遊び人公爵令息に婚約破棄された男爵令嬢は恋愛初心者の大公様に嫁いで溺愛される

永江寧々

文字の大きさ
20 / 80

この世で最も嫌いな相手3

しおりを挟む
「そうだ」
「は……?」
「え……」

 ニッコリ笑って認めたアーサーに全員が固まった。そのマヌケ面を見て、大声で笑ってやりたかったが、そんな気も起こらなかった。普段見ている顔と同じだから。

「な、なに言ってるんだ? 俺が婚約してた相手だぞ?」
「お前は破棄しただろう。マリーに婚約者はいない」
「早すぎる!」
「お前は婚約破棄したその日に婚約しただろう」
「で、でもっ、恥ずかしくないのかよ! 甥が婚約破棄した相手を伯父が拾うなんざ、いい笑い者だぞ!」

 ネイトの反応はアーサーの想像とは少し違った。慌てるのだとばかり思っていたが、焦り一つ見せず、その態度は堂々たるもの。
 隣に座るセリーヌはまだその衝撃から立ち直れていないのか、一点を見つめたまま口を開けっ放しにしている。大公だ公爵だと爵位でしか相手の価値を計れないセリーヌにとって、自分が見下していた相手が大公と結婚して自分より上の立場になるのが耐えられないのだろう。
 次第に小刻みに震え始めたセリーヌの目から大粒の涙がこぼれ始めた。

「冗談、ですよね?」
「それは大公が男爵令嬢を妻に選んだことに対してか?」

 今から馬車を走らせれば昼食に間に合うかもしれない。まだ昼食を食べていなかったら昼食に誘う。ベンジャミンとカサンドラも一緒に国一番のレストランに行って四人で食事をする。そしてそのままアーネット邸に戻って紅茶を飲みながら話をする。マリーの子供の頃の話や二人の馴れ初め。六十を超えても愛し合う夫婦でいる秘訣も聞きたいと昼の予定で頭の中が埋まっていく。

「だって、マリーですよ? 男爵令嬢が大公様に嫁ぐだけでもありえないのに! どうしてマリーなんですか!? どうして──」
「わたくしではないのですか、か?」
「わ、わたくしは……」

 セリーヌの言い出しそうなことは手に取るようにわかる。人の婚約者を堂々と奪っておきながら、と呆れて溜息が漏れた。
 もしここでセリーヌと夜まで話をしたとしても好きになることはないと断言できる。
 美しい妻を持つことは貴族としての角が上がると言われるもので、だから誰もが美しい令嬢を求める。だが、アーサーは違う。顔しか取り柄がない女を妻にするほうが恥ずかしいと思うのだ。
 むしろ、愛する妻が他の男から美しいと褒められるのは嫌だと思っている。褒められるということはそれだけ眺めたということ。

(絶対に嫌だ)

 マリーで想像するだけで生まれる独占欲にかぶりを振る。

「ネイト、お前にマリーはもったいない女性だった。お前のようなクズの妻にならなくてよかったと思っている」
「四十二のオッサンが十七の娘を嫁にするって? アンタ、そんな変態だったんだな」
「ネイト! 口を慎め!」
「ッ!? だ、だって……!」

 アベラルドの怒声に肩を跳ねさせ慌てるネイト。
 今更どんな口を利かれようと怒りはしない。ネイトは父親によく似ていて浅慮。自分が上に行くことはせず、相手を落として自分が上がった気分になるしか能がない男。
 歳の差のことは自分が一番よくわかっている。それでも、貴族の中で三十や四十の年の差など珍しくもない。アーサーは自分にそう言い聞かせていた。

「容姿や爵位、目に見えるものでしか判断も指摘もできないからお前は愚かだというんだ」

 それはセリーヌも同じ。自覚があるのか、ビクッと肩を跳ねさせるが顔は上げない。

「兄さん、言いすぎだ。ネイトも俺も驚いているんだ。こんなのありえ……なかなかないことだろ? 甥の婚約者だった令嬢を伯父が引き取るなんてさ」
「その言い方をやめろ。私はマリーに同情して婚約するわけじゃない。私が彼女に惚れたんだ。だから私から結婚してほしいと申し込んだ」
「……正気か……? アーチボルト家の名を汚すつも──」
「アーサー様」

