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47、二度と近づくな!(エリオス)
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レイラが飲み物を取りにいって少し時間が経った。
何かあったのだろうか。
彼女の気配はそれほど遠くないので、おそらくこのゲストルーム内にいるはずだが、誰かと話でもしているのだろうか。
俺の目の前を次々と人々が通り過ぎていく。
そのたびに、いろんな感情が押し寄せてくる。
嫉妬や欲望、憎悪や哀愁など。
きっと彼らは表向きに笑顔を取り繕い、上辺だけの言葉で語り合っているのだろう。
やはりこういう場は好きではない。
知らなくていい他人の心まで伝わってくる。
しかし、レイラとこれから生きていくためには、今までのように陰に隠れてばかりもいられないだろう。
人前に立ち、彼女を守る立場にならなければならないのだ。
ぞわり――
突如、悪寒が走った。
向けられたのは、言葉にできないほど生々しい欲の感情だ。
これまでも令嬢たちから似たようなものを感じたことはある。
だが、今感じるそれは、質が違う。重く、濁っている。
「どなたですか?」
俺は、すぐそばに近づいてきた気配に声をかけた。
「うふふ。声をかける前に気づいてくださるなんて。公爵様は、もしかして私のことを意識してくださっているのかしら?」
その甘ったるい声には聞き覚えがあった。
レイラを陥れ、彼女を苦しめたあの女だ。
「君は、レイラの従妹か」
「セリスと呼んでくださって構いませんのよ。エリオス様」
不快感が胸の奥に広がる。
レイラから聞いていたこともあるが、それ以上に、この女の心から溢れ出す邪念のようなものが、強烈にぶつかってくる。
近くにいるだけで、頭痛がするほどだ。
「すまないが、用事があるので俺はこれで」
席を立とうとした瞬間、腕を掴まれた。
というよりも、絡め取られたのだ。
「ご令嬢、一体何を……」
「セリスとお呼びくださいませ、公爵様」
「ではセリス嬢、俺から離れてもらえないだろうか?」
「まあ、公爵様は目が見えないのでしょう? 誰かの助けが必要だわ」
「結構だ。俺は人の気配を感じとることができる。ひとりで歩けるので」
そう言って軽く彼女の腕を振り払った。
失礼かと思ったが、こうでもしないと彼女は離れてくれないだろう。
それでもセリスは怯むことなく、声をかけてきた。
「公爵様はレイラのことを勘違いされていますわ」
その言葉に、思わず足を止める。
セリスは待っていたかのように畳みかけてきた。
「レイラは幼い頃からずっと私を虐めてきたのです。私がほしいものをいつも横取りして、乱暴もありましたわ。私は姉のように慕っていたのに、レイラは私を見下して蔑んでいたのです」
震える声で訴える彼女。だが、その奥底に潜む感情は苦しみや悲しみではなく、歪んだ執着だ。
「言いたいことはそれだけか?」
「えっ……?」
「俺はこれで失礼する」
背を向けた瞬間、彼女の声が追ってきた。
「お待ちになって! 私はあなたに忠告しているのですわ。レイラは婚約者がいたのに外で愛人を作り、夜の町で遊び歩いていたんです。帰らない日も多く、家族が心配すると逆に怒鳴りつけて、もう手に負えませんでしたの。あの子は、そういう女なのです。他人を騙して絵を描いて人々に癒やしを与えるなんて、虚像もいいところですわ」
さすがに、彼女のこの言葉は無視できなかった。
猛烈な怒りが込み上げるのを感じながらも、どうにか理性で押さえつける。
「セリス嬢」
「はい!」
明るく返事をするセリスに、俺は低く、しかし強い口調で言い放った。
「これ以上レイラを貶める言葉を吐くな。次は俺が許さない」
「えっ……で、でも……レイラは」
「黙れ。君の言葉など聞きたくもない」
「公爵様は騙されているんです。レイラは……」
「レイラのことなら、誰よりも俺が理解している」
セリスが息を呑む気配がした。
だが、そのまま続ける。
「俺にはレイラの心が見える。今にも消えてしまいそうなほど儚く脆い。だがその中にある信念は、誰よりも強い。努力を惜しまず、まっすぐに生きようとしている。その心の光は、俺にしか見えないだろう」
彼女が何か反論する前に、俺はすかさず警告した。
「二度と俺に近づくな。君の声も聞きたくない」
するとセリスの怒号が飛んできた。
「なんなのよ! こっちは下手に出て、可愛くしてあげてたのに何様のつもり?」
セリスが手を振り上げる気配を感じた瞬間、俺はその動きを読みとり、すばやくその手を払った。
「え……なぜ」
「なぜ見えないのに、か? 何度も言っただろう。俺は“心の目”で見えている。君の気配も、君の内側に渦巻くどす黒い感情もな」
彼女が怯む気配が伝わってくる。
だが、俺はさらに冷ややかに告げた。
「金輪際、俺に近づくな。そして、レイラにもだ」
しばし沈黙が流れたあと、わずかに離れたところからセリスの怒号が聞こえた。
「何よ! 見えないくせに偉そうにするんじゃないわよ!」
