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2、旦那様、恋人はお元気ですか?
しおりを挟む「あー、よく寝た」
翌朝、ミアが目覚めたら、すでにカルベスの姿はなかった。
ミアは背伸びしたあと、ベッドから降りてさっさと髪を梳かした。
窓の外はうっすら明るくなっている。
(もう少し寝ててもいいのだろうけど、夜明けとともに起きる癖が沁みついているのよね)
ミアは簡素な衣服に着替えて厨房へ向かった。
そこでは料理人が朝食の準備をしていたので声をかけた。
「おはようございます。何か手伝いましょうか?」
料理人と使用人たちが「ええ!?」と驚愕の声を上げた。
彼らの中で、ミアの専属侍女となったリリーが慌てて声をかける。
「奥様、ずいぶん早起きなんですね。申し訳ありません。朝の身支度に間に合わず」
「いいのよ。私が勝手に早起きしただけなんだから。もしよかったら朝食の準備を手伝っ……」
「奥様にお手伝いをさせるなんて、とんでもないことです!」
リリーの背後で慌てまくる使用人たちを見て、ミアは「しまった」と思った。
平民育ちのミアはうっかり自分のことを自分でおこなってしまう。
(また伯母様に叱られそうだわ)
ミアは平民の父と伯爵令嬢の母とのあいだに生まれ、8歳まで平民として過ごした。
両親の死後、伯母であるユーベルト伯爵に引き取られ、厳しい令嬢教育を受けたのだが、平民育ちの癖は直らなかった。
(令嬢の頃は許されていても、夫人になるとそうもいかないわよね。きちんと貴族らしくしなくちゃ)
「おほほほ。では、朝食はお部屋まで運んでくださる?」
「もちろんでございます!」
リリーも料理人も使用人たちも満面の笑みで答えた。
ミアは笑顔で厨房を離れ、しばらく廊下を歩いてから立ち止まると、ため息をついた。
「……パンが、焼きたいわ」
その後、部屋まで立派な朝食が運ばれてきた。
パンとサラダとスープに、クロワッサンとフルーツ盛り合わせ。
ミアは紅茶を飲み干すと、ふうっと息をついた。
「とっても美味しかったわ。ご馳走様」
「そう言っていただけて嬉しいです。料理長に必ずお伝えします」
リリーは笑顔でそう言った。
背後に控える使用人たちもにこにこしている。
朝食後、ミアは義父の部屋を訪れた。
義父は病に伏せっており、ほとんど部屋にこもっている。
たまに晴れた日には庭を散歩しているようだが、外出をすることはほとんどない。
「すまないね。息子があんなだから苦労かけるよ」
「あら、大丈夫ですわ。それを承知でこの縁談を受け入れたのですから」
「君は本当に明るいな」
「悩んでも仕方のないのことは、悩まないことにしていますから」
「もし、何か要望があれば何でも言ってくれ。できるだけ力になろう」
「あ、それでは、厨房をお借りすることはできますか?」
「ん? まあ、構わないが……」
義父の許しを得たので、ミアはさっそく厨房にてパン作りを始めた。
粉をこねて丸め、発酵を待つ。
料理人たちが興味津々でミアを見守っている。
いくつか均等に形を整えて、竈で焼き上げる。
その手際に、料理人たちも感心した。
香ばしい香りが厨房いっぱいに広がる頃には、使用人たちが集まってきた。
侍女のリリーもやるべきことを終えて顔を覗かせる。
ミアの焼いたパンを見て、みんなが驚きの声を上げた。
「まあ、これを奥様が?」
「すごく綺麗に焼けているわ」
ミアは達成感を感じながら、みんなに試食してもらうことにした。
「わあ、とっても美味しいです」
「外はカリッとしているのに、中はふわふわだわ」
「まさか奥様がこんな特技をお持ちだなんて」
ミアはあっという間にみんなと打ち解けていった。
「本当に、これでいいのですか?」
「ええ、ばっちりよ」
リリーに髪を一つに結んでもらい、ミアは地味なシャツとスラックス姿になった。
そして汗を拭く布を肩にかけ、シャベルを手に庭園に出向いた。
すでに庭師が綺麗に整えた庭園の隅っこに、まだ土の状態の花壇があった。
そのスペースをミアがもらった。
ミアはここで花や野菜を育てるつもりだ。
土をほぐし、苗を植えて肥料と水をやる。
青い空の下で汗を拭い、自然と一体化するミア。
その姿はやはり平民そのものだ。
(やっぱり令嬢らしく振る舞うのは性に合わないわ。旦那様が留守のあいだは思いきり自由にしちゃおう!)