 カッと目を見開いて拳を構えたアーサーが動くのは一瞬だった。少し距離があるといえどせいぜい二人分。足を一歩踏み出して拳を突き出せばアベラルドの頬にめりこむ。しかしそれが頬に届く直前でハンネスの声が聞こえたことにより動きが止まる。
 間違いなくアーサーは本気だった。あのときのように本気で自分を殴るつもりだったと吹き出した汗を拭うこともできないままアベラルドはガチガチと歯を鳴らして兄を見ている。

「これから向かう先がどちらかお忘れですか?」

 人を殴った手でマリーに触れ、ベンジャミンやカサンドラと握手するつもりかと言葉なき注意に構えた拳を解いて深く息を吐き出した。

「俺はこれで失礼する」

 早く馬車に行かなければと急ぐ気持ちが早口にさせる。ハンネスが食堂のドアを開け、ちょうど出来上がった朝食を持ってきた使用人と鉢合わせるも必要ないとだけ伝えて立ち去った。

「ま、待ってくれ! 兄さんは何を考えてるんだよ!」
「愛する者と結婚する。それだけだ」
「相手は親もいない娘だぞ!」

 慌てて追いかけてきたアベラルドが叫ぶように言った。本当なら今すぐにでもその顔を殴り倒して、またカーペットも身体も体液で汚すほど殴り続けながらもう二度と言わないと誓わせてやりたい。そうしないのは、マリーは自分のために暴力を振るうような人間を好まないと思ったから。万が一にでも血がついていると言われ、それが自分のものではないと知ればマリーは怪訝な顔をするし、恐怖を抱くかもしれない。
 アベラルドの言葉はアーサーを苛立たせただけで、マリーを傷つけてはいない。彼女のいない場所で彼女のために振るう暴力は必要ないと堪えた。

「アベラルド、一度しか言わないからよく聞け。これは警告だ。もう一度、私の愛する者を侮辱するような言葉を口にしたら、あのときの痛みとは比べ物にならないほどの痛みをお前に与える。お前が子供のように泣き喚きながら謝罪し、反省を誓おうと、許しを請おうと私はお前を許さない」

 アベラルドはアーサーの言葉が信じられなかった。弟である自分より、まだ結婚してもいない女を庇うのかと。
 アーサーは昔から弟に優しい兄ではなかった。自分の正義を信じ、両親が間違っていると言っても自分の信念を曲げようとはしなかった頑固者。親の良い所だけを集めたような顔のおかげでどこへ行っても必ず女が周りを囲んだ。しかし、特定の誰かを作ることも遊び相手を作ることもしなかった兄を弟はいつしか男色家だと思うようになった。だから妻を持たないのだと。広がっている噂の複数人の恋人というのも全て男だろうと嘲笑っていたのだが、違った。
 アーサーが結婚すると言いだした相手は自分の息子が結婚する予定だった男爵令嬢。息子のワガママでそれが破談になった。新しく見つけた相手は公爵令嬢で、アーネット家と変わらないほどの後ろ盾を持っている。息子のしたことは正解だと思っていたし、よくやったと褒めたぐらいだ。
 だが今、あのアーサー・アーチボルトにここまで言わせる相手があのマリー・アーネットだと思うと、息子はとんでもないものを手放したのではないのかと不安に襲われる。
 所詮は男爵令嬢と見下していた相手は一夜で大公を手に入れた。
 信じられないとここで声を荒げれば本当に実行するだろう兄の前で立ち尽くす弟にアーサーは冷たい声をかける。

「返事はどうした」
「わか、った……」

 返事を聞いたアーサーは再び前へと歩みを進めたが、後ろから駆け足の音が聞こえてくる。

「そこでお止まりください」
「キャッ!」

 走ってきたセリーヌの前にハンネスが踏み出したことでセリーヌはハンネスにぶつかった。ハンネスが出なければセリーヌはそのままアーサーに抱きついていただろう。
 婚約者がいながらなんという度胸かとハンネスは思わず感心した。

