背徳の病

Q矢(Q.➽)

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『あ…んあ…っ!!』

『…うさ…て…だ』

『やめ…ぅ…』

『…っと、…たかった』

 誰かとの聞き取れない不明瞭な会話。あらぬ場所を暴かれ、押し広げられる痛み。体を揺さぶられる振動、汗で密着する肌の感触。そして、内臓を圧迫され続ける、吐き気をもよおすような苦しさ。
 自分が男に犯されているのだと嫌でもわかった。しかし、その男が誰なのかはわからない。
 後ろから覆いかぶさっている男は篠井を貫きながらずっと耳元で何かを囁いているが、聴覚がブレてそれが上手く聞き取れない。
 気持ち悪い、苦しいと何度も訴えているのに、男は意に介さないように動き続ける。それどころか、後ろ手にした篠井の両手首を左手で拘束し、腰を右手で掴んで、一心不乱に腰を打ち付けてきた。その内、男が篠井を突く速度がどんどん速くなり、耳元の声が熱い吐息に変わっていく。これは不味い、と体を捻って逃れようとしたその時、男が呻いた。

『ああ…なか、に…』

『やめ…っ!…ふ、っあ!!』

 腹の中に収まっていたモノの質量が増したような気がしたと思ったら、男の体がぶるりと震えた。

(あぁ…熱い…)

 中に出されたと思った途端、瞼が開く。

「は…っ」

 エアコンは適温にして寝た筈なのに、Tシャツが汗でびっしょりと肌に張り付いている不快感。

(…ゆめ…か…)

 もう何度目かの、同じ夢だ。
 夢だというにはあまりにも生々しく、まだ腹の中に何かが挿いっている気がするほどの。
 こんな事はこれまでの人生で初めてだった。篠井はストレートで、男と寝た事は無い。にも関わらず、体験した事の無い事をあんなにもリアルに夢に見てしまうものなのかと手で口を覆う。しかも、自分が抱く側ではなく抱かれる側で見るなんて。男の精を受け止めるとはああいう感覚なのかと思う。
 暫くそれらしい相手を作らなかった弊害なのだろうか。中年と呼ばれる年代に差し掛かって、もう随分と枯れてきたと思っていたのに、実は欲求不満だったのかと考えると少し恥ずかしくなった。

 かの有名な心理学者は、夢は本能的な欲望の現れだとの説を提唱した。では、このような夢を数回見た篠井は、潜在的に男性とのセックスを求めていると言う事なのだろうかと考え込んでしまう。だが、すぐにその考えを打ち消した。

(いや、まさか。それはないだろ…)

 今まで生きて来て、同性にそんな劣情を抱いた事は無い。中学でクラスメイトの女生徒に初恋をして、大学で出会った元妻に一目惚れをして。彼女と別れた後は女性不信に陥りはしたが、それでも性の対象は変わりなく女性だった。
 おそらく、昼間の内に同性愛に纏わる何かを見聞きしたのかもしれない。或いは、ネットやテレビから無意識の内に取り込んでしまっている視覚的情報。
 不思議は無い。上下左右、何処を向いても情報が氾濫しているような世の中なのだから。

 理解の範疇を超えた説明のつかないその夢を、篠井はそう結論付ける事にした。




 
「課長、最近寝不足ですか?目の下のクマ、また昨日より濃くなってません?」

 社員食堂で昼食の冷やし中華の胡瓜をちまちまと口に運んでいた篠井に、向かいに座っていた若い男性社員がそう声をかけた。

「そんなに目立つか?最近眠りが浅くてなあ」

 歳かな、などと冗談めかして笑う篠井に、若い社員は気遣わしげに眉を寄せる。

「確かに熱帯夜が続いてますよね。エアコン付けてます?」

「それは勿論」

「じゃあ、ストレスですかね。気をつけて下さいよ、篠井課長、神経細そうですから」

「は…」

 神経が細いなどとは初めて言われた、と篠井は思わずまじまじと向かいに座る社員を見た。
 篠井には胃もたれしそうなトンカツを口に運んでいる眩いばかりの美男子は、今年入社したばかりの新入社員だ。宍戸 晃誠などと言う、少々お堅い名を持つ彼は、その雄々しいイメージを裏切らない凛々しい顔立ちの青年である。幼い頃から長年アメリカに住んでいたという帰国子女で、190に届く高身長。アメフト部に所属していたという触れ込みも納得の、がっしりした筋肉質の分厚い体躯。その上、ハイスクールを飛び級で卒業して一流大学に入った頭脳の持ち主で、同期の新入社員達よりも幾つも若い。
 こんなの、完全にアルファでしかないだろうと彼を目にした皆が思った。
 何故こんな人材が日本の企業に、などと訝しく思っていたら、訳あって姓は変えているが、実は創業者一族の出身なのだと上司に耳打ちされた。なるほど、宍戸はどうやら将来的には会社を背負う立場になるらしい。
 そんな大物ルーキー・宍戸の世話役を仰せつかり、部下の一人に彼のエルダーを任せる事にしたものの、最初の内は胃のキリキリする日々を送っていた篠井。
 何せ宍戸は、アルファのテンプレのような高学歴エリートであり、それに見合うプライドの持ち主だ。それゆえにかなりの自信家で、高圧的且つ不遜な物言いで、周囲との摩擦も幾度となく起こしかけた。周囲に指導を仰ぐべき新入社員にあるまじき態度である。
 だが、その都度調整に入り、根気良く指導をする篠井と接する内、宍戸は少しづつ変わった。正確には変わったというより、個人主義の国で育った者特有の苛烈な自己主張と、アルファである故に培われた尊大な自尊心をある程度抑える事を覚えた…という方が正しいだろうか。良くも悪しくも日本人的な篠井の影響を受けたのかもしれないが、定かではない。
 一つ確かなのは、傲慢で気難し屋の宍戸が、篠井にだけはそう反論もせず、すんなり頷くようになったという事だ。
 平たく言えば、懐いたのである。

 そんな経緯もあり、今では篠井あるところに宍戸ありと言われるほどになってしまった。
 社員達には、親鳥を追う雛のようだと微笑ましく見られているようだが、親鳥の方がだいぶ貧相なんだけどなと独り言ちてしまう篠井だ。
 そして今日も昼時になり社員食堂に向かったらノコノコ着いてきた宍戸に、寝不足を指摘されてしまったのだった。

 自分では意識していなかったのだが、傍目にもわかるほど酷いのだろうかと篠井は左手の指先で瞼の下を擦る。

(いい歳をして体調管理がなっていないと思われてしまっただろうか)

「そんなに目立つか?」

 と聞くと、宍戸は頷いた。

「そうですね、少なくとも俺には」

「そうか。気をつけるよ」

「そうして下さい、心配なので。もし具合い悪くなったら、無理せず早退して下さいね」

「はは  ありがとう」

 これではどちらが上司なのかわからないなと思いつつ、篠井は苦笑しながら礼を言った。
 馴染んでしまえば、意外にも宍戸はそんな風にサラリと気遣いの言葉を口にする青年だった。こういうタイプは懐に入れた人間には情が厚いのだろうと、篠井は思う。

 その後は食事を終えて、一緒に部署に戻り、それぞれのデスクに着いた。



「くそ…何処のどいつだよ…俺のにベタベタとマーキングしやがったクソ野郎は…」

 昼休みが終わり、社員らがデスクに戻り、午後の仕事に取り掛かり始める中。
 数メートル離れたデスクのPC越しに、そんな乱暴な呟きと燃えるような視線を送っている宍戸に、篠井は気づかない。


















 
 
 
 

 


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