烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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序章

からすの手紙

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 月夜つきよが十歳を迎える頃から、見知らぬ者から贈り物と手紙が届くようになった。
 美しい筆跡で綴られた手紙には、月夜の心をそっと撫でるような温かい言葉が並ぶ。

 誕生日の祝いの言葉、月夜の成長を祈る言葉、そしていつの日か会えることを願う言葉だ。
 それは、ほんの数行の短いものだったが、月夜にとって年に一度訪れるこのやり取りが、生きる気力になっていた。

 手紙の末尾には、いつも決まって〈からす〉という名が添えられている。

「どんな人だろう?」

 周囲から冷たく扱われている月夜にとって、見知らぬ〈からす〉はただひとり、優しさに満ちた存在だった。


 月夜は毎年届けられる手紙を、丁寧にしわを伸ばし、古びた抽斗にしまっている。
 十歳の頃から始まったこのやり取りは、これで八回目になる。

 両親は新しい年が明ける日に兄や姉には歳を重ねる祝いをしていたが、月夜にはそれを与えてくれなかった。
 新年は祖母への挨拶のために唯一家族全員と顔を合わせる機会だが、月夜の存在など空気のようなものだった。

 月夜は〈からす〉に返事を書いて、祖母に渡してもらった。
 しかし、家族から手紙を捨てられそうになったことが幾度とある。
 彼らは祖母のいないときを見計らって月夜に嫌がらせをするのだ。


 手紙の返事が〈からす〉に届いたのかどうか、月夜にはわからない。
 けれど、わずかな希望はある。

『いつか、君に会える日を――』

 十四歳の頃から〈からす〉はそんな言葉を記すようになった。
 お飾りの言葉なのかもしれないが、それだけが月夜にとっての救いだった。

「からすさん、私もお会いしたいです」

 月夜は手紙を胸に当て、ひとりそっと呟いた。


 じっとりと湿った小さな四畳半の畳部屋には、必要最低限に置かれた棚と薄っぺらい敷布団があるだけ。
 あとは冬を越すための錆びた火鉢がぽつんと一つ。

 床には祖母から与えられたわずかな書物が、静かに転がっている。

「……どうか、この身がなくなる前に」

 月夜は震えながら祈るように目を閉じた。


 窓がないため外の様子はわからないが、手足が冷え切っている。
 雪でも降っているのだろうか。

 火鉢に手をかざし、両手をこすり合わせる。
 冷たい空気が肌に刺さり、温もりがわずかに沁み込んでいく。

 蝋燭の小さな灯りが月夜の狭い部屋をぼんやり照らしていた。


「雪が見たいな」

 真っ白でふわふわの雪を、いつか兄と庭で雪を投げながら遊んだ幼い日のことを、月夜はふと思いだす。
 いつ、ここから出られるのかわからない今となっては、自由に雪を見ることはできない。

 去年は一度も外へ出してもらえなかった。
 今年は雪を見る機会があるだろうか。

「桜の花も、見たいな」

 それはあまりに贅沢な願いだ。桜は一瞬で散ってしまう。
 最後に桜を見たのは遠い昔のことである。それも夜桜だ。


 ひらひらと舞う純白の花がじわりと淡紅色に染まり、やがて夜闇に溶け込むように散っていく。
 月夜はそんな景色を想像し、心の中でひそかに楽しんだ。

 明治四十一年一月。
 十七歳の誕生日を迎えるこの年、月夜の運命は大きく変わることになる。

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