「アーサー様、お待ちください! マリーとの結婚は考え直すべきです! 結婚して笑われるのはあなた様なのですよ! なんの取り柄もない、美貌もない彼女がアーサー・アーチボルトの妻など誰が認めましょう! 彼女はあなたに相応しい女ではありません!」

 マリーをどこまで下に見るつもりかと拳を握るも自分をわかっていない人間に何を言っても同じなのは子供の頃に学んでいる。この家の人間は等しくそういう人間ばかりで、それに引き寄せられるのもそういう人間なのだ。
 だからアーサーはセリーヌの前に立ち、軽く背を曲げて目線を合わせ、笑顔を見せる。こういう女への一番効果的な対処法を知っているから。

「悪いが、婚約者がいるとわかりながら近付く尻軽がアーチボルト家の一員であることのほうが私には恥でしかない。私は君に魅力は感じないし、同じ場にいるだけむしろ吐き気がする。心配も忠告も勝手にすればいいが、私にとっては余計なお世話だ」

 ハッキリ言ったアーサーからの言葉を受けて顔色が悪くなって行くセリーヌの肩をそっと押してハンネスが離れると、セリーヌは全身の力が抜けたように廊下に座りこんだ。

「助かったよ、ハンネス。マリーに会うのに他の女の匂いをつけて行って私の気持ちを疑われたくなかったからね」
「そうおっしゃると思いました」

 セリーヌが座りこんだこともアベラルドが立ち尽くしていることもアーサーは気に留めることなく颯爽と歩いて去っていった。
 ムダな時間を取られてしまったことを気にして小走りになる。それを後ろからハンネスに「お行儀がなってない」と注意されるも、それもムシする。
 馬車に乗り込みドアを閉めるとすぐに馬車が動き出す。

「ハンネス!」
「ッ!?」

 信じられないほどの大声に慌てて馬車を停めたハンネスが足元から中を覗き込むと少年のように輝く瞳が見えた。

「花屋まで飛ばしてくれ!」

 それを言うためだけに声を張ったのかと呆れながらもハンネスは笑顔。
 四十二年間、訪れもしなかった春がようやく見えそうだと胸いっぱいに吸い込んだ息を吐きだし、握った手綱を振って花屋へ向かった。
しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』

しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。 どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。 しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、 「女は馬鹿なくらいがいい」 という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。 出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない―― そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、 さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。 王太子は無能さを露呈し、 第二王子は野心のために手段を選ばない。 そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。 ならば―― 関わらないために、関わるしかない。 アヴェンタドールは王国を救うため、 政治の最前線に立つことを選ぶ。 だがそれは、権力を欲したからではない。 国を“賢く”して、 自分がいなくても回るようにするため。 有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、 ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、 静かな勝利だった。 ---

皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜

百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。 「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」 ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!? ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……? サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います! ※他サイト様にも掲載

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢でもあったローゼリアは敵対派閥の策略によって生家が没落してしまい、婚約も破棄されてしまう。家は子爵にまで落とされてしまうが、それは名ばかりの爵位で、実際には平民と変わらない生活を強いられていた。 辛い生活の中で母親のナタリーは体調を崩してしまい、ナタリーの実家がある隣国のエルランドへ行き、一家で亡命をしようと考えるのだが、安全に国を出るには貴族の身分を捨てなければいけない。しかし、ローゼリアを王太子の側妃にしたい国王が爵位を返す事を許さなかった。 側妃にはなりたくないが、自分がいては家族が国を出る事が出来ないと思ったローゼリアは、家族を出国させる為に30歳も年上である伯爵の元へ後妻として一人で嫁ぐ事を自分の意思で決めるのだった。 ※作者独自の世界観によって創作された物語です。細かな設定やストーリー展開等が気になってしまうという方はブラウザバッグをお願い致します。

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

処理中です...