2 / 69
一章
こわれた幸せ
しおりを挟む
日の当たらない暗い奥の畳部屋にはほとんど人が寄りつかない。
家族はもちろん使用人でさえ、その部屋を訪れるのは食事を運ぶときくらいだった。
そこには吸血鬼の血を濃く受け継いで生まれた娘が閉じ込められている。
それが月夜だ。
媛地家の遠い先祖は吸血鬼であり、その血はずいぶん薄まっていたが、明治のこの時代に再び強い力を持って生まれてきてしまったのだ。
黒髪黒眼家系の媛地家に月夜は薄い朱華色の髪と紅い瞳というめずらしい容姿で生まれた。
両親は訝しんでいたが、それが決定的だったのは兄の光汰と庭で遊んでいたときのことだった。
その日は前日まで吹雪が続いたせいか、屋敷の庭一面が雪景色だった。
からりと晴れた空には雲が一つもなく、太陽の光が庭に照りつける。
空気が暖かく、雪はそれほど冷たく感じなかった。
月夜は兄の光汰とふわふわの雪を思いきり投げ合って遊んでいた。
ところが光汰は走りまわっているときに突如、足を取られて池の中に落ちてしまった。植木に覆われた雪のせいで池に気がつかなかったのだ。
光汰は転倒した際、腕と足に怪我をして流血してしまった。
池の水もかなり冷たいようで、彼は大声で泣き叫んで助けを呼んだ。
使用人たちが駆けつけるあいだ、月夜は泣いている兄を可哀想に思って、なんとか怪我が痛まないようにしてあげられないかと考えた。
そういえば、ついこのあいだ使用人の誰かが指を怪我して舐めていたのを目にしたばかりだ。
傷口を舐めれば痛みがなくなる、と月夜は思った。だから光汰の腕の傷口を、月夜は舐めたのだった。
大人がこうしていたから、月夜はそれを真似ただけだった。
光汰の傷口から血が止まった。どうやら痛みも消えたようで光汰は急に笑顔になった。痛くない、と言いながら月夜に腕を振ってみせる。
それを見た月夜も嬉しくなり、やはり大人たちはこうやって傷を治しているのだと学んだ。
それなのに、月夜の両親は褒めてくれるどころか、まるでおぞましいものでも見るかのように冷たい視線を向けたのだった。
「月夜、お前は二度と外に出てはならん!」
そのときの両親の顔を月夜は忘れたことがない。
月夜はまだ五歳だった。
突如として両親が冷たくなったことに、月夜は理解できず混乱した。
さらに太陽の光が降り注ぐ雪景色を目にすると、かつてのように感動することができなくなり、その美しさすら恐怖に変わった。
その日を境に月夜の人生は一変した。
屋敷の一番奥にある窓のない畳部屋に閉じ込められ、厳重な監視をつけられたのだ。
それ以来、人の目に触れることを禁じられている。
家族と食事をすることは許されず、それどころか厠へ行くのも監視付きだ。
月夜は誰とも話すことのない孤独な日々を過ごした。
たまに湯浴みをさせてもらうときに、通りかかった居間から家族の楽しそうな声が聞こえた。
普段はそれほど気にしなかったが、両親と兄と姉の会話を聞くと、無性に涙が出てくるのだった。
なぜ、自分は兄や姉のように両親とともに過ごせないのだろうと、不思議に思った。
最後に兄と庭で遊んだ日は、たしか家族みんなで食事をしたはずだ。幼い頃の記憶だが、月夜には家族との思い出がそれしかなかったので強烈に胸に刻まれていた。
楽しかったあの頃のことが、時折思い出されてつらくなる。
月夜はあるとき、父と話す機会があった。そのときに、なぜ自分は家族とともに過ごせないのか思いきって訊ねてみた。
すると父は無表情で答えたのだ。
「お前はおぞましい吸血鬼だ。穢れた血だから生まれてきてはいけなかったのだ」
月夜はそのとき初めて自分が人間ではないことを知らされた。
家族はもちろん使用人でさえ、その部屋を訪れるのは食事を運ぶときくらいだった。
そこには吸血鬼の血を濃く受け継いで生まれた娘が閉じ込められている。
それが月夜だ。
媛地家の遠い先祖は吸血鬼であり、その血はずいぶん薄まっていたが、明治のこの時代に再び強い力を持って生まれてきてしまったのだ。
