クアドロフォニアは突然に

七星満実

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第6章 「窮地の決意」

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 なんで、どうして。もう、やめてくれ。お願いだ、もう許してくれ。
 僕は床にへたりこみながら、未だ姿を見せない殺人鬼へ命乞いするかのように、胸の中で何度も何度もそう叫び続けていた。ポタリ、ポタリ、と、頬を涙が伝う。
 圭介が……殺されるなんて……。炎で、焼け死んだなんて……。嘘だ。嘘だ!
「祐樹、どうしたんだ!おい、しっかりしろ!」
 尋常じゃない僕の様子を見て、父さんが駆け寄る。
「落ち着け!いったい、何があったんだ」
 僕は胸いっぱいの悔しさと悲しみに、体の自由すら支配されかけていた。
「父さん……。圭介が……圭介が、死んだんだよ!俺の友達なんだ!親友なんだよ……圭介はっ!」まるで父さんを責めるかのようにそう叫び、みっともなく涙を流し続ける。「あんなに、いい奴だったのに。こ、殺されるなんて……!」
 僕は心の声を思い切り吐き出すことで、やっとの思いで正気を保っていた。
「名取くんが……。まさか、なんていうことだ……」
 僕に寄り添いながら、無念そうに父さんが呟く。
「祐樹、大丈夫。大丈夫だから。ね」
 根拠のない言葉を連呼しながら、母さんが僕の背中をさする。何が大丈夫なんだよと、憎まれ口を叩きかけた。だけどその行為が、意外なほど心を落ち着けてくれるように感じていたを
「母さん……」
 泣き喚く息子を前にして、母さんは悲痛な表情を浮かべながら、ただゆっくり、そして強く背中をさすり続けた。しかし、かえって冷静さを取り戻したことで、僕は今度は居ても立っても居られない気持ちになった。
「憲ちゃんち……。憲ちゃんに、会いに行かなきゃ。憲ちゃん……」
 何かに目覚めたかのようにピタリと泣き止むと、顔を上げて呪文を唱えるように、僕は憲ちゃんの名を繰り返した。
「何を言ってるんだ、こんな時間に。新木さんの家にも迷惑だ!」
 声を荒げて父さんが叱りつけるように言ったが、僕の思考は、「それが今一番するべき事だ」と、ショックで動けなくなった体中にシグナルを送り始めていた。
「……行かなきゃいけないんだ!圭介が死んだ今だからこそ、憲ちゃんに会いに!」
 そう言うと、僕は勢いよく体を起き上げ、突如として脱兎のごとく玄関へ走り出す。
「ゆ、祐樹、戻りなさい!」
 父さんの制止の言葉もあっという間に振り切ると、スニーカーを急いで履くなり、そのまま家の外へ飛び出していった。奈落に突き落とされたはずの僕だったが、同時に、僕の中でずっとくすぶっていた犯人への怒りの炎が、ついに大きく燃え上がろうとしていたのだ。
「犯人は、僕が捕まえてやる……!」
 自転車に乗る事も忘れて夜の忍足を走る僕の、吐く息はわずかに白かった。



「馬鹿野郎、お前の親父からうちに連絡来たぞ」
 ペシン、と真兄ちゃんに頭をはたかれる。だけど、僕にとってそれはなんだか妙に安心を与えてくれるものだった。「無茶しやがって、まったく……」
 そう言いながら、兄ちゃんはこたつの前に腰を下ろす。
「本当だよ。何かあったらどうすんだ」
「もう何かあったから、ここへ来たんだよ……はぁ、はぁ」
「……確かに、そうだけどよ」
 珍しく僕にいい負けた憲ちゃんが、同じくこたつの前に座り込む。それに倣って、僕も肩で息をしながら腰を下ろした。
「俺があの日、車に自転車積んで送ってやってたらな。こんなことには……」
