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三塚と離婚して一年後。静也の身は、とある小さな海辺の街にあった。
そこは静也が第二の人生をスタートさせた場所である。新たな住処は、高台に建つ築二十年以上の賃貸マンション。三階の1LDKで、リビングが12帖あり、眺望もなかなか良い。
財産分与で譲渡されたマンションは、静也一人が住むには広過ぎて持て余した。結局、離婚後一ヶ月で出る事を決め、不動産屋の仲介で賃貸に出した。今では月に百万近い賃料が静也の懐に入ってくる。
元夫に軟禁されていた忌まわしい場所など早々に売り払ってしまっても良かったのだが、なんとなく。本当になんとなくだが、離婚後すぐに派手な動きをするのはあまり良くない気がした。
けれど、そのままそこに住み続けるのも嫌だった。
今は静也に関心を失くしたとはいえ、あの三塚のことだ。気分次第でまた静也に接触しようと考えるかもしれない。そもそもあのマンションをくれたのも、静也をキープするつもりだからではないのか。そんな深読みをしてしまうくらい、静也は三塚を信用していない。
自意識過剰からではなく、三塚はそういう人間なのだ。一度でも抱いた相手は、死ぬまで自分を愛していると思っている。捨てるのも拾うのも、自分の自由だと。
だから、いくら弁護士を挟んで離婚した今でも、静也は自分を愛していると思っているはずだ。静也自身も、敢えてそう思わせる態度を取った。ただただ、三塚の自尊心を満たし、安心して静也を捨てさせる為に。
だからすんなりと別れる事に成功したではあるのだが、その分いつでも取り戻せると思われているだろう。愛人と結婚して番になれば、番契約の縛りによって他のΩと触れ合う事はできなくなるが、βなら話は別。αやΩのバースフェロモンの影響を受けないβは、忌避の対象にならないからだ。
静也には、番を作ったからとて、あの多情な三塚が落ち着くとは思えない。とはいえ、今の三塚は愛人に惚れ込み、完全な蜜月状態。流石に暫くの間は、大人しくしているだろう。動くなら今しかない。
それで静也は、一ヶ月の間に引越し先を決め、マンションを出たのだった。
この街に住み始めた最初の頃、静也は毎日、海にスケッチをしに行っていた。毎日朝から夕方まで、休憩を挟みながらのんびりと。慰謝料や諸々のお陰で、すぐに働かなければ食えなくなる心配も無い。何より、大学を卒業したとはいえ、きちんと就職した経験も無いまま五年も家に押し込められていた。そんな自分がまともに働けるとも思えない。結婚していたとは言っても、世間体に見ればただの引きこもりニートだ。
それに、リアルの人間関係を何年も三塚に遮断されていた所為か、初対面の相手とのコミュニケーションが下手になっている。緊張して言葉がすんなり出てこず、慣れるのに時間がかかる。マンションの仲介を依頼した不動産業者とのやり取りも、最初のうちはたどたどしかった。
(以前は何なく出来ていた事に、こんなにも苦労するなんて……)
静也の立場が上、あるいは対等の場合ならともかく、就職の面接を受けに行ってこれでは、バイトですら引っかからないだろう。多分自分は、外の生活に帰る為のリハビリが先なのだと、静也は諦めた。
あの場所や三塚から遠く離れてすら、あの忌まわしい日々は、未だに静也を苦しめる。絶えず空気清浄機を稼働させていても、どんよりと重かった室内の空気。煙草と香水の匂いの入り交じった三塚の体臭、体液、こちらに伸ばされる手。
それらの匂いと感触が静也の頭のてっぺんから手足の爪先までこびり付いている……そんな気がして堪らない。
だからこの土地を選んだ。青い空と海と、潮の匂いが、三塚に壊されてきた心を癒してくれそうな気がした。
絵を描く事など、高校の美術の授業以来だったが、この美しい景色を描いた分だけ自分が浄化されていく気がした。
それが気休めでしかないとわかっていても、静也は飽きる事なく、スケッチブックを携えて浜辺へ向かった。
そうして、サンダルで砂浜を踏む感触と音に慣れ、散歩に来る近隣住民と顔馴染みになった頃。
