feel like WATER

七星満実

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Last feel

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 体が重い。昨夜、ほとんど眠れなかったからだろうか。
 サトシからナルの死の連絡を受けてからというもの、何も手につかないまま、ベッドの上でずっと考えをめぐらせ続けている。
 外は、朝方から今夜まで、物凄い勢いで雨が降り続けていた。

 ピリリリリリリ。
 スマホが鳴る。
 サトシかソウタだろうと着信画面に目をやると、「竜崎」と表示があった。
 昨日イベントで会ったばかりだったけど、きっと、同窓会ライブについての要件だろうと想像できた。竜崎さんはいつも仕事が早いイメージだ。それは、作品の描画スピードにも表れている。何か思いついたか、何かしらの確認の連絡だろう。
 ピリリリリリリ。
 同窓会ライブ……その開催の意義に、僕の中で大きな亀裂が入ってしまっていた。
 最も近しい友達に忍び寄る死にすら気付かず、何が同窓会だ。僕は、自分が情けなかった。僕の病は、命に別状があるものではない。だから、希望を語ることが出来た。ナルは、どんな思いで僕の話を聞いていたのだろう。
 ピリリ……。
 電話が切れる。とてもじゃないが、今同窓会ライブについて話す気にはなれなかった。……いや、そうじゃない。今は誰とも話したくないから、サトシやソウタからの連絡も受けていないのだ。

(私ってそんなに印象薄いですかぁ?あの時は私のライブペイント、すっごい褒めてくれたのに)

 昨日、竜崎さんのイベントで会った、白のベレー帽に白のショートコート姿の女性の言葉を思い出す。そして、続けてその後話したコウヘイの言葉も。

(何言ってるんだ。中学の頃にバンドを組んだ時、最初のボーカルはお前だったじゃないか)

 最近の記憶の一部と、昔の記憶の一部。それが、自分の中から全く消え去ってしまっているという恐怖。新しい記憶がしにくくなる前向性健忘に加え、東京の担当医が言った通り、古い記憶を失う逆行性健忘の症状も出てきてしまったのだ。
 そこへ、信じがたいナルの死の報告が追い打ちをかけ、僕の心はどん底にまで落ち込んでしまったていた。

 ピリリリリリリ。
 再び、スマホが着信する。ソウタからだった。おそらく今夜、ナルの通夜が催されているのだろう。
 僕は思った。
 今の僕には、ナルの家族やマドカに合わせる顔が無い、と。
 ピリリリリリリ。
 ふと、窓の外に目をやる。
 見たことも無い勢いで、雨が窓に叩きつけられていた。

(何かにぶつかっても、流れを変えてまた進んでさ。誰かが困ってたら、そこに向かって手を差し伸べた。誰かとトラブっても、気にしないで水に流してさ。友達同士の中に緩やかに入ってきて、間を取り持ってさ。いつも、穏やかだった。……まるで、水みたいな奴だと思ってたよ、昔から)

 居酒屋で、ナルにかけられた言葉を思い出す。
 ピリリリリリリ。
「水……」
 僕はそう呟くと、ゆっくりと重い体を起こした。頭が、痛い。スマホをマナーモードに切り替えると、部屋を出て、フラフラと玄関の前までやって来る。
 僕は無言のまま、玄関の扉を開いた。
 外には、ドドドドド、と雨の音とは思えないような轟音が響いていた。

 幼い頃、ナルと一緒に図書館で読んだ、「ノアの方舟」という、聖書を基にした絵本を思い出す。
 神様が、地上に増えた人々の堕落を嘆き、これを洪水で滅ぼすことを、神様と共に歩んだ正しい人であったノアに告げた。ノアは神様の啓示に従い、家族で方舟を造ることになったという。妻と3人の息子、そしてそのそれぞれの妻たちと、あらゆる動物たちのつがいを乗せるための、巨大な方舟だ。
 そして、神様の予言通り大いなる洪水が起こる。40日40夜大雨が降り注ぎ、地上の生き物を滅ぼし尽くした。水は、150日もの間その勢いを失うことはなかったという。
 やがて方舟は、山の上に止まった。そこで数十日を過ごしたノアたちは、外に放った鳥がオリーブの葉をくわえて戻ってきたのを見て、水が引き、植物が芽吹いたことを知る。再び鳥を放つと、鳥はもう戻ってくることがなく、それを機にノアは家族や動物たちと方舟を出た、という話だった。
 僕にはこの雨が、まるでノアの方舟の話に出てくる、神様が降らせた大雨のように感じられた。
 8年もの間歩み続けた役者の道が閉ざされてしまい、それでも病魔に立ち向かうと決意して帰ってきた故郷。しかし、症状は確実に進行していて、そんな時、親友さえも失ってしまった。僕は、絶望に打ちひしがれる自分ごと、洪水によって洗い流してしまって欲しい気持ちだった。
 玄関の扉を閉め、ひとり、傘もささず何かに取り憑かれたように、外へと歩き出す。
 目指そうとしたのは、幼い頃から慣れ親しんだ天戸川だった。



 親父を亡くした時も、僕は真夜中にこうして天戸川に向かった。何が変わるというわけではなかったけど、天戸川の緩やかな流れと水面に映る控えめな夜景に、何かしらの救いを求めた事は間違いなかった。
 なら、今はどうだろう。何を求めて、この大雨の中僕は、天戸川を目指しているのだろうか。
 ナルとの思い出を振り返るため?普段の様子とは明らかに違っているであろう天戸川の激しい流れに、全て投げ出して身を投じるため?
 自分でもわからないまま、僕は歩みを進めた。身体中に雨が打ち付け、全身が冷えていくのがわかる。それでも僕は、不思議と味わったことのない心地良さを感じていた。
 
