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二章
かなしい幸福
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その声は屋敷の玄関先から聞こえてきた。そこには光汰が立っていて、暁未をじっと見据えている。
「お兄さま? だって、月夜が……」
「月夜は俺たちとは違うんだよ。昔からわかっていたことだろ?」
暁未は歯噛みしながら表情を歪めた。
「何それ……月夜は特別だって言いたいの?」
「ああ、そうだ。この媛地家の血を正統に継いでいるのは月夜だけだ。俺もお前も父さんも妖力を持っていない」
光汰の言葉に暁未が反発する。
「そんなのおかしいわ! だって、特別なのはあたしだってずっとそう言ってきたじゃないの。ねえ、お母さま?」
暁未が問いかけるも、母は目をそらすだけだ。暁未は目を丸くして狼狽えながら、今度は必死の形相で父に目を向けた。
「お父さま、あたしはどこよりも麗しい令嬢でしょう? そう言ってくださったでしょう?」
父は渋い表情でため息まじりに言う。
「暁未、お前には別の家門から縁談があるだろう。それまでおとなしくしておけ」
「お父さま!」
取り乱しながら必死に叫ぶ暁未を見て、月夜は胸が痛くなった。まるで少し前の自分を見ているようだから。
暁未は納得できないようで、感情的に声を荒らげる。
「どうして? どうしてよ! どうしてあたしじゃなくて月夜なの? 月夜なんて生まれてこなければよかったのに!」
ばしんっと派手な音がして、暁未は黙り込んだ。父が怒りの表情で手を振り上げていて、となりで母が驚愕の表情で固まっていた。
暁未の頬が赤く腫れ上がり、唇を切って血が滲んでいる。
「いい加減にしろ! お前は無能なんだよ!」
「ひっ……む、無能……?」
暁未はぼろぼろと涙をこぼした。
家族のいざこざを黙って見ていた縁樹が静かに口を挟む。
「媛地さん……」
「え? ああ、これは躾ですよ。失礼しました。大変お見苦しいところを」
父が慌てて縁樹にへこへこ頭を下げる。
暁未は泣きじゃくりながら、母に訴えた。
「お母さま、あたし何か間違ったこと言ってる? だってお母さまがいつも月夜に言っていたことじゃないの。あたしはお母さまを見倣っただけなのに、どうして責められなきゃいけないの?」
母はばつの悪そうな顔で暁未から目をそらす。
暁未はぎりっと歯を噛みしめ、逃げるように屋敷の中へ駆け込んでいった。
光汰もそれ以上何も言わずに静かに立ち去る。
両親は縁樹に愛想笑いを向けながら、必死に取り繕おうとした。
「躾がなっておりませんので、お恥ずかしい限りでございます」
と父が苦笑しながら言った。
「暁未を決して月夜に近づけたりしませんから、ご安心くださいませ」
と母が縁樹に言う。
すると縁樹はすぐさま返した。
「それは俺ではなく月夜さんに言うべきだ。今までもいろいろ、理不尽なことをされてきたようだから」
「もちろんでございます。月夜の身体に一つも傷がつくことのないよう厳重に暁未を監視しますから」
父の言葉に月夜は胸がずきりと痛くなった。
今までは月夜を、これからは暁未を監視するのだ。彼らはどうしてこんな言葉しか言えないのか、月夜には理解できない。
縁樹は冷めた表情をしていたが、やがて月夜に顔を向けると少し表情が緩んで穏やかになった。
「じゃあ。今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい」
「ありがとう、縁樹さん」
月夜は微笑んで丁寧にお礼を言った。
縁樹は軽く会釈をすると背中を向けて立ち去っていく。
月夜は両親とともに彼を見送った。
縁樹が帰ったあと、父はご機嫌で屋敷へ戻っていった。
そして、母はにこにこしながら月夜に話しかける。
「月夜、今夜はご馳走を用意してあるわよ」
「はい、お母さま」
月夜は静かに返事をした。本当なら跳び上がるほど喜ぶところなのだろうが、月夜は複雑な胸中にあった。
家族と食事がしたい、お腹いっぱいご飯が食べたいと幼少の頃から何度焦がれてきただろう。それが叶うというのにちっとも嬉しくない。
もっと早く、できれば違う形で、両親から言ってほしかった言葉なのに。
あの頃はたとえ偽りの言葉でもほしかった。けれど、今はただ空虚な気持ちになるだけだ。
それなのに、わずかに胸の奥がじんと沁みる。
虚しさと喜びが混じった複雑な気持ちが月夜の胸中で渦巻いている。