静也は、彼と出会った。
そこは静也が第二の人生をスタートさせた場所である。新たな住処は、高台に建つ築二十年以上の賃貸マンション。三階の1LDKで、リビングが12帖あり、眺望もなかなか良い。
財産分与で譲渡されたマンションは、静也一人が住むには広過ぎて持て余した。結局、離婚後一ヶ月で出る事を決め、不動産屋の仲介で賃貸に出した。今では月に百万近い賃料が静也の懐に入ってくる。
元夫に軟禁されていた忌まわしい場所など早々に売り払ってしまっても良かったのだが、なんとなく。本当になんとなくだが、離婚後すぐに派手な動きをするのはあまり良くない気がした。
けれど、そのままそこに住み続けるのも嫌だった。
今は静也に関心を失くしたとはいえ、あの三塚のことだ。気分次第でまた静也に接触しようと考えるかもしれない。そもそもあのマンションをくれたのも、静也をキープするつもりだからではないのか。そんな深読みをしてしまうくらい、静也は三塚を信用していない。
自意識過剰からではなく、三塚はそういう人間なのだ。一度でも抱いた相手は、死ぬまで自分を愛していると思っている。捨てるのも拾うのも、自分の自由だと。
だから、いくら弁護士を挟んで離婚した今でも、静也は自分を愛していると思っているはずだ。静也自身も、敢えてそう思わせる態度を取った。ただただ、三塚の自尊心を満たし、安心して静也を捨てさせる為に。
だからすんなりと別れる事に成功したではあるのだが、その分いつでも取り戻せると思われているだろう。愛人と結婚して番になれば、番契約の縛りによって他のΩと触れ合う事はできなくなるが、βなら話は別。αやΩのバースフェロモンの影響を受けないβは、忌避の対象にならないからだ。
静也には、番を作ったからとて、あの多情な三塚が落ち着くとは思えない。とはいえ、今の三塚は愛人に惚れ込み、完全な蜜月状態。流石に暫くの間は、大人しくしているだろう。動くなら今しかない。
それで静也は、一ヶ月の間に引越し先を決め、マンションを出たのだった。
この街に住み始めた最初の頃、静也は毎日、海にスケッチをしに行っていた。毎日朝から夕方まで、休憩を挟みながらのんびりと。慰謝料や諸々のお陰で、すぐに働かなければ食えなくなる心配も無い。何より、大学を卒業したとはいえ、きちんと就職した経験も無いまま五年も家に押し込められていた。そんな自分がまともに働けるとも思えない。結婚していたとは言っても、世間体に見ればただの引きこもりニートだ。
それに、リアルの人間関係を何年も三塚に遮断されていた所為か、初対面の相手とのコミュニケーションが下手になっている。緊張して言葉がすんなり出てこず、慣れるのに時間がかかる。マンションの仲介を依頼した不動産業者とのやり取りも、最初のうちはたどたどしかった。
(以前は何なく出来ていた事に、こんなにも苦労するなんて……)
静也の立場が上、あるいは対等の場合ならともかく、就職の面接を受けに行ってこれでは、バイトですら引っかからないだろう。多分自分は、外の生活に帰る為のリハビリが先なのだと、静也は諦めた。
あの場所や三塚から遠く離れてすら、あの忌まわしい日々は、未だに静也を苦しめる。絶えず空気清浄機を稼働させていても、どんよりと重かった室内の空気。煙草と香水の匂いの入り交じった三塚の体臭、体液、こちらに伸ばされる手。
それらの匂いと感触が静也の頭のてっぺんから手足の爪先までこびり付いている……そんな気がして堪らない。
だからこの土地を選んだ。青い空と海と、潮の匂いが、三塚に壊されてきた心を癒してくれそうな気がした。
絵を描く事など、高校の美術の授業以来だったが、この美しい景色を描いた分だけ自分が浄化されていく気がした。
それが気休めでしかないとわかっていても、静也は飽きる事なく、スケッチブックを携えて浜辺へ向かった。
そうして、サンダルで砂浜を踏む感触と音に慣れ、散歩に来る近隣住民と顔馴染みになった頃。
静也は、彼と出会った。
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