クアドロフォニアは突然に

七星満実

文字の大きさ
上 下
7 / 13

第5章 「悪夢」

しおりを挟む
「祐樹、里見……本当に、秋浜なのか?」
 規制線によって、現場の忍足地蔵の前から押し出されてしまった僕と凛。知らせを受けてやってきた先生達に混じって、憲ちゃんが息を切らせてやってきた。相変わらず座り込みながらも、ようやく落ち着きを取り戻して泣き止んだ凛が、コクリと頷くことで、秋浜の死が事実だと告げる。
「マジだったのかよ……クソ!」
憲ちゃんは、ガードレール脇に生えた木に、拳を打ち付けながら言った。
「お前達は、とりあえず学校に行きなさい」憲ちゃんの後を追うようにやってきた林先生が言った。「それからの事はすぐに指示を出すから。しかし……これはまたマスコミが黙ってないな……」
 教師としての責任や、この事態の収拾の事を思えばわからなくもないが、林先生のその言葉はひどく不謹慎に思えた。冷静な先生の口ぶりが、まるで他人事のように聞こえたのだ。
「……とりあえず、教室に行こう。ここにいつまでもいたって、なんにもならない。」
 憲ちゃんが落ち着いた口調で、僕の肩をポンポン、と軽く叩いて言った。よく考えれば確かに、その通りだった。林先生も、警察の邪魔にならないように、という配慮もあっただろうし、すでに学校に着いている生徒達もいるのだ。学校としての対応をしっかりと決めて、先生達は生徒達にそれを促す役割がある。進学を控えた僕らが、不必要に世間の注目を浴びてしまう事を危惧し、マスコミが、だなんて口をついたに違いない。
「凛。……立てるかい?」
僕は、子供相手に腰を曲げて視線を合わせる大人のように、座り込む凛に言った
「……うん、大丈夫。学校、行こ。祐樹」
 凛はゆっくりと体を立ち上げながら、憲ちゃんに同意してそう言った。
「有沢、新木。里見さんも……一体、何があったの?」
 ちょうどその時、忍足地蔵の社の脇の山道から、規制線を横切って来栖川がやってきた。
「来栖川。……それが……」
 僕は、思わず言葉に詰まった。
「恵那ちゃん……。千雪ちゃんが……千雪ちゃんが……」
 凛が、再び目に涙を溜めながら、来栖川に訴えかけるように言った。
「秋浜さんがどうしたの?ねぇ、まさか……」
 遺体現場のただならぬ雰囲気と、未だ動揺を禁じ得ない凛の様子から、来栖川は事の重大さを察知したようだった。
「死ん……でるの?」
 恐る恐る言う来栖川に、憲ちゃんが無言で首を縦に振って応えた。
「そんな……なんで、秋浜さんが……」
 来栖川が悲痛にそう呟いた、その時だった。
「クアドロフォニア……」
 僕達はギクリとして、その声の主に目をやった。騒ぎを駆けつけた一団の中に、いつの間にか青山くんが立っていた。
「……クアドロ、フォニア?」なんの事かわからず、来栖川は青山くんの言葉を復唱する。「どういう意味?青山くん」
 声をかけられた青山くんだったが、返事をしないばかりかこちらを見もせずに、そのままま踵を返して行ってしまった。その言葉の意味を、つい昨日圭介から聞いたばかりの僕達三人は、言いようのない恐怖と不安を青山くんによってさらに煽られたのだった。