 いつものようにセブンスターに火をつけながら、真兄ちゃんが言った。あの夜僕達を鍋へ誘った事に、責任を感じているらしい。
「真兄ちゃんは、俺と圭介の二人いたから、両方の自転車を積めないから、そうしなかったんでしょ。……どっちか一人だったら、送ってくれてたさ」
 呼吸を整えながら、僕は言った。
「……うるせぇ、この野郎」再び、ペシンと頭をはたかれる。「しかし、実際にこうして事件は起きた。芦間って女の子のことがあったから、お前らを元気付けようした事が、仇になっちなうとはな……」
 煙を吐き出しながら、静かに怒りをはらんだ口調で真兄ちゃんがそう言った。僕はその言葉を受けた後、向き直って言った。
「……憲ちゃん、俺見たんだ。秋浜の服に、パステルの粉がついてるの」
 憲ちゃんが、驚いて声を上げる。
「なんだって?……どういうことだよ」
「あの日、来栖川が圭介に向かって投げた、緑色のパステルだったんだ」
 憲ちゃんの、息を飲む音が聞こえた。
「俺んちを出た後、圭介が秋浜に会った……て、ことか?」
「うん……。それしか考えられいよ。秋浜はパジャマ姿だった。家でたまたま緑のパステルを使って復習してたんでもない限り」
 言いながら僕は、その可能性がほとんどないことはわかっていた。
「じゃあ、圭介が秋浜を殺して、それを苦にして焼身自殺したってことかよ」
「違うよ!圭介が秋浜を殺す理由なんてない。俺は、秋浜が殺される直前、圭介と会ってた事が間違いない、って言いたいんだ」
 今度は目を丸くして、憲ちゃんはとうとう黙った。
「もちろん、圭介が殺したんじゃないに決まってる」しばらく聞き手に回っていた真兄ちゃんが、再び口を開いた「ただし、殺す理由がないとまでは言い切れない。……勘違いするなよ、俺は予測より事実だけを並べたほうがいいって言ってるだけだ」
 僕はこの意見にひどく納得がいった。実際、秋浜にパステルの粉が付いてるのに気付いたのは、後から調べる警察を覗いたら僕だけだ。そして、圭介の行方がわからなくなる前、スマホを探す圭介が制服に付いたパステルで手を汚すのを、はっきりと見ていたのも、僕だけだ。これは、紛れもない事実だった。そこに、事件を解き明かすヒントが何かあるかもしれないのだ。

 ……待てよ。
 僕は、自分の体に微量の電流が流れたかのように、ハッとした。
「スマホ。……そうだ。圭介は、スマホを探しに行ったんだよきっと」
「スマホ?駄菓子屋にか?」
「わからない。違う場所に置き忘れたのを、思い出しのかもしれない。どっちにしても、圭介がスマホを取りに行こうとした先で、秋浜に会ったのは間違いないと思う。……そうだよ、そこで、二人とも犯人に会ったんだ」
 同時にか、別々にかはわからないだけど、圭介がスマホを置き忘れた場所の付近で、三人はそれぞれ顔を合わしていることになる。もし、何らかの形で三人同時に出くわしたのなら、圭介はきっと秋浜をかばったに違いない!その時、圭介の手のひらのパステルが、秋浜の服についたんだ。
「だけど、動機はなんなんだ?芦間にしろ、秋浜も圭介も、なんで犯人に殺された?」
「……それは、僕にわかるわけないよ」憲ちゃんの疑問をかわすと、僕は真兄ちゃんに顔を向けた。「だけど、ひとつどうしても気になっている事があって。その事が、もしかしたたらこの事件に関係あるんじゃないか、って」
「なんだよ、気になってることって。兄貴に教えて欲しいのか?」
 憲ちゃんがそう言うのを、真兄ちゃんは黙って聞いていた。
「ああ。……この前話してた、10年以上前の、あの事件のこと」
