烏の王と宵の花嫁

水川サキ

文字の大きさ
45 / 69
三章

すれちがう心

しおりを挟む
 月夜は再び外へ目を向けて、まだ完全に開花していない桜の木を眺めた。遠い昔に少しだけ見た夜の桜は雪のようにひらひらと花びらが舞っていた。

 あの光景を再び見ることができるのだと思うと気持ちが高揚し、自然と笑みがこぼれる。


「私は昼間の明るいときに桜を見たことがないの。きっと梅の花のように綺麗なんだわ」

 すると縁樹は即座に返答した。

「いつでも見られるよ。君が昼間に外出できる身体になれば」

 月夜は一瞬戸惑って、それからすぐに思いだした。メアリーにもらったあの薬を飲んだら、人間と同じように生活できるということを。

 縁樹は目線を外へ向けながら穏やかに話す。


「あと半月もすれば満開だ。その頃には君を迎えにくることができるだろう」
「迎え……?」

 縁樹は目線を月夜に戻し、はっきりと告げる。

「君と正式に婚姻を結ぶ日だ」

 わかっていたことだが、面と向かってそんなことを言われると恥ずかしくて、月夜は赤面しながらうつむいた。
 念願の桜の花が見られて、あの家から出られて、縁樹と一緒にいられる。月夜にとってこれほど贅沢で幸福だと思えることは他にない。

 月夜は緊張と喜びの混じった複雑な気持ちになる。けれど、この感覚は悪いものではなく、むしろ心地よかった。
 月夜がしばらく黙っていると、悩んでいると思ったのか、縁樹はもうひとこと付け加えた。


「心配しなくていい。俺は君を縛りつけたりしない」
「えっ……」

 月夜が顔を上げると縁樹はわずかに微笑んでいた。

「あの家を出れば君は自由だ。俺は君がひとりで生きていける手助けをしてやるだけ。俺から何かを求めたり命令することはない」

 それは縁樹の優しさなのだろう。けれど、月夜は複雑な心境だった。

 もしかしたら勘違いしていたのかもしれない。これまでずっと慕ってきた縁樹と一緒にいられることが嬉しくて、自分だけ舞い上がっていたのかもしれない。
 しかし縁樹にとって、あくまでこの縁談は香月との約束を果たすためのものなのだ。月夜がひとりで生きていけるようになったら、彼は手放すだろう。

 月夜は少し混乱した。胸の奥がわずかに痛む。

 あれほど自由に生きたいと願っていたのに、なぜこれほど戸惑っているのか自分でもわからない。
 けれど、彼の好意を無下にしてはならない。


「ありがとう。縁樹さんは本当に優しい人ね」
「当然のことをしているだけだ」

 夜会の最中に彼が同じことを言ったときは、そっけなくても微笑ましく感じたのに、今は少し冷たく感じる。
 月夜は心の中でくすぶっている気持ちをどうにか口に出さないように固く唇を引き結んだ。それはきっと、甘えでしかないから。

 もし、この先もずっと縁樹と一緒にいたいと言ったら、迷惑だろうか。


「着いたよ」

 媛地家の屋敷の前に馬車が停まると、縁樹は降りるときにきちんと月夜の手を引いてくれた。この優しさも彼にとっては当たり前のことであってそれ以上の情はないのだと思うと、月夜は少し侘しさを感じた。

「まあまあ、お帰りなさいませ」

 母の声がして月夜は反射的にそちらを向いた。屋敷の中から駆けでてきたのは、満面の笑みを浮かべた母と、使用人たちだった。
 縁樹は真顔で会釈をして、月夜に告げる。

「半月後に迎えにくるので、それまでお元気で」

 とても短い挨拶だった。
 月夜は笑顔で挨拶し、彼を見送る。

「あら、もうお帰りになったの? ご挨拶くらいしたかったわ」

 去っていく馬車を遠目に母は残念そうな声を上げたが、月夜は黙ったままだった。縁樹とともにいられる時間は楽しくて幸せだったが、今はほんの少し切なく感じる。

 妙な気持ちが膨らんでくる。
 たった今、別れたばかりなのに、もう彼に会いたい。


「さあ、まだ夜は冷えるわよ。早く中へ入りなさい。風邪をひいてしまうといけないわ」

 母は嬉しそうにそう言いながら、月夜の背中を押した。
 月夜は重い足をひきずるようにして屋敷へ向かう。

 この夜はまばゆいほど明るく満ちた月が空に浮かんでいたが、月夜にはその美しさを堪能する余裕など一瞬たりともなかった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん
キャラ文芸
両親を亡くし、叔父一家に冷遇されていた澪子は、ある日鬼に生贄として差し出される。 だが鬼は、澪子に手を出さないばかりか、壊れ物を扱うように大事に接する。美味しいごはんに贅沢な衣装、そして蕩けるような閨事…。真意の分からぬ彼からの溺愛に澪子は困惑するが、それもそのはず、鬼は澪子の命を助けるために、何度もこの時空を繰り返していた――。 『あなたに生きていてほしい、私の愛しい妻よ』 繰り返される『やりなおし』の中で、鬼は澪子を救えるのか? ◇程度にかかわらず、濡れ場と判断したシーンはサブタイトルに※がついています ◇後半からヒーロー視点に切り替わって溺愛のネタバレがはじまります

あやかし警察おとり捜査課

紫音みけ🐾書籍2冊発売中!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。 【あらすじ】  二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。  しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。  反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。  

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

後宮なりきり夫婦録

石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」 「はあ……?」 雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。 あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。 空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。 かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。 影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。 サイトより転載になります。

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー

汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。 そこに迷い猫のように住み着いた女の子。 名前はミネ。 どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい ゆるりと始まった二人暮らし。 クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。 そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。 ***** ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 ※他サイト掲載

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
2026.1.4 73話見直した際、瑛士の台詞《本音/懺悔》を加筆しました。😇 ☘ 累計ポイント/ 200万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...