烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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四章

まもりたい

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 月夜は混乱した。記憶の隅にもなかったような思い出がなぜか頭をよぎってくる。
 ぽたっと月夜の手の甲に冷たい雨粒が落ちた。震えるその手を縁樹がしっかりと握ってくれる。

 涙が溢れそうになる。頭の中ではさまざまな思いが乱雑に交差した。


「俺には彼女を助けることはできない。しかし、君のことは必ず守る」
「縁樹さん……」

 縁樹の手にぬるりとした感触があった。それで月夜ははっとする。

「怪我が」

 先ほど傷ついた腕はいまだに血が止まっていない。
 あやかしは妖力で怪我の治癒が早いはずだ。それも縁樹ほどの強い妖力を持っていればなおのこと。

 月夜は彼の妖力が夜に落ちることを思いだした。
 夜会のときはたしか縁樹は月夜の妖力を利用して自身の力を維持していたのだ。本来はこれが縁樹の夜の姿なのだろう。

 彼が話していた祖母の香月が縁談を勧めた理由の一つ。月夜がそばにいれば縁樹は夜になっても妖力を保つことができる。
 しかし、今の月夜は薬の影響で妖力が落ちてしまっている。


「ごめんなさい。これじゃ、私が縁樹さんのそばにいる意味がないよ」
「大丈夫。どうにかする……そのためにずっと、準備してきた……」

 縁樹は息を切らしながら目を閉じてそう言った。
 彼の手から力が抜けていくのを月夜は感じとって、その手を両手でぎゅっと握りしめる。

 月夜の瞳から涙がこぼれ落ちる。


「私が、昼間に桜を見たいと言ったせいで……」
「謝るな……俺がそうしたいと、思ったから……君に桜を見せて、やりたいと……」

 縁樹は月夜に寄りかかり、苦悶の表情でわずかに笑みを見せた。
 その表情に、月夜は胸が締めつけられるように苦しくなる。

 出血が多いせいか縁樹は顔面蒼白で今にも気絶しそうだった。月夜は彼の手がだんだん冷えていくのを感じて、必死に両手でさすった。
 それでも縁樹がぐったりしているので、今度は両手を彼の背中にまわして抱きしめた。

 日光の下で月夜が危険にさらされたときに、縁樹がそうしてくれたように。
 月夜は彼を守るようにぎゅっと腕に力をこめる。


「どうすればいいの? このままじゃ……」
「君を守って死ねるなら、それも本望」

 縁樹は月夜の腕の中で目を閉じて動かなくなった。
 月夜は彼の冷たくなった手を握って必死に声をかける。

「だめよ! おばあちゃんとの約束は私と結婚することでしょう。縁樹さんが死んじゃったら、私はひとりぼっちになるわ」

 月夜は思わず涙が溢れた。こぼれ落ちた雫が縁樹の頬に当たる。
 しかし彼は微動だにせず、月夜は焦った。そして必死に懇願する。


「こんなときに、私は」

 自身の妖力を欲している。あれほど消えてしまえばいいと思っていた力なのに。
 縁樹と明るい太陽の下で一緒に出かけられたらと、そんな淡い期待を抱いていた。そうなれると思った。

「どうして、一番大事なときに……」

 ぐったりした縁樹を抱きしめて、月夜はすすり泣く。


「おばあちゃん、お願い……縁樹さんを連れていかないで」

 月夜が縁樹を抱きしめたまま祈っていると、しばらくして彼はわずかに目を開いた。彼の黄金色の瞳はくすんでいる。それは妖力を完全に失い、生命力が消えてしまうような予兆だった。

「縁樹さん!」
「……君の夢を見た」

 縁樹は力なく口を開いてぼそりと話す。


「君の、少し未来の夢だ……君は誰かと結婚し、家族がいる……」
「何を、言って……?」
「君には、未来がある……ここで、死んではならない」

 縁樹の言葉に月夜は狼狽える。
 しかし、彼は信じられない言葉を続けた。


「俺には視える……君の幸せそうな姿が……だから、必ず生きのびるんだ」

 月夜が驚愕の表情で縁樹を見つめていると、彼はゆっくり手を伸ばした。その手は血で染まっていたが、彼はそのまま月夜の頬に触れた。

「月夜」

 名前を呼ばれて、月夜はどきりとした。
 縁樹はわずかに微笑んで告げる。

「君は綺麗だ。すぐに、相手が見つかる」

 縁樹のその言葉に、月夜は胸が抉られるような痛みを感じた。

「嫌……そんなの嫌よ。縁樹さん」


 縁樹の視た未来など月夜には幸福だと感じられない。見知らぬ誰かと結婚するなどありえない。
 月夜はぼろぼろと涙をこぼした。

 ざわっと風が月夜の髪を揺らす。草木の音はまったくしないのに、おぞましい感覚が襲って身の毛がよだつ。
 月夜は震えながら縁樹を抱えてじっと身をひそめた。

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