 僕は、まっすぐな目でそう口にした。
「やれやれ…」真兄ちゃんが、ポリポリと頭をかいてため息をついた。「余計なこと、話しちまったかな」
「……自殺した生徒の件か。忍足で皆が隠してきた、あの……」
 思い出したように、憲ちゃんが言った。最後の一本を取り出したタバコの箱をクシャリと握りつぶすと、真兄ちゃんがゆっくりと話し始めた。
「……生徒の名前は、月島雨美あまみ。前も言ったが、父親と二人暮らしだった。月島先輩がまだ物心つく前に、離婚して母親が出て行ったらしい。……先輩は、そりゃとびきりの美人でな。読書家で、バスケ部でも活躍してて、だけどちょっと影があるっていうか。みんなと一緒に派手に騒ぐってタイプじゃない、大人しい人だったよ」
「飛び降りたの、女だったのか」
 憲ちゃんが言う。確かに、性別すらあの時は聞けていなかった。タバコに火をつけ、真兄ちゃんが続ける。
「だけど、大人たちの間で妙な噂が流れていてな」
「妙な噂?」
 憲ちゃんが、こたつテーブルに身を乗り出して聞いた。
「月島先輩が、父親に関係を強要されてるって」
 それを聞いた途端、僕は一気にとてつもなくおぞましい気分に襲われた。
「もちろん、はっきりした確証があったわけじゃないらしいけど。先輩が誰かに助けを求めて話したのかもしれないし、根拠のない単なる噂話かもしれない。」トントン、と灰皿をセブンスターで叩いて、灰を落とす。「そんな時だよ。ちょうど、今ぐらいの時期かな。その日、月島先輩は仲の良かった同級生に告白されたらしいんだ。もちろん、そんなことは月島先輩にとって、そう珍しいことでもなかったはずだ。……だけどな、その後の昼休みのことなんだ。先輩が、屋上から飛び降り自殺したのは」
 部屋の中に、静寂が訪れる。そこまで聞いて、僕は背筋に寒気を感じ、身震いした。
「俺が知ってるのはそれぐらいだ。……この話が、今回の連続殺人に関係してるって?」
 言い終えると、真兄ちゃんは僕を見てそう聞いた。
「わからないです……。でも、俺にとって芦間さんは、初めての忍足での変死だった。その後、同級生の秋浜も殺された。……それで今日、圭介まで……」握った拳が、わなわなと震え出すのがわかった。「でも、本当はその前に自殺で亡くなった女の子がいたって事も、ショックだったんです。忍足には、自殺や殺人なんて、無縁だと思ってたんです。だから……」
 そこまで言うと、僕は一旦言葉を切った。真兄ちゃんも憲ちゃんも、真剣に話を聞いている。
「だから、真兄ちゃんが言ってたように、誰にだって人には言えない事情があるからこそ、それが、実は繋がっているってことも、あるんじゃないかって。……10数年前の自殺と、何らかの関係性があって、この事件も起こったんじゃないか、って」
 そう。一連の事件の悲しみや憎しみの発端には、何かとても大きなものが隠れ潜んでいる気がするんだ。
「うん……お前の考えは、わかった。だけど、犯人を捕まえるのは警察の仕事だ。これだけ次々に人が殺されてるんだ。中途半端に首を突っ込んだらどういう事になるか、お前もわかってるだろう。だから絶対、無茶な真似はするなよ」
 僕の目をしっかりと見ながら、真兄ちゃんは力強くそう言った。
「はい、わかりました……。ありがとうございます」
「……よし。今日はもう、帰れ。送ってってやるよ」
 そう言うと、真兄ちゃんは立ち上がって上着を手に取った。
「すいません、勝手なことして」
 僕も立ち上がりながら、頭を下げる。
「いてもたってもいられなかったんだろう?……気持ちはわかるさ」
 今度は僕の目を見ずに、優しく真兄ちゃんがそう言った。
