔よ!」
「何度言えばわかるんだ。僕は天使だ。それにもし彼女が悪魔だとしても僕は愛し続ける。彼女じゃなきゃダメなんだ」
「いい加減目を覚ましなさい!」

 ヘレナとは反対の温度差を見せるのは目の前にレオがいる驚きがまだ消えていないから。
 腕を組み、ヴィンセントから一度も視線を外さないレオが何を思っているのか怖かった。

 約束を破った自覚があった。

「大体この男は誰なの! いつの間にこんな薄汚い男と知り合いになっ……」
「黙れババア」
「なっ!? あ、あなた一体誰なの!? こんな無礼が許されると思ってるの!?」

 ババア呼ばわりを受けたのは初めてで、ヘレナは怒りに身体を震わせながら怒鳴りつけるもレオは振り向きさえしない。

「テメーみてぇなクソババアに話す事なんざねんだよ。その臭ぇ口閉じてろ」

 信じられない言葉にヘレナは怒りのあまり声を出すことが出来なかった。顔を真っ赤に染め上げながら身体の震えを大きくし、いつ暴れ出してもおかしくない状況にリガルドがレオと距離を取らせようと近付いた瞬間、何を言っているのかわからない叫び声が屋敷中に響き渡る。
 使用人達が必死に抑えさせようとするもヘレナの怒りは収まらず奇声のような声でレオに何か言っていたがレオは振り向かずヴィンセントを見つめたままだったが、ゆっくりとヘレナを振り返り醜悪とも呼べるその表情を冷めた目で見つめた。

「アイツのためにも堕天はしたくねぇんでな。殺しはしねぇが真実は教えてやるよ。お前らが知りたがってること全部」
「ヴィンセント、アイツを追い出して。危ないわ」
「黙ってろクソ女。これ以上余計な口開いたら地獄に送ってやるからな。俺はテメェに一番ムカついてんだよ」

 デアが慌てたように早口で急かしながらヴィンセントの肩を揺らすも人を殺しかねない目つきで見るレオにデアはギリッと歯を鳴らして睨みつけた。

「フローリアとどういう関係なの! 言いなさい!」
「頭悪ぃババアだな。黙ってろって言っただろ。ぶっ飛ばすぞ!」

 レオを天使だと言ったヴィンセントがおかしい目で見られている。
 天使達でさえレオが天使である事に違和感を覚え、悪魔だと陰口を叩いていたぐらいだ。天使や悪魔が想像の産物では生きていたとしても実在すると思っている者は少ない。
 レオという男はただのチンピラなのではないかと疑う者の方が多かった。

「レオ、どうか落ち着いてほしい。君は何故ここに来たんだい?」

 久しぶりに聞くヴィンセントの優しい声にリガルドは不思議と安堵する。

「今回、このクソ女に記録されたのは俺の失態だ。俺が会いに行っちまったからな。だが、それを望みのねぇ希望にかけて暴露しやがったこのクソ女を優位に立たせてるのが我慢ならなくてな。こうして降りてきたんだよ」
「どういうことだい?」
「こんな男に耳を貸さないでヴィンセント!」

 デアがヴィンセントを揺らすもヴィンセントはその手を払って押しのけた。その様子にレオは愉快そうにククッと喉奥を鳴らしながらデアに近付く。

「焦るよなぁ? お前が嘘ついてるって今からぜーんぶバレちまうんだから。そりゃ焦るわなぁ」
「な、なに言ってんのよ! 何の証拠があってそんなこと言ってるわけ!?」
「証拠ならある。見せてやるよ。望み通りな」

 悪魔のような歪んだ笑みを見せながら両手を広げると部屋中に映像が映し出された。デアが見せた映像と同じだが、デアが見せるよりもう少し前の映像。

「こんなのっ」
「おっと、黙ってろ。その炎みてぇな赤い髪、マジで炎に変えちまうぞ」
「ッ」

 脅しなのかわからないが、扉を吹き飛ばすだけの魔法が使えるのならデアに勝ち目はない。相手が王妃であろうと態度を改めない相手に怖いものはないと理解して眉を寄せながら唇を噛みしめる。

「レオ……どうして、ここに……?」
「お前に会いに来た」
「ヨナス様はお許しになられたの?」
「黙ってきた。でもお前関連だって知れば罰は下らないだろ」
「ダメよ。ちゃんと許可もらってから来なきゃ」
「出るわけねぇだろ」

