引きこもり令嬢、走る

lemuria

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引きこもり令嬢、命懸けで駆け抜ける

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 嫌な汗がつーっと流れた。
 
 だんだんと周りに人が少なくなっていく。みんなそれぞれに目的地があるんだからそれは当たり前だ。私みたいに山の麓道自体が目的地なんて人はいないだろう。
 それなのに三人の男はピッタリと私について来ている。絶対におかしい。まず間違いなく私は狙われている。今まで護衛をしてくれていた騎士たちのありがたみを今になって感じる。

 この三人組は、王都を出た旅人たちを狙って、獲物を探していたんだろう。そんな中、私が門から出てきたんだ。小柄な女の一人旅なんてどう考えても極上の餌だ。

 周りにはもうほとんど人がいない。このままではまずい、何もして来ない理由はまだ人の目があったからだろう。
 私は深呼吸をして、最後の一人と道を違えたと同時に、馬を全力で走らせた。

 後ろから、逃げたぞ!という怒鳴り声が聞こえてきた。やっぱり、狙われていたんだ。もし捕まったらと思うと、恐怖で体が震えるけど、このまま逃げ切るしか無い。腰を浮かせて重心を前に移し、手綱を強く握って、馬をさらに加速させる。久しぶりに乗ったけどまだ技術は衰えていない。大丈夫だ、どんどん距離が開いて行く。

「女のくせになんて速さだ!」

 と聞こえて来た。
 当たり前、とちょっとだけ自慢げになる。これでも公爵令嬢だ。誕生日に父上から贈られたこの馬は、王都でも選りすぐりの名馬。盗賊が乗るような馬とは訳が違う。

 このままなら逃げ切れそう、と思った時、後ろから何かが飛んできて頭の上を通り過ぎて行った。
 そのまま前方の地面に突き刺さったそれを見て背筋が凍った。矢だ。弓矢で狙われている。

 さっきまでの自慢げな気持ちなんて塵も残さず吹き飛んで、また凄まじい恐怖が襲って来る。
 このまま直進していてはダメだ。弓で狙われにくくするために街道から外れて斜めに逸れる。さっきまでいたところを矢が通り過ぎて、鳥肌が立つ。

 助かる方法はある。馬の質の差で、盗賊の馬の方が体力が先に尽きるはず。それまで逃げ切るしか無い。

 そう思っていたけど、前方に見えて来たのは川だった。どこまでも続くその川に行手を阻まれてしまう。
 二日前の大雨で増水し、濁った水がゴウゴウと音を立てて流れて行く。
 ここに入るなんてどう考えても自殺行為だ。かといって止まっていたら捕まって確実に殺される。迷ってる暇なんかない。

 一瞬の躊躇ののち、私は馬ごと川に飛び込んだ。水しぶきが上がり、冷たい水が顔にかかる。足は付くが馬の腹近くまで水が来ている。思っていた以上に深い。
 馬は泳げる。それは知っている。
 だけど、それは人も荷物も無い状態での話だ。

 私は必死に手綱にしがみつき、振り落とされないように、荷物を濡らさないように、腕に力を込めて食らいついた。窓から降りる時にぶつけた左肩が激しく痛むけど、ルカちゃんの薬だけはなんとしてでも死守しなくてはいけない。

 こんな時に、私は乗馬のテストで落馬した時のことを思い出していた。あの時はなんでよりによってこんな時に落馬するんだ、とか思っていたけど、今落馬するよりよっぽどマシじゃないか。肝心な時にいつも失敗する不運を呪っていたけど、もっと肝心な時なんていくらでもあることに気づいた。ネガティヴに考えすぎていただけだったのかもしれない。


 流れてきた木の枝が、服に引っかかって破ける。流れてきた小石が顔に当たって頬を切る。だけどもうすぐだ。
 矢は飛んでこない。こんな急流では上手く狙いが定められないのだろう。

 ようやく川を渡り切って振り返ると、反対岸で盗賊たちがこちらを睨んでいる。しばらく何か言い合っていたようだが、三人ともついに川へ入ってきた。

 逃げなきゃと思ったけど、その時上流から大きな丸太が流されて来て、盗賊たちに衝突した。
 馬が倒れ、三人はそのまま川へ投げ出された。必死に掴もうともがいていたが、流れに飲まれ、下流の方へと流されていった。

 助かった、と安堵したと同時に、さっきまでの自分がどれほど無謀なことをしていたのかを思い知らされ、身震いした。

 荷物は無事だったけど、服は完全にずぶ濡れだ。でも乾くのを待ってる暇なんてない。進路もずいぶんそれてしまったし、早く行かなきゃ。



 陽が落ち始めたころ、ようやく山の麓道が見えて来た。

「はぁ、はぁ」

 体の様子がおかしい。
 久しぶりに動かした上、濡れたまま走り続けて体は冷え切っていた。表面は冷たいのに体の中は燃えるように熱い。息が荒くなって、目の前がぼやけてくる。過労と環境と怪我が相まって風邪を引いてしまったのかもしれない。

 なんでこんな時に、と思ったけどどう考えても全部自分のせいだ。だからと言って止まって休んでいるわけにも行かないけど、めまいと吐き気までしてきて辛い。フラフラとして、馬から落ちかける。