「俺も付き合うよ。また明日、ゆっくり話そうぜ。……な、祐樹」
 クローゼットから真兄ちゃんのおさがりのジャンバーを出しながら、憲ちゃんが軽く笑った。



 木曜日。授業中の教室内は、一段と静かになっていた。座席に空きが目立つのは、ほとんどの女子生徒が休んでいるからだ。後輩、そして同級生、殺された二人はどちらも女子だ。次は自分が、なんて恐ろしい想像をしてしまうのは、無理もなかった。きっと生徒の家族だってそうだろう。
 家族……。そう。芦間さん、秋浜、圭介達の家族の気持ちを思うと、こらえている胸の痛みがすぐに再発してしまう。
「秋浜の葬儀は、ご家族だけで執り行うそうだ。名取は、ご自宅で今日お通夜がある。みんなに来てもらいたいと、保護者の方が言ってくださってるよ」
 今日最後の授業が始まる前、宮田先生が半分近くしか出席していない生徒達に向かって、そう報告してくれた。皮肉なことに、一時は事件の犯人と目されていた青山くんは、火曜日に一度休んだきり、きちんと登校してきていた。クラスメイト達との仲は相変わらずとも言えたが、この前の揉め事があってから、さらに溝が深まってしまったようにも思える。
「じゃあ、また夜に」
 校門前で憲ちゃんに別れを告げると、金木犀香る秋の坂道を僕は降り始めた。
「ありさわーっ」
 歩き始めて1分と経たないうちに、後ろから走ってくる人物に呼び止められる。
「たまには、一緒に帰ろうよ」
 笑顔満面の、来栖川だった。
「いいね。そうしよう」
 僕も笑ってそれに答える。
 凛、秋浜、そして来栖川。今まで女子と二人っきりで帰ることなんてほとんど無かったのに、最近は立て続けに三人もの女子と、それぞれ一緒に帰っている。珍しいこともあるもんだ、と僕は思った。
「……名取のこと、残念だったね」
 しばらく黙っていた来栖川が口を開く。僕は、秋浜と二人で帰った時、芦間さんの話をした事をなぜか思い出した。秋浜があの時何を言おうとしたのか。なぜ、聞いてあげられなかったのか。後悔の念が再び沸き上がる?
「名取、楽しい奴だったよね」
「……うん。一番、仲が良かった」
 小学生の頃、僕は憲ちゃんよりも先に圭介と仲良くなったのだ。
「有沢、いっつも名取にちょっかいかけてたよね」
 僕の心境をおもんばかってか、来栖川はクスリと笑いながら話を続けた。
「来栖川も、ちょっかいかけられてたね、美術の時間」
 精一杯明るい声で、僕は返した。
「わざとじゃないって、言ってたけど。お返しに凄いのお見舞いしちゃった」
 いたずらっぽくウインクを見せながら、来栖川がVサインをした。
「ははは、そうだった」
 思わず、笑ってしまう。
「名取ったらパステルだらけになってさぁ。あの時はウケたよねっ」
 その時、僕は来栖川の言葉にギクリとした。
 そうだ。来栖川にパステルをかけられた圭介は、そこで体操服に着替えたんだ。
「……名取?」
「そうさ。次の時間体育だから、ついでに、って。……きっと、そこで置き忘れたんだ」
 記憶が鮮明に蘇ってくる。
「置き忘れたって、名取が?何を?」
「スマホさ!圭介は僕らと別れたあと、きっと学校へスマホを取りに行ったんだ!……来栖川、ごめん!」
 僕はそれだけ言い残すと、急いで学校へ引き返すために走り出した。
「ちょ、ちょっと有沢?」
 来栖川は呼び止めたが、僕は一度も振り返ることなく、坂道を駆け上って行った。
 
 呼吸を整えながら、ようやくたどり着いた職員室の前に立つ。
 確証は無かった。だけど、じっとしてられなかったんだ。真兄ちゃんは無茶な真似はするな、と言ったけど、圭介と秋浜が事件当時一緒にいた可能性が高いことは、パステルの事を知っている僕達にしかわかっていない。何か、できることはないか。でもそれは、なんなのか。圭介の死を知ってから、一連の事件の事を考えては、もがき苦しんでいた僕。スマホを見つけたところで、何も変わらないかもしれない。でも、何か変わる可能性だってあるんだ。圭介のスマホを警察が見つけたという知らせも、まだ入ってきていないのだから。
 ふー、と僕は深呼吸をした。
「失礼します」
 ガラリと扉を開く。職員室の扉を開ける時、なぜかいつも少し緊張する。室内の独特な雰囲気がそうさせるのだろうか。
 林先生の席に目をやる。……いない。しかし、少し離れた席に林先生を見つけた。
「……先生」
 僕は席までくると、背中越しから声をかけた。
「ん?ああ、有沢か。どうした、まだ帰ってなかったのか」
 先生は、PCで何かの書類を作っているところだった。
「あの、宮田先生は?」
 すぐさま本題に入る。
「宮田先生なら、会議で教育委員会まで出かけたよ。今後の学校としての方針や、生徒達の対応を協議しにな」
 同じ中学校で三人も生徒に犠牲者が出ているのだ。そういった会議が催されるのも、当然の事だった。
「そうですか……。あの、実は美術室に忘れ物して。鍵、借りれませんか?」
 僕は思い切って言った。
「忘れ物?ああ、それなら見てくるといい。鍵ならそこだ」
 見ると、先生達のデスクの真後ろ、ロッカーの隣に沢山の鍵が吊られたボードがあった。そこに、オレンジ色のタグがついた美術室の鍵を見つける。
「ありがとうございます」
 僕は鍵を手にすると、急いで美術室に向かった。
 美術室は、本校舎の端に併設された1階建ての新校舎にある。校舎から出ると敷地内から直接入る事ができ、家庭科室と技術室の間の教室がそれだ。
 ガチャガチャと鍵を開けると、さっそくとばかりに中へ入る。当たり前だが室内はシンとしていて、油絵の具の独特な匂いが少しした。誰もいない教室が、これほどにいつもと違う雰囲気であることに、僕は少し驚いていた。
「確か、あそこで……」
 部屋の隅にある、扉に向かう。扉には、「美術準備室」のプレートが掛けられている。
「マジか、嘘だろ……!」
 しかし、ドアノブを見て僕は愕然とした。南京錠がかけられていたのだ。
「これじゃ、宮田先生がいないと開けられないじゃないか」
 美術準備室にはいろんな作品や画材を保管している。きっと盗難防止で、南京錠をかけているのだろう。さすがにこれでは、どうしようもない。とりあえず今は諦めるしかなかった。そう思って僕は職員室に引き返した。が、その時ある考えが頭の中に浮かんでいた。

 校舎を後にし、校門へ向かうと来栖川が立っていた。
「何よ、いきなり!わけわからないこと言って飛び出して」
 プリプリと、置いて行かれたことに文句を言う。
「ごめんごめん、急に思いついたからさ」
「さっき言ってた、名取のスマホ?」
「うん。美術準備室にあると思ったんだけど、宮田先生がいなくて、中に入れなかった」
「そう……」
 僕が説明し終えると来栖川はじーっとこちらを見つめてきた。
「な、なに?」
 気恥ずかしくなって、了見を聞く。
「あんた、なんか企んでない?」
「ど、どうしてそう思うんだよ」
 僕は驚いて聞き返した。
「そういう顔してるからよ」
「そういう顔って?」
「真剣な、顔」
 来栖川は、まだこちらを見ている。
「……私ね」視線を外すと、ゆっくり歩き始めながら言った。「昨日、テレビでたまたま今回の事件についてやってたの。見たくなかったから、避けてたんだけど」
 僕も同感だった。
