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16、えっ、顔で俺を選んだの?
食事のあと、カルベスはマデリーンの部屋を訪れた。
テーブルにはケーキやお菓子を食べていた残骸があり、マデリーンはベッドに横たわっている。
侍女はそばで床に散らばったお菓子の屑を拾っていた。
カルベスはそっと声をかける。
「マデリーン、寝ているのか?」
「何よ、カルベス。何の用?」
「君があとで来るように言ったんじゃないか」
カルベスがため息まじりに答えると、マデリーンはすぐさま体を起こして抗議した。
「カルベスが悪いのよ。あなたは恋人の扱いがまるでわかっていないわ。あたしと一緒にいるときは、誰よりも何よりもあたしを優先するの! それが恋人がすべきことなのよ! わかってる?」
カルベスはため息をついて、静かに問う。
「では訊くけど、君は何よりも俺を優先してくれるの?」
「当たり前じゃない。だって、あたしはカルベスの恋人よ。だから、こうしてわざわざあなたの家にまで来てあげて……」
「マデリーンはずっと、俺の発言や行動を否定してるよね?」
「え? そ、そんなこと、ないわよ……」
マデリーンが目を泳がせながらしどろもどろになる。
「だいたい、意見の相違なんていくらでもあるわ。恋人同士だって喧嘩くらいするでしょ」
「俺は何度も君と話し合いをしようとしたけど、そのたびに君は逃げるように俺から離れていくじゃないか」
「それはカルベスのせいよ! あたしのことを雑に扱うから悪いのよ! あたしは正当な主張をしているだけなのに!」
カルベスは深いため息をついて、冷静に告げる。
「マデリーン、俺たちは少し距離を置いたほうがいいかもしれない」
「なんですって? 距離を置く? ただでさえ、アンデール家とスミス家はかなり離れているのに、これ以上距離を置くなんてどちらかが国外へ行くしかないわ!」
「物理的な距離ではなく、心の距離を置きたいんだよ」
「どういうことなの?」
「俺たちはこれまで手紙のやりとりしかしてこなかった。実際に会ってみたら、お互いの考え方や価値観に違いがあると思ったんだ」
「だから何なのよ。男と女では考え方が違うに決まっているでしょ」
「そういうことじゃなくて……」
「カルベスはあたしのことを愛していないの?」
「えっ……」
カルベスが言葉に詰まると、マデリーンは激昂した。
「あたしはカルベスを愛しているから、はるばる会いにきてあげたのよ! それなのに、あなたからは何もしてもらっていないわ」
「こちらは精一杯のもてなしをしたつもりだが」
「奥様にしてもらっても嬉しくないのよ。カルベスがあたしにしてくれなきゃ意味がないの。なぜわからないの?」
「ごめん。正直、君のことがよくわからなくなった。俺が君を愛しているのかどうかも」
「なんですって? ひどいわ、カルベス! あたしのことを弄んだのね。うわあああんっ」
マデリーンは大声で泣き叫ぶ。
慰めようとするカルベスの手を振り払い、勢いで枕を投げつけた。
枕はカルベスの顔面を直撃し、彼はそれを静かに退ける。
「あたしは何も悪くないわ! ただ恋人として扱ってほしいだけよ! カルベスと仲良くしたいだけなのに! こんなのってないわ!」
侍女がおろおろしながらハンカチを差し出すも、マデリーンはそれを掴んで床に放り捨ててしまった。
カルベスと侍女は目を合わせるが、お互いにため息をつくしかなかった。
マデリーンは散々泣いたあと、落ち着きを取り戻し、カルベスに告げる。
「いいわ。距離を置きましょう。あたしたちには時間が必要だわ」
「……マデリーン」
「でも、カルベスは絶対にあたしが必要だって泣きついてくるわ。あたしにはそんな未来が見えるもの」
「マデリーン、お互いの未来のために、真剣に考える時間にしよう。君にも縁談話が来ているはずだ」
「縁談なんて嫌よ。だってカルベスほど顔のいい男がいないんだもの」
「え?」
カルベスが呆気にとられた顔をすると、マデリーンはぶつぶつ呟く。
「お父様が受けてくる縁談のお相手はいつも顔が残念が男ばかりなの。あたし、カルベスの顔がいいのよ。それ以上の男が現れないと無理」
「……マデリーン、君はもしかして……顔で俺を選んだの?」
「一番大事なことよ。顔のいい男でないと抱擁もキスもできないもの」
「はあ?」