月夜が空を仰ぐと、欠けた月が浮かんでいた。
それはまるで、祖母が哀しげな表情をしているようで、少し苦しかった。
「お兄さま? だって、月夜が……」
「月夜は俺たちとは違うんだよ。昔からわかっていたことだろ?」
暁未は歯噛みしながら表情を歪めた。
「何それ……月夜は特別だって言いたいの?」
「ああ、そうだ。この媛地家の血を正統に継いでいるのは月夜だけだ。俺もお前も父さんも妖力を持っていない」
光汰の言葉に暁未が反発する。
「そんなのおかしいわ! だって、特別なのはあたしだってずっとそう言ってきたじゃないの。ねえ、お母さま?」
暁未が問いかけるも、母は目をそらすだけだ。暁未は目を丸くして狼狽えながら、今度は必死の形相で父に目を向けた。
「お父さま、あたしはどこよりも麗しい令嬢でしょう? そう言ってくださったでしょう?」
父は渋い表情でため息まじりに言う。
「暁未、お前には別の家門から縁談があるだろう。それまでおとなしくしておけ」
「お父さま!」
取り乱しながら必死に叫ぶ暁未を見て、月夜は胸が痛くなった。まるで少し前の自分を見ているようだから。
暁未は納得できないようで、感情的に声を荒らげる。
「どうして? どうしてよ! どうしてあたしじゃなくて月夜なの? 月夜なんて生まれてこなければよかったのに!」
ばしんっと派手な音がして、暁未は黙り込んだ。父が怒りの表情で手を振り上げていて、となりで母が驚愕の表情で固まっていた。
暁未の頬が赤く腫れ上がり、唇を切って血が滲んでいる。
「いい加減にしろ! お前は無能なんだよ!」
「ひっ……む、無能……?」
暁未はぼろぼろと涙をこぼした。
家族のいざこざを黙って見ていた縁樹が静かに口を挟む。
「媛地さん……」
「え? ああ、これは躾ですよ。失礼しました。大変お見苦しいところを」
父が慌てて縁樹にへこへこ頭を下げる。
暁未は泣きじゃくりながら、母に訴えた。
「お母さま、あたし何か間違ったこと言ってる? だってお母さまがいつも月夜に言っていたことじゃないの。あたしはお母さまを見倣っただけなのに、どうして責められなきゃいけないの?」
母はばつの悪そうな顔で暁未から目をそらす。
暁未はぎりっと歯を噛みしめ、逃げるように屋敷の中へ駆け込んでいった。
光汰もそれ以上何も言わずに静かに立ち去る。
両親は縁樹に愛想笑いを向けながら、必死に取り繕おうとした。
「躾がなっておりませんので、お恥ずかしい限りでございます」
と父が苦笑しながら言った。
「暁未を決して月夜に近づけたりしませんから、ご安心くださいませ」
と母が縁樹に言う。
すると縁樹はすぐさま返した。
「それは俺ではなく月夜さんに言うべきだ。今までもいろいろ、理不尽なことをされてきたようだから」
「もちろんでございます。月夜の身体に一つも傷がつくことのないよう厳重に暁未を監視しますから」
父の言葉に月夜は胸がずきりと痛くなった。
今までは月夜を、これからは暁未を監視するのだ。彼らはどうしてこんな言葉しか言えないのか、月夜には理解できない。
縁樹は冷めた表情をしていたが、やがて月夜に顔を向けると少し表情が緩んで穏やかになった。
「じゃあ。今日は疲れただろうから、ゆっくり休むといい」
「ありがとう、縁樹さん」
月夜は微笑んで丁寧にお礼を言った。
縁樹は軽く会釈をすると背中を向けて立ち去っていく。
月夜は両親とともに彼を見送った。
縁樹が帰ったあと、父はご機嫌で屋敷へ戻っていった。
そして、母はにこにこしながら月夜に話しかける。
「月夜、今夜はご馳走を用意してあるわよ」
「はい、お母さま」
月夜は静かに返事をした。本当なら跳び上がるほど喜ぶところなのだろうが、月夜は複雑な胸中にあった。
家族と食事がしたい、お腹いっぱいご飯が食べたいと幼少の頃から何度焦がれてきただろう。それが叶うというのにちっとも嬉しくない。
もっと早く、できれば違う形で、両親から言ってほしかった言葉なのに。
あの頃はたとえ偽りの言葉でもほしかった。けれど、今はただ空虚な気持ちになるだけだ。
それなのに、わずかに胸の奥がじんと沁みる。
虚しさと喜びが混じった複雑な気持ちが月夜の胸中で渦巻いている。
月夜が空を仰ぐと、欠けた月が浮かんでいた。
それはまるで、祖母が哀しげな表情をしているようで、少し苦しかった。
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