「でも、たまたま見ちゃってさ。名取の事件の話のあとに、芦間さん、秋浜さんの話になって。二人は、殴打による打撲死だったそうよ」
 打撲死……。一体どれだけ殴りつければ人ひとり、殺せるのだろうか。恨みがあった?それとも、猟奇殺人?僕は、想像して身震いしてしまった。
「それでね。……それで、その……」
 自分から口を開いておいて、来栖川の歯切れが悪い。僕はまた、秋浜と話した時のことを思い出していた。
「言ってよ。来栖川」
 僕は、はっきりとした口調で言った。
「うん……。二人の遺体からね、警察の調べで、男性の精液が発見された、って……」
「なんだって?」
 そんな話は初耳だった。
「屍姦って、いうらしいよ。二人は、犯人に殺された後に……」
 そこまで話して、もうこれ以上はと、来栖川は言葉を止めた。
 屍姦……。それはおよそ聞き馴染みのない恐ろしい言葉だった。自分が殺した人間を、さらに、陵辱するだなんて。僕は、忌ま忌ましさと恐ろしさで吐き気をもよおしそうになる。犯人の所業はまるで人間じゃない、悪魔のような生き物を連想させた。それを知った時来栖川は、僕よりももっと気分が悪くなっただろうし、もっと恐怖しただろう。
「だからね、ずっと考えてた。何かできないか、って。……私、悔しいの。大好きな忍足の村で、名取を殺して、芦間さんと秋浜さんをそんな風にした殺人犯を、絶対に絶対に、許せない!」
 来栖川の瞳は潤んでいた。あの日の朝、忍足地蔵で落ち合って、一緒に登校した時も、彼女の瞳は潤んでいた。あれはあくびでそうなっていたんだけど、僕はなぜかその日のことを懐かしく思っていた。まだ、事件が起きる前だったからかもしれない。犯人への彼女の想いが、僕には痛いほどわかる気がした。
「実はさ、美術準備室の鍵が、3桁の南京錠だったんだ。……だから、時間をかければ開けられる。」
「開けられる、って……。そんな時間かけてたら先生に帰されちゃうじゃない」
「だから引き返してきたのさ。これを持ってね」
 僕は、オレンジ色のタグがついた鍵をポケットから出し、来栖川に見せた。
「まさか、夜忍び込もうっていうの?」
「うん。急いだ方がいいような気がするんだ。……圭介のお通夜が終わったら、行くつもり」
 来栖川は僕の話を聞いて驚き、少し黙ってからまた口を開いた。
「……じゃあ、私も行く」
「え?」
 突拍子もない事を言い出す。
「危ないよ、何があるかわからないし」
「あんた一人で行く方が危ないじゃない、違う?」
 僕は、言い返せなかった。
「何か出来ることがあるなら、わかりそうなことがあるなら、やってみようよ一緒に」
 来栖川は頼もしくそう言うと、正鞄を担ぎ直し、スタスタと僕の前を歩き出していった。

 僕は、圭介の死を受け入れることができていない。だからこそ、圭介のためにも事件解決の糸口を見つけたい。そう思った。三人もの友人達を殺した、残虐な犯人。そして、その男は命を落とした芦間さんと秋浜に、さらなる屈辱を与えたのだ。……許せない。
 僕の心の中は今や、恐怖よりも犯人への怒りで満ち満ちていた。そして、芦間さんの事件の時からずっと胸に去来していたぼやけた思いが、ようやくはっきりと姿を見せ始めた。
(忍足の村を、皆を、守りたい。)
 大げさなんかじゃなく、それが今の僕の思う本音だった。
「見ててくれよ、圭介」
 夕暮れを待つ晴れ渡った秋空に向かって、僕は祈りにも似た気持ちを込め、小さくそう呟いたのだった。



第6章 「窮地の決意」
ー完ー
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