カルベスが呆れ返るも、マデリーンはそんなこと気にもせず、ベッドに横たわった。
「眠くなってきたわ。ねえ、カルベス。添い寝してよ」
「いや、俺は寝る前にやるべき執務が残っているから」
「そういうところよ! 仕事と恋人、どちらか選ぶとしたら、間違いなく恋人を選ぶの!」
「え……」
「もういいわ! 距離を置きましょう。あたしたちには時間が必要だわ。お互いが必要だと思い知る時間がね」
それっきりマデリーンは黙り込んだ。
そのあと彼女の寝息が聞こえてきて、カルベスは疲れたようにげんなりした顔でため息をついた。
侍女がそっと声をかける。
「マデリーン様はご当主であるお父上からの愛情をあまり受けられていないのです。母親も早くに家を出ていってしまい、愛情に飢えて育ったのですわ」
カルベスもマデリーンの家の事情は多少なりとも知っているつもりだ。
だからこそ、彼女を放っておけないという思いがあるのも事実。
だがカルベスは気づき始めていた。
この感情は愛情ではなく同情なのだということに。
◇
やがて、マデリーンとディルクが侯爵家を去る日がやって来た。
マデリーンは潤んだ瞳でカルベスを見つめながら訴えた。
「ねえ、カルベス。しばらくお別れだからキスをして」
「えっ……」
戸惑うカルベスにマデリーンは縋りつくようにして声を上げる。
「だって、あたしたち精神的にも物理的にも離れるのよ。感動的な別れのキスがほしいわ」
「い、いや、しかし……俺たちは距離を置くと言って……」
「だからキスしてって言ってるの! でないと帰らないわ!」
マデリーンの叫び声がエントラスに響きわたる。
使用人たちは呆れ顔になり、ディルクは笑みを浮かべたまま。
ミアのとなりでリリーもため息をついた。
しかし、ミアだけは違った。
「さあ、みなさん。うしろを向いて!」
ミアは声を上げると同時にくるりと背中を向けた。
そして続ける。
「旦那様、これで恥ずかしくありませんわ」
ミアの指示で使用人たちも一斉にカルベスへ背中を向ける。
マデリーンは目を閉じて、カルベスの口づけを待つ。
ディルクはにやにやしながら展開を見守っている。
困惑するカルベスはしばらく立ち尽くしたが、結局マデリーンの額にそっとキスをした。
不満そうな表情を見せるマデリーンに、カルベスは落ち着いた声で告げる。
「遠くから来てくれてありがとう」
「むうっ……まるで他人扱いだわ」
マデリーンは不貞腐れた顔でカルベスに背中を向けると、ディルクに言い放つ。
「さあ、ディルク。行くわよ」
「はいはい、命令ですか」
やれやれという顔で肩をすくめるディルクに、カルベスが礼を言う。
「マデリーンをここまで連れて来てくれて感謝する」
「まあ、いいさ。美味い料理も堪能できたし、可愛い奥さんにも会えたし、わりと楽しかったよ」
ディルクがミアににっこり笑いかけると、ミアも満面の笑みで手を振った。
カルベスは複雑な気持ちでディルクに笑みを向けた。
彼らを乗せた馬車が遠く見えなくなるまで、カルベスとミアは見送っていた。
やがて馬車が見えなくなると、カルベスはミアに顔を向けた。
「迷惑をかけてすまなかった」
「旦那様は何も悪いことをしていないでしょう? 謝る必要などありませんわ」
「だが、俺のせいで、みんなを困らせてしまったようだ」
カルベスが使用人たちへ目を向けると、ミアはきょとんと目を瞬かせた。
「旦那様は気にしすぎではありませんか? 髪が薄くなってしまいますわよ」
「え!?」
驚くカルベスにミアが笑顔で答える。
「伯母様がよく言っていたんです。男の人は悩みごとが増えると髪が生えてこなくなるそうです。だから、気をつけてくださいね」
「あ、あはは……」
「さて、私は庭の様子を見てきますね。それではまた晩餐で」
ミアはそう言ってさっさと邸宅内へ戻ってしまった。
(本当にミアは俺に興味がないんだな)
カルベスは胸中に落胆を抱きながら、無意識に自分の頭に手をやり、髪の量を確かめるようにわしゃわしゃと撫でた。
するとハンスが近づいて笑顔で言った。
「大丈夫ですよ。アランドール家の家系は代々白髪になる傾向でございますから」
「え、あ……そうか。うん」
カルベスは安堵と困惑の混じった複雑な気持ちで頷いた。
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