泥のついた手で汗を拭っていると、庭師から声をかけられた。
「なかなか手際がよいですなあ」
「こんにちは」
「奥様がこれほど園芸に興味があられるとは」
「昔は自分で育てた野菜を食事に使っていたんですよ」
「ほう。それは素晴らしい」
ミアはこの流れで、庭師とベンチでお茶を飲みながらおしゃべりに花を咲かせた。
結婚してから数日で、ミアはすっかり平民気質丸出しだった。
しかし、周囲もそれに慣れていった。
そんな自由気ままな日々を過ごしているあいだ、夫のカルベスは何日も外泊していた。
そして夫が帰ってくる日――
◇
視察から戻ったカルベスは、邸宅内の雰囲気が以前と変わっていることに気づいた。
使用人たちは誰もが笑顔だし、いつもより声が明るい。
「おかえりなさいませ、旦那様」
使用人たちに出迎えられ、カルベスはダイニングルームへ向かう。
そこには食事の準備がしてあったが、香ばしいパンの匂いに包まれていた。
「あら、旦那様。おかえりだったのですね。ご一緒にお食事はいかがですか? ちょうどパンが焼けましたの」
そのパンを使用人ではなくミアが運んでいる。
そのことにカルベスは驚愕した。
「あなた、何してるんですか?」
「見ての通り、パンを焼いたのです。あ、今日のメイン料理のお魚の香草焼きも料理長と一緒に考案したんですよ。食べます?」
「あ、ああ……」
長テーブルにはカルベスとミア、それにカルベスの父も席に着いている。
最近は体調が優れず部屋にこもりきりだった父が、笑顔で食事の席にいる。
そのことにカルベスは驚いた。
「あの、お体は大丈夫ですか? 寝ていなくても?」
「はははっ、ミアのおかげで元気になったよ」
父の言葉にカルベスは口をへの字にして呆気にとられた。
(わずか一週間ほどの留守中に何があったんだ? 邸宅内の空気ががらりと変わったな)
カルベスの留守中に起こったことを、ミアは笑顔で報告する。
適当に会話をしながら、カルベスは自身のことを彼女が訊いてくるかと思ったが、まったくなかったことに拍子抜けした。
ミアは夫が外で何をしていようと眼中にない。そんな空気だった。
(いや、何を期待しているんだ俺は)
パンをひと口かじったカルベスは目を見開いた。
「いかがですか? 旦那様」
「ああ、美味い」
「お口に合ってよかったですわ」
カルベスは複雑な心境になり、黙り込んだ。
そのあいだに、ミアは父と話していて、まるで自分がのけ者にされているようで少し寂しさを感じた。
そんなとき、黙っているカルベスを気遣ってか、ミアが話しかけてきた。
「そういえば旦那様、マデリーン様はお元気でしたか?」
カルベスは盛大にむせた。
使用人が慌ててハンカチを渡す。
「ごほっ、いや……外出は視察だった……マデリーンとは会ってない」
「そうですか。失礼しました」
ミアはまったく悪びれた様子もなく、ふたたび父と話をしながら食事を続けた。
カルベスはふと思う。
(もしや、わざとやっているのだろうか?)
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