黒髪黒眼家系の媛地家に月夜は薄い朱華色の髪と紅い瞳というめずらしい容姿で生まれた。
両親は訝しんでいたが、それが決定的だったのは兄の光汰と庭で遊んでいたときのことだった。
その日は前日まで吹雪が続いたせいか、屋敷の庭一面が雪景色だった。
からりと晴れた空には雲が一つもなく、太陽の光が庭に照りつける。
空気が暖かく、雪はそれほど冷たく感じなかった。
月夜は兄の光汰とふわふわの雪を思いきり投げ合って遊んでいた。
ところが光汰は走りまわっているときに突如、足を取られて池の中に落ちてしまった。植木に覆われた雪のせいで池に気がつかなかったのだ。
光汰は転倒した際、腕と足に怪我をして流血してしまった。
池の水もかなり冷たいようで、彼は大声で泣き叫んで助けを呼んだ。
使用人たちが駆けつけるあいだ、月夜は泣いている兄を可哀想に思って、なんとか怪我が痛まないようにしてあげられないかと考えた。
そういえば、ついこのあいだ使用人の誰かが指を怪我して舐めていたのを目にしたばかりだ。
傷口を舐めれば痛みがなくなる、と月夜は思った。だから光汰の腕の傷口を、月夜は舐めたのだった。
大人がこうしていたから、月夜はそれを真似ただけだった。
光汰の傷口から血が止まった。どうやら痛みも消えたようで光汰は急に笑顔になった。痛くない、と言いながら月夜に腕を振ってみせる。
それを見た月夜も嬉しくなり、やはり大人たちはこうやって傷を治しているのだと学んだ。
それなのに、月夜の両親は褒めてくれるどころか、まるでおぞましいものでも見るかのように冷たい視線を向けたのだった。
「月夜、お前は二度と外に出てはならん!」
そのときの両親の顔を月夜は忘れたことがない。
月夜はまだ五歳だった。
突如として両親が冷たくなったことに、月夜は理解できず混乱した。
さらに太陽の光が降り注ぐ雪景色を目にすると、かつてのように感動することができなくなり、その美しさすら恐怖に変わった。
その日を境に月夜の人生は一変した。
屋敷の一番奥にある窓のない畳部屋に閉じ込められ、厳重な監視をつけられたのだ。
それ以来、人の目に触れることを禁じられている。
家族と食事をすることは許されず、それどころか厠へ行くのも監視付きだ。
月夜は誰とも話すことのない孤独な日々を過ごした。
たまに湯浴みをさせてもらうときに、通りかかった居間から家族の楽しそうな声が聞こえた。
普段はそれほど気にしなかったが、両親と兄と姉の会話を聞くと、無性に涙が出てくるのだった。
なぜ、自分は兄や姉のように両親とともに過ごせないのだろうと、不思議に思った。
最後に兄と庭で遊んだ日は、たしか家族みんなで食事をしたはずだ。幼い頃の記憶だが、月夜には家族との思い出がそれしかなかったので強烈に胸に刻まれていた。
楽しかったあの頃のことが、時折思い出されてつらくなる。
月夜はあるとき、父と話す機会があった。そのときに、なぜ自分は家族とともに過ごせないのか思いきって訊ねてみた。
すると父は無表情で答えたのだ。
「お前はおぞましい吸血鬼だ。穢れた血だから生まれてきてはいけなかったのだ」
月夜はそのとき初めて自分が人間ではないことを知らされた。
24
あなたにおすすめの小説
芙蓉は後宮で花開く
速見 沙弥
キャラ文芸
下級貴族の親をもつ5人姉弟の長女 蓮花《リェンファ》。
借金返済で苦しむ家計を助けるために後宮へと働きに出る。忙しくも穏やかな暮らしの中、出会ったのは翡翠の色の目をした青年。さらに思いもよらぬ思惑に巻き込まれてゆくーーー
カクヨムでも連載しております。
秘密はいつもティーカップの向こう側 ~サマープディングと癒しのレシピ~
天月りん
キャラ文芸
食べることは、生きること。
紅茶とともに、人の心に寄り添う『食』の物語、再び。
「栄養学なんて、大嫌い!」
大学の図書館で出会った、看護学部の女学生・白石美緒。
彼女が抱える苦手意識の裏には、彼女の『過去』が絡んでいた。