 芦間さんの事件は、確かに衝撃的だった。自分の地元で変死体が見つかるという事が、心にあれほどの恐怖感を植え付けられるという事を、嫌というほど実感したからだ。遺体の発見現場が僕の家が営むぶどう畑のすぐそばだった事も、尚更事件が身近な気がして、ショックはさらに大きかった。だけど、被害者の芦間さんとは、直接話した事がなく、個人的な付き合いはなかった。
 しかし、秋浜は違う。凛と仲がいいのでクラスによく来ていたから、何度も話をしたことをした事がある。しかも昨日、今思えば秋浜は、僕に何かを伝えかけていた。もしかしたら彼女は、何か嫌な予感がしていたのだろうか。そう、僕に対して、彼女なりのSOSを発しようとしていたかもしれないのだ。なのに、僕は秋浜に話してみるよう、強く言わなかった。なんとなく切り出しにくそうな秋浜に配慮した気になって、結果的には、秋浜が何を僕に言いかけたのか、今はもう二度と聞く事が出来なくなってしまったのだ。
 現場から教室にやってきた僕は、自分の席に着くなり、そうやって激しい後悔にさいなまれて頭を抱えていた。秋浜は、一体何を僕に伝えようとしていたんだろう?
キーンコーンカーンコーン。
そんな風に考えていると、チャイムが鳴った。あまりにな無機質なその音色は、考え込む僕をあざ笑うかのように、時間というものが無情に過ぎていく事を知らせていた。
キーンコーンカーンコーン。
 9時になる。……が、誰も、何も話さない。教室内の空気がにわかに張り詰めていくのがわかる。こんなにも静かに授業を迎えるのは初めてのことで、息苦しいとすら感じるた。
(……何分経ったろう?)
 黒板の上の真ん丸とした掛け時計に、チラリと目をやる。チャイムが鳴ってから、まだ、2分と経っていない。
 ガラッ。
 その時ようやく、待ちに待った教卓側の出入り扉の開く音がした。
「おはよう」
 やってきたのは、林先生だった。先生の軽く放った挨拶が響いて聞こえるほどに、教室内は未だ静寂を保ち続けている。
「一限目は、自習になった。今教頭先生達が警察と相談してるんだが、場合によっては今日の授業予定を短縮して、先生達引率の下で集団下校してもらう事になるかもしれない」
 神妙な面持ちで、林先生がそう続けた。集団下校だなんて、小学生の時以来だ。それだけ、今起こっている事態が深刻だという事を意味している。同じ学校の女子生徒が、立て続けに二人も殺されてしまったのだから……。
「隣のクラスにもこの事を伝えたら、一旦職員室に帰ってから、また教室に戻ってくるよ。……欠席者はいるか?」
 登校中に事件を知り、引き返して帰っていった者も何人かいるようで、ちらほらと空席が目立っていた。僕が気になったのは、圭介の姿も見えない事だった。林先生は名簿を手に一人一人の名前を呼び、出欠を確認した後、黒板側の扉から教室を後にした。