 親しげに話す二人は恋人同士のように見つめ合っている。これだけ見れば誰もがフローリアの浮気だと思うだろう。ヴィンセントもレオが天使だとわかっていながらもフローリアが別の男と見つめ合っているのは辛かった。
 ウィルとも親しげだったが、それでもここまで至近距離で親し気に話すことはなかった。どういう関係なのか聞きたいのはヴィンセントも同じだった。

「アイツがお前を天使に戻してもいいって言ってる」
「え……そ、そんなこと急に言われても、困る……。私はもう結婚してるし、今更天使に戻るなんて……」
「戻ってこいよ。お前に人間の生活はムリだ」
「ムリじゃない。見てたでしょ? 私ちゃんと人間として生きてる。ご飯も食べるし、お風呂にも入る。それに眠れるようにもなったの。ウルマリアもいるし、エミリア様だって仲良くしてくださってるの。毎日がとても楽しいわ」

 必死に言葉を紡ぐフローリアを見てレオは無理矢理連れて帰ろうとはしなかった。今すぐにでも手を引っ張って天界に連れて帰りたかったが、表情を見れば望みがない事ぐらいすぐにわかった。

「ヴィンセント様と離れたくないの。ずっと一緒にいるって約束したから。あの人と一緒におばあちゃんになるって決めたの」
「祝福はいいのか?」
「祝福はレオがしてくれるでしょ? 羽根もくれた」

 否定しないレオにフローリアは微笑みながらありがとうと抱きしめた。
 天界ではありえなかった事だ。愛も恋も知らないフローリアを抱きしめるのはいつもレオで、フローリアはそれに応えるだけ。こんな風に自分から抱きしめる事を知ったのはフローリアが愛を知ったからだとレオは悔しくなりながらも嬉しかった。

「愛してるんだな、アイツを」

 レオの優しい声にフローリアは大きく一度だけ頷いて微笑み

「愛してるの。ふふっ、涙が出るほど彼を愛してるの」

 ヴィンセントの顔を思い出して愛を口にするだけで涙がこぼれる。溢れて止まらない愛は涙となり、フローリアの頬を伝う。
 レオにはわからない感覚だった。誰かを想って涙するなど、フローリアを愛しているレオでさえ経験がなかった。泣いたのは別れた瞬間が最後。

 映像はここで消えた。

「これが真実だ」

 レオの言葉にヴィンセントは目を見開いたままデアを見た。

「どういう、こと……?」
「ヴィンセント、お願い信じて。彼は嘘をついてるの。あんなの嘘よ!」

 縋りつくように腕を掴むも振り払われて拒絶される。

「彼は天使だ。嘘はつかない」
「天使だって本気で言ってるの!? 天使なんかいるわけないじゃない!」


 誰もがデアを同じ疑問を抱く。
 信心深いヴィンセントの口から神や天使という言葉が出るのは何らおかしな事ではない。魔法さえ使えれば音声や映像を記録する事は容易で、レオも魔力を多く持つ者と認識できる。だがヴィンセントは首を振った。

「彼は以前、僕の願いを叶えに来てくれた天使だ」
「願い……?」

 デアが怪訝な表情でヴィンセントを見る。

「夜、祈りの時間に彼は現れた。僕の祈りが神に届き、神は僕の努力を認め、願いを一つ叶えてくださると言い、その使いが彼だったんだ。僕はあの時の天使にもう一度会いたいと願った。そして、その一週間後、僕は彼女に出会った」
「お前は俺との約束を破った」
「ッ!」

 言われるかもしれないと思っていたが、直接言われると心臓が掴まれているように苦しくなる。

「お前が言ってた幸せってのは泣かす事だったのか?」
「違う」
「なら嘘をついたな」
「違う! 嘘はついてない!」
「違わねぇだろ!」

 レオの怒声が空気を震わせ、肌へと伝わる。

「一生愛し抜くって決めたなら貫けよ。テメェの足も動かさねぇで何が幸せにするだ! 出来てねぇだろうが!」
「僕は……」
「いつまで悲劇の王子ぶるつもりだ? 妻じゃねぇ女に抱きしめられてりゃ真実がわかんのか!?」
「彼女はただの幼馴染で……」
「知るかよ! お前とそいつの関係なんざ俺にはどうだっていい! 今話してんのはテメェが何やってんだって事だろ!」

