遊び人公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢は恋愛初心者の大公様に嫁いで溺愛される

永江寧々

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キスの意味2

「知ってるかい? 香水は裾に吹きかけるのもいいらしいよ」
「え? あ、あの──!」

 そっと足を持ち上げられ、手首にかけたようにシュッと裾に一吹きされる。良い香りが鼻をくすぐり、好きな香りだと思うが、今はそれどころではない。
 アーサーが足に触れている。アーサーの膝に靴が乗っている。アーサーのズボンが汚れてしまう。早く足を下ろさなければと思うのに、足に触れるアーサーの手が熱くて、動けなくなってしまう。
 まるでマリーの身体がその熱を求めているかのように。

「細い足だね」
「アーサー、様……」

 心臓が速く動きすぎてマリーの口からは吐息交じりの声が漏れる。それがまたアーサーの暴走を加速させてしまうスイッチとなった。
 ドレスの裾を捲り、触れていた白い脚が露になったことでアーサーも軽く吐息を漏らす。

「脛にキスする意味は──知らないだろうね」

 知らないけど、キスしないでほしいと目で訴える。心臓がもたないと手で押さえるが、拒絶はしない。
 期待しているのかもしれない。あのアーサー・アーチボルトが脚にキスをする姿を見てみたいと思っているのかもしれない。
 令嬢の脚を見ることができるのは婚約者か遊び人だけ。遊び人が見られるのもその令嬢が緩くなければ見ることはできない。婚約者だったネイトさえ見たことはないだろうと思うとアーサーはこの脚が愛おしく感じてたまらなくなる。

「脛へのキスは相手への服従を意味するんだ」
「ふく、じゅう……なんて……」

 服従してほしいなど望んだことはない。アーサー・アーチボルトが十七歳の少女に服従を誓って脛にキスをするなどあってはならないことだ。
 二人きりの部屋でする行為。意味を教えるためにやっているだけだとわかっているのにマリーは今にも泣きだしそうだった。緊張と羞恥が一斉に襲いかかってくる経験がないだけにどうすればいいのかわからなくなっている。
 脚を見られただけではなく、その大きな手に触れられ、キスまでされている異常な光景に頭が沸騰しそうだと思いながらも目が離せない。
 おかしくなりそうだった。

「足の甲は脛にするより強い服従を表し、足の指は崇拝心を表している」

 そんなマリーの心境などおかまいなしに脛から足の甲、足の指へと唇を下ろしていくアーサーは足の指に少し長めに口付けたあと、ゆっくり顔を上げてマリーを見つめた。

「意味は、自分にはもったいないぐらい素晴らしい人」

 それは自分の台詞だと言いたいのに言葉が出てこない。顔は今までにないほど真っ赤になっており、言葉の代わりに涙が溢れる。
 恥ずかしさが限界を超えたマリーは対処法がわからず、涙となって爆発した。その涙の意味が悲しみや拒絶ではないと理解しているアーサーは足をそっと下ろしてからソファーに肩膝を立ててマリーに迫る。

「マリー、君は私にはもったいないぐらい素晴らしい人だよ」

 自分の血筋を残すために若い娘を嫁にして子を産ませる貴族は少なくない。しかし、少なくないといえど驚かれないわけではないし、陰口を叩かれないわけでもない。
 それでも、そんなことはどうだっていいと思えるほどアーサーはマリーを愛している。今すぐ、この場で全てを手に入れたいと思ってしまうほど、心も身体も彼女を求めていた。

「好きだよ、マリー」

 影を落とす相手が近くにいる。立って抱き合うときと変わらないはずなのに、自分の上にいるというだけでどうしてこんなにもおかしくなりそうなのかマリーは自分の感情が理解できなかった。
 ボロボロと溢れる涙を唇で拭ってくれる相手にドキドキして、おかしくなりそうで、たまらずマリーは両手を伸ばしてアーサーの首にしがみついた。

「マリー?」
「私も大好きです」

 蚊の鳴くような声だったが、アーサーにはちゃんと聞こえた。
 まだ早い。まだ手を出すわけにはいかない。半年──あと半年我慢すればマリーの全てが手に入る。それまで我慢するぐらいなんでもないはずだと自分に言い聞かせてマリーの背に腕を回し、自分が起き上がるのに合わせてマリーも起き上がらせた。

「こ、これ以上は……」
「これ以上はしないよ。今はね」

〝今は〟を囁き声で伝えるとマリーの身体がビクッと大きく跳ねる。
 自分に寄ってくる飢えた令嬢たちとは違う。
 男慣れして身体を開いてくる令嬢とも違う。
 たっぷりの愛情の中で大切に育てられてきたマリーはちゃんと思いやりの心を持っている。
 ワガママを言えば両親が叶えてくれる家庭とは違う。暴れても使用人が宥めてくれる環境はない。自分のことは自分で、という貴族にはありえない環境下で育ってきた。今時の令嬢らしくないところもあるが、それが逆にアーサーを惹きつける理由でもある。
 性知識もほとんど持っていないだろう相手になんの説明もしないまま進めるつもりはない。結婚前に事に及ぶつもりもない。
 怖がらせたくないのだ。だが、意識はしていてほしい。

(子供はどっちだろうな)