大学生・藤宮湊と、フードライター・西園寺亜嵐が、食の知恵と温かさで心のすれ違いを解きほぐしていく――。
ティーハウス<ローズメリー>を舞台に贈る、『秘密はいつもティーカップの向こう側』シリーズ第2弾。
紅茶と食が導く、優しくてちょっぴり切ないハートフル・キャラ文芸。
◆・◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
隠された第四皇女
山田ランチ
恋愛
ギルベアト帝国。
帝国では忌み嫌われる魔女達が集う娼館で働くウィノラは、魔女の中でも稀有な癒やしの力を持っていた。ある時、皇宮から内密に呼び出しがかかり、赴いた先に居たのは三度目の出産で今にも命尽きそうな第二側妃のリナだった。しかし癒やしの力を使って助けたリナからは何故か拒絶されてしまう。逃げるように皇宮を出る途中、ライナーという貴族男性に助けてもらう。それから3年後、とある命令を受けてウィノラは再び皇宮に赴く事になる。
皇帝の命令で魔女を捕らえる動きが活発になっていく中、エミル王国との戦争が勃発。そしてウィノラが娼館に隠された秘密が明らかとなっていく。
ヒュー娼館の人々
ウィノラ(娼館で育った第四皇女)
アデリータ(女将、ウィノラの育ての親)
マイノ(アデリータの弟で護衛長)
ディアンヌ、ロラ(娼婦)
デルマ、イリーゼ(高級娼婦)
皇宮の人々
ライナー・フックス(公爵家嫡男)
バラード・クラウゼ(伯爵、ライナーの友人、デルマの恋人)
ルシャード・ツーファール(ギルベアト皇帝)
ガリオン・ツーファール(第一皇子、アイテル軍団の第一師団団長)
リーヴィス・ツーファール(第三皇子、騎士団所属)
オーティス・ツーファール(第四皇子、幻の皇女の弟)
エデル・ツーファール(第五皇子、幻の皇女の弟)
セリア・エミル(第二皇女、現エミル王国王妃)
ローデリカ・ツーファール(第三皇女、ガリオンの妹、死亡)
幻の皇女(第四皇女、死産?)
アナイス・ツーファール(第五皇女、ライナーの婚約者候補)
ロタリオ(ライナーの従者)
ウィリアム(伯爵家三男、アイテル軍団の第一師団副団長)
レナード・ハーン(子爵令息)
リナ(第二側妃、幻の皇女の母。魔女)
ローザ(リナの侍女、魔女)
※フェッチ
力ある魔女の力が具現化したもの。その形は様々で魔女の性格や能力によって変化する。生き物のように視えていても力が形を成したもの。魔女が死亡、もしくは能力を失った時点で消滅する。
ある程度の力がある者達にしかフェッチは視えず、それ以外では気配や感覚でのみ感じる者もいる。
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
課長のケーキは甘い包囲網
花里 美佐
恋愛
田崎すみれ 二十二歳 料亭の娘だが、自分は料理が全くできない負い目がある。
えくぼの見える笑顔が可愛い、ケーキが大好きな女子。
×
沢島 誠司 三十三歳 洋菓子メーカー人事総務課長。笑わない鬼課長だった。
実は四年前まで商品開発担当パティシエだった。
大好きな洋菓子メーカーに就職したすみれ。
面接官だった彼が上司となった。
しかも、彼は面接に来る前からすみれを知っていた。
彼女のいつも買うケーキは、彼にとって重要な意味を持っていたからだ。
心に傷を持つヒーローとコンプレックス持ちのヒロインの恋(。・ω・。)ノ♡
課長と私のほのぼの婚
藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。
舘林陽一35歳。
仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。
ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。
※他サイトにも投稿。
※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる