feel like WATER

七星満実

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Second feel

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「ハンバーグランチ上がったよ!」
「はいはい!」
 厨房からの大声に、威勢のいい声で返す。私はカツサンドとオニオンスープのセットを配膳し終えるところだった。土曜日のランチタイムは特に店内が混雑し、ピーク時はいつもこの調子だ。
「マスターの新しい奥さん?」
 カウンター席に腰掛けた初老の男性が、手厳しいシャレをかましてくる。
「まさか。……2人の同級生なんです。今大変だから、手伝いに来てるんですよ」
 私はカウンターの上の空いた皿を重ねながら答えた。
「そうかそうか。もうすぐ生まれるのか」
 何やら事情に詳しそうなので、きっと常連さんだろう。
「私も毎日来れるわけじゃないけど、ちょうど子供も幼稚園行きだしたばかりなんで。昼間は時間があるんです」
 テーブルを拭きながらそう言うと、私はこの店一番の人気メニューを厨房へ受け取りに行った。
 お店でお肉をミンチにして、いわば挽きたてのビーフ100パーセントで提供しているのが、評判になっているのだ。ナルが何年か前にたまたま入った軽食フレンチで、同じものを食べて感銘を受けたらしい。
 挽きたてのミンチのハンバーグに、挽きたてのコーヒー豆。これは売りになると思って、実家のこの喫茶店を継ぐ気になったそうだ。調理関係の専門学校を卒業していた事も、きっとそれを手伝ったんだろう。
「お待たせしました」
 初老の男性の前にハンバーグランチを差し出すと、男性は濃い茶色のニット帽を脱いだ。
「やあ。これが食べたかったんだ」
 ほんのり湯気の立つ分厚いハンバーグには、食欲をそそる赤ワインを使ったデミグラスソースが香っていた。これにライスかフォカッチャ、サラダの小鉢と、スープかドリンクがついて900円。商店街の喫茶店としては決して安い金額設定では無いが、ハンバーグのクオリティを考えればお世辞抜きにお得だと思う。
「ありがとう。いただくよ」
 男性は、ニッコリ笑ってお礼を言った。
「ごゆっくり、召し上がってください」
 私も笑顔でそう返した時、ドアベルがカランカランと鳴った。
「いらっしゃ……おー、久しぶり!」
 ベージュのハーフコートに黒いマフラー姿で現れたのは、懐かしのマサトだった。
「よう。……なんだよサチ、アルバイトか?」
 8年ぶりに会うマサトは、何も変わってないように見えた。
「そういうこと。お一人ですか?」
 私はわかりきったことを聞く。
「ああ」マサトはコートを脱ぐと慣れた足取りで、ハンバーグを満足そうに食べる男性の一つ飛ばしで隣の席に着いた。「ハンバーグランチ頼む。フォカッチャとアイスコーヒーで」
「……アイスコーヒー?冬なのに」
 私は伝票に書き込みながら笑った。
「好きなんだよ。別にいいじゃないか」
 そういえば、ハタチの頃街へ出て2人でカフェに寄った時も、冬場にアイスコーヒーを頼んでいたことを思い出した。成人式で再開してから、初めてデートに行ったクリスマスイブの日の事だ。
「ライスよりフォカッチャ頼むあたりが、通だね」
 フォカッチャはデミグラスソースによく絡んで、ハンバーグのお供に最適だ。相変わらず気が合うな、と私は思った。
「マドカの代わりにか?」
 ナルに教えてもらった通り、コーヒーミールで豆を挽く私をよそに、店内を見回しながら言った。
「あら、私じゃ不満だった?もう8ヶ月目なのよ、仕方ないじゃない」
「バカ言うなよ、ただ聞いただけさ」
 粉々になっていくコーヒー豆を眺めながらマサトがニヤリと笑った。
(友達に戻りたい)
 それが、私からマサトに切り出した別れの言葉だった。不満があったわけじゃない。だけど、マサトの心に近づけば近づくほど、その想いが強くなっていったんだ。マサトは、あれこれ何も聞きもしないで「わかった」とだけ答えて、早々に話題を変えたのを思い出す。もしかするとマサトも同じ気持ちだったのかもしれない。間も無くマサトが東京に発つということも、きっと2人の決断に影響していたと思う。
「聞いたよ、同窓会の件」
「そうか。春頃に開催できたら、と思ってる。……サチの子供は?順調に育ってるか?」
「おかげさまで。毎日走り回って、もう大変」
 私は大げさに高い位置からお湯を回し入れながら、コーヒーをドリップしながら言う。形から入るタイプだなと、私に淹れ方を教えてくれたナルは笑っていた。