 自嘲してしまうほど貪欲な自分の全てを見せてもマリーは受け入れてくれるだろうか。それが彼の中の不安ではあった。
 マリーが祖父母ではなく両親に育てられていれば、今時の令嬢になっていたのかもしれない。どこからともなく流れてくる話で性知識を得て、軽はずみに色々な経験をしてしまうという令嬢に。
 一昔前、それこそカサンドラが若い頃は身体だけではなく心まで無垢でなければならない決まりがあった。親は溺愛ではなく厳格でなければならなかった。今はそれが変わって、親は溺愛主義となって子を甘やかし、娘が純潔を散らしているのを知っていても嘘をついて嫁に行かせる。
 その点、マリーは身体も心も無垢そのもので、アーサーにとって眩しいほどの存在だ。
 それが余計にアーサーに想像させてしまう。

「ハンネスから許可が出たらピアスが輝く耳にキスしてもいいかい?」
「も、もうその話はお許しください」

 細菌が入っては困るからと触れることさえ禁止されているのではキスなど話題にさえするべきではないとお説教されるのは目に見えているため、触っていいと許可を得たらキスもいいか聞いてみようと考えて問いかけたのだが、頭がパンクしてしまいそうなマリーは耳にキスなど考えられない行為だった。
 耳に触れられただけで全身が震える感覚があったのに、あの柔らかな唇が触れれば自分はどうなってしまうのか、想像するだけでもおかしくなりそうだとかぶりを振って懇願する。

「ふふっ、ダメかい?」
「その聞き方は意地悪です」
「あえてだよ。許可が出たときにすぐしたいからね」

 くっついているマリーの身体が熱い。意地悪をしているのはわかっている。それでも意地悪してしまう。愛おしくてたまらないから。

「マリー、今日は一緒に寝ようか?」
「嫌です」
「えっ!?」

 まさかの即答にマヌケな声を出すアーサーは予想外の返答にショックを受けたような顔をする。

「わ、私と寝るのは嫌……かい?」

 なんとか絞りだした声で問いかけるとマリーはそうじゃないとかぶりを振る。

「こうしているだけでもおかしいくらいドキドキしているのに、一緒に寝るなんて……ドキドキしすぎてきっと眠れないと思うんです。だから……一緒には寝ません」

 マリーの身体を強く抱きしめながらアーサーは強く目を閉じる。

(明日、目が覚めたら結婚式当日になってたりしないだろうか……)

 結婚式まで、あと何回我慢することになるのだろう。我慢し続けると誓ったのだから我慢はするつもりだが、辛いものは辛い。
 汚したくない。一生この清らかなままいてほしい。でも汚したい。哀れなほど左右する感情が爆発する前に結婚させてくれと祈り始めた。

「じゃあ、別々に寝ようか。明日は君が泊まる最後の日だし、一緒に寝たいな」
「は、はい」

 困らせているとわかっている。こんなことは初夜まで望むべきではない。結婚すればいくらでも一緒に寝られるのだから、今こうして欲張って困らせる必要などないのに、欲張ってしまう。

「送るよ」

 背中から足へと腕をズラしてお姫様抱っこへと変え、そのまま立ち上がるとマリーを部屋まで運んでいく。
 マリーは相変わらずしがみついたままで顔を見せてはくれないが、マリーの真っ赤な耳を見れば不謹慎にも嬉しくなってしまう。

「マリー、着いたよ」
「ありがとうございまっ……!」
「っと……中まで運んだほうがいいかい?」

 ドアの前でマリーを下ろすと一瞬、膝がカクッと折れて崩れ落ちそうになったのを慌てて支えて中のベッドまで運ぼうかと提案するもマリーはかぶりを振って拒否する。
 ベッドという存在だけでマリーのほうが色々想像してしまった。

「送ってくださってありがとうございました。素敵な贈り物もたくさん、ありがとうございました」
「私のほうこそ、贈らせてくれてありがとう」

 プレゼントは香水とピアスだけ。そんなに大した額ではないが、マリーのために考えて作った物とマリーと一緒に開けたピアスはアーサーにとってもかけがえのない思い出となった。
 まだ下を向いているマリーは今日はもう顔を上げてくれないかとアーサーは眉を下げながらも自分が大胆なことをしすぎた結果だと諦め、挨拶をして帰ろうと思っていたアーサーだが、マリーが両手で手を握ってきたことで言葉が疑問符付きに変わった。

「じゃあ、また明日。おやすみ、マ、リー……?」

 握られた手は手のひらを上にしてマリーのほうへと引っ張られる。何をするつもりかと黙って見ていたが、すぐにわかった。
 マリーの唇がアーサーの手首に触れた。柔らかな感触が手首にゆっくりと落ち、そしてゆっくりと離れていく。

「おやすみなさい、アーサー様」

 顔を上げたマリーは真っ赤な顔のまま、少し悪戯めいて見える笑みを浮かべながらおやすみの挨拶をし、素早く部屋に入っていった。
 ガチャンッとかけられた鍵のせいで中へ押し入ることもできない。そうしようにも、アーサーの身体が動かなかった。
 手首へのキスの意味は知っている。マリーに教えたのは自分だ。

〝君が好きでたまらない〟

 自分がする分にはなんともないのに、マリーからされると途端にダメになる。
 ボッと火がついたように真っ赤になるアーサーはその場でしゃがみこんで片手で頭を抱えた。

「まいったな……」

 手首へのキス──してやられた。
 真っ赤な笑顔にもやられたと思うアーサーは暫くしてから立ち上がり部屋に戻ると、さっきまで香っていたマリーの香水を胸いっぱいに吸い込んでベッドに倒れる。
 好きという想いが加速して止まらない。こんな感情は初めてで、なかなか心臓が落ち着いてくれないせいでアーサーはその日、マリーのことで頭がいっぱいでよく眠れないまま朝を迎えた。
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