 15分ほど歩いたろうか。河川敷の前までやってきた僕は、階段を見上げた。まるで滝の流れのように、階段を雨が滑り降りてきている。
 意を決し、一歩、一歩、確かめるように階段を上っていく。
 親父のこと。役者のこと。病気のこと。ナルのこと。同級生たちのこと。様々なことを胸に描きながら、僕は河川敷の上にたどり着いた。
 そこには、驚くべき光景が広がっていた。
 河川敷の向こうは足下まで水で完全に覆い尽くされており、折れた木々ごと物凄い勢いで川が流れている。すべてを飲み込み洗い流し尽くさんとする、まさに、世界を滅ぼすかのような大洪水だった。
 僕は、そんなこの世の終わりのような光景を目にしながら、恐怖と共に、妙な落ち着きを得ていた。
 この流れに身を任せたくなるような。
 そうすれば、僕を苛むすべての事から解放されるような。
「ナル、俺は……」
 濁流を眺めながらそう呟いた時、スマホがポケットの中で震えるのがわかった。
 寒さで全身をブルブルと震わせながら、スマホを手にする。名前を呼んだ途端、来るはずのないナルからの連絡が来たような気がしたのだ。
 そこには、竜崎さんからメッセージが入っていた。

「ペインターの女性から皐月が自分を忘れていた、という話を聞いた。あいつはお前の病気の事なんて知らないが、もしかすると症状が進行しているのかと気になって、連絡しました。前にも言ったけど、お前はやれる奴。ただ、無理はするなよ。落ち着いたら連絡ください。ゆっくりゆっくり、いけばいい」

 僕はそれを読んで、ナルが最後に僕にくれた言葉を思い出した。

(お前が見てきたもの、受けてきた感動を誰かに伝えたいって気持ち、よくわかるよ。俺だって、叶うならそうしたい。だけど、その方法なんてなかなか浮かばない。それは、とても難しいことだと思うんだ)

(でも、お前は違うじゃないか。行動に起こして、実現しようとしてる。それは、自分の満足のためだけじゃない。水みたいに、誰かの乾いた心に染み込んで潤すメッセージが、そこに込められてると思うんだ。……お前ならやれる!自信持てよ)

(お前がやろうとしてることは、きっとみんなの心に届くから安心しろよ。……ただ、お前は結構無理するからな。それだけが心配だ。無理せず、気長にな。それだけは約束してくれ)

「……ナル。……ナル……」
 僕は膝から崩れ落ちながら、ナルの名を呼んだ。
 ずっと堪えていたものが、溢れ出す。
「なんで、俺を置いて行ったんだよ!なんで、苦しい、辛い、って言ってくれなかったんだよ!……お前の方が苦しかっただろ?お前の方が辛かっただろ?なのに、なんで、自分の事は隠して……お前は……!」
 大雨の中、氾濫しかかった天戸川を目の前に、僕は子供のように泣き叫んだ。
「俺じゃダメだったのかよ!俺じゃ、お前の苦しみを和らげてやれなかったのかよ!」どんなに叫んでもナルからの返事が無いことを知りながら、ひた叫ぶ。「お前がいなきゃ、意味ないんだよ……。俺のこれからを、一番見てもらいたかったのは、お前なんだよ!!俺じゃ……俺じゃ、お前を救えなかったのかよ!!」
 僕は絶叫しながら、ようやく理解していた。
 絶望に負けて、天戸川に身を投げ出すためにここへ来たんじゃ無い。
 僕は、立ち上がりたかったんだ。
 やり場の無い悲しみを、ひとり、洗い流すために、ここへ来た。
 立ち上がるために、ここへ来たんだ。
 ナルのためにも。自分のためにも。
「マサトォー!」
 その時、嵐のような雨の中、僕を呼ぶ声がした。
「!?」
 僕はナルが生き返りでもしたのかと、ほとんど視界の無い周囲を見渡した。
「バカ野郎っ!」
 声の主に弾丸のように勢いよく体をぶつけられ、その場に倒れ込む。
「良かった……良かった……」
 そう言いながら僕をきつく抱きしめるのは、ソウタだった。
「……ソウタ。俺、俺……」
「……わかってる。わかってるさマサト。ただ、心配したぜ。サチも、サトシも、マドカも、みんなお前を心配してる」ソウタはそう言いながら、締め付ける腕を緩めなかった。「同窓会ライブ、成功させようぜ。こんな時だからこそ、やり切るんだよ。ナルのためにも、マドカのためにも……お前のためにも」
 僕はそれを聞いて、力いっぱいソウタを抱きしめ返した。
「ああ……そうだな。やってやる。何が何でも、やってやるさ。……そのためには、お前のギターが必要だ。頼むぜ……名ギタリスト」
 僕の言葉に、ソウタは声を上げて泣き出した。
 大の大人が2人、どんなに泣こうが喚こうがナルは帰ってこないし、その大声も雨にかき消される。
 だから、僕もまた泣いた。この雨が全てを洗い流し、きっと、新しい希望が生まれてくると信じて、めいっぱい涙を流し続けた。
 


 僕は雨とひとつになった。
 水と、ひとつになった。

 濡れた体はますます冷え切っていたけど、ソウタから感じられる確かな温もりが、僕にその事を、忘れさせてくれていたんだ。



Last feel
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