 このままじゃダメだ。ルカちゃんに薬を届ける前に私が死んでしまいそうだ。

 少しだけ森の中に寄り道をする。目的は症状を抑える薬草を探すこと。薬草学の本には挿絵もあったし、特徴も書いてあった。実際に採取をしたことはないけど、本の内容は全部覚えている。だから見つけられるはず。
 陽が当たっていて、湿った土のあたりを探す。そういうところには解熱や鎮痛効果のある薬草が生えていることが多い。

「丸い葉に細かい毛、赤みがかった茎……」

 見つけた、これだ。早速一枚摘む。だけど当然、加工や調合道具なんて持ってないので、そのまま齧るしかない。

「うっ…」

 凄まじい苦味とエグみが口いっぱいに広がり、喉が焼けるように熱い。ただでさえ吐き気が限界なのに、吐き気なんかなくても吐き出しそうだ。
 ちょっとした拷問みたいな味の葉を三枚食べて、ズキズキと痛む左肩にも一枚貼り付ける。

 近くに生えていたミントも齧って気を紛らわすと、幾分楽になってきた気がする。だけど完全に効くまで待ってる時間はない。すぐにでも出発しないと。




 この道のどこかにルカちゃんと殿下たちがいるはず。もうすぐ、もうすぐだと言い聞かせながら、満身創痍の体に鞭打って進んでいく。

 もう陽がすっかり落ちているけど、月明かりのおかげで思っていたよりは周りが見える。

 ぬかるんだ道を慎重に進んでいくと、遠くの方でポツポツとした光が見えた。多分殿下たちのランタンだろう。ようやく着いたんだ。

 道が不自然に途切れていた。そこは、崖崩れの跡だった。木々は根こそぎ倒れ、土砂が道を覆っている。

 殿下たちは、きっとここで馬を降りたのだろう。

 道の端には、数頭の馬が木に手綱を結ばれたまま並んでいた。地面には新しい足跡がいくつも残っていて、崩れた斜面の方へと続いている。

 私もここで馬を降りて、落ちていた木の枝を拾い上げて杖代わりにして、崩れた跡を進んでいく。

 左肩は腫れ上がり、意識は朦朧として、泥水に浸かった全身は冷たいけど、そんな事はもうどうでも良かった。早く薬を渡す以外のことは何も考えられない。

 崖崩れで埋まった馬車が見えてきた。
 車体の片側が土砂にのまれて傾いているが、形はまだ保たれている。
 状況がすぐにわかった。
 崩落で扉が開かなくなったものの、わずかに残った窓の隙間からアウルリンクを飛ばしたんだ。
 馬車は圧壊していない。窓も完全には塞がれていない。それなら、中にいたルカちゃんはまだ、生きているかもしれない。

 馬車の隣には掘り進めたであろう土が堆積している。ちょうど馬車の扉が開いて、一人の男の子が引っ張り出された。殿下の腕に抱えられているその子を見て、私は安堵と焦燥が一気に押し寄せた。ルカちゃんだ。

 外傷こそなさそうだけど、ルカちゃんは、見るからに衰弱して苦しそうに咳をしながら胸を抑えている。一刻の猶予もない。私は体を引きずるようにして殿下に近づいて声をかけた。

「殿、下……ルカ、ちゃんに、これ……を」

 目を丸くしてこっちを見る。言いつけを破ったことに罪悪感はあるけど、とにかく瓶詰めの薬を渡す。

 何か混乱していたようだけど、殿下は全て理解してくれたらしく、蓋を開け、中身を吸わせた。
 それだけでもルカちゃんの呼吸が幾分落ち着いて来たのがわかる。

 その様子を見た殿下は、持っていた皮袋の水を注ぎ足し、慎重に薬を飲ませていく。

 しばらくして、咳が少しずつ落ち着いた。胸が上下するたび、ルカちゃんの表情にわずかに生気が戻っていく。

 私は張っていた緊張の糸が切れたのか、思わず膝が崩れ、泥の上に座り込んでしまった。

「良かった…本当によかった」

 もうもともと泥水まみれなんだ。今更泥が付くぐらいなんてことない。それより酷使し続けた体の方がもう限界だ。

 ちらっと殿下の方を見ると、何かを言おうとして口を開きかけていた。

 きっと怒られるんだろう。こんな変装までして、たった一人で、しかも止められたのにここまで来たんだ。覚悟してる。どんな罰でも受けよう。


 だけど殿下から聞こえてきた言葉は全く予想外のものだった。

「危ない!」

 え?と思ったがすぐにわかった。
 カラカラと石が落ちてくる。
 上を見ると岩がもうそこまで迫って来ていた。

 落石。

 大きな石が、私めがけて転がって来ている。

 崖崩れが起きているんだ。落石があってもおかしくない。

 もう限界超えた体では動くことができない。

 死ぬ間際は、時間がゆっくり流れるんだっけ。まさに今そんな感じだ。

 殿下は危ないから来るなと言っていたのに。

 ああ、やっぱり殿下は間違ってなかった。

 自業自得だ。

 まあ、ルカちゃんに薬を届けられただけでも良かったのかな。

 やっぱり私は、詰めが甘い。
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