 先生が教室を出てしばらくしてから、教室内はようやく沈黙から解放され始める。秋浜の名を口にする者、連続殺人事件に恐怖を覚える者、シクシクと静かに泣く者……。皆、思い思いに口を開き始める。
 僕はというと、さっき秋浜の遺体を見た時に視界に入った、例の緑の粉について考えていた。なぜ、パジャマに着替えていた秋浜の体に、昨日の昼間に使ったパステルの粉が付いていたのだろうか。考えたくもない事が、頭をよぎる。なぜ、圭介は今日学校に来ていないのだろう。昨日、スマホを無くしたと言った時、正鞄を漁りながらパステルの粉まみれになった制服を手にしていた。その時、圭介の手は緑色の粉が付いていた。僕と別れたあと、秋浜と会ったのか?その時圭介が秋浜に触れて、パステルの粉が付着したのか?一体、どうして?もはや、訳がわからなかった。そして、僕にはもう一つ確かめたい事があった。
「……有沢?」
席を離れ、青山くんの前に立った僕に、来栖川がポツリとそう言った。
「青山くん」
僕の呼びかけに、相変わらずうつ伏せになっていた青山くんが、顔を上げる。
「……なに?」
張り付いた前髪に隙間から、僕を見つめ返す。
「さっきクアドロフォニアって、言ってただろう?あれって映画の事だよね」
「……そうだよ。少し前にB級映画を見漁った中にクアドロフォニアもあったんだ」
 初めて彼とまともに会話をするが、いつもと違ってしどろもどろではなかった。
「なんで、そうつぶやいたの?」
 僕は疑問をぶつけた。
「別に、深い意味はないよ。皮肉っただけさ」
 そう答えると、青山くんは不敵にニヤリと笑った。どういう意味だ?皮肉った?映画の内容は確か、漁村にやってきた若者が普段は村人に慕われる人柄のいい人間だったが、実は多重人格者で、夜な夜な殺人を犯していた、というものだった。彼は自分をその若者にダブらせ、一部の人間から疑われている事を、察知したとでもいうのだろうか。
「お前が、やったんだろう……」
 その時突然、クラスメイトが会話に割って入り、青山くんに向かってそう言い放った。
「お前が忍足に来てから、いきなりこの村で殺人事件なんて起こるようになったんだ!」
 クラスメイトが、青山くんの胸元につかみかかる。
「ちょっと、よしなさいよ!」
 慌てて来栖川が止めに入る。
「有沢も荒木達とそう話してたじゃない、昨日」
 その様子を見ていたクラスメイトの女子が、今度は僕に向かって言った。
「……そうなの?有沢」
 怪訝そうな表情で来栖川が僕を見る。あの時の話、聞かれていたのか……。
「そ、それは……」
 僕が動揺しているすぐそばで、つかんだ青山くんの胸ぐらを締め上げ、クラスメイトがさらに語気を荒げる。
「なんとか言えよ、転校生!」
 その仕打ちに対して、青山くんは意外な言葉を返した。
「もしそうだったらどうだって言うんだよ。殴るのか?勝手に話を決め付けて、殴るっていうのか?」
 鋭い目つきで流暢に言い返す青山くんに、クラスメイトはたじろいだ。
「やれよ。さぁ。殴れよ!」
「こいつ……!」
「やめろ!何考えてんだお前っ」
 二人を見かねて憲ちゃんもこちらにやってくる。
「なんだよ新木、お前もこいつを疑ってるんだろ。だったら、お前が代わりに殴れよ」
「なんだと?お前、自分が何言ってるのかわかってるのか?」
 明らかに表情の変わった憲ちゃんが、クラスメイトへにじり寄る。
「け、憲ちゃん、やめろよ」
 僕は、自分よりふた回りも大きな体ちゃんの、両肩を掴んで制止した。
「いつもいつも、偉そうに好きなこと言いやがって。いざとなったら、何もできないのよ」
「この野郎……言わせておけば!」
 僕の手を簡単に振り払うと、憲ちゃんは大声を出してクラスメイトに食ってかかった。
「新木!やめなさい!」
 来栖川が憲ちゃんを止めようとした、そう言った瞬間だった。
「やめてっ!どうしてこんな時に、そんなことするの!」
 叫び声の主は、凛だった。
「さ、里見さん……」
 普段大人しい凛の大声に、来栖川が驚いて言った。
「千雪ちゃん、死んじゃったんだよ?殺されちゃったんだよ?なんで、そんな時に喧嘩なんてできるの?」
「里見……」
 憲ちゃんとクラスメイトの表情に、後悔の色が浮かぶ。
「嘘よ。これはきっと、夢なんだわ……。芦間さんが殺されて……千雪ちゃんまで、あんな……あんなひどい、殺され方されるなんて」言いながら、凛はまたポタポタと涙を流し始める。「千幸ちゃんが何をしたって言うの?殺されるようなこと、千雪ちゃんがしたって言うの?」
 幼い子供のように、凛は泣きながら思いをそう連ねた。
「里見さん、そんなわけないよ。殺されるようなこと、秋浜さんがしたわけないよ。……ね?」
 来栖川が凛に駆け寄り、優しく肩を抱いて言った。
「恵那ちゃん、私、私……」
 凛は、そんな来栖川に体を委ねて、言葉にならない言葉を絞りだそうとしていた。
 そう。みんな、信じられないんだ。後輩に続いて同級生までもが、殺人鬼の毒牙にかかってしまうだなんて。信じられなくて、やり場がない怒りや不安を、それぞれがぶつけ合おうとしてしまいかけていたんだ。クラスメイトも、青山くんも、憲ちゃんも。僕だって、何かこの絶望を、何かこの痛みをどうにかできないかと、考えを巡らせていたんだ。
 来栖川に慰められながらシクシクと涙を流す凛を見て、僕も改めて、悲しくて悲しくて仕方ない気持ちになった。考えることでごまこうとしていた、亡き秋浜へ僕の想いが、今更ながらに溢れ出そうとしていた。
 しかし、僕達を苦しめる悪夢は、まだ終わりを見せるつもりがない事を、僕は思い知らされる事になる。



