烏の王と宵の花嫁

水川サキ

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五章

この家を出る

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 月夜が目を覚ますと、そこには縁樹の顔があった。彼の髪は長く伸びたままだったが、黒に戻っている。

 少しのあいだ夢と現実が交錯して頭がぼんやりした。
 月夜は布団に横たわり、縁樹はそばに腰を下ろしている。

「気を失ったから運んだ。ここは君の家だ」
「……縁樹さん」
「大丈夫か? うなされていたが」
「うん……変な夢を見たの。赤ちゃんの頃の夢。覚えているはずないのにね」


 意識がはっきりしてくると母の罵倒だけが記憶に残り、暁未の姿は薄れていった。きっと今までも、こうやって思いだすたびに暁未のあの笑顔だけを忘れていったのだろうと思う。

 縁樹が手を伸ばして月夜の額に触れた。その手が温かくて、月夜は安堵のため息を洩らす。
 さらっと縁樹の長い髪が月夜の頬に当たった。


「縁樹さん、その髪は……」
「ああ。これは妖力が回復するたびに伸びるんだ。面倒だから今日はこのままでいい」
「もしかして毎朝切っているの?」
「鬱陶しいから」

 縁樹は自分の髪の先端を指でくるくるさせながら真顔で言った。
 その様子がおかしくて月夜は笑ってしまった。

「そのままでも素敵」
「……そうか?」

 縁樹は怪訝な表情で眉をひそめた。
 月夜は微笑んで縁樹に礼を言う。


「助けてくれてありがとう」
「いや、俺が君に助けられた。あのままだったら俺は死んでいた」
「よかった。無事で」

 ゆっくりと昨夜の記憶が甦っていく。あまりにいろんなことが起こりすぎて、いまだに混乱しているが、月夜は気になることをぽつりぽつりと訊ねてみた。 

「家族やみんなはどうなったの?」
「無事だ。怪我人はいるが」
「そっか。よかった」

 そして、月夜の頭の中に暁未の姿がよぎり、慌てて訊いた。


「お姉さまはどうなったの?」
「意識はない。彼女は夜明けの光を浴びた。意味はわかるだろう?」

 縁樹は隠すことなく淡々と事実を告げる。
 月夜は胸の奥が締めつけられるほど苦しくなり、じわりと涙が溢れた。何も言葉を発することができず、ただ涙が頬をつたって流れる。

 縁樹が指先で月夜の頬に触れ、無言で涙をぬぐった。
 月夜はぎゅっと目を閉じて、先ほど見た夢を話した。


「お姉さまが私に笑ってくれたの。もし、私が覚醒していなければ、お姉さまと仲良く暮らせたのかしら?」

 縁樹は表情を変えることなく、ぼそりと返答する。

「わからない。過ぎたことを憂いてもどうすることもできない」
「……そうね」

 今さらそんな理想を思い描いたところで手に入るものでもないというのに、それでも月夜はそうであってほしかったと思わずにはいられないのだ。

 月夜が言葉に詰まると縁樹がふと言った。


「ただ、君の考え方次第で未来は少し変えられる」
「えっ……」
「姉を一生憎み続けるか、そうでないかで、君の未来は違ったものになるだろう」
「それは……」

 月夜が困惑の表情を浮かべると、縁樹はわずかにため息を洩らして言った。


「姉にされたことを赦せと言っているのではない。しかし、憎しみを抱えたまま生きるのは結構疲れる」

 縁樹の表情は変わらないが、ほんの少し陰りを見せた。
 月夜は静かに問いかける。

「縁樹さんにもそういう経験があったの?」
「どちらかといえば憎まれるほうが多かったな。我知らず人を傷つけることもある。人生とはそういうものだ。それに気づくかどうかもまた違った未来になる」


 長く生きてきた彼の言葉だからこそ、重みがある。月夜は黙ってうなずくことしかできなかった。

 縁樹はこれからのことを月夜に話した。両親とは話をつけてあるので、月夜の体調が回復次第この家を出ることもできるという。
 ただ両親はきちんと結納をして婚姻の儀式をおこない、一族すべてに披露することを条件にしてきたようだ。


「君はどうしたい?」

 縁樹に訊かれ、月夜はぼんやりと目線をよそへ向けた。

 一族すべてから忌み嫌われているのに祝言などおこなって誰が祝ってくれるのだろうか。そうでなくても、姉が意識のない状態で祝い事などおこなう気になれない。そもそも形だけの婚姻だというのに。


「私は……」

 月夜が言葉に詰まると、縁樹が思いがけないことを言った。

「反抗してもいいぞ」
「え……」
「俺が君の年齢のときには親の言うことなんか聞かなかったよ。たぶん」
「そうなの? でも、子は親の言うとおりに生きなくちゃいけないって……」
「君はもう大人だ。自分の人生は自分で決めるんだ」

 月夜は唇をぎゅっと噛みしめた。鼓動がどくどく高鳴る。
 少し考えて、やがてゆっくりと口を開いた。


「私はすぐにでもこの家を出たい」
「わかった。準備するから君は少し眠って体力を回復するといい」

 縁樹はそう言って、再び月夜の額に手を当てた。それが温かく心地よく感じて、月夜は目を閉じるとすうっと意識を手放した。


 数日後、月夜は妖力が戻り体調も整っていた。

 媛地家は混乱していたが、縁樹の計らいで建物の修繕を依頼することができたし、暁未はあやかし専門の医療施設へ入院することができた。
 金銭的に厳しい媛地家にとってこれはありがたいことだった。

 それらはすべて月夜が烏波巳家に嫁ぐことが前提だったが、両親はますます周囲におごり高ぶるようになった。

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