 天使には終わらない仕事があり、人間のような生活がないため怠慢となるような感情は持たないように出来ている。だから天使は恋をしてはいけない。イレギュラーであっても。
 それでもレオは フローリアを愛していた。心から。
 ヴィンセントがフローリアを追いかけずに部屋の中で祈り続けているのはレオには許せない事でしかなく、どんな言葉も言い訳にしか聞こえない。

「その手は何のためについてんだ? 祈るためか? その手がありゃ椅子持って窓ぶっ壊すぐらい出来んだろ。その足がありゃアイツがいるとこまで走っていけんだろ。だがテメェはそれをしなかった。ここで悲劇のヒロインみてぇに泣いて暮らす事を選んだ。アイツを捨てたんだよテメェは!」
「違う!」
「違わねぇよ! 自分可愛さにアイツを捨てたんだろうが!」
「違う! 僕は彼女を愛してる! 誰よりも彼女を愛してるんだ!」

 レオの言葉を否定するように大声を出すヴィンセントに皆が驚いた。今まで大声を出しているのは聞いてきたが、ここまでの大声は聞いた事がなかった。
 一度だって変わらないフローリアへの想いを叫ぶヴィンセントにデアは歯を鳴らすもレオはそれより強い怒りを感じ、近くに合った書類を薙ぎ払って部屋中にまき散らした。

「だったら全部愛してやれよ! アイツがついた嘘も隠し事も全部! 神の前で誓った言葉は嘘じゃねぇって証明してみせろ! 何もしねぇで愛だけ語っても意味ねぇだろうが!」

 行動しなかった事は事実で、ヴィンセントは返す言葉がなかった。

「アイツがお前の世界だってんなら全部捨てろ。親も兄弟も何もかも。それさえ出来ねぇ男にアイツはやれねぇ。俺が連れて帰る」

 連れて帰ると言うレオの言葉に顔を上げたヴィンセントは目を見開いた。
 目の前で広がる神々しい天使の翼。あの日見た幻想的な姿に誰もが自分の目を疑った。

 一度目が合ったが、レオは何も言わずそのまま光の粒子だけを残して姿を消した。

「冗談でしょ……」
「ヘレナ様!」

 気を失ったヘレナを抱えた使用人達が慌てて寝室へと運びに出ていった。

「デア」
「ヴィンセント、私……」
「君を心から軽蔑するよ」
「ッ! ま、待って! わかるでしょ? 愛してるからなの! どうしてもあなたの妻になりたかったの! ずっと好きだったのに、ずっと想いを伝えてきたのに急に出てきた女に取られるなんて許せなかったの!」

 自分を正当化しようとするデアにヴィンセントは首を振る。

「君の気持ちはあまりに自分勝手で、それを理解する事は出来ないけど、僕は君を許すよ」
「ヴィンセント」
「でもお別れだ。もう二度と会う事はないだろう」

 デアの目が見開かれ、伸ばそうとした手をヴィンセントが後ろに引いたことで届かなかった。

「さよなら、デア」
「どこ行くの!? 待って! ヴィンセント行かないで! 嫌よ! 行かないで!」

 デアの悲痛な叫び声は屋敷中に響いたが、ヴィンセントの心にまで響く事はなかった。

「リガルド」

 道を塞ぐように立ちはだかったリガルドを見つめるヴィンセント。その前にスッと膝をついて頭を下げるリガルド。

「許しを請うつもりはありません。あなたを信じきれなかった俺にその権利はありませんから。ミーレス王国までは長い道のりとなります。どうかお気をつけて」

 信じるべき相手を信じきれなかった自分を責めるリガルドの肩に手を乗せるヴィンセントの表情は久しぶりに見る柔らかいもので、リガルドは眉を寄せながら唇を噛みしめた。

「お前を責める者などいるはずがないだろう。手紙、ありがとう」

 滲みそうになる涙を堪えて首を振るとリガルドは以前より細くなってしまった背中を見送る。
 アストルム王国よりもずっと遠くにあるミーレス王国まで一人で行くには険しい道のりだが、ついて行く事は許されないだろう。
 レオに証明するため、ヴィンセントは一人で行くと決めていた。

 馬に跨り、月の光が照らす闇夜を駆けていく。

  
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