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8 更なるまさか
しおりを挟む出てきたのは色んな種類の天麩羅と、真っ白炊きたてのご飯、刺身、胡瓜とおくらとわかめの酢の物。
「わ、天麩羅だ…」
小学校の頃は良く食べた。
3歳のあの頃から小学校卒業迄、ばあやは俺の成長に心を砕いてくれていた。俺に関しての食費や雑費は父から支給されていたというけど、父のやる事だから、それは決して多くはなかった筈だ。それでも毎日、ばあやと2人きりの食卓には旬の食材が使われた温かい食事が並んでいた。
取り上げられてからわかったんだ。それが本当は、とても幸せな事だったんだって。家族にそっぽを向かれてひねくれてたけど、ばあやがいてくれたからまだ幸せだったんだ。
ばあやがたまに作ってくれた天麩羅の具には、高級な食材はなかったれど、白身魚や海老、カニカマなんかが使われてて、子供だった俺はそれが大好物で…。
高校生になって、店に入って天丼や天麩羅付きの定食を食べてみたりしたけど、何だか違うんだ。具材とかはそういう専門の店の方がオーソドックスな天麩羅で美味い筈なんだけど、俺にはばあやの俺の為に工夫をこらされたあの天麩羅が、一番美味いんだ。
だから、犀川さんがせっかく作ってくれたこの天麩羅にも、美味そうだとは思ったけど期待はしてなかった。けど…
「いただきます」
手を合わせて箸を持ち、長皿の一番端の天麩羅を摘み上げてそれに歯を立てて、さくりと小気味良い音を立てて噛み切った後、俺は凄く驚いた。
「美味い…。これ…、」
専門店みたいに軽い訳じゃなくて、少し重さの残った垢抜けない感じの衣。中の具の、ふんわりして、舌の上でパラパラ解けていく食感。その中に、もうひとつ…。
咀嚼しながら、まさかと思って今しがた食べたものの断面を見た。行儀悪いかなと思ったけど、確認せずにはいられなくて。
それは、やっぱりカニカマだった。
「…」
「どうした?」
俺の様子に隣で食べ始めていた西谷が声を掛けてくる。
「いや…。あの、」
俺が西谷に答える前に、椀物を運んで来た犀川さんが部屋に入ってきた。
「あの、犀川さん、これってカニカマですか?」
「ああ、はは、そうです。結構美味いでしょう」
「あ、はい。美味しいです。それで、あの…」
…いや、何て聞いたら良い?そもそも、カニカマって家庭で作る天麩羅では食材として珍しくはないのかもしれない。でも、このカニカマの天麩羅の中にはチーズが入っている。
ばあやが、成長の遅かった子供の俺の為にしてくれたもう1つの工夫。
「ああ、それ。それね、ウチの大伯母の直伝なんですよ」
「大伯母さんの…」
「父の姉ですね。若い頃に子供と旦那亡くした人で、それもあったんでしょうか、私の事を凄く可愛がってくれてる優しい人でね」
「そうなんですか…」
犀川さんはニコニコしながら蛤のすまし汁を俺と西谷の前に並べてくれながら話す。
「ずっと家政婦家業で身を立ててたんですが、もう、10何年前ですかね。住み込みでお金持ちの家の子供の世話を長い事してまして。その子の大好物だったそうなんですよ、チーズカニカマ天」
「子供の…」
心臓がどくんと音を立てた。10数年前、子供。住み込みで、世話を。その子の、好きな…。
「ですけどね、つい4、5年前でしたか。急に暇を出されたって、ウチの父のとこに…ああ、親父、長男なんで犀川の本家を継いでまして、要するに大伯母は単に実家に出戻ったって事なんですがね。それで、離れを貸してくれって言って、住み始めてたんですが…」
俺は犀川さんの話に相槌を打ちながら静かに聞く。
ばあやが突然居なくなった、小学校の卒業式の日を思い出した。
卒業式には来てくれると言っていたばあやが来なかった事を訝しく思いながら、1人で帰ったあの日。家に帰り着いて急いで覗きに行って見た、ガランとした六畳間。それはばあやが使っていた、俺の隣の部屋だった。
2人で囲んでいた折り畳みの座卓は部屋の壁に立てかけられていて、私物は何もなかった。
あの時の絶望感を、俺は忘れない。
「戻って来て暫くはしょんぼりしてましてね。私もマメに離れに菓子を持って行っては、一緒に茶を飲んだりしたもんです。私の菓子の好みは大伯母からの影響なんですよ」
「ああ、だから干菓子とか年寄りっぽいのが好きなんだな」
「お黙りなせえ」
素朴な疑問の解消を口にしただけなのに、余計な言い方をしたばかりに叱られる西谷。何故年寄り臭いとか言っちゃうんだ、西谷。
そして犀川さんは続ける。見かけによらず案外話し好きだな、この人。
「ですが、一昨年、少し足を悪くしまして。それを機にウチの離れから引越しちまって。ウチの親に世話かけるのを気兼ねしたのか、自分で探してきた介護付き施設に入居を決めてさっさと入っちまいました」
介護付き施設…。
いや、でも偶然かもしれない。経済的余裕のある家なら、子供に世話係を付ける家は幾らもある。たまたま年数が符号してるだけで、ばあや本人だと決まった訳じゃない。
俺は冷静さを取り戻そうと、そう考えた。
「とにかく、人に迷惑を掛けるのだけは嫌って人だったんで、止めても聞いてくれなくて。仕方なく週一で顔見に行ってますよ」
そんなに来なくて良いって言われるんですけどね、とヤレヤレという表情で肩を竦める犀川さん。
「それって、シズさんの事か?前に何度か訪ねて来てくれた…」
途中で西谷が口を挟んできて、犀川さんがそれに頷く。箸を持つ手が小刻みに震えるのを止められない俺。
「そうですそうです。よく覚えておいでで」
「そりゃな。でもあの人にそんな経緯があったのは知らなかったな」
「まあ、坊んにそこ迄聞かせるのもね」
犀川さんは苦笑するが、俺はもう気が気じゃなかった。
西谷の言葉の中から拾った、その名。
シズさん…シズ…志津。
ピピッ、と点と点が繋がった気がした。
子供だった俺は、ばあやがシズという名前だという事しか知らなかった。ばあやはばあやで、ずっと傍に居てくれるものだとばかり思ってたから気にした事もなかったのだ。その事が、余計にばあやとはもう一生会えないんだろうなという諦めに拍車を掛けていた。でも…、
「…お元気、なんですか?」
黙って聞いていた俺が急にそんな事を聞いたからか、少し驚いたような顔をした犀川さんが、それでも頷いた。
「ええ、お陰様で。少し足が悪いのは悪いんですが、一時期よりはずっと良くなって。お友達も出来て、達者なもんです。」
「…そ、ですか…。良かった…。良かったです…」
そう声を絞り出しながら、俺は泣いていた。
「坊ちゃん?」
「仁藤?!どうしたんだ、何か…」
突然泣き出した俺に、事情を全く知らない2人が慌てているのがわかったけど、止められなかった。
西谷が背中をさすって抱きしめてくれたから、余計にしゃくり上げてしまってますます嗚咽が止められなくなる。
元気。ばあやは、元気…。
人の縁って、何処で繋がっているのかわからない。
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