「いい香りだ」ひとしきりコーヒーを鼻で堪能した後、マサトは閉じていた目を開いて呟く。「……だけど、俺が頼んだのはアイスコーヒーだぜ」
 私は、慌てて傾けていたポットを元の姿勢に戻した。
「いけない。今日ホットばかりオーダーがあったから、つい」
「だろうな。いいよ、ホットで」
 マサトは椅子にかけたコートのポケットを探り、タバコの箱を取り出しながら言った。
「ごめんね」カップにコーヒーを注ぎながら謝る。「春だったら、ちょうどマドカが出産した直後ね。あの子は来れないかも……。はい、コーヒーお待たせ」
 私がそう言ってコーヒーをカウンターに置くと、マサトのスマホが鳴った。
 ピリリリリリリ。
 ピリリリリリリ。
「もしもし。……ああ、随分ご無沙汰だったな。今こっちにいないらしいじゃないか」
 話の内容やから、恐らく電話の相手が同級生だろう事がわかる。私はそのまま厨房に引っ込んだ。
「そうなんだよ。もう、ソウタから聞いてたのか」熱々のコーヒーを啜りながら、マサトは続けた。「で、どうだい。引き受けてもらえそうかな」
 どうやら、同窓会で演奏を頼みたいバンドのメンバーらしい。
「うん。うん。……うん、そうか。それじゃ仕方ないよな」
 私は食器を洗いながら、不可抗力で聞き耳を立てていた。
「ハンバーグとサラダ上がったよ」
 ナルが声をかけてきたので、声を潜めて聞いた。
「例のライブの件、コウヘイとは連絡ついたの?」
「え?ああ、いや、俺から連絡したけど返事が無くてさ。マサトが自分で頼む、って」
 ナルは答えながら、冷蔵庫から次の注文のためにお肉を取り出しながら答えた。まだ13時を回ったところだから、まだまだハンバーグランチのオーダーが入るだろう。
 コウヘイがイギリスに渡ってから3年。便りが無いのは元気な証拠、というやつだろうか。
「そうだな。じゃあ、日付が決まったらまた連絡するよ。その前に一度飯でも行こう。……ああ、わかった。ありがとな。また」
 私がフォカッチャの入った皿もお盆に乗せてランチを運ぶと、ちょうどマサトが電話を終えたところだった。
「誰から?」
 背中越しからそう聞きながら、カウンターテーブルにセットメニューを並べる。
「サトシさ。もい何年もドラム叩いて無いから、バンド出演はできないって。……当日は時間作ってき来てくれるらしいけどな」
 残念そうにそう言いながら、彼はタバコの煙を吸い込んだ。
「そう簡単に、うまくいくわけないよな……」
 マサトの様子を見て、私はたとえ気休めに聞こえてもいいと思って言った。
「そうかも、しれないけど。マサトがやろうとしてることって、すごくいいことだと思うよ。みんな……色々あるし、色々あったけど」そこまで言うと、彼がコーヒーを飲み終えるのを待ってから続ける。「……みんながみんな揃わなくたっていいじゃない。私は、旦那と子供も連れて見に行くよ」
 私の言葉に、マサトは苦笑いした。
「同窓会なんだぜ。家族まで巻き込むなよ、サチ」
「家族だから、見せたいのよ。マサトが作るイベント」
 病気の事には触れないまま、私は語気を強めて言った。
「俺がイベントを作るんじゃないよ。出てくれる人達が作るんだ。俺がやることと言えば、オファーして、それをうまく組み合わせて、より良く見せるプログラムにするだけさ」
 フォカッチャをデミグラスソースに浸しながら、マサトはそう答えた。私はその事について、もう、それ以上何も言えなかった。
「……ナル、手が空いたみたいだから。呼んでくるね」
「……ああ」
 マサトがモグモグと食事し始めたのを見送ると、私はまた厨房に戻った。



 結婚して、5年が過ぎた。特に旦那に対して不満も無いし、子育ても大変ではあるけど、ささやかな幸せを感じる日々を過ごせていた。
 そんな時に、マドカからマサトの病気と同窓会について聞いた。私が力になってあげられることは、何もなさそうだったけど……マサトを、応援したかった。記憶しづらくなって、過去の事も忘れてしまうかもしれない彼が残そうとしているものを、この目でちゃんと見てみたかった。
 自分には関係ない。そう思う同級生が少なくないとしても、私にとってマサトは特別だった。きっと、ナルとマドカにとっても……。だから、彼を応援する2人のためにも、マサトには同窓会ライブを成功させてほしかった。

 それがきっと、私たちを待つ過酷な運命に、何かしらの光を与えてくれるような……そんな気がしていたから。



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