彼女の気配が離れていくのを感じて、ようやく俺は安堵のため息を洩らした。
何かあったのだろうか。
彼女の気配はそれほど遠くないので、おそらくこのゲストルーム内にいるはずだが、誰かと話でもしているのだろうか。
俺の目の前を次々と人々が通り過ぎていく。
そのたびに、いろんな感情が押し寄せてくる。
嫉妬や欲望、憎悪や哀愁など。
きっと彼らは表向きに笑顔を取り繕い、上辺だけの言葉で語り合っているのだろう。
やはりこういう場は好きではない。
知らなくていい他人の心まで伝わってくる。
しかし、レイラとこれから生きていくためには、今までのように陰に隠れてばかりもいられないだろう。
人前に立ち、彼女を守る立場にならなければならないのだ。
ぞわり――
突如、悪寒が走った。
向けられたのは、言葉にできないほど生々しい欲の感情だ。
これまでも令嬢たちから似たようなものを感じたことはある。
だが、今感じるそれは、質が違う。重く、濁っている。
「どなたですか?」
俺は、すぐそばに近づいてきた気配に声をかけた。
「うふふ。声をかける前に気づいてくださるなんて。公爵様は、もしかして私のことを意識してくださっているのかしら?」
その甘ったるい声には聞き覚えがあった。
レイラを陥れ、彼女を苦しめたあの女だ。
「君は、レイラの従妹か」
「セリスと呼んでくださって構いませんのよ。エリオス様」
不快感が胸の奥に広がる。
レイラから聞いていたこともあるが、それ以上に、この女の心から溢れ出す邪念のようなものが、強烈にぶつかってくる。
近くにいるだけで、頭痛がするほどだ。
「すまないが、用事があるので俺はこれで」
席を立とうとした瞬間、腕を掴まれた。
というよりも、絡め取られたのだ。
「ご令嬢、一体何を……」
「セリスとお呼びくださいませ、公爵様」
「ではセリス嬢、俺から離れてもらえないだろうか?」
「まあ、公爵様は目が見えないのでしょう? 誰かの助けが必要だわ」
「結構だ。俺は人の気配を感じとることができる。ひとりで歩けるので」
そう言って軽く彼女の腕を振り払った。
失礼かと思ったが、こうでもしないと彼女は離れてくれないだろう。
それでもセリスは怯むことなく、声をかけてきた。
「公爵様はレイラのことを勘違いされていますわ」
その言葉に、思わず足を止める。
セリスは待っていたかのように畳みかけてきた。
「レイラは幼い頃からずっと私を虐めてきたのです。私がほしいものをいつも横取りして、乱暴もありましたわ。私は姉のように慕っていたのに、レイラは私を見下して蔑んでいたのです」
震える声で訴える彼女。だが、その奥底に潜む感情は苦しみや悲しみではなく、歪んだ執着だ。
「言いたいことはそれだけか?」
「えっ……?」
「俺はこれで失礼する」
背を向けた瞬間、彼女の声が追ってきた。
「お待ちになって! 私はあなたに忠告しているのですわ。レイラは婚約者がいたのに外で愛人を作り、夜の町で遊び歩いていたんです。帰らない日も多く、家族が心配すると逆に怒鳴りつけて、もう手に負えませんでしたの。あの子は、そういう女なのです。他人を騙して絵を描いて人々に癒やしを与えるなんて、虚像もいいところですわ」
さすがに、彼女のこの言葉は無視できなかった。
猛烈な怒りが込み上げるのを感じながらも、どうにか理性で押さえつける。
「セリス嬢」
「はい!」
明るく返事をするセリスに、俺は低く、しかし強い口調で言い放った。
「これ以上レイラを貶める言葉を吐くな。次は俺が許さない」
「えっ……で、でも……レイラは」
「黙れ。君の言葉など聞きたくもない」
「公爵様は騙されているんです。レイラは……」
「レイラのことなら、誰よりも俺が理解している」
セリスが息を呑む気配がした。
だが、そのまま続ける。
「俺にはレイラの心が見える。今にも消えてしまいそうなほど儚く脆い。だがその中にある信念は、誰よりも強い。努力を惜しまず、まっすぐに生きようとしている。その心の光は、俺にしか見えないだろう」
彼女が何か反論する前に、俺はすかさず警告した。
「二度と俺に近づくな。君の声も聞きたくない」
するとセリスの怒号が飛んできた。
「なんなのよ! こっちは下手に出て、可愛くしてあげてたのに何様のつもり?」
セリスが手を振り上げる気配を感じた瞬間、俺はその動きを読みとり、すばやくその手を払った。
「え……なぜ」
「なぜ見えないのに、か? 何度も言っただろう。俺は“心の目”で見えている。君の気配も、君の内側に渦巻くどす黒い感情もな」
彼女が怯む気配が伝わってくる。
だが、俺はさらに冷ややかに告げた。
「金輪際、俺に近づくな。そして、レイラにもだ」
しばし沈黙が流れたあと、わずかに離れたところからセリスの怒号が聞こえた。
「何よ! 見えないくせに偉そうにするんじゃないわよ!」
彼女の気配が離れていくのを感じて、ようやく俺は安堵のため息を洩らした。
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