 結局その日、芦間さんの件で行われるはずだった全校集会は中止されることになり、一限目の自習の後、林先生の言った通り集団下校する事になった。家に着いてから何度も圭介に電話をかけていたが、夜になる今になっても、ずっと電源が切れていて繋がることは無かった。さっき電話した憲ちゃんの話じゃ、昨日の夜遅くに圭介の家族から電話があり、圭介がまだ家に戻らない、との要件だったらしい。責任を感じた真兄ちゃんが電話を代わって何度も謝っていたとのことだった。
 僕は晩御飯を食べながら、圭介について考えを巡らせていた。なぜ、圭介の手に付いたパステルの粉が殺された秋浜の衣服についていたのか。圭介は、なぜあの後、まっすぐ家に帰らなかったのか。こんな状況で圭介は今、どこにいるというのか。
 ……まさか。
 その時僕は、一番考えたくない、考えてはいけない想像をし始めた。
 圭介が、秋浜を殺したんだとしたら?僕らと別れた後、秋浜に会いに行って、彼女を殺し、遺体を忍足地蔵の社まで運んだんだとしたら……。それなら、秋浜の体に付いていたパステルの粉にも辻褄が合う。……いや、まさか、圭介がそんなことするはずなんてない!何を考えているんだ僕はと、自分自身を責める。そもそも動機はなんだって言うんだ。圭介が秋浜に想いを寄せることはあっても、それが秋浜を殺す理由になんてならない。……じゃあ、芦間さんはどうだ?動機なんて誰が犯人でも納得のできるものなんてないだろうけど、圭介と彼女は陸上部という繋がりがあった。これも、偶然なのだろうか?
「祐樹……もういいの?」
 気付いたら、しばらく箸が止まっていた。そんな僕を見て、心配そうに母さんが言う。
「あ、ああ。全部食べれそうになくて」
 これは、本当だった。いつもより食事が喉を通り辛い。
「あまり、色々と考えすぎるなよ」
 僕の心の内を知ってか知らずか、いつもより会話の少ない食卓で、ポツリと父さんがそう呟いた。
 ピリリリリリリ。
 ピリリリリリリ。
 そんな事を話していると、僕のスマホがけたたましく鳴り響いた。
 圭介だ!
 瞬間的にそう思った僕はテーブルの上のスマホを手に取ったが、着信画面に映った名前は「憲二郎」の文字だった。なんとなく嫌な予感がして、僕は自分の血の気が引いていくのを感じた。
「もしもし、憲ちゃん」
「圭介!」
 受話器の向こうの憲ちゃんが息を荒げているのがわかる。
「憲ちゃん、どうしたの?」
「さっき、忍足の外れで山火事があったらしいんだ」
「山火事?」
 そう言われれば食事の前に考え事をしていると、遠くでサイレンが鳴っていたような気がするが……別段気にも留めていなかった。忍足で山火事なんて、聞いたことがない。
「荒木くん?山火事、って……」
 僕の言葉を聞いて、母さんが不安そうに言った。なぜ山火事なんて、と口にしかけた僕だが、憲ちゃんの次の言葉に、完全に声を失ってしまう。
「火は消し止められたんだが……。いいか、落ち着いて聞けよ祐樹。そこで、焼死体が見つかったらしいんだ。……圭介の、焼死体が……」
 奈落の底ー。
 僕は、自分がそこへ突き落とされていくのを感じた。



第5章 「悪夢」
ー了ー
しおりを挟む

処理中です...